週末は、鎌倉の英勝寺と浄光明寺に行ってきた。鎌倉駅から歩く。
古我邸
今小路を北上する。
巽神社
寿福寺総門
参道
中門
仏殿
英勝寺総門
鐘楼
山門
仏殿
阿弥陀三尊像
聖観音菩薩立像
祠堂背後
祠堂覆屋
祠堂門
竹林
書院
桜は散ってしまった英勝寺参拝後、横須賀線の踏切を渡り、浄光明寺に向かう。
寺標
浄光明寺山門
山門前の立て札に「覚賢五輪塔特別公開」と張り紙がある。
楊貴妃観音
鐘楼
不動堂
客殿
庫裏
仏殿
三世仏
本来の本尊の阿弥陀三尊像(重文)は、収蔵庫にあり、拝観できるが、撮影不可。
観音堂
浄光明寺は、真言宗泉涌寺派寺院。山号は泉谷山、開基は北条長時。開山は真阿、本尊は阿弥陀如来。北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝える。
本尊の木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像は、正安元年(1299年)の作。三尊とも坐像に作る。阿弥陀如来像は胸前に両手を挙げる説法印を結び、宝冠をいただく。肩、袖、脚部などに見られる浮き彫り状の装飾は「土紋」と称される、鎌倉地方の仏像に特有の技法で、土を型抜きして花などの文様を表したものを貼り付けたものである。両脇侍像(観音菩薩・勢至菩薩)は、結跏趺坐ではなく足をくずして坐り、中尊の方に頭部をわずかに傾ける。両脇侍像の写実的な衣文表現や、生身の人間のような面相表現には中尊以上に顕著な宋風がみられる、という。
本尊を拝観した後、覚賢塔を見に行くことにする。狭い石段を登っていく。
網引地蔵
冷泉為相墓
いつもは閉まっている木戸が開いていたので、そこからさらに奥に進む。
鎌倉の街中にいるはずなのだが…。
降りていったところに、覚賢塔があった。
覚賢五輪塔は、鎌倉時代に建てられた高さ3mほどもある鎌倉最大級の五輪塔で、国の重要文化財。長らく旧多宝寺を開いた忍性の墓とされてきたが、関東大震災の折、倒壊した塔の内部から「多宝寺覚賢長老遺骨也嘉元四年二月十六日入滅」と書かれた骨臓器が発見されたことから、覚賢五輪塔と呼び改められるようになった。覚賢は、開山・忍性の後を継いだ多宝寺の二世住持と考えられている、という。
覚賢塔を見た後は、鎌倉駅に戻り、帰宅した。