モモです


久々に投稿したいと思います。
8月2日に投稿した、「北山修さんの最後の授業」
番組を見ながら取ったメモが、なぜか今朝私の手元に
ひらっと落ちてきました。

いいことがたくさん書いてあるなあと思って、そういえば
番組を見た後、感想を投稿するつもりだったのを
思い出しました。
あまりにも時差があるけれど、頑張って書いてみます。
(記憶が弱いので、自分の中で勝手に変えている部分が
あったらゴメンね。)


4日間の番組の中で、最終日に
『セラピストの3つの条件』
というお話がありました。
その3つとは・・・


① 包容力


② 「ここだけの話」を守る番人


③ 二者言語で話す


これについて、ひとつずつ解説してみます。


① 包容力 とは

セラピスト自身に、人の悲しみ、怒りや悩みを抱えるスペース
があること。

これに関連して、3日目の放送の中に重要なヒントがありました。


「こころの臨床家は楽屋を見せない」
まな板の上は、クライアントの情報でいっぱいにして、
僕の情報は混ぜない。
できるだけ、真っ白な白紙でいる。


② 「ここだけの話」を守る番人 とは

これについては、1日目の放送で、お話がありました。
日本人は非言語を好み、行間を読んだり、曖昧な表現をする。
そのため、口にしないものが、心にたまりやすい。
だから、「ここだけの話」というと、秘密は保たれることに
安心して語り始める。


③ 二者言語を話す とは

これについては、3日目と4日目の放送の中で
興味深いお話がありました。


私たちは、第三者からどう見えているかという不安がある。
「みんな」という第三者を脅威に感じて、対人恐怖や視線恐怖症になる。
これは、極めて根源的な不安である。
なぜなら、人間は自分が見えないから、自分を正確に映し出す鏡が欲しい。

だから、現代人はカメラやビデオなど、簡単に自分を映し出せる
「セルフモニタリング」を手に入れたのではないか。


それでも、自分の心(ウラ側)を映し出す鏡はない。
心の臨床家は、その鏡(心の Reflector : 照らし返し役)になる。
そして、クライアントの自己イメージのゆがみを鏡として、照らし返すこと。
それが、二者間内の交流で、”二者言語”を話す、という意味。


3つの条件、いかがでしょうか。
どれも、私にはハードルが高いなあ、と感じてしまった一方で
こういう心がけが大切なんだなあって、いいヒントを頂けた
感じがしました。

きっと、セラピストとしてだけでなく、日常的に人と関わりあうなかで
とても大切なことなんだよね。

明太子です音譜


1ヶ月前頃、ふと気がついた


あれ? 


私は以前(数年前まで)、下唇の方が厚かったはず…

どうして今は上下が同じ厚さになったんだろう??


食養家の大森英桜氏の本を読んでいたら、

顔の相のことがアレコレ書いてあった


曰く、唇は消化器官を表わしている

上唇は胃

その色が悪ければ胃が悪い


健康体で胃と腸が健全なら

上下唇の厚さはそれぞれ8mm

胃下垂の場合、胃に弾力がなく、

そうすると上唇は8mmより薄く色が悪くなる


逆に上唇が厚く、めくれているのは油分の摂りすぎ


下唇では腸をみる

下唇が広がって1cm以上緩んでいるのは、腸がゆるんでいて…云々


そして、今朝起きたら、右口角が切れていた


あっ 確か昨日読んだ…


右口角のただれは胃の下部(幽門部)のただれを示す

子供がこういう状態になったら絶食させます、と


こういう時に穀類、特に玄米などをやったらますますただれてしまう

食べ過ぎだから 果物くらいを少々与えるくらいにする…と


そういえば、昨日、お友達とランチして


一人前のランチとデザートを食べた

美味しくて全部食べた

結構な量だった



そっかぁ~…というか、すげぇ~!人間の身体!!


ポチです

本当は自分の心の中でやればいいことなんだけど
対峙する相手、場がないと
未熟者のわたしは
なかなかぐるぐる同じところをまわりぬけられないので
ちょっと迷惑顧みず
わからんちんのだだっ子よろしく
公道で地団駄ふんでみます
ごめんよ

昨日、ひょんなことから、旧い知人と電話で話をし、
そこから、その電話の相手ではない
思い出した人たちに
自分でもあきれたけれど、
まだ消えぬちょっとした怨恨を感じていることに気付きました
そして、どうもそのいやな感情をいやなものなのに関わらず
持ち続けている原因のが相手にではなく
相手に持ち続けなければならない状況を今だ強要されているわけではなく
自らを正当化したいために自分でしつこく握っている
原因は他でもない自分自身であることに気付かざるをえず
さらにみじめな気持ちになりました

もともとは相手に迎合する気持ち
何が正しいかではなく
どう振る舞えば相手が文句をいえないか
そういう相手を怖れる気持ちが
本当に取るべき行動じゃなくて
やっかいな感情を育んでしまう行動をとってしまったんだ
依存心
保護されたいという気持ちが
自分の脚を引っ張った

あのとき自分が正しいと思った道を
ただ怖れず淡々とあるけば
こんなことには多分ならなかった
正しいと思ったことを信じて歩んでいたら
こんなにこじれることはなかった

ねたみ
うらみ
そんなおよそ気分悪くなる不快な思いは
とっとと成仏させましょう

他人を悪者にして
自分を正当化したい、
その思いの正体はわたしのかわいらしいエゴ
思うようにならぬと地団駄ふんで
柱にしがみついて、のたうち回って泣きわめく
丁度5歳児くらいの、かわいいエゴちゃんを
だっこしてゆすぶってみます。
(ちょっと重い。2歳児くらいにすればよかった)

さみしかった
かなしかった
くるしかった
そういって泣くエゴちゃんを
わたしくらいは「しかたないなあ」とよしよししてやらんとね。。
本当に重たいだだっ子だ。。

でも、エゴちゃん、
ほったらかしにされず
ちゃんと見つめて貰ったら
思ったより簡単に
ちょっと落ち着いたようです。

本当はもうちょっと早く成長したいけど
大きくなっていたい自分なんだけど
そう焦る気持ちはあれど
出来ぬ背伸びも無理が来ようと
ちょっとずつ成長していこう。マイペースで。
自分の今の位置にご不満感じてもしかたない。

すっきりしたし
いまここから歩き始めよう


ありがとう(●^o^●)



明太子です 音譜


今日、出会った言葉・・・。



死ぬ気でやれよ 


死なないから 




いいなぁ~、面白いな~ ( ̄ー ̄)

何だか毎日発見だなぁ


何かを不安に感じている暇があったら

遊びに、「仕事」に、食事に、掃除に

埋没しようっと・・・。










モモです


今年の夏は、ほんとうに辛かったあせる
今日は、久々の雨で湿気はあるけど、あの暑さに比べれば
まだましですね~


暑さとともに、今年は私の年齢もあるのか、汗の量が半端なく
多くて、それも辛かったです。


そして、昨日勤務先の薬局に、50代の女性が処方箋を持って
来られました。
いつもの薬に加えて、ある漢方薬が追加されていました。


「どういう症状でかかられましたか?」

とお聞きすると、ちょっと苦しげな表情で、

「ホットフラッシュのように背中の汗がすごくって辛い
とお答えになりました。


一通り、薬の説明をした後、

「今年の夏は暑かったですものねー、こんな時期の汗は辛いですよね」

と声をかけると、
今までの苦しげな表情が、ふわっとした笑顔に変わって、


「そうなんですよー、季節のせいなのか、自分の体調なのか
どちらのせいなのか、わからなくって笑顔


その表情を見て、私の気持ちもふんわりやわらかくなりました。


こんな、ちょっとした声がけで、患者さんの気持ちがなごんでくれると
私も嬉しくなります。


先ほど、何気なくネットを検索していて、たどりついたサイトに
昨日のうれしい体験を思い出させてくれるものがあったので、
良かったら見てね。


http://www.holistic-medicine.or.jp/colum.htm


その中で、今回の記事を書くきっかけになった部分を抜粋しておきます。
あたりまえのことのようだけど、あらためて大切なことだから、
自分自身の心にも留めておきたいな、と思って。
(以下、抜粋)


代替療法家・セラピストの視点


まず初めに、療法家やセラピストであっても、個人としての自分が、

他者の援助者になる以前に、「ひとりの人間として、時には病み、

精神的に苦しむこともあり、やがては死んでいく存在である」という

ことを認識することが大切です。ホリスティックとは、医療や健康

のことだけを指すのではなく、生命全体の概念です。それをどの

ように捉えているかで、その人がもつ人間観・宇宙観が本人の

全生活に表れ、当然職業生活にも反映されるからです