あらすじ
2024年に米寿を迎えた西畑保さんは、奈良県に住んでいます。和歌山県の山間で生まれ育った西畑さんは、小学2年生の途中から学校に通っていません。山間で高値で売れる木の皮を集めて貯めたお金だったのに、小学校で落とした財布は自分のものだと名乗り出たら泥棒扱いされたのです。貧しい暮らしの西畑さんが、そんなお金を持っているはずがないと、クラスメートも教師も彼を責めました。その一件があってから、西畑さんは学校に行くのをやめました。中学校に通う年齢になって働きに出た西畑さんですが、その人生につきまとったのは、「読み書きができないこと」でした。つとめた飲食店では、電話で受けた注文の内容をメモに記すことができず、職場の先輩からは「字も読めないやつ」と差別的な扱いをされました。劣等感を抱き、結婚なんて夢のまた夢とあきらめていた西畑さんのもとに、お見合いの話が舞い込みます。読み書きができないことを隠して結婚した西畑さんでしたが、町内の回覧板にサインができず、妻の皎子(きょうこ)さんの知るところとなります。その事実を知った皎子さんは、西畑さんにこう声をかけました。「ずっと、つらい思いをしてきたんやろな」子どもも生まれ、孫も生まれ、還暦を過ぎた西畑さんの日常に、ある変化が訪れます。64歳になって、夜間中学に通うことに決めたのです。それは、読み書きのできない自分に長年連れ添ってくれた妻に、感謝の気持ちを伝えるラブレターを書くためでした――。
西畑さんの人生からは、たくさんのメッセージが受け取れます。「明るく、前向きに生きる」、「自分の人生を他人や環境のせいにしない」、そして「学ぶのに遅すぎるということはない」――。そんな西畑さんに毎日新聞論説委員である小倉孝保氏が寄り添い、これまで西畑さんが見てきた風景、抱えてきた思いを一冊の書籍にまとめました。それが『35年目のラブレター』です。
ひと言
読み終えて、すぐに映画「35年目のラブレター」がDVDでレンタルできるのか探していると、Amazon の Prime Video で観られることがわかり、もう夜も遅くなっていたが迷わずに観た。普通は映画より原作本の方がいいことが多いのだが、「35年目のラブレター」は映画のほうがいいと感じた。笑福亭鶴瓶さんに笑わされることは多いけど、こんなに泣かされるとは思わなかった。皎子さんを演じる原田知世さん、上白石萌音さんの関西弁がとてもやさしく温かかった。いい作品に出会えてほんとうに良かったです♪

車椅子で移動する人は電車に乗る時、駅員の助けを借りる。それと同じように、読み書きできない者も人の助けが必要なのだ。現代社会で人が自由を手に入れるには、読み書きの能力は絶対必要な条件なのだ。ただ、車椅子の場合と違い、字の読み書きは努力次第で身につくと思われている。それができないのは怠けているからだと思われる。子どものころに身につけるべき能力を、大人になってから習得するのは想像以上に大変だ。日本社会は読み書きできない人は存在しないことを前提に動いている。
(第七章 ぼくでも結婚できるんや)
年が明けると、文章はかなり固まってきた。妻に読んでもらった。「お父ちゃん、うまく書けてるやん。でも、この漢字は間違っているよ」「えっ、どの字やろ。電子辞書で調べたはずやけどな」〈夜間中学校に来ることができて本当に辛せです。〉「これなら『本当につらい』になってしまうわ」確かに、「幸せ」と書くところが、「辛(つら)せ」になっていた。「お父ちゃん、横棒を一つ引くだけで『幸せ』にできるんやで。辛い人生もちょっとしたことで幸福になるんやわ」「日本語っていうのは難しいな。辛いと幸せの間には、線一つの違いしかないんかいな。この年になっても教わることが多いな」
(第十一章 皎ちゃん、きれいやで)
過酷な時間と向き合いながら身につけた処世術が、「ええとこを三つ探す」生き方であった。威張り散らす先輩に対しても、西畑さんは「きっとええとこがある。三つ探すんや」と言い聞かせた。するとさっきまで大嫌いだった先輩も不思議と気にならなくなる。周りに感謝する気持ちが湧き、つらく悲しい感情が小さくなっていく。哲学書を読むのでも、新聞の人生相談に目を走らせるのでもなかった。十代前半で親元を離れ、単身生きていく上で身につけた術である。借り物でない分、「ええとこを三つ探す」思考には説得力が宿る。
(文庫版 あとがき)
