☆ゴーゴーナイアガラ / ラジオ関東、TBSラジオ



   満を持しての登場だ。

   1975年6月から途切れ目なく1978年9月まで時間の変動はあったようだが、ラジオ関東(現在のラジオ日本)の深夜枠で主に放送された。

   この仕事で大滝詠一はそれまでの「はっぴぃえんどのボーカル兼ギタリスト」〜「CM音楽のクリエイター」〜「ナイアガラエンタープライズ社長」〜「ナイアガラレーベル主催者兼アーティスト」という経歴に「ラジオDJイーチ大滝」という新たな肩書きが加えられた。



   この3年強の間にヘビーリスナーを育てたのだが、大滝は自分のルーツミュージックである50年代から70年代初頭のアメリカンポップや同時期の日本のオールディーズとも言うべきアメリカンポップの焼き直し系ポップや個人的にハマっていたクレイジーキャッツなど日本のお笑いなどにも一家言を持つことが幅広いリスナーを取り込んでいった。

   音楽関係では作家や編曲家の特集を組むなど他の音楽番組では絶対にない企画を展開していき、優柔成らざる知識と、アメリカンスタイルのDJには拘りを見せた。

   小生は、このラジオ関東時代の放送には間に合わなかった世代で、この放送ではヘビーリスナーに"コロッケ五円の助"ことパール兄弟の歯科医 サエキけんぞうが2番目に多く葉書が採用された…と自慢している文章が1996年の大滝のアルバム「ゴーゴーナイアガラ」のリイシューCDのライナーノーツに載せられている。

   又、コラムニストとして名高い泉麻人もリスナーだった人で、この二人のコラムをそれぞれ写真にアップしたのでご興味ある方は是非お読みいただきたい。




   その他後に著名になる有名人などが披露され、彼らにとってのゴーゴーナイアガラ観が判りとても興味深い。

   小生はその後1979年10月〜1983年3月迄断続的に放送されたTBSラジオの「ゴーゴーナイアガラ」のラスト半年くらいに当時仲の良かった高校のパイセンから教わって聴いたラスト世代だった。

   大滝詠一にのめり込むキッカケを作ってくれたその先輩とはある事がキッカケで仲違いしてしまったのだが、大滝のみならず今に繋がる様々な啓示を受けた忘れられない人である。

   1976年10月リリースのアルバム「GO!GO!NIAGARA」はそんなイーチ大滝が繰り広げるDJのアルバム化で、実際に放送で使用されていたOPチューン、フィルスペクターの ♫Dr. Kaplan's  から始まり大滝の書いた新作やイーチ大滝の楽しいナレーションやジングルを織り交ぜながら進行していきEDも再びスペクターで締められ完全ラジオDJスタイルのアルバムとして楽しく聴ける。



   特に興味をそそるのは参加ミュージシャンの中にキーボードで坂本龍一がかなりなウェートを占めて登場していることだ。B面の♫針切り男   やラストの♫今宵こそ    では坂本の面目躍如振りが観て取れる。


   又、大滝得意の一人多重コーラスもふんだんに出て来るのが、後々の「ロングバケーション」に見られる技術の萌芽として確認出来る。

   

   本日はゴーゴーナイアガラではなく1984年にNHKFMで放送された大滝のラジオ作品を貼り付けた。

   ノリやテンポ重視で大滝の才能とセンスが光る。

   所ジョージ、タモリや果ては当時の外信部の記者だった平野一郎さんまで登場させる大滝ワールドを堪能願いたい。

   ナレーションはTBSアナで久米宏の後継と目されていた時代の小島一慶が西川口浩として全体をリードする。

   フリーでも無いアナウンサーが何故NHKに出演可能だったのか?未だに不明である。


                                         https://youtu.be/tcvtJcrGvO0


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