本日のMy俳句〔 落ちてこそどんぐりいのちをつなぎをり 〕 | 俳句でDiary ─ できるかな?

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私の俳句 萌え萌え日記

涼しさよりむしろ肌寒さを感じることが多くなった今日この頃です。まさに秋・・・。

 

あの真夏の危険なまでの暑さは何処に消えたのか、こんなに暑くては、秋はもう永遠に

 

来ないのでは? とまで恐怖した日々は遠く去りゆき、いま季節は絢爛たる秋へと行進

 

してゆきます。そうして足元を見れば、ああ今年もだな、と気づく───。

 

   

 

 こんにちは、お久しぶりですね。

さて、本日の季語は「どんぐり」・・・秋の季語で私の大好きな存在、どんぐりさん。

 

漢字表記では「団栗」と書きますが、これはPC等で打ってもすぐにこの字に変換される

 

と思います。ただ、私は平仮名表記のほうがどんぐりらしいと感じているので・・・。

 

※2019.10.16 どんぐり  ( ^ー゜)σ  どんぐりのまろきいのちのありどころ

 

   

   ↑丸くて大きめなのはクヌギのどんぐりさんです♪

実りの秋にいかにもふさわしい季語ですが、いわゆる「どんぐりの木」という固定種は

 

存在しません。 クヌギ・ナラ・ブナ・カシなどの実、いわゆる堅果と呼ばれる堅い実

 

を一般的に「どんぐり」と総称しています。

 

   

   ↑大きなロケット型なのはマテバシイのどんぐりさん、季節的には一番早く実ります

 

意外かもしれませんが、広い意味では栗の実もどんぐりの仲間といえるでしょう。

 

   
   ↑8月頃のまだ青い栗の実サンです。イガイガに包まれた実が可愛いね♪  

 

また、椎の実もどんぐりと呼ばれることが多いでしょう。

 

※2013.10.17 椎拾ふ ( ^ー゜)σ   ポケットに小さな秘密椎拾ふ 

 

 

私の居住エリアは・・・

 

 

まあ、はっきり言えば田舎なんですが(笑)山を切り開いて開発された新開地なので

 

今でもかっての山の名残りというか雑木林の名残りが多く残っています。

 

それだけにこうしたどんぐりを実らす樹木も多く、私の徒歩で行ける散歩コースで

 

出会えるコたちがいっぱいいるんですよね♪

   
 

子どもの頃から”どんぐり”といえば秋の終り頃に地面に落ちているのを拾うものだと

 

思っていましたが、この地域に越してきてからは見る目が変わりました。つまり、樹上

 

で小さな実を実らせる頃から観察できるようになったのです。

 

   

 

いや、それ以前の(あまり目立たないけど)花の頃から成長を楽しみにできるように

 

なったのです。もちろん、花といっても華やかな存在ではありませんが・・・。

 

   

   ↑マテバシイの場合は、2年単位で実がなります。つまり今年の花が来年の実になるのです。

 

    

 ↑クヌギの雄花です。葉っぱと花と色が似ていて分かりにくいのでちょっとエフェクトかけました。

 

   

  ↑カシ系のどんぐりさんの雄花、たぶんアラカシだと思います。。。

 

 

どんぐりさんに寄り添えば・・・

 

 

私のデジカメの中には春の桜に次いで、どんぐりさんたちの姿が数多く残されて

 

います。こうしてブログに載せられるのはそのほんの一部のコたちなのですが・・・。

 

   

  ↑横顔を見せているのはウバメガシのどんぐりさん。このコは公園に植栽されていました。
 

それでも、青い殼斗(お帽子)から少しずつ顔を出して成長してゆくどんぐりさんの姿

 

を観察するのは結構楽しくて、飽きることがありません。

 

自然に生えているものをただ見ているだけなのでオカネもかからず、娯楽としては安い

 

ものなんですが(爆笑)

 

   

 

どんぐりさんは樹木の種類によって成長の度合いも異なり、時間差もあります。

それでも毎年数多くのどんぐりたちの成長を見届けていくのは、私にとっては大いなる

 

楽しみになっているのです。

 

      

 

あっという間に過ぎ行く日々のちょっとしたコンマになっているというか、息継ぎの

ように楽しめるからね。そうして最後に地に落ちてゆくまでを見届けるのが楽しみ♪

 

※2018.10.03   この地より生まれ出れば地に還る木の実も人も巡り巡りて 
 

 

   

 

どんぐりさんの一生は・・・

 

 

地面に落ちてしまえば、もうそれで終り、どんぐりとしての生を終える・・・という

 

風にも感じられますが、実際にはそうではありませんよね。どんぐりはそれ自体で完結

 

するのではなく、種子ですから、次世代につなぐ存在なのです。

 

   

 

 
     一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてありなん。

  もし死なば、多くの実をむすぶべし。  新約聖書「ヨハネ伝」第12章より
 

 

私はキリスト教徒ではありませんが、この有名な「一粒の麦」のフレーズは心に残って

 

います。「地に落ちることによって無数の実を結ぶのだ」と、当たり前のことを言って

 

いるのですが、キリストの教えとしては、人を幸福にするためにみずからを犠牲にする

 

人や、その行為を”一粒の麦”に例えて表しているのだそうです。

 

   

 

今日の私の句とは少々意味が異なるかもしれませんが、地面いっぱいに落ちたどんぐり

 

たちを見ながら、これで生を終えるのではなく、ここから新たな生が始まるんだなあ、

 

と思います。もちろん、そのために無駄になるものも多数ありますよね。

 

いや、むしろ無駄になるものの方が多いのかもしれないなあ───

 

   

 

それでも季節になればどんぐりたちは成長してゆく。自然の呼び声のままに────

 

※2018.09.03  縄文の旅路語るやどんぐりの耳をすませよ我らが行く道
 

   

 

※2021.11.24 My俳句  ( ^ー゜)σ どんぐりやまれなるのぞみをしんじたし
 

   

 

※2019.11.10  どんぐりの地に満ちたるは豊穣の我らの明日の希望とぞ思ゆ

 

最後に・・・

 

 

1年があっという間に過ぎてもう10月も終わりになり、今年も残り少なくなりました。

 

四季の移ろいの中で、周囲の自然に目を向けながら生きたいと思います。難しいかも

 

しれないけれど。うっかりすると見逃しそうな小さなものにも目を配りながら、ね。 

 

   

 

───地には平和を。 地には平和と安寧を。

 

↑この黒い実はナンジャモンジャです。春に純白の花を咲かせるナンジャモンジャの

 

結実する実がこんな風に黒いのも不思議なんだよねえ? 

 

※2019.05.15 雪白の花を背負ふて咲き誇り「なんじゃもんじゃ」と問ふひと多し

 

   

 

それでは今日はこの辺で・・・最後までお読み頂きありがとうございました。