あらすじ
不当な理由で職場を解雇され、その腹いせに罪を犯し逮捕されてしまった玲斗。そこへ突然弁護士が現れる。依頼人の命令を聞くなら釈放してくれるというのだ。依頼人に心当たりはないが、このままでは間違いなく刑務所だ。そこで賭けに出た玲斗は従うことに。依頼人の待つ場所へ向かうと、年配の女性が待っていた。千舟と名乗るその女性は驚くことに伯母でもあるというのだ。あまり褒められた生き方をせず、将来の展望もないと言う玲斗に彼女が命令をする。「あなたにしてもらいたいこと それはクスノキの番人です」と。

ひと言
久しぶりに読む東野作品でした。クスノキの祈念って何なの?早くその秘密が知りたくてページを繰る手がとまりません。さすが東野 圭吾さん 読みやすく、あっという間に読者を東野ワールドに引き込んでいきます。一時は図書館の「東野 圭吾」の棚に本がほとんどないこともありましたが、最近は、棚に本が戻ったり、予約も他の作家さん並みにできるようになったのでまた予約を入れて読んでみたいと思います。


千舟は続けた。「自分たちが食べたいと思ったものを、お客様に召し上がっていただく。つまり自分がしてほしいと思うことをお客様にしてさしあげる、それがサービスの基本だと改めて思い知ったのです。以後、迷った時には、それを第一に考えるようになりました」
(17)

「優美さんとは、どんな話を?」佐治は少し迷う素振りを見せてから口を開いた。「あいつは、こういったんだ。仮に過去にはいろいろとあったにせよ、現時点で家族に対して後ろめたいことがないのなら、預念してきてほしい。その念を私が受けて、仮に昔の悪事を知ったとしても、今回だけは目をつぶってあげる、今後も一切触れない、だってさ。だけどもし現在、何らかの形で家族を裏切っているのなら、何もしないですぐに帰ってきてといわれた。どう思う?」「彼女、そんなことを……」くっくっと佐治は笑みを漏らした。「ずるいよなあ。そんなふうにいわれて何もせずに帰ったら、家族を裏切ってるって話になるじゃないか」「たしかにそうですね。うまい言い方を思いついたものだな」
(26)

千舟は悲しげな目を向けてきた。「あなたにはわからないと思います。若いあなたには。覚えておきたいこと、大切な思い出、そうしたものが指の間から砂がこぼれるように消えていくんです。その恐ろしさがわかりますか。知っていた人の顔さえ、次々に忘れていくんですよ。いつかきっと、あなたのことも忘れてしまうでしょう。それどころか、忘れたという自覚さえなくなるのです。それかどれほど悲しいか、辛いか、あなたにわかる?」
「たしかに俺にはわかりません。でもそこがどんな世界なのか、千舟さんだって今はまだ知らないでしょ? 忘れたという自覚さえないのなら、そこは絶望の世界なんかじゃない。ある意味、新しい世界です。次々にデータが消えるのなら、新しいデータをどんどん書き込んでいけばいいじゃないですか。明日の千舟さんは、今日の千舟さんじゃないかもしれない。でもそれでもいいじゃないですか。俺は受け入れます。明日の千舟さんを受け入れます。それじゃいけませんか」

千舟は目を瞬かせた後、じっと玲斗を見つめてきた。やがて、ふっと唇を緩めた。「今、何を考えていると思いますか」「わかりません。どんなことですか」「美千恵のことを羨ましいと思ったのです。心底、妬ましいと思ったのです。短い年月だったとはいえ、こんな素晴らしい息子と一緒に暮らせたなんて、どれほど充実した生活だったんだろうって」「千舟さん……」
(31)

 

あらすじ
運命の一戦は家康に軍配が上がり、敗者は歴史に葬られた。そして因縁は、遠く津軽の地で花ひらく。家康の姪 対 三成の娘。これぞ女人の関ヶ原!徳川家康の姪・満天姫、石田三成の娘・辰姫。ともに津軽家に嫁入りした二人は、関ヶ原の戦いから十三年越しの因縁に相見える。そして美姫の戦はここから始まった! 戦国の終焉を辿る本能寺の変、関ヶ原の戦い、大坂の陣を描いた傑作短編も同時収録。

ひと言
石田 三成の子が生きながらえていたということに驚きました(勉強不足ですみません)。他にも三編の短編が収録されていますがやっぱり「津軽双花」がよかったです。歴史はやはり為政者が善であり、正義であるように描かれて後世に伝えられるものですが、大谷吉継や石田三成は、やはり義を重んじる武将であったんだろうなぁと思います。そんな武将の子を亡きものにするのは忍びないということで生きながらえたんだろうなぁ。後もうひとつ勉強になったことが、大舘御前と呼ばれた辰姫。大舘(おおたち)とは上野国(こうずけのくに、現、群馬県)です。


高台院は淡々と話を続けた。「淀殿が徳川方との戦に踏み切られたのは、家康殿を冬の戦場に留めて、いのちを削ろうと考えたゆえじゃ。家康殿はそれを察したゆえ、講和をして、暖かな駿府に逃れ、あらためて大坂攻めをするつもりであろう。そのおりには十分な手立てを施し、大坂城を落とす策を立ててくるに相違ない。大坂方が勝とうと思うなら講和に応じず、家康殿に寒気厳しい戦場で年を越させることであったろう」源吾は膝を乗り出して訊いた。「それならば、なぜ講和されたのでございますか」「帝より命じられたからじゃ」高台院はさりげなく言った。「なんと」源吾は目を瞠った。たしかに後水尾天皇より徳川方と大坂方に和睦を求める勅使が来ていた。だが、家康はいったんこれを拒んでいる。「家康殿が勅命に従わぬなら、大坂方も応じるわけにはいかなかった。だが、家康殿が和睦したいと望めば、淀殿は勅命に従うしかない。なぜなら、太閤殿下は帝への忠誠を誓われた。帝への忠誠を守るのが、豊臣の義であるからじゃ」高台院はきっぱりと言った。「豊臣家はそれほどまでに朝廷を重んじておられましたか」かつて秀頼の小姓だった源吾だが、そのころは少年だったこともあり、豊臣家にとって朝廷がどのようなものであるかを考えたこともなかった。高台院は微笑して言葉を続ける。「太閤殿下は農家に生まれたゆえ、武士からは常に嘲りを受けてこられた。どれほど出世し力を持とうとも、皆、陰では百姓あがりと蔑んだのじゃ。されど、この国で最も尊貴な帝だけは違われた。帝は太閤殿下を好まれ、ひととして遇してくだされた。太閤殿下にとってそれがどれほど
嬉しいことであったか、そばにいたわたくしはよく知っておる。太閤殿下が朝鮮に出兵されたのも、帝に明国を献上するという途方もないことを思い立ったがゆえじゃ」「さようでございましたか」源吾は思わずうなった。
(七)


「われらの父上のことでお話があった」「父上のことで?」辰姫は目を瞠った。源吾はうなずいた。高台院は源吾に穏やかな表情で話した。「世間ではそなたの父、石田三成は淀殿につき、わたくしとは仲が悪いと思っておった。それなのに三成の娘である辰姫をわたくしが養女に迎え、育てたことを不思議には思わなかったか」「正直に申せば、かねてから訝しくは思っておりました」源吾は高台院の目を見て言った。「そうであろうが、三成は佐吉と申したころより、加藤清正、福島正則らとともに、わたくしが手塩にかけて育てた。清正や正則は三成に遺恨を抱いたが、わたくしにはさような思いはなかった。だからこそ、関ヶ原の戦のおりに三成はわたくしに頼み事をいたしたのじゃ」高台院は淡々と言った。「父が何をお頼みいたしたのでございますか」首をかしげて源吾は訊いた。「わたくしの甥である小早川秀秋を東軍に寝返らせてくれ、ということであった」「まさか、そのような」源吾は目を瞠った。「世間では関ヶ原の戦を三成と家康殿の戦のように思っているが、まことは違う。徳川と毛利という豊臣家の大老同士の戦であった」言われてみれば、毛利輝元は三成の招請に応じて大坂城に入り、関ヶ原の戦場には出なかったものの、西軍の総大将だった。「三成は窮地に立っておった。東軍に勝っても、毛利輝元が大坂城に居座り、そのまま天下人になり、三成を殺したであろう。かといって家康殿が大勝してしまえば、徳川の天下となる。いかにすべきか考えた三成が選んだのは、小早川秀秋に裏切らせて負けることだった。さすれば、家康殿の大勝にはならぬと考えたのだ。しかも、家康殿ならば毛利を大坂城から追い払えると睨んだのであろう」「しかし、自ら負けるとは、信じられませぬ」源吾は頭を横に振った。「三成も辛かったであろうが、それしか手がなかったのじゃ。三成の策のおかげで毛利は大坂城から立ち退き、小早川秀秋の裏切りで関ヶ原の勝利を得た家康殿は豊臣恩顧の大名がひしめく西国に近い京、大坂で幕府を開けず、江戸にこもった。それゆえ豊臣家の大坂城は今日まで保たれたのじゃ」「それを父はすべて見通していたと言われますか」源吾は息を呑んだ。「豊臣の天下を支えた石田三成という男にはそれだけの才覚があったのじゃ。そのことを子であるそなたたちは覚えておくがよい。そして何より、わたくしの養女となった辰姫こそがわたくしと三成の間に密約があったことの証なのじゃ」
(七)


「世迷言を言うな。自ら負けるような奴がこの世におるか ――」言いかけた恵瓊ははっとして三成を見つめた。「まさか、貴様 ――」「そうだ。小早川秀秋が寝返るように、北政所様を動かしたのはわたしだ。わたしは淀の方様と親しんでいると世間では思われているが長浜城で小姓をしていたころは北政所様にお世話になったゆえ、話はできる。豊臣家のためと理を述べて話したらおわかりくだされ、秀秋に徳川につくよう命じられたのだ」三成は淡々と言ってのけた。「馬鹿な、なぜそんなことを」恵瓊は唖然として口を開けた。「関ヶ原の戦は長引けば長引くほど毛利が〈漁夫の利〉を得るだけだった。たとえ、西軍が勝ってももはや戦う力は残っておらず、毛利の前に膝を屈するしかない。それゆえ、秀秋が東軍に寝返るよう仕向けてあっさりと決着をつけたのだ。関ヶ原での勝ちは秀秋のおかげだと思えば、家康は毛利が内応していたことも有り難くは思わぬ。却って毛利の腹の内を見抜いて勢力を削ぎにかかる。天下二分など夢のまた夢だ」三成の話を恵瓊は目をぎらつかせて聞いた。「さらに、徳川にしても秀忠の本軍が来る前に、福島正則や黒田長政、細川忠興ら豊臣恩顧の武将の力で勝ったゆえ、これらの大名に恩賞を手厚くせねばならぬ。秀秋の裏切りを醜いと思った大名たちは、豊臣家をたやすくは裏切れまい。わが友の大谷吉継が武将として見事な美しき戦を
したゆえ、秀秋の醜悪さが目立つたからな。豊臣恩顧の大名がひしめく西国に家康は勢力を築けぬ。太閤にならって大坂城で天下を制しようという家康の夢も潰えたのだ」「それが狙いだったというのか」「関ヶ原の戦はわたしだけでなく、徳川も毛利も負けた。勝った者などいない戦だった」三成が笑うと、恵瓊は体を震わせ、獄舎の床に突っ伏した。「貴様は何ということを」「わたしは恵瓊殿の策に操られる一匹狼だったが、孤狼には、孤狼の戦い方があったということだ」三成は静かに言って目を閉じた。
(孤狼なり 四)

12月12日 先週巡れなかった宝厳寺と観音正寺を巡ろうと、 長浜港 10時10分発の琵琶湖汽船に合わせて家を出ました。

 

 

20分ほど前に乗船場に到着、係員が近寄ってきて、「予約をされている方ですか?」と尋ねられました。160人ほどの定員の船なので予約をせずに行ったのですが、まさかまさかの満席!

 

 

GO TO で団体ツアーが入っているのと、コロナなので席の間隔を空けて6割ほどの定員にしているとのことでした。11時30分に臨時便が出るということでしたが、12時50分発の第2便に乗ることに決めて、先に観音正寺へ向かいます。

 

 

カーナビはしきりと国道8号線の西老蘇から新幹線の下をくぐった道を案内しますが、そこは先達、繖(きぬがさ)公園横の道から観音正寺へ向かいます。

 

 

料金所で次の宝厳寺の船の時間があるので、急いでお参りしたい旨を伝えると、先達の和袈裟をしていたこともあり特別許可証を出してくれました。

 

 

車止めを外して、お寺の方と同じ駐車場まで車で上がるのは恐れ多く、何とも罰当たりなので他の方と同じ駐車場に停めて、33個のありがたいひと言が書かれた札の言葉をかみしめながら歩きます。

 

 

「よくお参りしてくれましたね」 と初冬の繖山の紅葉が出迎えてくれています。

 

 

一願地蔵さまに コロナが早く終息しますように とお願いしました。

 

 

お参りを済ませ、納経帖をお願いすると、疫病退散のお札をいただけました。ありがとうございました。

 

 

急いで長浜港に戻ります。思いのほか道が混んでいて、12時50分発の第2便に間に合いません。なんちゅうこっちゃ。先週も最終便に間に合わず、今日出直したのに……。長浜駅の裏の駐車場(1時間無料 土日は以降1時間200円)に車を停めて、第1便で長浜に戻った後に立ち寄ろうと思っていた「鳥喜多」さんへ向かいます。

 

 

さすが食べログ 3.75 TOP5000 のお店だけあって、お店の向かいの銀行の前に10人以上の列が…。

 

 

現在閉店15分前の1時15分。ダメもとでお店の前でお客の整列、誘導をされている方に聞いてみると、お一人なら、大丈夫ですよ。と笑顔で応対していただけました。 私で最後、船に間に合わなかったので、名物の親子丼がいただけることに唯々感謝です。もちろん親子丼(650円)とかしわ鍋(450円)をいただきます。もう一杯食べたいと思うような、とてもおいしい親子丼でした♪。ごちそうさまでした。

 

 

長浜駅前のフレンド マートで先週に引き続き「ツルヤ」のサラダパンをお土産に買って帰りました。

 

 

先週といい、今日といい、竹生島の宝厳寺へお参りできなかったのは誤算でしたが、年内にはどうにかお参りしたいと思います。

 

 

あらすじ
岡野藩領内で隣国との境にある峠の茶店。小柄で寡黙な半平という亭主と、「峠の弁天様」と旅人に親しまれる志乃という女房が十年ほど前から老夫婦より引き継ぎ、慎ましく暮らしていた。ところが、ある年の夏、半平と志乃を討つために隣国の結城藩から屈強な七人組の侍が訪ねてきた。ふたりの過去に何があったのか。なぜ斬られなければならないのか。話は十五年前の夏に遡る。


ひと言
Amazon のカスタマーレビューにドラマ or 映画化して欲しいとキャストを載せられた方があり、考えられた配役まで書かれていて、うんうん いいねぇとうなずいてしまいました。その方のキャストを勝手ながら紹介させてもらいます。 半平=岡田准一、志乃=ともさかりえ、娘千春=山本彩、志乃の元夫・天野宮内=西嶋秀俊、夜狐お仙=若村真由美、娘ゆり=黒島結菜、長五郎=内藤剛、永尾甚十郎=尾美としのり、息子・敬之進=佐藤健 etc…。

この後どうなるんだろうとヤキモキさせられますが、そこは葉室 麟さん 安心して読むことができます。 ご命日の12月23日まであと2週間、もう早いもので3年になります。それにしても少し早く旅立たれすぎですよ、葉室 麟さん。もっともっと多くの作品を読みたかったです。ご冥福を心よりお祈りいたします。

「ひとが敵にやられるのは、怖気づいて逃げようとしたときだ。守るべきもののために敵に立ち向かう者は、簡単にはやられないものだ」半平の言葉を聞いて、志乃は胸の奥が静まるのを感じた。国を出てから、ずっとひとの目を恐れて逃げてきた。だが、もう逃げたくはない。この峠の茶店で暮らして初めてそう思えた。ここには、自分たちが命をかけてでも守らなければならない、何かがあるのだ。
(十六)

「志乃は落ちぶれておるわけではない。庶民の暮らしゆえ、貧しくはあろうが、心清く、行い正しく生きておると耳にいたしておる」「さような取り繕いは聞き苦しゅうござるぞ」「取り繕ってなどおらぬ。思えば志乃は昔からさような女子であったが、わしに見る目がなかった。いや、国を出てからの艱難(かんなん)が志乃を磨き上げたのやもしれぬ」「奥方を磨き上げたのは、それがしの家士であった伊那半平という男でござろう」大蔵が意地悪く言うと、宮内は微笑を浮かべた。「いかにも、ひとの縁というものは不思議だな。結ばれるべき縁は結ばれ、離れるべき縁は離れていく」宮内の言葉には澄み切ったものがあった。庭木の根もとにひそんで聞いていた半平は、宮内が志乃に対して思いやり深い気持を抱いていると知って胸を熱くした。しかも自分に対しても憎しみの言葉を吐かず、結ばれるべき縁とまで言ってくれたのだ。(このひとは何としても助けねばならぬ)半平は思い定めた。
(二十七)

 

12月5日 西国三十三所の若狭2寺を巡ってきました。

 

 

家を6時過ぎに出て、国道365号を走り小谷城スマートICから北陸道、舞鶴若狭道を通って先ずは第28番 成相寺へ。いつも車でのお参りばかりで、傘松公園も行ったことがないので、今日はケーブルカーで参拝します。

 

 

股のぞきを体験

 

 

ここから成相寺行きのバスに乗ります

 

 

成相寺まで約7分、歩いて成相寺まで行かれる方もありました。成相寺に着き、バスを降りると、なんと!!納経帖を車に忘れてきたことに気づきました。またすぐに乗ってきたバスで戻ります。

 

 

ケーブルカーの待ち時間に写真撮影

 

 

 

車に戻り、いつものように車で成相寺へ。一願一言(ひとこと)お地蔵さんに

「早くコロナが終息しますように!」とお願いしました。

 

 

本堂に向かって右上にある左甚五郎の眞向の龍です。写真撮影可です。

 

 

結局車で登ってきたので、パノラマ展望所にも立ち寄りました。

 

 

時間をかなりロスしたので、高速で次の第29番 松尾寺へ。目にも鮮やかな紅葉がお出迎えです。

 

 

お参りを済ませて時計を見るともう1時30分です。予定では 次は長浜から船に乗り、第30番 竹生島の宝厳寺です。確か賤ケ岳SAにサラダパンが売っていたよな ということで立ち寄り、おみやげにサラダパンを購入。現在の時刻は2時45分 長浜港発の最終は2時05分 もう全然間に合いません。今日は2寺で終わりです。

 

 

行きと同じ小谷城スマートICで降りて国道365号で帰路へ

 

 

お昼も食べずに走りまわっていたので、途中 養老の「肉の藤太」に立ち寄ります。

 

 

藤太コロッケ(100円)と飛騨牛コロッケ(150円)を食べながら家に帰りました。

 

 

往復490km とんだハプニングのせいで2寺しか廻れませんでしたが、遠い遠い若狭を廻ることができてよかったです♪。できれば60歳になる前か、今年度中に 3巡目の西国巡りの満願を迎えたいです。まだ姫路が残っています。まだまだ頑張らねば。今日はほんとうにお疲れさまでした。

 

 

あらすじ
時は幕末。西洋式兵術の導入を進めていた秋月藩執政・臼井亘理は、ある夜、尊攘派により妻もろとも斬殺された。だが藩の裁きは臼井家に対し徹底して冷酷なものだった。息子の六郎は復讐を固く誓うが、“仇討禁止令”の発布により、武士の世では美風とされた仇討ちが禁じられてしまう。生き方に迷い上京した六郎は、剣客・山岡鉄舟に弟子入りするが―。時代にあらがい、日本史上最後の仇討ちという信念を貫いた“最後の武士”の生き様が胸に迫る歴史長篇。

ひと言
読み終えて臼井 六郎について調べてみた。元秋月藩の武士で、日本史上最後の仇討をしたことで知られる とあった。本の中に出てくる勝海舟や大隈重信との関連ははっきりとはわからなかったが、山岡鉄舟との関係については事実のようであった。それにしても葉室 麟さんの日本史上最後の仇討に目をつけた小説を書こうとの着眼点やその調査力に改めて敬意を払いたい。

「自らに厳しい者はひとにも厳しい。それゆえ、敵を作り、味方を失う。それでは何事もなせぬものだ」淡々と余楽斎は言った。亘理は頭を横に振った。「春風のごとくひとに接しろと仰せですか。それはわたしには無理かもしれません。何分、頑なな気質でひとに合わせるということを知りませんから」「ならば、時おり、青空を眺めろ」「空を」余楽斎の唐突な言葉に息を呑んだ。「そうだ。われらは何事もなしておらぬのに、空は青々と美しい。時に曇り、雷雨ともなるが、いずれ青空が戻ってくる。それを信じれば何があろうとも悔いることはない。いずれ、われらの頭上にはかくのごとき蒼天が広がるのだ」余楽斎の言葉を黙って聞いていた亘理は大きく頭を縦に振った。「お教え、承ってございます」
(二)

鉄舟はわずかに微笑を浮かべた。「わしは西郷さんというひとを知っている。国のために命を捨てて悔いないひとだ。決起したのは政府に憤りを持つ薩摩士族のためにわが身を投げ出したのであろう」「では、西郷勢は敗れると先生はお考えなのでしょうか」六郎が訊くと鉄舟はため息とともに言った。「ひとは勝ち負けに生きているのではない。勝ち負けにこだわればおのれを見失う。ひとの生涯はただ、一閃(いっせん)の光を放つことにある。西郷さんはいまおのれの生涯を懸けた光を放っているのだ、と思えばよい。すなわち電光影裏に春風を斬る、だ」電光影裏に春風を斬る、とは鎌倉時代、北条時宗に招かれ、円覚寺を開いた宋僧の無学祖元の頌にある言葉だ。祖元が南宋の能仁寺にいたおり、元軍が侵攻してきた。元の兵士が捕えた祖元を斬ろうとしたとき、祖元は一喝した。すなわち、この世のすべては空である。たとえ、いまそなたがわたしを斬ろうとも、電光が光るうちに春風を斬るようなもので何も斬ることはできない、という頌だった。
(十六)

「旧弊ですな」鴎外はきっぱりと言った。「旧弊とは時代後れということですか」木村は慎重な口ぶりになった。「さよう、明治の御代(みよ)には合わぬ男です。しかし、かといって認めないわけではありませんぞ。仇討ちは昔なら当たり前でした。ところがいまは罪を犯すことになる。仇討ちをする者はわざわざ罪になるようなことをするというのではない。時世のほうで勝手に変わったのです。舞台が変わって、いままで孝子であったものが、人殺しと呼ばれるようになった。悪いのは時世のほうでしょう」
(三十三)
 

 

「電光石火」で広島焼を食べた後、師匠と那古野小学校の跡地の和カフェ「yoake」へ。 yoake の和パフェ お重 style(770円)とバナナジュース(完熟バナナ)(660円)をいただきます。アイス、おはぎ、わらび餅 etc が入ってとてもおいしいです♪。 さすがあの「OHAGI3」が監修しているだけのことはあります。モーニングやランチメニューもとても美味しそうで、今度はランチで利用したいです。ごちそうさまでした♪

 

yoake

名古屋市西区那古野2 なごのキャンパス 1F

 

 

今日は久しぶりにグルメの師匠と待ち合わせて、ちょうど1週間前の11月26日に名駅のセントラルタワーズに開店したばかりの「電光石火 名古屋駅店」で昼食です。一番人気の電光石火(1276円)と牡蠣鉄板焼き(バター)(858円)をいただきます。やっぱりお好み焼きは鉄板の上でテコで食べるのが一番ということで、カウンター席へ。ふわっふわっのお好み焼きで大葉と九条ネギがいいアクセントになってとてもおいしいです♪手元にあるおたふくソースをかけて食べるとまたおいしさアップです。牡蠣もプリップリでグッド。広島の名店の味が名古屋で味わえることに唯々感謝です。ごちそうさまでした♪

 

電光石火 名古屋駅店

名古屋市中村区名駅1 JRセントラルタワーズ 12F

 

あらすじ
物語の語り部「わたし」は中学3年生、林ちひろ。ちひろは未熟児で生まれ、生後半年目には原因不明の湿疹に苦しむ。両親は医者が薦める薬やあらゆる民間療法を試したが、効果はない。困り果てた父親は、勤務先の同僚がくれた「金星のめぐみ」という水を持ち帰り、助言どおりちひろの体を洗う。すると、ちひろの夜泣きが減り、2カ月目には全快したのだった。これを機に、両親は水をくれた同僚が所属する新興宗教にはまっていく。父親は会社を辞めて教団の関連団体に移り、母親は怪しい聖水をひたしたタオルを頭にのせて暮らすようになる。叔父が忠言しても両親は聞き入れず、家は転居するたびに狭くなり、ちひろより5歳年上の姉は家出する。

ひと言
「むらさきのスカートの女」で2019年上半期の芥川賞を受賞した今村 夏子さんの作品で、2017年上半期にも芥川賞の候補に選ばれ、つい先日 芦田 愛菜さん主演で映画化もされた「星の子」。読みやすく230ページ弱の本なので、すぐに読めてしまいます。200ページ過ぎまで付箋を貼ることなく読み進んでいくので、少し焦りました。ただ最後の流れ星のシーンは自分でもうまく考えはまとまりませんが、考えさせられる終わり方でした。


「おれは」というと、「あ、ぼくは」といい直した。「ぼくは、ぼく戸倉りゅういちは、ぼくの好きな人が信じてるものが一体なんなのか知りたくて、今日ここにきました」そこで一度言葉を切って、スー、ハー、と深呼吸した。
「……ぼくは、ぼくの好きな人が信じるものを、一緒に信じたいです。…… それがどんなものなのかまだ全然わからないけど、ここにくればわかるっていうんなら、おれ来年もここにきます。わかるまでおれはここにきま、えー、くることを、おれはおれの好きな人に、約束します」

いい終えると、彼氏はあごをぴょこっと前につきだすような仕草をした。どうやら頭を下げたらしい。会場から大きな拍手が起こり、ひゅ~、ひゅ~、とあちこちからひやかす声が上がった。
(p206)


「じゃあ戻ろう」わたしはシートから立ち上がった。「風邪ひく前に。お風呂の時間もあることだしさ」「待って。あと一回」と、母はわたしの腕を両手でつかんだ。「せっかくなら、三人で見なくちゃ」「でもお風呂の時間が……」「お風呂の時間は大丈夫だから、ほら座って」と父がいった。「……じゃあ、あと五分だけ」と、わたしがシートに腰を下ろして空を見上げたその瞬間、「アッ」「どうしたの」……。……。……。「だからあのへん……」「どこ?」「あのへん……」わたしの左側で、わたしの背中に腕を回した父が「見えなかったなあ」といった。わたしの右側で、わたしの右のほっぺたに顔をくっつけた母が「見えなかったわねえ」といった。わたしの体は、父と母に両側から強く抱きしめられていた。「見えない」「まだまだ」「まだ見えない……」星がひとつ流れるたびに、父と母はそういって、わたしの体に回した腕に力をこめた。丘の下に並んでいた窓の明かりがひとつずつ静かに消えていき、気がつけば、記念塔の明かりがぽつんとともっているだけになっていた。わたしのいる場所はあたたかく、目を閉じればそのまま眠ってしまいそうだった。このまま眠ってしまえばいいだろうか。そうしたら、薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられて、明日の朝にわたしは変わっているだろうか……父がまたひとつ、大きなくしゃみをした。草や木の葉が風に揺れてこすれる音が、遠くのほうから近づいてきて、また離れていった。わたしたち親子は、その夜、いつまでも星空を眺めつづけた。

(p224)

11月29日 今回の3人旅は、コロナの感染の危険性の少ない、尾鷲の熊野古道、馬越峠道を歩いてきました。

 

 

7時に名古屋を出発、2時間ちょっとで道の駅 海山へ到着。

 

 

お昼のお弁当に、さんま寿し(900円)を買っていざ馬越峠へ。

 

 

最初から結構急な石畳の道が続きます。

 

 

人も少なく、空気もすがすがしいので とても快適です。

 

 

 

1時間ほど登ったところの、景色のいい休憩所で記念撮影。

 

 

それから約15分ほどで馬越峠に到着。

 

 

ここからは下りです。登りはじめて約2時間、途中の展望台で昼食です。

 

 

からしと大葉が絶妙なアクセントになり、とてもおいしいさんま寿しです。コンビニのおにぎりにしなくてよかった♪

 

 

行く前から調べて、このお店で山桃ジュースとチーズケーキを食べようと決めていた山帰来(さんきらい)。コロナの感染拡大が納まるまで臨時休業の貼り紙が……。残念

 

 

もう少し下ったところに1707年の宝永大地震津波の供養塔が、530人もの方が犠牲になられました(合掌)

 

 

まちの駅 馬越屋さんで無料のコーヒーをいただいていると、運よくタクシーが、それに乗って登り口に停めてあった車まで戻ります(2190円)

 

すぐ近くの種まき権兵衛の里と菩提寺の宝泉寺へも立ち寄ります。ご住職さんが丁寧にお話を聞かせてくれました。

 

 

ズンベラ石も触らせていただきました。ありがとうございました♪

 

 

三重県立熊野古道センターも見学しました。

 

 

3時半ごろ尾鷲を出発。途中 津で降りて「うなぎ料理 はし家」さんで特上うなぎ丼(3300円 税込)をいただきました。ごはんの間にもうなぎが挟まっていて、大満足のうな丼でした。

 

 

今回は宇治山田から内宮までハイキングの予定でしたが、急激なコロナの感染拡大のため、人出の少ない熊野古道に急遽変更した3人旅でした。それにしても もうすぐ1年 一日も早いコロナの終息を心より祈っています。