明太子です 音譜


今朝、まだベッドの中だった


時々、中城村(なかぐすくそん)の役場のスピーカーから、かなり大きな音で、

村民へ様々なお知らせが流れる (´・ω・`) 


今朝もまだ起きていない耳と頭に


「本日は慰霊の日」・・「正午に黙祷を」・・・と切れ切れに聞こえた


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5



はぁ~

第二次大戦、沖縄で集団自決があった日


最初に思ったことは


あと1ヵ月半で終戦じゃないか!

住民に誤った情報さえ流さなければ・・・

日本軍が逃げずに住民を守ってさえいれば・・・


そうやって、いつも本土の捨石になってるのね。


毎夜、朝までオレンジ色に光っている普天間の空を思い出した



いつもより静かなキャンパスの道沿い


しょっちゅう剪定されて、ちょん切られるハイビスカス

結局、冬の間も咲き続け、1年中咲いているハイビスカスの花

下の方に咲いてたから剪定されずに残っていた花を写メで撮ってみた


でこぼこ丸航海記

モモです。


久しぶりに映画を観に行きました。
しかも、私にしては珍しくメジャーな映画 『アリス・イン・ワンダーランド』 


3Dというのが、どういうものか体験してみたくて、大きいスクリーンで
観たかったのと、映画雑誌『Cut』の特集記事で、ジョニー・デップが
彼の役柄”マッドハッター”について、こう語っていたのが気になったからです。


以下、抜粋

「ティムと俺はまず、”帽子屋のように狂っている”という表現に注目して
いろいろ調べていたんだよ。そうしたら、18世紀、19世紀にはフェルト生地を
生産する際に水銀が使われていたらしくて、当時の帽子はフェルト生地が
主流だったから、帽子をよく被っていた人たちは、水銀が頭皮を通して
体内に吸収されて、いろいろとその影響が出ることがあったらしいんだ。
ルイス・キャロルが書いた狂った帽子屋というのは、つまりかなりの
水銀中毒だったんじゃないかと思ったんだ。それがあらゆる面に影響を
与えていて、それこそ髪の毛から爪、目までその影響が見てとれるんだ。」


こうして、ジョニー演じるマッドハッターのキャラクターは
作られていったそうです。

白塗りの顔にオレンジの髪とボーボーの眉毛、開きっぱなしの瞳孔、
支離滅裂な発言の数々・・・


でこぼこ丸航海記-Mad Hatter


この記事を読んだら、この眼で確かめなくては、と思ってしまって。
で、3Dのメガネメガネかけて観ましたよ。


3Dって、映像が迫ってくるのかなあって想像してたけど、私にはむしろ
奥行きができてイメージを遠いところまで感じることができて、ドキドキ感
というよりは、広がりを感じて心地よかった。


そして、ジョニーの演じるマッドハッターも、なかなか素敵でした。
見た目は気色悪いのに、開いた瞳孔の奥に哀愁があって。


後半になって、主人公のアリスが、

「この世界(ワンダーランド)は私の頭の中の世界なの。
だから、ここにいるあなた達も皆、私が頭の中で作った登場人物なの。
もう、元の世界に帰らなくちゃ。」

という、なんとも意味深いセリフを言ったとき、

「じゃあ、君が帰ってしまったら、僕も消えてしまうんだね。」
と悲しそうに言う、マッドハッターの表情はなんとも言えなかった。



アリスがワンダーランドから現実の世界へ戻って、一人の女性として
自分の人生を歩んでいくところで、この物語は終わります。


子供のころに行ったワンダーランド、そして夢の世界。
大人になっても、たぶん自分のどこかにそれは残っていて、
現実の世界を生きながらも、たまにワンダーランドにタイムスリップ
する瞬間がある。

そんな瞬間を自分の一部として、大切にしていきたいなって感じました。


アリスも、マッドハッターに、こう言っていたしね。
「大丈夫、いつでも私はこのワンダーランドに戻ってくるから。」



ポチしっぽフリフリです。

今日、母たちで玉のことおしゃべりしてきたよ。
母たちとのおしゃべりそのものは楽しかったけど。

でも、もともと苦手な雨、生理二日目、落ち込み中の私の心の中は
正直、どうしてもどこか何かブルー。

玉の魅力について語るというより
どちらかというと
玉の扱い、玉選び人を選ぶ際の注意、っぽいことに終始しがちだったかなと思います。
折角の玉との出会いで悲しい思いをしてほしくない、、どうもそういう視点からに
なってしまいました。

中庸というのは難しいものなのか、玉の素晴らしいよいところを中心に当然きいてくる人
(とくに違う流派の話を)を現状にあって、
どうしても、その落とし穴の方に目がいきがちなわたしにあって
玉との出会いが
真に幸せな物であって欲しいと心から願うものなのですが、、

いかんせん、今の私の状態が状態なのと、もともとの性向から
今の自分から出てくるものは、そうか、そうなんだなあ、しかたないなあとも思ったり。
だからこそ、自分を少しずつでもよきものに育てていかねばならんのだな、、とか
思ったりしています。

決して暗い雰囲気じゃあ無かったと思うけど、
きゃっきゃ母たちで盛り上がる、というより
ふーーーん、全然知らなかった世界だわ、と皆さん神妙な顔つきで、持って行った本に
みなさん見入っていました。
みな、ありがとう~っていってくれたけど、
内心どうなのかな、
玉の魅力より、難しさのほうを感じちゃったかな、、って
私の気持ちとしてはちょっぴり、ごめんね。。って感じです。

これをプラスの経験に変えていくのが一歩一歩歩む課題かなって感じています。

漢字フェチの明太子です 音譜


                  あなた、確か昨日は「すっぽん」だったよね~ ┐( ̄ヘ ̄)┌


「今」って漢字は不思議なんです・・。


「今」の上の屋根みたいなものは、その形のまま

すべてを覆っているってことです。


その下の「一」も、すべてを1つところで覆っている

と考えて良いかなと思うのですが…。


でも、その下


カタカナの「フ」みたいな形について、

字典のどこにも、解説がないんです。


これは一体何を意味するのか…。

誰か知ってたら教えてって感じ(漢字) (-"-;A



それに、「空」ってあるでしょ?


これは、上が「穴」って字で。まさに「穴」を意味してます。

穴の字自体は、穴を掘って作った住居の形からできてる字ですが


その下、カタカナの「エ」みたいな字。

これは、大工道具で、穴を掘る時に使う「ノミ(鑿)」の形です。


この2つの漢字をしげしげと見ていて(2ヶ月くらい前) 



              あんたどんだけ暇なの~」  ( ̄ー ̄; 

             「ええ、お陰さまで~」 (-。-;)



ふと気がつきました。



「空」って「今」だ!…って。



今、この瞬間


自ら手にノミを持って、どこに穴を開けるか

この瞬間の一瞬後、どんな自分の未来を創りたい(見たい)のか

ぐるり360度、どこにその穴を開けるのも自由なこの瞬間… 「今」



この瞬間に、「すべて」を決することができる唯一の場、それが「今」



なのに、ちょっと前の悲しい過去の詰まった思い出空間に穴を開けて覗いてしまう自分。

何も決めてない、決まってもいない将来の「モヤモヤ」を覗いてしまう自分。

で、次の瞬間、自ら開けてしまった空に、「不安」を創造している自分。



次の瞬間をどうするか、自由自在にどこにでも穴は開けられるのに…。

思い描いた通りの、すばらしい「空」に思いっきり「穴」を開けることができるのに…。


せっかくの、この瞬間、今、

立ちすくむ自我


それは「怖れ」以外の何モノでもない

それはなぜ…?


       

・・・と、自問自答はつづく・・・ (´・ω・`)



ごはんです。



実はこの間のキャンプの時に立ち話セッションをして、

玉をいただき、2週間摂っていました。


気分はいいのになんで痛みが出てくるのか、

自分では安定しているつもりなのに、何かが何かを表わしたがっている。

本当はたぶんこれなんだろうということに気づいている。

それを見ないように閉じ込めている。

仮のバランスを取っているのがわかる。




自分の人生について思うことをしない日はない。

日々不安とともにある。

私はどうしてここにいるんだろう、と思う。

なんで生きているんだろう、と思う。

これからどうやって生きていこう、と思う。


去年の4月に

‘人はなぜ死ななければならないのか’

とドンに二度問われ、ずっと残っていた。

この一年、事あるごとに思い出し、思い巡らしていた。

答えは出ていないけれど、雲のように何かが形作られて今、頭の戸棚に仮置きしています。


もちろん生活をしているので四六時中そんなことばかり考えているわけではありません。

仕事があるから規則正しい生活を送り、平静を保っていられるのかもしれません。



明太子が周りの人を癒し、

ポチがママ友との輪を広げ、

モモがどんどん先に進んでいく。


以前の私だったら、きっと置いてきぼり感でいっぱいになったと思う。

ぺろが書いていた、

>もともと、いつもこのままじゃダメだと自分を追い詰めるタイプで、

 ここ最近は一層それが加速しているなと感じます。

 自分に基盤がなくてとにかく不安定な感覚でいます。


もっともっとと上を目指す、ポジティブな人なのかなと感じていたけれど、

それが基盤がなくて不安定な感覚からとは思ってもみなかった。

私もずっとそんな不安定な感覚だったのだと思う。

私には何もない。そう思って不安でたまらなかった。


でも。

いつの間にか、私は私でいいのだ。これが今の私です。

そう言えるようになっていたのです。いや言ってはいないけど。

開き直るとか向上心がないとかではなく、今はここまでなんで、スミマセンって感じかな。

だから、少しづつでも前に進もうと思う。

階段をきちんと一段ずつ登って行こうと思う。

いや、坂道かな。一歩一歩踏みしめて、周りの景色も堪能しながら。




で、玉の作用ですが、毎日状態が変化し、書き留めてはいるものの、、、

未だ痛みは治まらず。

もう少し様子見てまたお知らせします。