こんにちは!

ぺろです。

相変わらず俗世に浮かれていて、

頭が完全に花畑です。

脳の退化が尋常じゃない勢いで進んでると思います。


もちろん難しいことが考えられなくなったという欠点はあるけれど、

自分としては今の状態を結構気に入っています。


「こうしなきゃ」

「こうじゃなきゃ」


いつもこの言葉に縛られてたから、

自由に楽しいと思えることに没頭してるのは

たとえが良くないけど、刑務所から釈放されたような気分?

とても開放感でいっぱいなんです。



そんな私を、肯定してくれた(と勝手に思ってる)

インドキャンプのラストで先生が話してくれた言葉。

なかなか良いよ!



子供から何を学ぶべきか

・大人とは幾重もの層をまとった子供である。

 自分の内側にいる子供に触れたいと思ったらマスクを外さなくては。

 子供のケースをとることで私たちもマスクを外しやすくなる。

・魂は子供とともにいることで癒える。

・子は逆に人生とは何かを教えてくれる。

遊びに夢中な子供のごとく真剣になった時、

 人は最も自分らしさを獲得するのである。



この赤字がまさに今の私じゃないかと・・・。ポジティブに捉えてます。

(課題図書の本を開く勇気がない言い訳)



まだまだ暑いですが、あとちょっとで秋を感じられるかなぁ。。


明太子です 音譜



出典は忘れてしまったけど(すみません)

いつもいつも心にとどめておきたいと思っていること


夢を追求していくと

あなたがこれまで得たものすべてを

失うかもしれないと心が怖れる


傷つくことを怖れることは

実際に傷つくより辛いものだと

自分の心に伝えて欲しい


なぜなら・・・


夢を追求している時

心は決して傷つかない



それは、その一瞬一瞬が

神との出会いであり

永遠との出会いだからだ



夢を追求する

一瞬一瞬が神との出会いだからだ



私の宝物がある場所に

私の心もあるからだ


ポチです。
小さいことですが、明太子の宇野千代さんの著作等のコメントに触発されて

ずっと前に図書館に予約しててながーーーい、
長すぎる順番待ちでわすれてた
「すべては宇宙の采配」小林秋則(奇跡のリンゴのあの人)
手元にやってきたので、昨日ばーっと読みました。

時の流れに全然乗れていないアナクロな私は
「奇跡のリンゴ」もみんなに教えて貰って読んだのですが
奇跡のリンゴ等リンゴづくりについては、
その前に「ニンジンから宇宙へ」(赤峰勝人)等を読んで
えらい感動してからその手のことから遠ざかっていたので
いいな、と思いながらも、すごく大きく揺さぶられるというほどではなく
自分の中を通り過ぎていきました。

でも、昨日「すべては宇宙の采配」を読んで
(これまた、ずいぶん遅れてですが)
リンゴ作りと自然との共生というテーマを一歩さらに超えた
ご本人の手記のような内容のこの本で
前作のいくつかより
著者の正直で素朴な生き方がさらにもっと感じられてとても感動しました。
宇宙人、UFO、龍ををみた、時間の流れの合間をみた、
そんな周囲から簡単に理解を得られそうにない話を
臆せず語る勇気、
すごいことというのでなくすなお~に飾らず表現する人柄
自分のいたらなさを恥じる勇気
周囲の物、人に対する謙虚で愛情に満ちた彼の日常がしのばれ
いいなあ、いいなあ、よかったなあ、こんな素直で優しい人がいて、って
嬉しくなりました

わなにひっかかった子狸を逃がしてやり、
えさを用意してやったら、それだけ持って行き、
畑をそれ以来荒らさなくなったという話
ねずみ取りにひっかかったらネズミを殺すに忍びず逃がしてやる話
生き物だけでなく物にも心はあって言葉は通じるという話

わたしは植物を枯らすばかり、水やりもいいかげんな
全然優しくない、心ないところの多い自分なのですが
言うことを聴かないPCやプリンター相手に怒鳴ってる旦那をみてて
さすがにいやで「いい子いい子、がんばってね」ってやると、
(機械のためだけでなく、私自身がそうするとざわついた気持ちがおちつくので)
タイミングよく言うことを聴いてくれたりするので
物にもきっと心はあるよ、、と素直に共感でき、そんなことも嬉しかったです。

他愛ない感想です。

ただ、心優しい、素朴な当たり前を大事にする人がいると思うと
とても幸せで嬉しい気持ちになれるので

もしまだ読んでない人がいて、
昨今の痛ましい世間のやりとりにもし胸を痛めていたら
手にとってみて、とおすすめしたくなりました。





明太子です音譜

これまで、ずっとファンを自認していたのに
なぜかキチンと本を読んだことがなかった
宇野千代を今日一挙に4冊読めた…


タイミングの良いことに
この4冊(古本)は昨日届いたばかり


さらにタイミングの良いことには

沖縄本島直撃の台風が来るってことで

昼過ぎに帰らなきゃいけなくなったので
食糧と水を買い込んで、ベッドに転がりながら
うふふと読みふける至福の時間… 


東京の実家から台風で危ないから外に出るなとの
ありがたい携帯メールの返信を打つ時間さえモドカシイ…


どれも短編集だけど


『幸福を知る才能』集英社文庫が、面白かった

というか参考になったと言うべきか

その中で、特に印象に残ったのは


谷崎潤一郎のことを書いた件(くだり)…


若い頃の彼の作品の読むに堪えない未熟さに驚きつつ
それにもかかわらず後年、
谷崎が傑作を生んだ秘密というものを発見した部分だ。


彼が自分自身を信じたさまを


 「自信などという生半可なものではない。
 自己の持っているものを、神を信じるような
 念力を持って信仰することなのだということを
 私は改めて知」、「異常な感動にとらえられた」


というのだ。そして


 「人はおかしいと思うかもしれないが、ここ2,3日
 私はこのことで頭が一ぱいになった。
 もう70歳にもなって、気がついても遅いと
 言われるかもしれないが、私にも、この私自身にさえも
 ほんのちょっぴり才能があるのだとしたら、
 それを恃む(たのむ=あてにする)気持ちに
 なぜならないのか。

 あの競馬場で見た、一か八かの、あの虚しい、
 美しくない顔つきで、生涯を終わるのはいやだ、
 と私もまた思ったからである」
と。


これは恐らく彼女のものすごく長いスランプの後のことだったと思う。


私は、この瑞々(みずみず)しいとしか言いようのない
ほとばしり出るような感性に打たれた

必死で欲しいものをつかみ取ろうとする

正直な、真正面な姿に打たれた



と同時に考えたことがあった


自分さえも信頼し切れない

そういう自分自身が引き寄せ、実現させた目の前の現実


例えば「信じられないようなヒドイ人がいる」という現実は

やはり、自分自身を信じ切ってない、信じ切れていない自分が

他人に「裏切り」を演じさせ、自分に見せているであろう「現実」

に他ならない、という確信にも似た思いである


自分さえ信じていないのに

なぜ人に期待する?

なぜ裏切られたような気持ちになる?


自分に期待して

自分を裏切ってしまうかもしれないという

怖れから目をそむけたいからか?


問うべきは、他人の非道ではなく

自分への一途な信頼の多寡であろう

明太子です 音譜


最近買った本・・・


『100歳までの人生戦略 ~50歳なんてまだ昼の12時!~』
Dr. エリック・プラスカー, 実川元子


『100歳まで元気に生きる!』
ジョン・ロビンズ, 高橋 則明


『100歳食入門』
永山 久夫



これら↑を

ジャンクフード食べながら

読んでるのって

どぉなの~  ( ̄_ ̄ i)