あらすじ
時は幕末。西洋式兵術の導入を進めていた秋月藩執政・臼井亘理は、ある夜、尊攘派により妻もろとも斬殺された。だが藩の裁きは臼井家に対し徹底して冷酷なものだった。息子の六郎は復讐を固く誓うが、“仇討禁止令”の発布により、武士の世では美風とされた仇討ちが禁じられてしまう。生き方に迷い上京した六郎は、剣客・山岡鉄舟に弟子入りするが―。時代にあらがい、日本史上最後の仇討ちという信念を貫いた“最後の武士”の生き様が胸に迫る歴史長篇。

ひと言
読み終えて臼井 六郎について調べてみた。元秋月藩の武士で、日本史上最後の仇討をしたことで知られる とあった。本の中に出てくる勝海舟や大隈重信との関連ははっきりとはわからなかったが、山岡鉄舟との関係については事実のようであった。それにしても葉室 麟さんの日本史上最後の仇討に目をつけた小説を書こうとの着眼点やその調査力に改めて敬意を払いたい。

「自らに厳しい者はひとにも厳しい。それゆえ、敵を作り、味方を失う。それでは何事もなせぬものだ」淡々と余楽斎は言った。亘理は頭を横に振った。「春風のごとくひとに接しろと仰せですか。それはわたしには無理かもしれません。何分、頑なな気質でひとに合わせるということを知りませんから」「ならば、時おり、青空を眺めろ」「空を」余楽斎の唐突な言葉に息を呑んだ。「そうだ。われらは何事もなしておらぬのに、空は青々と美しい。時に曇り、雷雨ともなるが、いずれ青空が戻ってくる。それを信じれば何があろうとも悔いることはない。いずれ、われらの頭上にはかくのごとき蒼天が広がるのだ」余楽斎の言葉を黙って聞いていた亘理は大きく頭を縦に振った。「お教え、承ってございます」
(二)

鉄舟はわずかに微笑を浮かべた。「わしは西郷さんというひとを知っている。国のために命を捨てて悔いないひとだ。決起したのは政府に憤りを持つ薩摩士族のためにわが身を投げ出したのであろう」「では、西郷勢は敗れると先生はお考えなのでしょうか」六郎が訊くと鉄舟はため息とともに言った。「ひとは勝ち負けに生きているのではない。勝ち負けにこだわればおのれを見失う。ひとの生涯はただ、一閃(いっせん)の光を放つことにある。西郷さんはいまおのれの生涯を懸けた光を放っているのだ、と思えばよい。すなわち電光影裏に春風を斬る、だ」電光影裏に春風を斬る、とは鎌倉時代、北条時宗に招かれ、円覚寺を開いた宋僧の無学祖元の頌にある言葉だ。祖元が南宋の能仁寺にいたおり、元軍が侵攻してきた。元の兵士が捕えた祖元を斬ろうとしたとき、祖元は一喝した。すなわち、この世のすべては空である。たとえ、いまそなたがわたしを斬ろうとも、電光が光るうちに春風を斬るようなもので何も斬ることはできない、という頌だった。
(十六)

「旧弊ですな」鴎外はきっぱりと言った。「旧弊とは時代後れということですか」木村は慎重な口ぶりになった。「さよう、明治の御代(みよ)には合わぬ男です。しかし、かといって認めないわけではありませんぞ。仇討ちは昔なら当たり前でした。ところがいまは罪を犯すことになる。仇討ちをする者はわざわざ罪になるようなことをするというのではない。時世のほうで勝手に変わったのです。舞台が変わって、いままで孝子であったものが、人殺しと呼ばれるようになった。悪いのは時世のほうでしょう」
(三十三)