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余白に書く私の読書ノート

耳をすませば歌が、目を閉じれば思いが、こみ上げてくる。
ポエジーのほとりにたたずみ、そっと目をつぶり、耳を傾けてみる。

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  • 技術革新をもたらした原因

  • キツツキの足、尾羽、くちばし、舌などが、樹皮の下に潜む虫を捕まえることにみごとに適応している事実

  • 精神の本質を構成する最初のものは、現実に存在する身体の観念以外の何ものでもない

  • 精神の能動は、ただ十全な観念のみから生ずる。しかし、精神の受動は非十全な観念のみに依存する

  • 精神は、より多くの非十全な観念によって思惟するだけ、ますますはたらきを受ける。反対に十全な・・・

  • 理性の導きに従って生活している人間以上に人間にとって有益な個物は自然の中には見あたらない

  • このため彼らは、神々の判断が人間の理解力をはるかに超えていると確信するにいたった

  • 自然は人間のためにいかなる目的も立てず、また全ての目的因は人間の創造物にすぎない

  • 我々は逆風にさわぐ海の波のように、自分のたどりつく所も、また宿命についても知らぬめまに流動する

  • 身体は何をなしうるかを今日まで明確にした者はいなかった

  • 喜びは完全性そのものではない

  • 人間の身体のあらゆる変様の観念は、人間身体そのものの十全な認識を含んでいない

  • 感情とは、身体そのものの活動力を増大させ減少させ、あるは促しまた抑えるような身体の変容である

  • われわれの精神は、ある点でははたらきをなす、ある点でははたらきをうける。

  • 精神と身体は同一のものであって、ある時は思惟の属性のもとで、またある時は延長の属性のもとで・・・

  • 喜びとは精神がより大きな完全性へ移行するような精神の受動である。悲しみは精神がより小さな完全性へ

  • 身体の存在を排除するような観念は、精神の中にはありえず、むしろ精神に対立するものである

  • 人々は、すべての自然物が自分たちと同じように目的のためにはたらいていると思っている

  • ものは他のいかなる仕方、秩序によっても神から産出されることはありえなかった

  • 意志は自由原因ではなくて、必然的な原因としか呼ぶことができない

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