☆1982.10  Volume 1 NO.4  1️⃣


   毎度マニアックなこの雑誌の中味を紹介して完全なる自己満足に浸っております。

   今回もディープな世界に皆様を導きます…。

   今回は創刊第4号、余りのヴァラエティさにウットリ。


   今号の目玉は歌手ジョースタッフォードの特集。 



   数えて4回目にして初のボーカリストの特集で、いきなりこの人…と言うと失礼ですが、なんで?おジョー様なんだろう?

   多分だが、一番レコードが集まり易かった若しくは全貌が見えていた、と解すべきなのかもしれない。

   しかも、初期の特集記事らしいのは一アーティストに幾人もの識者がそれぞれ得意の年代を解説すると言う、これはもう完璧なジョースタッフォードのレコードの全仕事が解説できるマルチシンキングな一編である。

   確かにこの方が複眼的視野で彼女を語れるので実にスマートにフラットに且つ多角的な解説が出来る、と言うものだ。

   今日び、同誌の特集記事は1人に任せ切りの場合も散見できるから、そう言う時は大抵小者か扱いが小さいアーティストと思わなければならない。

   

   創刊第4号の最初は各種インフォメーション。

   小生が注目したのは、「幻の昭和流行歌」。



   大手各社(コロムビア、ビクター、キング、ポリドール)が年代ごとの代表的な流行歌の全集を一通り発売し終えて、残るはテイチクレコードのみと思われていた矢先に南葉ニ、みなみ一郎両氏を前面に押し出してマイナーレーベルであったニットー、タイヘイ、マーキュリーと言う謂わば外縁部のレコード各社の全集をまとめ上げた労作である。

   彼らがこの全集の編集をする上での課題は、マイナーのレコード会社のヒット作なき時代の全集を編む、と言う過酷極まる作業だったに違いない。

   そんな中で彼らが心掛けたのは陥りがちな"自分達の好みを廃しての選曲"だったとこの次号の記事にあった。

   その甲斐あって全400曲のうち実に390曲が初復刻と言う快挙を成し遂げた。

   取り上げられた歌手達も意外や意外のビッグネームがズラリと並ぶ、東海林太郎(しょうじたろう)、藤山一郎、松島詩子、林伊佐雄、松平晃、藤島桓夫、青葉笙子、エト邦枝、松山恵子、岡晴夫など。

   無論、彼らの様々な事情で変名で歌う事もあったが違う名でも声は確かに本人だ!と言うパターンはリスナーの側に立ってもハラハラドキドキ…パンドラの匣を開けてしまったかの錯覚に陥ること必至である。

   藤山一郎などは当時東京音楽学校在籍中でコロムビアでバイトで歌った♫酒は涙か溜息か   や♫丘を越えて   が立て続けにヒットしてしまい音楽学校にバレて乘杉学長の温情的措置で冬休みの間の7日間の停学と言う得難い体験をしたばかりなのに、マイナーレーベルとは言え翌昭和7年にしっかり商業用レコードを録音していた♫軍事探偵の唄   はそういった背景を知っていると実に興味深い話がありそうで楽しい。

   無論変名でリリースネームは、藤野龍夫だった。お陰様でこの時はヒットには繋がらなかったが、復刻されたレコードを聴くとまごう事なき増永青年の声であり、カーボンマイクロフォンに良く乗る見事なまでのクルーナーヴォイスである。

   こうした歴史の闇に葬られ掛けた レコードなども飛び出す"裏流行歌史"だが、後年中古屋でこの全集はゲットした。今でも大事に書架に収まっている。


   続いては阿佐田哲也こと色川武大のコラム「命から二番目に大事な歌」第3回 お題は"アラビアの唄"   色川氏の自由闊達で記録の類は一切見ないで実に色濃くかの時代を振り返る。

   今回は流行歌手の最も初期のヒット曲♫アラビアの唄   に纏わるエピソード集である。

   色川武大らしく高尚を好まず低俗を好む生の芸能論は他の追随を許さない正にオンリーワンな文章の一端をお楽しみくださいませ。



…♫  砂漠に陽が落ちて  夜となる頃

        恋人よ   なつかしい  歌を唄おうよ


   というような歌詞で、詞も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。誤解されるとこまるが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来上がったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたいような気分にさせてくれる。

   私に言わせれば、唄とはこういうものであってほしい。変に意味があっては困る。人生に相当するような重い部分があってもいけない。

   改めて手にとれば実にくだらない。しかしそのくだらなさが昇華されて、現実のくだらなさとはまた別のものになっている必要がある。

   それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい。私は子供の時分から、そこのところで周辺の人とコミュニケーションがとれなかった。…


   名文はまだまだ続くが、先を急ごう。

   野口久光の後に大部の書として出版された「私とジャズ」。



   今回はウォルトディズニーよりも古い、アニメ映画のパイオニアであるマックスフライシャーに関する記述だが、フライシャー兄弟について詳述された恐らく日本で唯一の文章だったのではないか?ベティちゃんやポパイと言った大ヒットアニメーターだったが、やがてその王座をディズニーに奪われるのだが、1937年ディズニーがカラー映画の特許を取得したテクニカルカラー社と提携して1939年に初の長編アニメ映画「白雪姫」を完成されてからというもの、商才あるビジネスマンだったウォルトディズニーは其の後もディズニーランドを立ち上げて、全世界的に活躍してフライシャー兄弟では到底立ち行かなくなってゆく、と言う栄枯衰勢についても触れていたが、野口が強調したかったのは、フライシャー兄弟が繰り出すベティブープの映画でルイアームストロングやキャブキャロウェイ、ボズウェルシスターズ、ミルスブラザーズと言った当代一流のジャズミュージシャン達を前面に押し出したジャズ映画としての側面もあったと言う事を見逃さなかった点にある。

特に1932.11.25公開の「ベティの蛮地探検」ではルイアームストロングが初映画出演を果たしたなど、小さいけれど重要な情報を記録している辺りも、評価に値する。


   さて、この雑誌がそう言う点で非常に貴重だったのは蓄音機に関してメカニカルな視点、或いは音の周波数特性などの電気的で専門的な観点から詳述した池田圭の「器辺の響」と言う連載があった事にも触れなければならない。



   栄えある第1回の連載がこの号から始まったのだが、第1回目の書き出しは器と機。

   世界的蓄音機SP盤収集家として有名なあらえびすこと野村胡堂(小説 銭形平次 の原作者でもある)氏はその著作「蓄音機読本」の中で「器を機としたい」と説く。

   その心は?

   現在(昭和11年当時)日本の蓄音機会社と組合などでは、蓄音機の機の字の代わりに器の字を使用しているが、これは不穏当な旧思想のやうに思われてならない。そのカラクリも決して器といふようなケチなものではない。つまらぬ遠慮は止してしまって、あれは、機と書くのが当然であらうと、私一個は信じて居る、と言う主張だったが、池田氏は、あらえびすの主張は理解出来るが「しかし、この様な仕掛けをしても、ラッパ吹込み時代のレコードは旧型の米ブランズウィックの蓄音器で再生した方が、より僕を感動させる。

   僕の装置も、やはりケチなカラクリにしか思えない。   器が機にならない所以である。」

と我が国蓄音機研究の第一人者の主張をあっさり斬って棄てた。

   池田氏は言う  …僕は蓄音器と器の字で書く。敢えてあらえびす氏のご意見に背いている訳ではない。(中略) ちくおん器の器は楽器の器でもあり、日本蓄音器商会(コロムビアの前身)と書いた方が日本蓄音機商会とするよりも縦に綺麗に割れる字面の美しさがある。三の字にも三井、三菱、三共など、これは街を散歩される折にでも会社や商店の看板を眺められると楽しみの一つになると思う。この頃は横文字、かながきが多いけれども。…

   このコラムはその後長年にわたり蓄音器の各パーツについての解説、各社別の比較研究を繰り広げいにしえの古物を古物で終らせなかった。

   現在の同誌には無論これに変わるオーディオ研究のコラムはない。

   それはまた違う雑誌の領分だ、と言わんばかりである。


   続いてはビングクロスビーの全レコード第4回だ。

   青木啓のお馴染みのコラム、1937〜1940年の7月までのデッカ時代の全レコードを紹介している。

   珍しい写真多数だが、久しぶりに共演したジャズバイオリニストのジョーベヌーティとのツーショットがユーモラスなので掲示しておく。


   イーディーゴーメの特集記事を挟みお次はジャイヴミュージックの研究である。

   中村とうよう編集長とその道の研究家 土山和敏氏の対談に遡上に登った曲が収められているLPが小さいジャケット写真とレコード番号付きで紹介されているのだが、小生がその後ジャイヴなどと全く意識せずに違う趣旨で購入したアルバムが多数掲げてあり、なんだか嬉しくなったのでそこを紹介していこうと思う。




   先ずは、レコード番号 ストーリーヴィル ULS1591の「VARSITY  SESSIONS vol.2」

   2人はギタリスト タイニーグライムズの話になりとうようさんがおもむろに出したのがこれで土山氏も快哉を上げていた。

   小生はジャイヴ=リズム&ブルース、或いはブラックコンテンポラリーの元祖、くらいな棲み分けしか出来ないので、当時ジャズ評論の第一人者だった油井正一がジャイヴに無理解なのを嘆くこの2人の対談には只管、同情するのみではある。

   聴いていて自分の肌合いに合えばジャイヴだろうがジャズだろうがなんでもありな訳で、小生がこのLPを買ったのはもっと違う経緯からだった。

   そもそも、ヴァーシティーなどと言う如何にものマイナーレーベルは市場でもかなり安価な扱いをされていたが、ミュージシャンは大抵名のある、或いは嘗て名のあった方々だった人達がかなり、ユル〜く演奏しているレコードがほとんどだったが、小生がユルく感じたのは実はそれこそがジャイヴの真髄だったりするのかもしれない。

   小生もまだまだ暗中模索なのである。

   ヴァーシティレコードは新宿コレクターズで或る日大量のSP盤を大人買いした時に1〜2枚紛れ込んでいた(一応レーベルで何が入っているかは確認した)のだが、所謂ハズレがなく気に入ったので後々まで引きずっていたレーベルではあった。

   こうしたLPで一時期のレーベルを聴けるのならばと買うことにした、因みに後にこれのVolume1

も後に購入、1は赤、2は緑地のジャケットが目印だ。



   お次の写真は我が敬愛するテディバンと言うギタリストがメンバーであるThe spirits of Rhythmの写真だが、ジャズに於けるギタリストの歴史を紐解く時にエディラングの次くらいにジャズ界では重要人物である。

   この人の初期ブルーノートの10インチ盤に表裏両面とも素晴らしいギターテクニックが収められていた奴を持っていたが、もう売っぱらっちゃったかな?  曲はダビングしてあるからいつかは公開するが、この人こそジャイヴだろう!と思う。ギターの切れははっきり言うとラング以上ジャンゴ以下と言った感じだがやはり彼でないと出せない味はあった。

   ラングと同時代で同じ黒人で、ラングとのツーギターの録音盤もあるが、ロニージョンソンの進化系がテディバンかな?とも思う。



   お次の写真は上二つを所持している。

   上から順番にThe  Old  Masters シリーズのTOM 1 のエメットミラーのオムニバスだがロック時代にライクーダがカバーした♫ビッグバッドビル   のオリヂナルを始め傑作♫ラブシックブルース   のオリヂナルも入っている。

   因みに♫ラブシックブルース   は結果的に日本でも南正人   が70年代前半にカバーされたが当時これ聴いた人達はさぞかし日本人ブルースシンガーの出現に喜んだことと思うが、彼のかすれた声にミラーには遠く及ばず乍ら、このお馴染みのメロディーをどうしようもなくブルーに、遣る瀬無く演奏してくれてありがとう😊と言いたくなった。

   もう一枚、ODEONの OR8023は東芝音工からリリースされた日本盤である。

   こちらは「20年代の歌うスター達」と言うタイトルが印刷されていてかなりな普及盤だから所持されている読者もいるのではないだろうか?

   ミルドレッドベイリーやレッドマッケンジー、そして我等が御大ビングクロスビーのドーシブラザースがバックを務めて若き日のバニーベリガンなんかが入って並外れたハイトーンのラッパを聴かせる♫スジアンナ  やジャズスピリット全開の♫レッツドゥイット  などの珠玉の名盤が収められている。

   最後のものはOnyx 212 セントラル アヴェニュー ブレイクダウン Vol.1  という素晴らしいジャイヴ・ジャズ系のレア音源が収録されてるオムニバスレコードだが、同誌では中村とうようさんと土山氏がこの中のアーヴギャリスンとヴィヴィアンギャリー夫妻のギター&ベースと言うのが面白いと頻りに褒め千切っているのだが、小生はジャケットの3写真の一番右に写るバップピアニスト のドドマーマロサがなんとピアノを弾きながら歌も唄うと言う傑作ナンバーが入っていたので買ったのだが。


   気が付いたらこのコラムも相当な字数になってしまった。


   この辺で一旦切る事にするが、最後に昭和初期の重要な流行歌手である松平晃の写真を豊富にアップしたのでじっくり御覧頂きたい。

ここまででやっと半分だ。

もう半分は次回へ続く。






最後までお読みいただき、大変お疲れ様でした。