あらすじ
小さな病院は命がけでコロナに立ち向った。感染症指定医療機関でコロナ禍の最前線に立ち続ける現役医師が自らの経験を克明に綴った記録小説。「対応が困難だから、患者を断りますか? 病棟が満床だから拒絶すべきですか? 残念ながら、現時点では当院以外に、コロナ患者を受け入れる準備が整っている病院はありません。筑摩野中央を除けば、この一帯にあるすべての病院が、コロナ患者と聞いただけで当院に送り込んでいるのが現実です。ここは、いくらでも代わりの病院がある大都市とは違うのです。当院が拒否すれば、患者に行き場はありません。それでも我々は拒否すべきだと思うのですか?」


ひと言
今年最初の一冊に読んだ夏川 草介さんの「レッドゾーン」が良かったので、読み終えてすぐ図書館に予約を入れました。現役医師の言葉なので、ひと言ひと言が重みがあり「コロナは、肺を壊すだけではなくて、心も壊すのでしょう」という言葉が印象的でした。

「敷島の病院もそうだろうが、うちも上層部には繰り返し危機感を伝えている。けれどもそれがなかなか切迫感を持って他の医療機関に伝わっていかない。だいたいコロナ診療ってのは、誰もが秘密にしたがる傾向を持っている。風評被害や近所からの嫌がらせを恐れて、個人も病院もやたらと秘匿したがる。こんな病気はこれまでなかった。おかげで俺たちでさえ、どこの病院にどの程度の患者がいるのかさえ把握できていない。その秘匿性が、この厄介な感染症への恐怖感まで見えにくくしているんじゃないかと思う」踏み込んだことを朝日は口にした。
(第一話 青空)

「ご家族に、内視鏡処置の結果を説明します。呼んでください」告げると、背後にいた看護師が慌てて処置室から駆け出して行こうとする。「急がなくていい」敷島は、柔らかな口調で呼び止めた。振り返る看護師に、敷島はゆっくりと言葉をつなぐ。「我々が慌てていては、家族も不安になる。いつもと同じように……いや、いつも以上に、落ち着いて呼び入れてください」穏やかなその口調に救われたように、看護師は大きくうなずき、一礼してから身を翻していた。
(第二話 凍てつく時)

「家から出ていないと言いましたが、店の方はどうしているんですか?」「年が明けてからは閉めてますよ。こんなご時世ですからな。客もめっきり減って、ろくに実入りがありません。しかし万が一、俺が客からコロナをもらって家に持ち帰ったら、おふくろはイチコロでしょう。俺も黙って家に閉じこもっているんですよ」軽い笑顔でそんなことを言う。山村の店は病院からほど近い通りにあり、敷島も足を運んだことがある。田舎町とはいえ、従業員ふたりを雇って繁盛していたはずであった。「きついですね」敷島が言えば、むしろ山村は驚いたような顔をする。「きついったって先生、実際患者さん診てる先生たちの方がずっときついでしょう。俺たちなんて、知れたもんですよ。パスタを食いにきてくれないからって、すぐ死ぬわけじゃあるまいし」さらりと爽やかな風が吹き抜けたような返答であった。敷島の方が戸惑ったくらいだ。”みんなが不満を言ってるわけではないと思うよ”そんな言葉を口にしたのは敷島自身である。格別の信念があって言った言葉ではない。ただ、きっとそうではないか、そうあってほしいという祈りにも似た思いがあっただけである。だが、少なくとも見当違いの空想ではなかったということだ。
この未曽有の大災害の中で、多くのひとが、静かに耐え続けている。テレビでは大声ばかりが行きかっているが、それがすべてではない。マスメディアは、舞台上で声を張り上げる人にスポットライトを当てることは得意だが、市井の沈黙を拾い上げる機能を持っていない。うつむいたまま地面を見つめ、歯を食いしばっている人の存在には気づいていない。声を上げない人々は、すぐそばに当たり前のようにいる。苦しい毎日に静かに向き合い、黙々と日々を積み上げている。「じゃあ先生、俺はおふくろと車内待機なんで」気軽に手を上げて、山村は背を向けた。歩き出しながら肩越しに、「先生もお大事にしてください」そんな言葉を投げかけていった。遠ざかる背中を、敷島は黙礼とともに見送る。駐車場の向こうに山村が見えなくなるまで、敷島はしばらく動かなかった。
(第二話 凍てつく時)

低い声の中に珍しく怒気がある。この老医師が怒りを見せるなど、いまだかつてどの医師も見たことがない。ゆっくりとうなずく三笠の前で、「コロナは、肺を壊すだけではなくて、心も壊すのでしょう」言ったのは春日である。「コロナと聞いただけで、誰もが心の落ち着きをなくし、軽薄な言動で人を傷つけるようになる」妻や子供から避けられている春日の言葉には、抑えきれない痛ましさがある。「不安に駆られた人々にとっては、感染者が実際にいるかどうかは関係がありません。ただいたずらに暴言を吐いて、他人を傷つけ、しかもあくまで自分が被害者面をする。当の本人たちは自分の心が病んでいることにさえ気づかないのですから、これほど厄介な話もないでしょう」
(第二話 凍てつく時)

 

 

あらすじ
異境の地で亡くなった人は一体どうなるのか―。国境を越えて遺体を故国へ送り届ける仕事が存在する。どんな姿でもいいから一目だけでも最後に会いたいと願う遺族に寄り添い、一刻も早く綺麗な遺体を送り届けたいと奔走する“国際霊柩送還士”。彼らを追い、愛する人を亡くすことの悲しみや、死のあり方を真正面から見つめる異色の感動作。

(第10回開高健ノンフィクション賞受賞作)

ひと言
図書館の映画・ドラマ化作品のコーナーで見つけて借りました。納棺師という尊い仕事を扱った映画やドラマ、書籍などは今まで触れてきたことがあるのですが国境を越えてご遺体を送り届ける国際霊柩送還士という仕事もあるんだと勉強になりました。映像化については米倉涼子さん主演でAmazon Prime Videoにて配信とのこと。私は契約していないので残念です…。



私たちも利恵さんと出会えたから、理沙のために、『ここまでやってあげられた』という満足する気持ちで、やっと先へ進めたんだと思います。利恵さんが説教じみた話をしたりしないことの意味が、今ならよくわかります。慰めたり同情したりするのってどこか上から目線でしょう? 同情する人たちは幸せなところにいて、かわいそうな人をそこから救ってあげたいという感じがする。でも、私たちは理沙と一緒にいたかったんです。どんなに苦しもうと、悲しもうと、理沙といつまでも一緒にいたかった。私たちにとって悲しむことは、ほとんど『 I love you 』と言っているのと同じでした。今にして思えば、私たちは悲しみたかったし苦しみたかった。そうしていれば理沙と一緒にいられたから。そして本当に今にして思えばですが、そこまで別れを悲しめるほど大好きな子と出会えて幸せだったんです。そんな私の横にずっと利恵さんはさりげなくいてくれて、肩を貸してくれました。泣きたい時は、我慢しないで泣いていいよ、って。
(遺族)

もし家族のひとりが異国で命を落としたら、遺体がどんな状態であってもかまわない、一部分であってもいい、戻ってきてほしいと願うだろう。まず間違いなく亡くなった人が異国で「さびしがっている」と思い、日本に「帰りたがっている」と感じるに違いない。要するに人々は、死後の世界などはないと口では言いながらも、亡くなった人の心は亡くなったあともまだ存在していると心のどこかで信じているのだ。理屈では明確に線引きできていたはずの生と死の境界線がゆらぐ。日頃漠然と考えている「死」などはただの抽象概念でしかない。具体的な死を前にすれば、頭で日頃思っていた「死」とかけ離れていることに気づくのだ。葬送とは、理屈では割り切れないこのような遺族の想いに応えるために存在しているのであり、エアハースをはじめとした世界中の国際霊柩送還の事業者は遺族の願いをかなえるために働いているのである。
(「国際霊柩送還」とはなにか)

改めて国際霊柩送還というものを考えてみると、不思議な行為だと思う。たとえ遺体の処置をしても、医療的な手術のように命を救うわけではないし、蘇生するわけでもない。腐りやすい遺体を遠い国から家族のところへ戻し、生きている時と同じ顔に修復してお別れをするのだ。なぜ次の日には骨にしてしまうというのにわざわざ合理的とは思えない行為をするのだろう。科学の発達した世の中だ。生命の失われた体をただのたんぱく質のかたまりだと済ませてしまうこともできるだろう。しかし我々はいくら科学が進歩しようとも、遺体に執着し続け、亡き人に対する想いを手放すことはない。その説明のつかない想いが、人間を人間たらしめる感情なのだと思う。私には、亡くなった人に愛着を抱く人間という生き物が悲しくも愛おしい。亡くなったのだからもうどこにもいない、と簡単に割り切れるほど、人は人をあきらめきれないのだ。
(忘れ去られるべき人)

なぜ戦争が繰り返されるのかと問われた山本が、インタビューで語ったという言葉が心に残る。「無関心というのが大きな罪のひとつではないでしょうか? 根っからの悪人はそれほどいないのに、戦争は起きてしまう。原因はいろいろありますが、戦争が起きる兆候は必ずあって未然に防ぐ手立てもあるはずです。でもそれを自分には関係ないと目をそらしてしまう。一度始まった戦争をやめることは難しいと知っているのに、私たちは未然に戦争を防ぐことを怠っているのです」(日経ウーマンオンライン)
(忘れ去られるべき人)

 

 

あらすじ
「朝五時。渋谷、宮益坂上」。 その9文字が、良井良助の人生を劇的に変えた。飛び込んだのは映像業界。物語と現実を繫げる魔法の世界にして、ありとあらゆる困難が押し寄せるシビアな現場。だがそこにいたのは、どんなトラブルも無理難題も、情熱×想像力で解決するプロフェッショナル達だった! 有川ひろが紡ぐ、底抜けにパワフルなお仕事小説。   


ひと言
有川さんと言えば自衛隊三部作「空の中・海の底・塩の街」。「空飛ぶ広報室」「植物図鑑」をもとに「県庁おもてなし課」のようなエッセンスで仕上げた有川さんらしい作品でとても楽しく読ませてもらいました。

「コーヒー切れてたぞ、作っとけ」コーヒーを作るのも制作の仕事だ。眠気覚ましに気分転換、熱いコーヒーは、特に冬場の撮影現場の必需品である。「それと平坂さんの差し入れもう出しとけ」平坂潤からも焼き菓子の差し入れが入っていた。「え、でもまだ他にたくさんありますよ」平坂潤の焼き菓子は個包装で日保ちがするので、生菓子や個包装になっていないお菓子を優先的に出していた。「平坂さんは今日は1シーンだけなんだよ。平坂さんがいる間に出せ」「あ、そっか」せっかく差し入れをしたのに、現場で出されないままだったら確かに残念な気持ちになるかもしれない。「平坂さん、そういうのうるさい人なんですか?」
「ちげーよ」佐々は呆れ顔で良井の頭をぺんとはたいた。殿浦といい佐々といい、よくはたく。「平坂さんは出来た人だからそんなこた気にしねーよ。でも、コールがかかって現場のスタッフが喜ぶとこ見たら、気分がアガるだろ。そういうことだよ。キャストやスタッフの気分アゲてくのが制作の仕事なんだよ。そのために細かい気遣い積み重ねてくんだ」ははー、と良井は大きく得心した。「深いっすね」「まあ、殿さんの受け売りだけどな」
(1.「天翔ける広報室」)

「ええと、要するに高校の先生と女生徒の恋愛物……?」「ちゃんと聞いてた!?植物を巡って生物の冴えない先生と女の子が親しくなるんだってば!『雑草という草はない。草にはすべて名前がある』って言葉がきっかけでね……」「牧野富太郎だな」口を挟んだ殿浦に、幸が「えっ」と言葉を止めた。「昭和天皇のお言葉だって本には……」「元々は牧野富太郎だったと思うぞ。それを昭和天皇が引用されて臣下を諌めたって話だったんじゃねえか? ま、陛下に影響を与えた学者の研究姿勢もすごけりや、市井(しせい)の学者に学べる陛下もすごいってだけの話だ」殿浦の歴史雑学は広い年代に及ぶらしい。
(4.「みちくさ日記」)

そこへ、広報官が険しい顔で戻ってきた。これはやはり、とスタッフ一同は固唾を呑んだが、「役者さんはばらしましたか」広報官は真っ先にそれを尋ねた。「まだです」と殿浦が答える。「ばらすのはしばらく待ってください。粘ります」それだけ告げて、広報官は再び早足に立ち去った。期待していいのか、悪いのか。量りかねた沈黙がその場の空気を支配した。待ち時間の見えない待ちが始まった。三時間が無為に過ぎ去った。ぽつぽつ零れてくる事情を拾うと、やはり百里基地としては撮影の中止を主張しているという。空幕広報室がそこを押し引きしているらしい。「延期か撮影許可取り消しか、はっきりしてほしいな」誰かが重圧に耐えかねたように呟いた。気分としては判決を待っている被告である。「良くて延期だろ? もうばらしていいんじゃ……じき夕方になるぜ」いくら雨とはいえ、昼と夜では明るさが違う。照明でごまかすにも限度がある。「速水先生に夜になった場合の代替案も考えてもらえば……」バカ、というツッコミがよそから入ってよかった。下っ端ながら、良井でも突っ込んでしまうところだった。原作者がお蔵入りを惜しまず改稿してくれるのは奇跡だが、現場が奇跡を頼るのは論外だ。「……できれば、今日、撮りたいね」幸が小さな声で呟いた。「雨の出動、すごくよかった……」延期になったら天気を敢えて雨に合わせることにはならない。あの場面がお蔵入りになるのは惜しいと、そこへ広報官が駆け込んできた。スタッフたちが一斉に取り囲む。「再開できます!」空気が一気に熱を帯びた。「ただしイントレの高さは半分に抑えてください! 養生も厳重に!」その程度の条件は全く問題にならない。撮影班が合羽を羽織りながら外へ飛び出していく。「知らせてきます」亘理がそう言い残して立ち去った。代替案を打ち合わせ中の速水隆太郎やPたちにだろう。「よくもまあ……」呟いた殿浦に、若い広報官は晴れやかに笑った。「荒木一佐が幕長に掛け合いまして。今、空幕総務課長ですので……超特急でスタンスペーパーを通したそうです」懐かしい名前として思い出せるのは、幸以外の殿浦イマジンのメンバーだ。『天翔け』のときの広報室長である。「荒木一佐が絶対に中止させるなと。航空自衛隊は『天翔ける広報室』で百年の財産をもらった、その恩義を必ず返せ、と」良井の足元から脳天まで、鳥肌が貫いた。歓喜。感激。そのような。あの日、確かに荒木はそう言った。打ち上げのスピーチの席で。―― 隊を理解してもらうための百年の財産をもらった、と。「正直、殿浦イマジンさんと平坂潤さんがいなかったら、ここまで粘れなかったと思います」あの日、全力を尽くした結果が、今日を救う。「恩に着ます……!」殿浦が最敬礼の角度に頭を下げた。佐々と良井、そして状況を察した幸も。「『TOKYO』もいい作品にしてください」「必ず!」救われた今日に尽くすことが、いつかの明日をまた救う。自分たちの仕事は、そういう仕事なのだ。
(5.「TOKYOの一番長い日」)

「おかげさまで試写会の評判も大変よく、私も平坂さん同様、大ヒットを信じてやみません!原作の、ねぇ……」てかてかの笑顔が、含みのある笑いになった。「速水先生、なかなか難しい方で。今日もご欠席なんですけども、まあなかなか大変な方でした。何とかハンドリングできた自分を誉めたい!なーんてね」―― こめかみの真横で、線が切れた。「ふっ……ざけんなよ!」一斉の注目。その集まった眼差しで、怒号が自分の喉から飛び出たことを遅れて知った。止めろ。止めてたまるか。理性と怒りが真っ向組み合い、もつれ合う。―― 奇跡を一番間近で見た者として。神様のごほうびという肉筆を真っ先に見たスタッフとして。
欠席した速水隆太郎を嘲弄するような花束係の顔も声も看過できない。おい、と亘理が止めようとしたが、その制止が逆に箍(たが)を外した。「あんたのせいだろっ! あんたの……!」どうなってもかまうか。問題になったって辞めれば済む。あんな奇跡をこんなふうに侮蔑する映像業界になんか、罪状を並べ立ててやろうとしたとき、「リョースケくぅ ――――――――――――ん!」脳天からすっぽ抜けるようなお気楽な声が会場の帯電した空気を割った。「なーに熱血してんのーお!? 楽しくやろうよーぉ!」千鳥足で良井にしなだれかかってきたのは、―― 幸だった。後ろのほうに、強ばった顔の殿浦と佐々が見える。珍しく二人とも血の気が引いている。幸はキャハハハハと引っくり返ったような甲高い笑い声を立てている。「ほらぁ、お酒おいしいよぉー! 飲まなきや損、損!」幸は良井にしなだれかかってまとわりつき、両腕が良井の首に回った。そして、そのまま顔が来た。会場がどよめく。幸がくらげのようにぐにゃぐにゃのまま、良井にディープキスを食らわせた。会場が息を詰めて待つ ―― ほどに、長く、深かった。「……おぉーっと、これはとんだハプニングだあー!」司会の男性APが実況を入れた。現場で奮闘していた若手APだった。「長い、こーれは長い! 青年、窒息か!? 酔っ払い女子の息は長――い! 続く、続く、まだ
続く! タオルはまだかー!」どっと会場が沸いた。―― 今日、初めての、爆笑だった。「アホか、貴様ら!」良井の後頭部をどやしつけたのは殿浦である。「こんなところでナニおっぱじめるつもりだ!?」殿浦節にまた爆笑。佐々と亘理が二人がかりで若造二人を抱え込み、出口に向かって引きずる。そのドタバタで唇は離れた。「すみませんねぇ、どうも! うちの若いのはいろいろ我慢が利かなくて!」殿浦が笑いにまぎらわせる声は、会場の外で漏れ聞いた。建物の外まで引きずり出され、佐々に路上に突っ転ばされた。「頭冷やせ! 全員悔しいんだ!」佐々はそのまま会場内に戻り、亘理も「さっちゃんに感謝しろよ」と佐々の後を追った。くらげのようにぐにゃぐにゃだった幸は、細いヒールで仁王立ちしていた。酔いの気配は微塵もない。怒った顔もきれいだなと思いながら見上げ、のろのろ立ち上がる。「芝居、上手ですね。女優さんでも行けるんじゃないですか?」割りと、お世辞でなく。「ふざけないで!」ふざけてないんだけどなぁ、などと言ったらもっと怒られそうだ。「どうするつもりだったの!?みんな我慢してるのにぶち壊すところだったんだよ!?」「でも、俺……」許せなくて、と呟きをこぼしきらないうちに叱咤が飛んできた。「みんな許せないの! みんな! 助けてくれたAPさんも! でもキャストはねぎらわなきゃでしよ!?打ち上げくらい無事に済まなきや報われないでしょ!?」――そこまで頭が回っていなかった。まだまだイマジンが足りない。きっと今日の打ち上げのハイライトは、幸のディープキスだ。騒ぎを上書きして余りある爆笑。さすがのイマジンだ。「それに……」幸の唇が震えた。「花束係に目ェつけられたらどうすんの!? あれでも東都の出世頭なんだよ!」ああ。だからいつものようにイーくんじゃなくて、名前で呼んだのか。苗字を印象に残さないように。深慮遠謀に頭が下がる。頭が下がりながら、言い訳のように口走る。「……会社に迷惑かかったら辞めたらいいやって……」ぱん、と平手が頬の上に小さく弾けた。うそつき、と涙混じりの声がなじる。「支えてくれるって言ったじゃない」胸がズギュンと撃ち抜かれた。――『みちくさ日記』の現場だった。わたし、いつか、沖田先生の原作でメガホン取りたい。そのときは、イーくんが支えて。自分は、はいと答えたのだった。ごめんなさい、と呟き、幸が頷く。「どうしよう、俺……」なに、と怒ったように答える幸に、つるりとこぼれた。「恋に落ちました」幸の顔が夜目にも赤くなる。「は!? なに……何言って、」「嘘です」「はい!?」「もっと前からです」幸が言葉を失い、頬は爆発寸前にどす赤い。やがて、「バ――――――――――カ!」とロングブレスのバカが来た。「後先考えずに辞めたらいいやなんて言う奴、付き合ってなんかやらないわよ!」「や、もう言いません。誓います」「軽い、信用できない!」「信用は前借りでお願いします」「ふざけてんの!?」「ふざけてません、利息は低めでお願いします」幸はロングブレスで「バ―――――カ!」を何度も繰り返した。
(5.「TOKYOの一番長い日」)

 

 

今日は定例の大垣への水汲み。その途中前から行きたかった「ガチブタ」で昼食です。20分ぐらい並びガチブタラーメン特製(1200円)をいただきます。すごい分量で、「ランチは小ライスが無料で付きますがどうされますか?」と聞かれましたが「いりません」と答えて正解。女房と一緒でしたが、女の人が食べる量ではありませんのでご注意を。まずスープを一口、とても濃厚な豚骨スープですがとてもおいしい♪。チャーシューも柔らかくてジューシーでとてもおいしいです。チャーシューの下に結構な量のキャベツが隠れていましたが、これはもう少し量の少ないもやしぐらいの方がいいかも。お店の奥の方に根尾川で拾った石に本当に豚の姿が描かれていました。豚骨を十分堪能しましたというようなとてもおいしい一杯でした。ごちそうさまでした♪。

 

 

ガチブタ (我一豚)

大垣市中川町1

 

ココイチのカレーパンを買った後向かったのは、名鉄のB1食品催事場に来てくれている「ロバのパン」。岐阜にお店があるのは知っていたのですが、懐かしいロバのパンが名古屋に来てくれているのだから、買うっきゃないでしょ。ほんとうに小さい子どもの頃なのでどんなパンだったか全く覚えていませんが、唯々なつかしい……。レンジで30秒ほど温めていただきました、もちろんどんなパンだったのかも覚えていないのだから、味もなつかしいとは思えませんでしたが、いろいろな感情や思い出が沸き上がってきて、とてもおいしくいただきました。ありがとう♪ほんとうに久しぶりにいただきました。ごちそうさまでした♪。

 

 

ロバのパン工房

各務原市那加住吉町2

 

今日のお昼は2週間ほど前に名駅のサンロードにオープンしたCoCo壱番屋のベーカリー「SPICE UP!COCOICHI BAKERY」の各種カレーパンです。一番人気の特製!COCOICHIポークカレーパン(291円)スパイスクロワッサン(216円)スパイストマトカレーミートパイ(367円)選べる辛さ「スタンダード」(194円)を購入。先ず一番人気のポークカレーパンをいただきます。うまい!!今までも賞を取ったカレーパンをたくさん食べてきましたが、これは……。カレーパングランプリに選ばれるようなおいしさです。次はミートパイ。トマトカレーミートパイと謳うだけありトマトがとてもいい味を出しています。カレー味のクロワッサンという今までなかったこのパンも絶妙なおいしさ。選べる辛さのカレーパンもココイチのカレーを詰めたのだから言うまでもなくおいしい♪。以前にもココイチのサンロード店ではカレーパンが買えましたが、明らかに進歩した味です。久しぶりに感動させてくれたおいしさでした。ごちそうさまでした♪。

 

スパイスアップ!ココイチ ベーカリー

名古屋市中村区名駅4 名駅地下街サンロード

 

 

鉄板ナポリタンを食べた後、久しぶりにアズパーク千音寺へ買い物に付き合います。昨年四月にオープンした「コメダの大判焼き 大餡吉日」で小倉あん、白あん(各100円)を購入。大判焼きと言えば「御座候」ですが、御座候より5円高く、甘みは控えめな大判焼きです。甘さ控えめな方がいい人はこちらの方がいいかも。ただ皮は少し厚めで御座候の方がトータル的には上かも。ただコメダの大判焼きは全国でここしかなく一度味わってみるのもいいかも。ごちそうさまでした。

 

コメダの大判焼き 大餡吉日 アズパーク千音寺店

名古屋市中川区新家 アズパーク内

 

 

今日は前から行きたかった地元で評判の「町カフェ」へお昼を食べに行きました。町カフェ名物の鉄板ナポリタン(1080円)をいただきます。鉄板からあふれるほどのとき卵がとてもフワフワでとても美味しいです♪。ごちそうさまでした♪。

 

町カフェ

愛知県あま市花長六反田

 

あらすじ
お父ちゃんはお医者さんなのに、コロナの人、助けてあげなくていいの?コロナ禍の最前線に立つ現役医師(作家)が、自らの経験をもとに綴った、勇気の記録!病む人がいるなら我々は断るべきではない。


ひと言
コロナが私たちの生活を大きく変えてしまって、もうすぐ3年になる。この本は「神様のカルテ」の、医師 夏川 草介さんの本ということで、昨年を締めくくる最後の本にしようと思って読みだしたのだが、年を越してしまい、今年の最初の一冊となってしまった。昨年、自分の娘たちや親戚たち、職場の人たちも相次いでコロナになり、いつ自分が罹ってもおかしくないくらい身近な出来事になってしまったコロナ。感染者や死亡者数は第8波となった今でも驚くほど多いが、私たちはコロナ禍に負けることなく、コロナ以前の生活に少しでも戻そうと頑張っている。この本を読んでそれを支えてくれている医療従事者、エッセンシャルワーカーに改めて感謝したいと思います。心の底からみんなが笑顔になれる日が一日でも早く訪れますように!

家族を犠牲にして良いとは思わない。言うまでもなく、家族を守ることも日進の務めである。けれども、コロナは診ないと声を上げることが、今の日進はどうしても難しい場所にいる。地位、年齢、環境、そして三笠や敷島の存在。ひとつひとつを挙げれば、小さな問題かもしれない。けれども、ひとつひとつを合わせたものが、日進の人生というものである。それらをすべて投げ出して、家族は守ったぞと胸を張っている姿は、どう考えても自分とは思えない。倒れるまで脳外科医として働き続けた父が、そうでない姿を想像できないように。
人生というものは断片だけを取り上げて、あれこれ論じることのできないものだと日進は思っている。山があり、谷があり、幸と不幸が順々にめぐってくる。山をけずり谷を埋めて、真っ直ぐな道を敷き詰めたところで、そこを歩く人生が愉快かと問われれば、怠惰な日進でさえ、否と笑って首を振る。人が生きるということは、そういうことではないだろう。
(第一話 レッドゾーン)

”私、入院ですか?”ぽつりと、独り言のような声が応じた。千歳はゆっくりとうなずく。「もちろんです。重症でなくても、コロナに感染している以上、隔離の上、入院です」”なにも症状がないんですけど……”「コロナについては症状がなくても入院です。隔離解除になるには二回連続PCRの陰性を確認しないといけませんから、少なくとも二週間程度は病院から出られません」……。……。

千歳が説明を途切れさせたのは、予想しなかった事態が生じたからだ。画面の向こうで、木島がぼろぼろと涙をこぼし始めたからである。うつむき加減のまま、目元から見間違いようもなく涙があふれて頬を伝わっていた。あっけに取られている千歳の前で、木島が震える声で続けた。”私、入院させてもらえるんですか……?”言葉のニュアンスが少しだけ変わって聞こえた。「そのつもりですが……」慌てて千歳は続ける。「なにか問題が?」木島は大きく首を左右に振って答えた。。帰国したとき空港で、こんな時期に海外から帰って来るなんて非常識だって言っている人がいたんです……”こぼれる涙をぬぐいもせずに木島が涙目を向けた。”家に帰って来て、熱が出て診療所に電話したら、うちには絶対に近づくなって言われました。やっと検査してもらってコロナ陽性がわかったら、保健所からは、タクシーとかバスとかに絶対に乗っちやいけない、人が死にますって。友達に伝えたら、こんなときに旅行したあんたが悪いって……どこに行っても、私の居場所なんてないと思っていました……”あふれる涙より多くの言葉がこぼれ落ちてくる。”私、入院させてもらえるんですね……”千歳は戸惑いを押し隠して、ゆっくりとうなずいた。木島は、わずかに肩を震わせてから、両手で顔をおおった。画面の横から白い防護服の手がのびてきたのは、そばについていた看護師のものであろう。慌てて背中をさする看護師の手の中で、木島は涙声で告げた。”ごめんなさい……”意外な言葉が聞こえた。”ごめんなさい……本当に……ごめんなさい……。こんなときに海外旅行なんて、行っちゃだめだったんです。一年も前から計画をたてて、ようやく実現できたから、ちょっとくらい大丈夫だって思って旅行に行って、病気になって帰ってきて……いろんな人に迷惑かけて……”ごめんなさいの言葉がまた数回繰り返された。
(第二話 パンデミック)

「我々がクルーズ船の患者を受け入れてからすでに二か月。南郷院長は地域の様々な会議に出席して、コロナ診療への協力を要請してきましたが、地域の動きは驚くほど鈍重です。『役割分担』という名のもとに、極力コロナ診療に近づかないというのが、ほとんどの病院の基本方針に見えます。この状況で急にベッドを要請して確保できると考えるほど楽観的ではありません。それを見越して、保健所からは、当院の感染症病床の増床が提案されています」すっと、会議室の気温が下がったように感じられた。「現在の六床から十六床への増床です」さらに気温が下がり、凍りつくような印象さえあった。「十六……」思わず敷島はつぶやいていた。「まさかその数字をそのまま受け入れるつもりではありませんよね」千歳の冷静な声が響いた。冷静なはずの声に、険しさがくわわっていた。「わずか六床の感染症病床を維持するだけでどれほど危険で膨大な業務が発生するかは、先生もご存知のはずです。内科外科が総力戦をやってなんとか支えている現状で、十六というのは正気とは思えません」「その正気とは思えないような要求を、当たり前のように突き付けてくるほど、コロナ診療の内外で認識がずれているのです」三笠の声がかすかに上ずって聞こえた。一瞬垣間見えた苛立ちを、しかし三笠はゆっくりとため息で押し流した。「いわば『沈黙の壁』があるのです」
聞き慣れない言葉が漏れた。「沈黙の壁?」「コロナ診療は、きわめて秘匿性の高い特殊な診療現場です。患者のプライバシーを守ること、そして病院の風評被害を避けるために、患者の入院場所や、病状、治療内容や経過など、ほとんどの情報が非公開になっています。この沈黙の壁のために、外の医療機関からは、コロナ診療の実態がまったく見えないのです。これほど重大な事態が広がっているというのに、コロナにかかわっていない医療者たちの感覚は、テレビを見て怯えている一般人と同じレベルでしかない。怖い怖いと騒ぎながら、自分たちが実際にコロナ患者に出会うかもしれないということを、まったく想像できないでいるのです」
(第三話 ロックダウン)

「もう十一時だ。仕事が落ち着いたら、また遊べるようになるから」うん、とうなずいた桐子は、しかしふいに語を継いだ。「お父ちゃんはお医者でしよ。コロナの人、治してあげなくていいの?」意外な問いであった。戸惑う敷島に桐子は続ける。「お父ちゃん、困ってる人がいたら助けてあげなさいっていつも桐子に言ってるでしよ。お医者なのに、コロナの人、助けてあげなくていいの?」胸の奥をとんと衝かれるような問いであった。思わず言葉を失って、敷島は娘を見返していた。桐子の目はまっすぐに見返している。まだ小学生だと思っていたその目は、しかしはっきりとした意志を持って、敷島の心の奥底まで見つめるようであった。責めるような鋭さはない。ただ、安易な嘘やごまかしは通用しないということがわかる目だ。敷島はしばし沈黙していたが、やがてゆっくりと桐子を床に下ろして、自分もそこに膝をついた。そのままの姿勢で、なおも少し考えてから、我が子に目線を合わせる。「桐子は秘密が守れる子だよな?」背後で美希が身じろぎする気配があったが、敷島は桐子から視線を動かさない。桐子は、落ち着いた様子で大きくうなずいた。「じゃあ、秘密を教えてあげよう。お父ちゃんは今日もコロナの患者さんを治療してきたばかりだ」桐子の目が真ん丸に見開かれた。「怖いか?」桐子はすぐに首を左右に振る。敷島は少しだけ笑って、「お父ちゃんは少し怖い」「怖いの?」「怖いけど大丈夫。困っている人がいたら、ちゃんと助けてあげないといけないから」桐子は今度は大きくうなずいた。「だから帰りがどうしても遅くなるんだ。これからもしばらく続く」「桐子は大丈夫だよ」力強い返事であった。「空汰とも遊んであげてくれるか?」「うん、でも空汰には秘密にしとく」「そうだな。頼むよ」「うん」怖い話を聞いたはずなのに、桐子は安心したように大きくうなずいた。それから美希のもとに駆け寄り、その手を引いて寝室に戻って行った。これで良かったのか……。一瞬そんな思いがよぎったとたん、桐子が廊下で振り返った。「お父ちゃん、がんばってね」迷いのない澄んだ声が響いた。敷島は、ゆっくりとうなずいていた。困惑顔で寄り添っている美希にもうなずき返し、寝室の戸が閉まるのを見送った。二人の姿が見えなくなったあとも、敷島はしばしその場で立ち尽くしていた。
(第三話 ロックダウン)

「リウーという医師を知っていますか?」ずいぷんと唐突な言葉がこぼれ出ていた。敷島自身にも自覚はあったが、それが、伝えるための一歩であった。千歳も日進も、怪訝な顔で振り返っていた。「ベルナール・リウー。カミュの『ペスト』に出てくる医師の名前です」『ペスト』は、医師であれば一度は読んだことのある物語であろう。平穏な一都市に、突然恐るべき感染症であるペストが襲来する。多くの人が事態の深刻さを理解するより早く、この恐るべき感染症は町全体をおおい、次々と命をのみ込んでいく。町の人々を根こそぎ薙ぎ倒すように広がっていくペストのために、都市は恐慌状態に陥るが、そのパニックの中で、医師リウーは黙々と患者のもとに足を運ぶことになる。「リウーは特別な力をもった人物ではありません。平凡な市井の一内科医です。しかし彼は、治療法がないにもかかわらず、そして命の危険があるにもかかわらず、ベストにかかった患者のもとに、淡々と足を運びます」「だから我々も診療を続けるべきだ、という論法だとすれば、説得力があるとは言い難いな」口を開いたのは富士である。白い眉の下で、糸のように細い目が光っていた。
「『ベスト』が優れた作品であるのは、感染症と戦った人々の勇気や行動力を讃えたからではない。人間の勇気や行動力など、なんの役にも立たない不条理で理不尽な世界を描いたからだよ」寡黙な長老が珍しく、多くを語っていた。「実際あの物語では、命がけで戦った医師は、多くのものを失うばかりで、何も報われることはない」「確かにそうかもしれません」敷島はゆっくりとうなずいた。「けれども世界がどれほど理不尽でも、人間まで理不尽ではありません。現に、リウーは病人のもとに足を運び続けたのですから」「それが医師のつとめだというのが、先生の哲学かね?」富士の冷ややかな問いに、敷島は首を振って答えた。
「医師のつとめではありません。人間のつとめだと思うのです」老医師の細い目が、かすかに見開かれた。千歳も、日進ですらも、黙って耳を傾けていた。「病気で苦しむ人々がいたとき、我々が手を差し伸べるのは、医師だからではありません。人間だからです。もちろん医師であればできることは多いでしょう。けれども治療法のない感染症が相手となれば、医学は役に立ちません。だからこそリウーは言ったのです。『これは誠実さの問題なのだ』と」それがペストの町に踏みとどまった医師の答えであった。様々な問いを投げかける知己に、リウーが与えた答えであった。彼は続けて言う。『こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということなのです』本当に不思議な言葉だと、敷島も思う。けれども死臭のただよう診察室で、穏やかにそう告げた医師の姿を、敷島はまるで実際にその目で見たかのように脳裏に描き出すことができる。そして、そんなリウーの姿に通じるものを、三笠の言葉の中に感じ取るのである。「致死率の高い危険な感染症を、専門家でもない我々が受け入れることは、危険なだけでなく、愚かなことかもしれません。もしかしたら、何年かたってこのパンデミックを振り返ったとき、多くの専門家たちが我々の行動を、無責任で、無謀で、未熟なヒロイズムだとあざ笑う日が来るかもしれません。けれども日本中の医師たちが、この『正しい理屈』にそって行動したなら、誰が今、病んで苦しんでいるコロナの患者さんを診るのですか」肺炎が治ったあとも、何日も隔離されたまま黙ってPCR検査を受け続けていた江田富江が思い出された。海外旅行で感染し、過酷な環境に追い込まれ、外来で泣いていた患者もいた。「助けてくださいよ」と必死の形相で大庭が訴えていたのは、ほんの二週間前のことだ。敷島は少しだけ言葉を切ってから、静かに続けた。「我々は踏みとどまるべきだと思います。なぜかと問われれば答えます。医師だからではありません。人間だからです」心の奥底で、桐子のそんな声が重なって聞こえた。―― 困っている人がいれば手を差し伸べなさい。それは、敷島がいつも桐子と空汰に告げている言葉だ。医師の心構えを教えているわけではない。当たり前の、人としてのあり方を教えてきたつもりであった。当たり前のその事柄が、しかしコロナという異常な世界の中で、いつのまにか当たり前でなくなっていた。そのことを気づかせてくれたのが桐子であった。―― 治してあげなくていいの?桐子のまっすぐな声が胸の奥に響く。いいわけがない。病んでいる人がいるというのに、受け入れる先がない。そんな状況を見過ごしていいわけがない。「十六床、いってみませんか?」敷島の落ち着いた声が響いた。声が消えていったあとも、しばし返事はなかった。誰も動かなかった。
(第三話 ロックダウン)

白髪の内科医が、穏やかな微笑を浮かべていた。「ペストの話には驚きましたよ。いまどき、人を説得するのに文学を持ち出してくるなんて、先生らしい」「私はただ先生の言葉を言い換えただけだと思います」敷島は少し言葉を切ってから、また続ける。「この未曽有の感染症の中で、私はなにが正しい選択なのか、まったく答えを見つけられずにいます。行く当てのない患者を拒否したくはありませんが、すべてを受け入れるべきかといえば、そんな単純な問題でもない。しかし少なくとも先生は、きっといつでも町に残ることを選ぶのでしょう。相手がペストでもコロナでも」「私はね、敷島先生」三笠はまぶしげに桜を眺めつつ、語を継いだ。「あまり立派なことを考えて行動しているわけではありません。使命感とか責任感とかもそれほど意識しているわけではありません。ただ私は、ペストが蔓延したときに、医師も牧師もみんな町から逃げ出してしまっては、あまりに美しくないと思っているだけなのです」三笠が浮かべた微笑は明るいものであった。そして美しいものであった。そういうことなのだ、と敷島は改めて思う。言葉を並べれば大仰になってしまう。
人によって立場や哲学が異なる以上、何が正しいかと問えば、答えはばらばらになってしまう。けれども何が美しいかと問えば、存外に人の意見は分かれない。多くの人が桜を愛するのは、桜が正しいからではない。美しいからであろう。そして、病者のためにペストの町に踏みとどまる者が幾人かでもいたならば、それもまた美しい景色ではないかと思うのである。再び風が舞い、桜の花が舞っていく向こうから、かすかに救急車の音が聞こえてきた。
(第三話 ロックダウン)

 

あらすじ
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風に生きている」一九七〇年の夏、海辺の街に帰省した“僕”は、友人の“鼠”とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、“僕”の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。村上春樹のデビュー作にして「初期三部作」第一作。


ひと言
今年最後の一冊は久しぶりの村上 春樹。個人的には「海辺のカフカ」「1Q84」辺りは好きだったが、最近は……。この本は、まだ読んだことがなくて読んでみようと借りました。村上春樹といえばメタファー(暗喩)で、読者が勝手に無限に解釈を広げていくから人気なのだと思いますが、初期はまだメタファーは少ないけれどさすが村上春樹。面白い表現をするものだなと感心しました。

僕は以前、人間の存在理由(レーゾン・デートゥル)をテーマにした短かい小説を書こうとしたことがある。結局小説は完成しなかったのだけれど、その間じゅう僕は人間のレーゾン・デートゥルについて考え続け、おかげで奇妙な性癖にとりつかれることになった。全ての物事を数値に置き換えずにはいられないという癖である。約8ヵ月間、僕はその衝動に追いまわされた。僕は電車に乗るとまず最初に乗客の数をかぞえ、階段の数を全てかぞえ、暇さえあれば脈を測った。当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる。その時期、僕はそんな風に全てを数値に置き換えることによって他人に何かを伝えられるかもしれないと真剣に考えていた。そして他人に伝える何かがある限り僕は確実に存在しているはずだと。しかし当然のことながら、僕の吸った煙草の本数や上った階段の数や僕のペニスのサイズに対して誰ひとりとして興味など持ちはしない。そして僕は自分のレーゾン・デートゥルを見失ない、ひとりぼっちになった。
(23)

「あなたに訊ねようと思ってたことがあるの。いいかしら?」「どうぞ。」「何故人は死ぬの?」「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。もちろん、これはひとつの説にすぎないけどね。」「今でも進化してるの?」「少しずつね。」「何故進化するの?」「それにもいろんな意見がある。ただ確実なことは宇宙自体が進化してるってことなんだ。そこに何らかの方向性や意志が介在してるかどうかってことは別にしても宇宙は進化してるし、結局のところ僕たちはその一部にすぎないんだ。」僕はウィスキー・グラスを置いて煙草に火を点けた。「そのエネルギーが何処から来ているのかは誰にもわからない。」「そう?」「そう。」彼女はダラスの氷を指先でくるくると回しながら白いテープル・クロスをじっと眺めていた。
(35)

夏の香りを感じたのは久し振りだった。潮の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮の風、淡い希望、そして夏の夢 ……。しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかしとり返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。
(35)

私の病気は脊椎の神経の病気なのだそうです。ひどく厄介な病気なのですが、もちろん回復の可能性はあります。3%ばかりだけど……。これはお医者様(素敵な人です)が教えてくれた同じような病気の回復例の数字です。彼の説によると、この数字は新人投手がジャイアンツを相手にノーヒッ卜・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度のものなのだそうです。
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