今日から2022年の仕事始め。3週間ほど前に南区浜田町にできた「感動の肉と米」へ自転車でお昼を食べに行きました。人気No.1のロースステーキセット レギュラー180g(1000円)をいただきます。お肉はやわらかく、お店のキャッチコピーにもあるように食べごたえ抜群です。炊き立ての羽釜ごはんもおいしく、みそ汁、漬物、ごはんもおかわり自由。生卵も1つ付いてくるので、卵かけご飯もいただけます。
コスパ抜群。おいしいお肉とお米でした。ごちそうさまでした♪。
名古屋市南区浜田町2
今日から2022年の仕事始め。3週間ほど前に南区浜田町にできた「感動の肉と米」へ自転車でお昼を食べに行きました。人気No.1のロースステーキセット レギュラー180g(1000円)をいただきます。お肉はやわらかく、お店のキャッチコピーにもあるように食べごたえ抜群です。炊き立ての羽釜ごはんもおいしく、みそ汁、漬物、ごはんもおかわり自由。生卵も1つ付いてくるので、卵かけご飯もいただけます。
コスパ抜群。おいしいお肉とお米でした。ごちそうさまでした♪。
名古屋市南区浜田町2
あらすじ
出産のために離れて暮らす母親のことを想う5歳の女の子の素敵なクリスマスを描いた『サンタ・エクスプレス』ほか、「ひとの“想い”を信じていなければ、小説は書けない気がする」という著者が、普通の人々の小さくて大きな世界を季節ごとに描き出す「季節風」シリーズの「冬」物語。寒い季節を暖かくしてくれる12篇を収録。
ひと言
もう一冊、年内に読むことができました♪。やっぱり今年最後の一冊も重松 清さん。今年もコロナ禍に振り回された一年でしたが、感動のオリンピック・パラリンピックもあり、ワクチンも多くの人が接種して少しずつ希望の光が見え始めてきた一年でした。来年の春には、満開の桜の下で多くの人の笑顔が見られる一年になりますように! 2021年ほんとうにありがとう。
おじさんは石焼き釜にくべた薪を組み直したり、煙突の空気穴を開けたり閉めたりしていた。最初は、意外と細かく火の強さを調節しなくちゃいけないんだなあと思うだけだったけど、やがて、ふと気づいた。おじさんはわたしが食べ終えるのを待っていてくれるのかもしれない。軽トラックが走り去ると、正門の脇にぽつんと立って焼きいもを食べるわたしだけが残されてしまう。ほんとうのひとりぼっちになってしまう。不思議だった。おじさんにはひとりぼっちの姿を見られるのが恥ずかしくなかったのに、そのおじさんかいないと、急に、自分がひどくみじめでみすぼらしい子になってしまいそうだった。そして、おじさんがいなくなったあとは、焼きいもは急においしくなくなってしまいそうな気もする。なぜだろう。おとなになったいまでもよくわからない。
(あっつあつの、ほっくほく)
じゅんちゃん。僕はいまでも、星のきれいな真冬の夜空を見上げると、きみのことを思いだす。僕たちはみんな、同じ星空を見ている。じゅんちゃんが星をつないでつくる星座は、僕たちがつくる星座とはちょっと違っていたのだろう。いまでも違ったままかもしれない。でも、僕たちが見ている星空は同じだ。
(じゅんちゃんの北斗七星)
掲示板の前の人込みがにぎやかになった。タカ研の花吹雪隊があらわれたのだ。花吹雪を浴びて、顔をくしゃくしゃにして笑う女の子は、四月からどんな大学生活を送るのだろう。それを横目に掲示板の前からひっそりと遠ざかる女の子は、来年の春は満面の笑みを浮かべられるのだろうか。
(サクラ、イツカ、サク)
久しぶりに梅田へ来たついでに、もう十何年も食べていない「阪神名物 いか焼き」へも立ち寄ります。大阪で知らない人や食べたことがない人はまずいないという超有名ないか焼きです。今は以前の場所ではなく、一応 阪神百貨店B1階のスナックパークというところで営業していますが、昔と変わらずすごい行列です。
10分以上並んで、ツートップの いか焼き(154円)とデラバン(209円)をいただきます。今となってはまったくの昭和の食べ物ですが、何十年たってもやっぱりうまい!懐かしい。少し控えめのソースですが、これが本来のイカのおいしさを邪魔しないから後味がほんとうにいいんだと思います。冷凍のものもあったので、みんなにも食べさせてあげたいと上の写真の左側の列にも並び直しました。ほんとうに久しぶりで美味しかったです。ごちそうさまでした♪。
大阪市北区梅田1 阪神梅田本店 B1F スナックパーク
12月29,30日とお墓参りに大阪に帰省。阪急梅田本店の地下1階にある「カレーパンノヒ」へ立ち寄りました。こちらはハウス食品と阪急百貨店がコラボしたお店で、この11月に発表された2021カレーパングランプリの西日本揚げカレーパン部門で最高金賞を受賞したカレーパンです。
もちろん受賞したバーモントカレーパン(378円)と濃厚チーズカレーパン(378円)をいただきます。今まで食べたカレーパンの中で、こんなにカレールウが入ったものはありませんでしたし、あのカレーのハウスとコラボしているだけあって1,2位を争うおいしさです♪。最高金賞も大納得のカレーパンでした♪。また梅田に行った折には是非是非買いたいです。ごちそうさまでした♪。
大阪市北区角田町8 阪急梅田本店 B1F
あらすじ
さみしさは消えない。でも、希望は、ある かぞえきれないものを、ときどき見たほうがいい。ぼくたちは皆、また間違えてしまうかもしれないから ―― 「送り火のあとで」 亡くなった母を迎えるお盆、今年は新しい「ママ」がいる。ぼくと姉の揺らぐ気持ちは……。 「コスモス」 ミックスルーツのリナはお母さんと二人暮らし。友達からは、「日本人っぽい」とも「日本人離れ」とも言われて――。 「かえる神社の年越し」 なかったことにしたいこの一年の切ない願いを託されて、神社の「かえる」たちは年を越す。 「ウメさんの初恋」 もう先が長くないというひいおばあちゃんのウメさん。彼女のおひなさまと戦争の話を聞いた私は……。他 全11篇
ひと言
年末もこれぐらいの時期になると、今年最後の一冊は何にしよう。と図書館での本選びも難しくなってきます。今年は私の好きな重松 清さんの、それも新刊本を借りることができました♪。鬼退治の桃太郎の「花一輪」は重松さんにしてはちょっと異色な感じでしたが、「ウメさんの初恋」はやっぱり泣かされっぱなしでした。「送り火のあとで」もよかったなぁ。
なぜだろう。なぜおれたちは律儀に、愚直に、ひっくりかえるのだろう。なぜ善男善女はおれたちのようなかえるに、できるはずのないことだとわかっていながら、願いを託すのだろう。祈るとはなんだろう。願うとはなんだろう。人間はなぜ、祈ることや願うことや信じることを覚えたのだろう。わからない。でも、わからないまま、おれたちはひっくりかえる。心を込めて、一所懸命にひっくりかえる。今度ぜひ見に来てほしい。短冊に願いごとを書いてほしい。大晦日に社務所の前に行列をつくってくれたら、元日の夜明けに本殿の前に人込みをつくってくれたら ―― それが許される日が来るのなら、おれは張り切って、二回ひっくりかえってもいいぞ。いよいよ順番が来た。神職がおれのそばにしゃがみ込む。二〇二〇年。まるごと消すか。消えないよ。ぜんぶなかったことにするか。できないよ。それでも、消したいよな。なかったことにしたいよな。心を込める。神職が右手の親指と人差し指でおれの腹を左右からつまんで、短冊から持ち上げる。心を込める。神職がおれの体をくるっと回す、と同時に左手で短冊を素早く裏返す。裏返された短冊の上に、元の這いつくばった姿勢になったおれが載る、と思う間もなく、神職の手はさらに素早く、おれをもう一度仰向けにする。ここだ。おれは万感の思いを込めて、ひっくりかえる。消えろ消えろ消えろ、二〇二〇年。なくなれなくなれなくなれ、二〇二〇年。神職はおれが背に敷いた短冊を抜き取り、巫女の捧げ持つお盆に載せる。そして再び仰向けになったおれをつまんで、もう一人の巫女のお盆に載せる。
(かえる神社の年越し)
宿題が終わると、教科書やノートを片づけて、おだいりさまと向き合った。おでこがぶつかりそうになるぐらい顔を近づけて、おだいりさまの消えかかった目鼻をじっと見つめた。ウメさんのお父さん、三人のお兄さん ―― 顔立ちが似てるとか似てないとかを超えて、おだいりさまは「みんな」なんだな、と素直に納得できた。おだいりさまをギュツと握りしめて、炎のたちのぼる夜空を見上げる、わたしと同い年の女の子のことを、思う。怖かったよね、心細くて、つらくて、寂しかったよね。でも、生きててよかった。おだいりさまがウメさんを守ってくれた。お父さんや三人のお兄さんが守ってくれた。絶対にそうだよね、と決めた。「ありがとうございました」つぶやいて、頭をぺこりと下げた。おだいりさまの細い目は、わたしではなく、もっとずっと遠くのなにかを見つめているようだった。
(ウメさんの初恋)
「コウキくんは『星の王子さま』というお話を知ってるか?」「……はい」「読んだこと、あるかな」「五年生の夏休みに」[じゃあ覚えてるかな、ラスト近くの場面、王子さまが語り手の『ぼく』にお別れを告げるところなんだけど」「ごめんなさい……なんとなくしか」「いいんだ、ふつうはそうだ。俺は特に好きだったから、覚えた。それだけだ」おじさんは笑って目をつぶり、その一節をそらんじた。「……ぼくは、あの星のなかの一つに住むんた。その一つの星のなかで笑うんだ……」 あ、そうだ。それだ。思いだした。細かい言い回しまではわからなくても、王子さまは確かに、お別れにそんなことを言っていたのだ。「……だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう……」おじさんは目を開けた。「かぞえきれない星のどれか一つに大切な友だちがいるんだと信じていたら、すべての星が好きになる。そうだろう?」ぼくは黙ってうなずいた。「今日は会えなくても、明日、会えるかもしれない。明日会えなくても、あさって会えるかもしれない。星はかぞえきれないんだ。最後の一つまでかぞえきったと思っていても、その次の星が、あるんだ」おじさんはぼくをじっと見て、言った。「それを希望っていうんじゃないのかな」ぼくはまた、黙ってうなずいた。なにか応えたほうがいいのはわかっていても、言葉で伝えようとしても、絶対に伝えきれないものがあるんだと思う ―― かぞえきれない星と同じように。
(かぞえきれない星の、その次の星)
おいしいハンバーグを食べた後、腹ごなしを兼ねて久屋大通パークまで歩きます。7月にオープンした「ヴェンキ(Venchi)」をめざします。今まで行きたい行きたいと思っていたのですが、なかなか機会がなく延び延びになっていました。レゴラーレ(M) 3 フレーバーのカップ(880円)を店内でいただきます。3つのフレーバーはお店の人におまかせしました。リコッタ&チョコレート、ピスタチオ、ともう1つはお店の人が丁寧に説明してくれたのに忘れてしまいましたが、やっぱり本場イタリアのジェラートは格別においしいです♪。
実は5年前の夏に家族でイタリア旅行に行ったとき、添乗員さんに Venchi のジェラートがおすすめです と教えてもらいベニスでいただいて、ほんとうにおいしかったので その懐かしさもあって今日クリスマス・イブに伺いました。
来年も with コロナは変わらないのだろうけど、もう少し自由に旅行ができるような一年になってほしいです。ほんとうに美味しかったです♪ ごちそうさまでした♪。
名古屋市中区錦3 Hisaya-odori Park
今日は名駅南の「ただハンバーグが食べたい」へお昼を食べに行きました。以前も一度訪れたのですが、人気でハンバーグはもう品切れだったので出直しです。煮込みハンバーグのダブル220g(1300円)をいただきます。そのままいただき、残りはハンバーグのTKG(卵かけご飯)でいただきます。
ポテトとブロッコリーがいいアクセントになってとてもおいしいです♪。お店を出るときには結構な待ちができていました。ごちそうさまでした♪。
名古屋市中村区名駅南1
今日のお昼は、以前にTVで紹介されたお店「肉食家さんのハンバーグ にくきゅうグリル」へ行きました。ハンバーグまぶし(1133円)に温玉(70円)をトッピングしていただきます。和牛と黒豚の合挽きハンバーグがとても美味しく、そのままでも十分に美味しいのですが、出汁をかけたハンバーグ茶漬けがまた絶品でおいしいです♪。
温玉のトッピングもおすすめです♪。お会計の際にスタンプカードはどうされますか?と尋ねられたので「また来たいと思いますので、是非」と答えました。とてもおいしいハンバーグまぶしでした。ごちそうさまでした♪。
稲沢市平和町下起東
あらすじ
2017年の終戦の日、昭和史研究のスペシャリスト3人が集結して話題を呼んだNHKラジオ番組「太平洋戦争への道」。本書は、その貴重な対談に、保阪正康氏の解説と図版・写真を加えた「日米開戦80年企画」として刊行するものです。1931年の満州事変から1941年の真珠湾攻撃へと至るその過程には、見逃せない6つの分岐点があったと3人は口をそろえます。各氏の視点と語り口が絶妙に交差しながら、昭和日本の闇へと迫る展開は、歴史好きの方にはもちろん、一般の方にも重層的な歴史理解を促すに違いありません。私たちは歴史から何を学ぶべきなのか。昭和日本が犯した「最大の失敗」に至る道筋を6つの転換期から検証し、私たちが学ぶべき教訓と、令和日本が進むべき道を提言する。
ひと言
ふと新聞でこの本が出版されたことを知りました。今年の一月にお亡くなりになった大好きな半藤 一利さん、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を書いた加藤 陽子さん、この対談をまとめ、最後の「戦争までの歩みから、私たちが学ぶべき教訓」で心に残る言葉を残してくれた保阪 正康さん、昭和史研究、太平洋戦争を語らせたら、この3人の右に出るものはないと思われる2017年の3人の対談。今までに目にしたことがある内容が多かったですが、やっぱりこの3人の対談はいいですね。半藤一利さんがお亡くなりになった今となってはこの3人の対談はもう実現しないのかと思うととても寂しいです。
半藤 「太平洋戦争」か「大東亜戦争」かという議論がありますね。戦争というのは、戦争相手の国名を入れる場合が多い。たとえば「日露戦争」とか「日清戦争」など。あるいは「関ヶ原の戦い」のように戦争の場所を入れる場合もある。そういう意味で言うと、「あの戦争」は太平洋で戦ったわけですから、私は「太平洋戦争」でいいと思います。一方の「大東亜戦争」というのは、大東亜共栄圏をつくるという大目的からの名づけですが、戦争目的を戦争の名前にするのはおかしいと私は思いますね。日本の国は太平洋を舞台にして英米と戦ったので、一番正しいのは「対英米戦争」かなとも思いますが、自分自身の中では「太平洋戦争」でよいと、そういうふうに捉えております。
(序章 太平洋戦争とは何か)
その後日本は、一九三三年(昭和八年)三月二十七日に正式に国際連盟を脱退した。 日本は国際社会からの孤立の道を選んだのである。国際連盟からの脱退は、日本が正常な感覚で国際社会で生きていこうという姿勢の放棄にもつながっていた。……。……。しかし、国内世論は新聞を筆頭に、「国際社会は日本の真意をわかっていない」とか、あるいは「孤立を恐れるな」といった強腰の論で満州権益の擁護に努めた。満州を手放すなどというのは、まったく考えられない様相を呈するに至ったのである。日本が太平洋戦争に進む道筋は、この満州国建国と国際連盟からの脱退による孤立主義が大きな影響を持ったであろう。国内に、結果的にファシズム体制ができ上がっていくのは、この昭和八年が発端となった。国際社会での孤立は逆に、この国はいかに優れた国家であり、天皇といった神を抱えている特別な国であるか、といった倒錯した心理を生んでいくきっかけにもなったのである。ファシズム体制を越えるレベルの、まさしく「超国家主義」といった方向にこの国は進んでいくのであった。
(第二章 国際協調の放棄 孤立主義を支持した国内世論)
保阪 二・二六事件について私が注目するのは、やはり「暴力の恐怖」ですね。とくに、議会ではこの二・二六事件以後、本来行うべき活発な議論が萎縮していきます。しかも、この後、軍は親軍派の議員をつくり、議会は見事なほど軍寄りになっていく。つまり、議会政治が骨抜きになる。これも、二・二六事件の残した大きな特徴だという気がします。
半藤 あえて言えば、これ以降の日本に大きな影響を与えたのは、この二・二六事件がもたらした「暴力の恐怖」というやつですね。「私はいいですよ、だけども下のほうがどう思うですかね」というような言葉によって、政治指導者が、軍に脅かされていくのです。
加藤 暴力を背景にした圧力ですね。
半藤 テロの恐怖は、人々を萎縮させます。しかも、軍隊の持っているテロの恐怖というものは、「軍隊からの安全」を完全に失わせてしまう。結局、軍は太平洋戦争が終わるまで、この恐怖がもたらす力を、存分に使いました。
(第三章 言論思想の統制)
希望的観測に過ぎなかった日本の狙い
加藤 端的に言いまして、日独伊三国軍事同盟を日本が締結した目的は、別のところにあります。一九四〇年六月にフランスがドイツに降伏しますが、そうなると、第二次世界大戦でドイツを相手に戦っている国はイギリスしかありません。ということは、そのまま終戦になるのではないかという見通しもありましたから、終戦になったときは、東南アジアに植民地を持っている宗主国 ―― イギリスがその最たるものですが ――、フランスやオランダも含めて、植民地の主がいなくなってしまう。となれば、戦勝国であるドイツがすべてかっさらっていってしまうかもしれない。日本はドイツと防共協定(日独防共協定)を結んでいましたが、それだけではもったいない。軍事同盟にしておいて、講和会議に日本も戦勝国として参加しよう ―― そういう狙いがあったのです。日独伊三国軍事同盟には、たしかに日本がドイツに騙された、ドイツとイタリアに都合のよい同盟を結ばされたという側面も、もちろんあるかもしれません。しかし一方で、ドイツが軍事力で負かしたフランスなりオランダなり、そういう国が持っていた東南アジアという植民地の分け前を講和会議でもらおうという、ある種のしたたかな論理が、日本にはあったと思います。
半藤 一九三九年(昭和十四年)、アメリカが日米通商航海条約という、明治以来、続いてきた日本との貿易の条約を破棄、廃棄すると通告してきます。そして翌四〇年の初めに、それが成立する。アメリカと本当に貿易ができなくなると、これは大問題です。とくに海軍は、アメリカから石油が輸入できなくなるとどうしようもなくなります。もしそういう事態が起きたときは、どうしたらいいかというのが最後の悩みでしたから、そこで目をつけたのが蘭印と仏印、今のインドネシアとベトナムの石油地帯です。簡単に言えば、スマトラとかボルネオ、インドシナ半島あたりの石油を手に入れたほうがいいと考えた。ヨーロッパ戦争で、そのあたりの国を支配しているフランスもオランダも、ドイツに降伏していますから、ちょうど空き家です。ならば、それを手に入れたいと海軍は思うわけですが、もちろん、そこで手を出せば、アメリカは黙っていない。では、黙らせるにはどうすればいいか。ドイツ、イタリアと同盟を結び、さらにソ連も仲間に入れて四国同盟まで持っていくことに成功すれば、アメリカはまさか手を出してこないだろう。それぐらいの準備をしておけば、アメリカは貿易条約を廃棄してきたけれど、また元へ戻るのではないか ――。このように、まったく自分本位で虫のいいことを、日本の指導層は考えたというわけです
(第五章 三国同盟の締結)
命令一つで命を奪った軍事指導者の罪 保阪正康
私は戦争について考えるとき、その戦争の時代に生まれた世代についてよく考えます。たとえば、先の戦争で三百十万人が亡くなったと厚労省は発表していますが、戦病の方も含めて戦後にも数多くの方が亡くなっていますから、全体の数字では五百万ほどの人が亡くなっているのではないかと推測します。しかしともかく厚労省の統計によると、戦闘で死んだ人はそのうちの二百四十万です。二百四十万人のうち、何歳の人がどれだけ亡くなったかという統計はありませんが、さまざまな資料等で分析してみたところ、一九二一年(大正十年)と二二年(大正十一年)生まれの方がもっとも多く亡くなっているように思います。
彼らは一九四一年(昭和十六年)頃、二十歳で徴兵検査を受けています。学徒出陣の四三年(昭和十八年)には大学生だった人も多い。彼らは自分たちが生まれてきた時代が戦争という枠の中にあって、自分がそのための要員であるということを予想もせずに生きてきて、そして結局、戦争で死んでいきました。こうした人たちに対して私は、単に戦争で亡くなった人を追悼、慰霊するというのではなく、もっと考えなければならないことがあると思います。戦争の決断をする政治的、軍事的な上層部には、戦略や戦術面だけでなく、総合的にものを考え、できるだけ戦争を避けるべきだという、当たり前のことを考えてもらわなくてはならない。彼らの判断、命令一つで、その時代に生きた人たちが亡くなるわけですから、政治指導者も軍事指導者も、その重みを考えてもらわなくてはなりません。そして、それを考えることができる指導者を育てなければなりません。
そういう軍事指導者を持てないとするならば、それはその国の不幸としか言いようがない。私が太平洋戦争のときの軍事指導者に対して批判ないし、ある種の怒りを持つのは、彼らにそういった思いを感じないからです。その時代の、ある世代の人間の命を命令一つで奪ってしまうということの重みを、基本的な素養として身につけてほしい。そういう指導者が生まれてほしい。指導者はかくあらねばならないと思います。
(戦争までの歩みから、私たちが学ぶべき教訓)