今日は職場の人たちと「Early Cafe」へ食べに行きました。ジャンボチキンカツ定食(1500円)をいただきます。圧倒的なボリューム さすがに65歳にしては量が多いので一緒に行った若い人に4,5切れを食べてもらいました。コーヒーがテイクアウト無料なのでコーヒーもいただきました。もうお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした♪。

 

Early Cafe (アーリーカフェ)

名古屋市東区代官町15

 

今日のお昼は「ひものや 官兵衛」の限定15食の漢のランチ【北海道礼文島産 真ほっけ(半身)・南知多ぶっかけしらす丼・若鶏のから揚げランチ 】(1199円)をいただきます。真ほっけは脂が乗っていてとても美味しいです♪しらす丼もグッド。他にも魅力的なメニューがいっぱいでどれもお値打ちです。ひものを食べたくなったときはまた伺わせてもらいます。ごちそうさまでした♪。

 

ひものや 官兵衛

名古屋市中区新栄町3

 

あらすじ
千日回峰行。それは平安時代に相応和尚が神仏に捧げた祈りを起源とする、大阿闍梨へと至るための仏道修行であり、文字通り通算1000日間、足掛け7年間にも及ぶ。700日目まで、行者は叡山の諸堂を深更から早暁にかけ、ひたすら毎日巡り続ける。それが終わると最大の難所「堂入り」が待っている。9日もの間、断水・断食・不眠・不臥の状態で真言を唱え続けるのだ。これを満ずれば当行満阿闍梨となる。その後、京大廻りなどを経て、ようやく大行満大阿闍梨と認められるのである。この千日回峰行は「行不退」、つまり満ずるか、さもなくば死するかの二者択一とされている。ここに恃照と戒閻という、千日回峰行に挑む二人の僧侶がいる。二人にはなんとしても大阿闍梨になって歴史に名を刻まねばならないとある秘密があった。出生の秘密ゆえ、叡山に閉じ込められ、それでいて死ぬことも許されない立場にあった。自分が生きた証をこの世に刻み付ける、そのための最後にして最大の方法こそ、大阿闍梨になることだった。


ひと言
今まで千日回峰行のことを取り上げた作品に出会ったことがなく、直木賞の候補が発表されてすぐに読んでみたいと図書館に予約を入れました。読み始めてすぐに引き込まれ、早く先が知りたいとどんどん読み進めて、最後は涙が止まりませんでした。読み終えて、どうしてこんなに詳しく千日回峰行のことが書けるのか、作者の住田 祐(さち)さんのことを調べてみました。新聞社勤務を経て作家デビューし、近年は歴史や宗教的修行を題材にした作品で注目を集めています。学歴は公表されていませんが、三重県立伊勢高等学校を卒業し、龍谷大学文学部哲学科を卒業しています とのことで叡山の関係者ではないのによくもまあこんな作品が書けるものだと唯々感嘆。他の候補作を読んでいないので何とも言えませんが、直木賞を取って欲しいと思わせてくれる、人にも勧めたくなる感動作でした。

叡山には、三大地獄と呼ばれるものがある。
看経(かんきん)地獄。横川の元三大師堂にて三年間、ひたすら読経、勤行、論義、護摩供などを繰り返す。
掃除地獄。西塔の浄土院にて厳しい勤行を続けながら、その庭をひたすらに掃き、清め続ける。これは、侍眞と称される僧が十二年間続けるものとされる。ゆえに、十二年籠山行とも呼ばれる。
そして回峰地獄。言わずもがな、これが北嶺千日回峰行を指す。行者は叡山の諸堂を、深更から早暁にかけ、ひたすら毎日巡る。道程は叡山の険しい山道、距離にして七里半(約三十キロメートル)。毎夜九ツ半(午前零時から一時頃)に出峰し、明け六ツ(午前六時頃)から五ツ(午前八時頃)の間に帰坊する。まず三年目までは、一年につき百日を連続で歩き通す。と言っても、最初の年は千日回峰行とは切り離された百日回峰行と呼ばれるもので、これを満行した者から二年目に入る者―― すなわち千日回峰行に挑む者が選抜される。従って、一年目と二年目は連続しないことが多い。四年目と五年目には二百日を連続で歩き通す。百日あるいは二百日の間、行者は真言を唱えながら、叡山内のおよそ二百六十箇所の寺院や墓所にて礼拝し、樒(しきみ)の葉を供える。都合七百日の回峰を終えると、終えたその日から明王堂にて「堂入り」と呼ばれる足掛け九日間の断水、断食、不眠、不臥の行に入る。これが無事済めば、六年目に入る。この年の百日は、五年目までと同じ道程に、叡山の南西、御所の鬼門に位置する赤山禅院までの雲母(きらら)坂の往復が加わり、毎日十五里(約六十キロメートル)もの距離を歩き通さねばならぬ。また、堂入りまでは自利行(じりぎょう)といってあくまでも己のための行とされているが、堂入りを終えた六年目からは他者のための行、化他行(げたぎょう)となり、京で行き交う人々の求めに応じ、加持を行う。そして最後の年。まず百日間は京大廻(きょうおおまわ)りといって、叡山回峰に加えて京中を歩く。一日に歩く距離は二十一里(約八十四キロメートル)に及ぶ。それを終えれば、最後は七十五日間、最初の五年で歩いた七里半の峰道を歩く。合算すると千日には二十五日ほど足らぬわけであるが、これは「残りの二十五日は生涯かけて達せよ」という意味が込められている。
(妙案)

「まだ五日であろう。千日を語るには早すぎる」恃照(じしょう)が笑うと、良照はゆっくりと首を左右に振った。「いえ、お言葉にはござりまするが、あの者が私を置いて漆黒の闇を駆け上っていく姿は……そうでござりますね、まさに白鷺(はくろ)そのものにござりました。私はその鷺が闇に舞い上がり、溶け込んでゆくまで茫然と見送ってしまいました」
白鷺とは、叡山における回峰行者を指して用いられる比喩である。白き麻の浄衣をその身に纏い、山道を跳ぶように歩く姿から来ているという。良照が陶酔するが如く語るその口ぶりに、恃照は寒気がした。
(傑僧)

執行の言葉には耳を傾けず、恃照は己が膝に力を込めた。あの大きく見えた戒閻(かいえん)の身体が、まるで霧か霞かと思えるほどに軽かった。戒閻と共に恃照は立ち上がり、不動明王に相対し、一礼した。「恃照!」執行の制止するのも聞かず、恃照は不動明王の忿怒の形相の前に立った。「やめよ、もう……もう詮無きことなのじゃ!」「黙らっしゃい!」恃照の一喝が堂内に響き渡った。堂内のすべてがその動きを止めた。恃照の肩に寄り掛かる戒閻は、まだわずかに熱を帯びている。ここでやめるわけには、ははは、やめるわけにはゆかぬ、ゆかぬ。そうじゃろう、戒閻―― 。戒閻の首はだらりと垂れ、その顔は見えぬ。しかし、恃照の思いは必ず戒閻に伝わっておると信じていた。「恃照!」「……執行どの」今まさに恃照に襲い掛からんとしている高僧どもに向き直り、恃照は口を開いた。「歩くだけでよいのでござりまする。このお不動さまの周りを、三周歩くのみにござる。お許しいただきたい」執行は恃照の口が閉じる前に左右に首を振った。その動きは、この判断に吟味すべき点も酌量する点もないと言い添えているようだった。「戒閻はもうこと切れておるのだ。これからお主が共に歩いたとて、三匝を歩ききったことにはならぬ。認めることはできぬ。堂入りを満じたとすることは叶わぬ。お主も分かっておるのじゃろう!」「三匝を満じたいなどとは、一言も申しておりませぬ」恃照は懇願するように見えて、もうその允許(いんきょ)は下されずとも構わぬと思っていた。無理やり止められればそれまでである。だが、恃照にはそれは起こらぬという自信があった。この場に己より気骨のある者などあるはずがないと断じていた。「三匝 としてお不動さまの周りを歩くのではありませぬ。ただ、この戒閻と二人で、お不動さまにお礼を申し上げたいだけにござりまする。それさえも許されますまいか」恃照の眼光は執行のそれを凌駕していた。執行は黙らざるを得なかった。座主の姿は、いつの間にかこの場から消えていた。
さあ戒閻、ゆこうぞ。恃照は弟子の右腕を肩に担ぎ、己が左手を弟子の腰に添え、ゆっくりとその足を前に動かした。戒閣の両の脚は腰骨の下にだらりと垂れ下がり、板敷の上をすべり始める。のう、戒閻。わしら二人とも、お不動さまにはなり損ねたの。わしらは共に、このようになる定めだったのじやろうかの。共に帝の血を享けた、実に……実に不運な僧じゃったの。
(点睛)

恃照は不動明王の眼差しを正面から受け止め、そして眞超に向いた。「この玉照院恃照、これより、再び北嶺千日回峰行に入行致す」恃照の目は真剣そのものであった。眞超は恃照のその両の目を見据えた。眞超はゆっくりと息を吸い、細く吐き出した。
「……は。恃照さまの千日回峰……僣越ながら、この什善坊眞超が見届けさせていただきまする。ただ……恃照さま。この眞超に約してくださりませぬか。必ず……必ず満ずると」恃照は不敵に笑った。その笑顔はまるで、憎き弟子のそれが乗り移ったようであった。「… …約しましょう。しかし眞超どの、もう少し驚かれたり、止められたりするかと思いましたがの」眞超は参ったと言わんばかりに大きく息をついた。「戒閻にござる。戒閻が堂入りに臨む直前に、私に問うたのでござりまする」「あ奴が……?何を問うたというので」眞超は笑みを浮かべている。「一つ。堂入りを一日延ばしたいと思うが、是か非か……即座に非だと答えました。これには相当食い下がられました。先例にないと言うと、先例とは従うものではなくつくるものだと言って譲りませぬ。結句、私が折れました……今一つ」
恃照は固唾を呑んだ。「半行満は、再び千日回峰行に入行することはできるのか、否か」恃照は息を呑んだ。そして、先ほど胸に迫ってきたことどもが胸を通り過ぎて両の目にまで達し、雫となって溢れ出た。「おかしな話にござる」眞超は慈愛に満ちた表情を湛えている。「お二人はいったい、どのような間柄なのです。師弟でありながら、反目し合うて、憎み合うて、ののしり合うておられる……だのに、最後はこうでござる。お二人とも、ある一つのことを望んでおられる。ただひたすら、ある一つのことを為さんとしておられる」恃照は己の頬が緩むのを抑えられなかった。そうじゃのう。言われてみれば、その通りじゃ。いったい、わしら二人はどのような間柄だったのじゃろうの。……。……。
「何の、ご案じなされますな。それよりも、やはりこの眞超、不安がないと申せば嘘に……まこと失礼にはござりまするが、齢四十八での入行など聞いたこともありませぬ。蓋し古録にも見つけられぬでしょうな」恃照は笑った。肩の荷が下りたとはこのような顔をいうのやもしれぬ。これから死の荒行へ向かうというにもかかわらず、恃照は身も心も軽うなっているのをはっきりと感じていた。「戒閻も申したのでしょう。先例とは従うものではない、つくるものなのだと」「……左様にござりましたな」恃照と眞超は互いに見合ってから、双方ともに頭を下げた。叡山に細い曙光が差した。琵琶湖のさざなみがその光を受け、きらきらと四方八方に散らせていた。
(点睛)

 

 

あらすじ
 高校を卒業し、晴れて京大生となった成瀬あかり。一世一代の恋に破れた同級生、達磨研究会なるサークル、簿記YouTuber……。新たな仲間たちと出会った成瀬の次なる目標は“京都を極める”! 一方、東京の大学へ進学した島崎みゆきのもとには成瀬から突然ある知らせが……!? 最高の主人公に訪れる、究極のハッピーエンドを見届けよ!

ひと言

楽しく読ませてもらいましたが、1、2作目のような驚きがあまりなかったのは少し残念でした。(実家が北白川)の章に出てくる森見 登美彦。「太陽の塔」を読んだのは2010年4月、「夜は短し歩けよ乙女」に至ってはこのブログを始める前に読んだみたいで記録・記憶に残っていません。もう一度借りて読んでみようと思いました。また(実家が北白川)の章に「ご当地ベーカリーのページを例にとると烏丸御池、河原町三条、千本丸太町、大宮松原、宇治の黄檗と、…」とあり、烏丸御池(ル・プチメック 黒メック)、河原町三条(志津屋)、大宮松原(まるき製パン所)、宇治の黄檗(たま木亭)はまず間違いないよね。千本丸太町って(コネルヤ?)と変なところがとても気になりました。


「わたしは、早田くんがいたから生きてこられたの」こんなことを言ったらみんな大げさだって笑うだろう。だけど、わたしにとってはまぎれもない事実だ。わたしの歩いてきた道を振り返れば、どこにだって早田くんとの思い出が残っている。成瀬さんはピースをやめ、笑みを残した穏やかな顔でうなずく。「きっと、それが彼の役目だったんだ」「役目」わたしは思わず声に出していた。こっちに向かって静かに手を振り、脇道にそれていく早田くんの姿が見える。投げ出したのでも逃げ出したのでもなく、役目を終えた。そう思ったら早田くんへの感謝がこみ上げてくる。せめてひとこと「ありがとう」と伝えて別れたかった。「まだまだ人生長いんだ。いつか再びめぐり逢うこともある」わたしの思いを見透かしたように成瀬さんが言う。
(やすらぎハムエッグ)

わたしが大津を離れたあとも、成瀬は新しい仲間をたくさん見つけている。圧倒的なまぶしさで、まわりをいっぱい照らしている。だけどこの二日間ではっきりわかった。成瀬のために、わたしにしかできないことがある。みんながこたつに向かってぞろぞろ歩き出す中、わたしは成瀬を呼び止めた。「ねえ、成瀬」成瀬は立ち止まり、真顔で振り返る。「わたしも二百歳まで生きようと思うの」中学生のとき、二百歳まで生きるのは難しいのではないかと指摘したわたしに対し、成瀬は「島崎も含め、その頃にはみんな死んでるから確かめようがない」と答えた。あのときのわたしは納得してしまったけれど、先のことなんて誰にもわからない。「そうか、島崎も生きてくれるか」成瀬の口角が自然に上がった。それを見たらなぜか泣きそうになり、両手で口元を押さえる。成瀬あかり史を一番長く見届けられるのはわたししかいない。いつまでもずっと、成瀬のそばで笑ったり泣いたりしていたい。成瀬は笑みを浮かべたままわたしに歩み寄ると、声をひそめて言った。「だがしかし、最近は二百年では足りないと思いはじめているところだ」わかしは思わず噴き出した。やっぱり成瀬は成瀬だった。「うん、いいよ。三百年でも四百年でも生きよう」わたしたちには四百万年を生きる琵琶湖がついている。成瀬はわたしの目を見つめ、何も言わずにうなずいた。
(琵琶湖の水は絶えずして)

 

 

今日もとても寒く、あったかい味噌煮込みが食べたいねということになり、「山本屋本店 桜山店」へ2人で夕飯を食べに行きました。山本屋本店はほんとうに何十年ぶりで、牡蠣入り味噌煮込みうどん(2541円)をいただきます。大振りの牡蠣が6個も入ってとても美味しいです♪やっぱり寒い日は味噌煮込みに限ります。ごちそうさまでした♪。

 

山本屋本店 桜山店

名古屋市昭和区桜山町6

 

今日のお昼は金山の「エリックサウス」で今話題のビリヤニです。先日TVで観たランチ限定のチキンビリヤニ はちみつバターチキンカレー付(1350円)+マサラエッグ(198円)をトッピングしていただきます。カレーもはちみつバターなのでもう少し甘いのかなと思いましたが、結構な辛さで、ビリヤニも食べたことがない味でした。率直な感想では「今年はこれが流行るの!?」「自分的にはココイチのカレーの方が好きかも」です。ただビリヤニというものを食べたことがなかったので、いい経験になりました。

 

 

エリックサウス 金山 カレー&ビリヤニセンター

名古屋市熱田区金山町1 ミュープラット金山 2F

 

 

JR高島屋の2026アムール・デュ・ショコラ。娘が今日1/22の最終枠の17:30~17:45が当たり、嬉しいながらも不安を抱えながらアムールへ向かいました。ネットの書き込みなどでは、せっかく当選してもUnique(ユニック)はすべて売り切れでどれも買えない人もいるとのこと。

 

 

並んでいる途中の娘から、「今クリームブリュレが完売になった」とのラインが入りました。娘は最終組の4番目(前の1人は時間に来なかったので3番目)。今日は雪だし、最終に近い組はユニックはすべて完売で何も買えないこともあるのをみんな知っているのか30人のうち何人かは来なかったみたいです。

 

 

娘の組が購入できるときにはあまおうが9個、ウイスキーアソートが9個残っているだけでした。運よく長尾農園あまおう苺ティラミス(4644円)がゲットできたと娘が喜んで帰ってきました。さっそく貴重な一つをいただきます。軽く口の中で舌で押さえると、ぱっと割れて中から苺の液体が口の中に広がります。こんなの食べたことがない!一度は食べてみるべき感動の逸品でとても美味しいです♪♪♪。昨年も応募しましたが全滅、今年も今日までの3回の抽選はすべて外れましたが、娘のおかげでラルケストのユニックが食べられました。ありがとう。ごちそうさまでした♪。

 

L’Archeste(ラルケスト)

名古屋市千種区池下町2

 

 

 

今日のお昼はノリタケイオンにある「yellow」で一番人気のダブルチーズハンバーグオムライス(1848円)をいただきます。テーブルにたまごが載せられたプレーンのオムライスが運ばれてきて、店員がたまごにナイフを入れて、ぱかーんとふわトロたまごをあふれさせその上にハンバーグを載せデミグラスソースとチーズをかけてくれます。たまごはトロトロでとても美味しいですが、パフォーマンス代だけでこの食材で1848円は高いと思いました。話のネタに一度は食べてみる価値ありかな。ごちそうさまでした。

 

yellow ナゴヤノリタケガーデン

名古屋市西区則武新町3 イオンモール Nagoya Noritake Garden 1F 

 

 

今日のお昼は、以前訪れてあまりの行列に断念した栄ラシックの「ホームズパスタ」です。開店20分後ぐらいに到着、約15人待ち 20分ほどで席に案内されました。絶望のスパゲッティ(1420円)のセット(バケット+サラダ+シャーベット付き)(350円)パスタ大盛(無料)をいただきます。ミートソースに生クリームとオリーブを加えたスープスパゲッティです。どうして絶望なのかというと、このパスタはイタリア語で「フンギ(きのこ)のスパゲッティ」という、シンプルな名前で提供されていた時期がありました。しかし、その美味しさに多くの人が「ソースを最後まで舐めたくなる」ほど夢中になる様子を見て、「こんなに美味しいものが終わってしまうのは絶望的だ!」というお客様の声から、このユニークな名前が定着したと言われています。なるほどとても美味しいパスタでした♪。でもスープがとてもよく飛び、白い服が絶望的になることがあるので、ご注意を!(テーブルに紙エプロンがたくさん置いてあります)ごちそうさまでした♪。

 

ホームズパスタ 名古屋栄ラシック店

名古屋市中区栄3  ラシック 8F

 

あらすじ
2024年に米寿を迎えた西畑保さんは、奈良県に住んでいます。和歌山県の山間で生まれ育った西畑さんは、小学2年生の途中から学校に通っていません。山間で高値で売れる木の皮を集めて貯めたお金だったのに、小学校で落とした財布は自分のものだと名乗り出たら泥棒扱いされたのです。貧しい暮らしの西畑さんが、そんなお金を持っているはずがないと、クラスメートも教師も彼を責めました。その一件があってから、西畑さんは学校に行くのをやめました。中学校に通う年齢になって働きに出た西畑さんですが、その人生につきまとったのは、「読み書きができないこと」でした。つとめた飲食店では、電話で受けた注文の内容をメモに記すことができず、職場の先輩からは「字も読めないやつ」と差別的な扱いをされました。劣等感を抱き、結婚なんて夢のまた夢とあきらめていた西畑さんのもとに、お見合いの話が舞い込みます。読み書きができないことを隠して結婚した西畑さんでしたが、町内の回覧板にサインができず、妻の皎子(きょうこ)さんの知るところとなります。その事実を知った皎子さんは、西畑さんにこう声をかけました。「ずっと、つらい思いをしてきたんやろな」子どもも生まれ、孫も生まれ、還暦を過ぎた西畑さんの日常に、ある変化が訪れます。64歳になって、夜間中学に通うことに決めたのです。それは、読み書きのできない自分に長年連れ添ってくれた妻に、感謝の気持ちを伝えるラブレターを書くためでした――。
西畑さんの人生からは、たくさんのメッセージが受け取れます。「明るく、前向きに生きる」、「自分の人生を他人や環境のせいにしない」、そして「学ぶのに遅すぎるということはない」――。そんな西畑さんに毎日新聞論説委員である小倉孝保氏が寄り添い、これまで西畑さんが見てきた風景、抱えてきた思いを一冊の書籍にまとめました。それが『35年目のラブレター』です。


ひと言
読み終えて、すぐに映画「35年目のラブレター」がDVDでレンタルできるのか探していると、Amazon の Prime Video で観られることがわかり、もう夜も遅くなっていたが迷わずに観た。普通は映画より原作本の方がいいことが多いのだが、「35年目のラブレター」は映画のほうがいいと感じた。笑福亭鶴瓶さんに笑わされることは多いけど、こんなに泣かされるとは思わなかった。皎子さんを演じる原田知世さん、上白石萌音さんの関西弁がとてもやさしく温かかった。いい作品に出会えてほんとうに良かったです♪



車椅子で移動する人は電車に乗る時、駅員の助けを借りる。それと同じように、読み書きできない者も人の助けが必要なのだ。現代社会で人が自由を手に入れるには、読み書きの能力は絶対必要な条件なのだ。ただ、車椅子の場合と違い、字の読み書きは努力次第で身につくと思われている。それができないのは怠けているからだと思われる。子どものころに身につけるべき能力を、大人になってから習得するのは想像以上に大変だ。日本社会は読み書きできない人は存在しないことを前提に動いている。
(第七章 ぼくでも結婚できるんや)

年が明けると、文章はかなり固まってきた。妻に読んでもらった。「お父ちゃん、うまく書けてるやん。でも、この漢字は間違っているよ」「えっ、どの字やろ。電子辞書で調べたはずやけどな」〈夜間中学校に来ることができて本当に辛せです。〉「これなら『本当につらい』になってしまうわ」確かに、「幸せ」と書くところが、「辛(つら)せ」になっていた。「お父ちゃん、横棒を一つ引くだけで『幸せ』にできるんやで。辛い人生もちょっとしたことで幸福になるんやわ」「日本語っていうのは難しいな。辛いと幸せの間には、線一つの違いしかないんかいな。この年になっても教わることが多いな」
(第十一章 皎ちゃん、きれいやで)
   
過酷な時間と向き合いながら身につけた処世術が、「ええとこを三つ探す」生き方であった。威張り散らす先輩に対しても、西畑さんは「きっとええとこがある。三つ探すんや」と言い聞かせた。するとさっきまで大嫌いだった先輩も不思議と気にならなくなる。周りに感謝する気持ちが湧き、つらく悲しい感情が小さくなっていく。哲学書を読むのでも、新聞の人生相談に目を走らせるのでもなかった。十代前半で親元を離れ、単身生きていく上で身につけた術である。借り物でない分、「ええとこを三つ探す」思考には説得力が宿る。
(文庫版 あとがき)