反中国の意味 | QVOD TIBI HOC ALTERI

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„Was du dir wünschst, das tu dem andern“.

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 支配者と被支配者の利害は、相反する場合が多い。それゆえ、古来より支配のウルティマ・ラチオは、暴力である。しかし、暴力はその使用に多大なコストがかかる。したがって、支配の出来・不出来は、いかに低コストで被支配者を支配者の思い通りに操作するかにかかっている。要するに、支配の要は、いかに被支配者を上手に騙すか、ということである。これを敷衍すると、ある国なり組織を上手に支配・統治するには、国民なり構成員が賢明では都合が悪く、愚かであればあるほど都合がよいことになる。

 ただし、全くの白痴では使い物にならない-被支配者には支配者の命令を実行させる必要がある-ので、被支配者は、支配者の意向には忠実で、上位者の指令に逆らったり、疑問を持つことがないという意味で、愚かである必要がある。これはまさに、軍隊の組織原理である。日本は、私見では、この統治技術において、世界最高の水準にある。ということは、この国の社会は、対等な構成員による合意形成が基本の民主的な市民社会では決してなく、上意下達が基本の非民主的な組織社会ではなかろうか-このように私は思う。

 軍隊式の組織原理を浸透させるために、この国が行ってきたこと-それは自律性と理性的対話を抑圧する教育システムであり、各種マスメディアを総動員したあからさまな世論操作・洗脳であり、各種・各レベルでの相互監視システムである。島国という地理的条件や宗教的・人種的対立がないこと、日本語という独特な言語使用という文化的要因もあり、日本の支配システムの安定性は、ほぼ磐石に近い。

 如何にこの国が上手に統治されているか-つまり、如何に国民が徹底的に騙されているか-それは、原発事故を殊更挙げなくても、識者には説明する必要もないであろう。例の「食べて応援」ではないが、極端な話、この国の大多数の民は、お上が「青酸カリは身体に良い」と言えば、喜んで青酸カリを飲んでしまうのではないかという程、愚かなのである。極論すれば、日本の為政者が馬鹿でもやっていけるのは、国民が騙されやすく、自律的精神および合理的判断に欠けるという意味で、愚かだからである。

 話は変わるが、日本の製造業は、今や壊滅の一歩手前である。要するに、日本製品が売れないのである。その理由は、性能ではほとんど差がない一方で、値段がはるかに安い中国やその他の新興国の製品に太刀打ちできないからである。日本の為政者は、この危機を打開するために、①国民の給与水準を下げ製品の価格を下げる②円の価値を下げて製品の価格を下げる③国民に自国製品を購入するように扇動する、等々を実施しているように思われる。

 日本社会では、ごく少数の例外を除き、独創的な意匠や発想が育ちにくい。その原因の一つは、あくまで私見ではあるが、上意下達を叩き込む教育システムが、個人の独創性を奪うように意匠されているからであろう。したがって、新規事業や技術革新によって新たな産業を開拓するという戦略は、この国の産業戦略としては非現実的である。だから、上記の諸戦略こそが日本の産業を救う主な方途なのであろうが、③の自国製品を国民に購入させるという事項は、①や②と比較して、あまり顕著ではないように思える。しかし、昨今の中国へのネガティブ・キャンペーンを見ていると、案外、これがその役割を担っているのでは、と思ったのである。

 今や、我々の生活は、中国製品なしでは済ますことが出来ない。それは、衣料品・食料品はもちろんのこと、家電製品の分野においても、もはや否定しがたい事実である。特に最近は、電化製品の分野で特に顕著であるが、価格的には割高な割には品質的にはそれほど良くない日本製品を率先して購入しようとする者は、国産=高品質という幻想を抱いていない若者を中心に、どんどん減ってきている。このような状況を打開する一助として、非合理的な反中国キャンペーンは策動されているのでは、と思った次第である。