12月22日 今日は二十四節気の中でも特別な日である冬至。岐阜は雪が降るとの天気予報でしたが、お天気にも恵まれ この日にお参りしようと決めていた西国第33番満願霊場 谷汲山華厳寺へ。
先達として前にお参りしたのは、2017年5月21日。途中コロナ禍もあり、実に6年7か月ぶりの谷汲さんです。東海環状道で大野神戸ICまで高速に乗ります。途中雪を頂いた伊吹山がとてもきれいに見えました。
途中 道の駅 パレットピアおおのに立ち寄ります。先にお土産にお正月にいただく「龍の瞳」を購入します。評判のお米なのでお正月にいただくのが楽しみです。
無事にお参りを済ませ、先達として2巡目を終えたので納経所で中先達の申請用紙をいただきます。
精進落としの鯉に触れ、今回の巡礼は終わりです。前回からじつに7年弱もうすぐ63歳になりますが、観音様に守られ こうして健康で満願霊場にお参りできることに唯々感謝です。そして精進落としの鯉に また何年か後 再びお参りさせていただきますと固く誓いました。
この谷汲で満願を迎えた巡礼者の楽しみである富岡屋さんの満願そばをいただきます。このそばはいろいろな想いが詰まっているせいか、とてもおいしくて毎回涙が出そうになります。またいつか必ずこのそばを食べに来させてもらいます。ごちそうさまでした♪。
今年は野球WBCの世界一に始まり、阪神タイガースの38年ぶりの日本一、もうないかもしれないと思っていた浜田省吾の7年ぶりのコンサート 名古屋大阪と抽選に外れ2次募集で横浜アリーナでのコンサートに行けたこと、ずっと昔から死ぬまでに絶対行きたいと思っていた鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れることができたこと。そして今日、約7年ぶりに3度目の西国三十三所巡礼の満願を迎えることができたこと。
健康に過ごすことができ、こうしてすばらしい出来事に出会えたことに唯々感謝です。来年も感謝の気持ちを忘れることなく、一日一日を過ごすことができればと思っています。ありがとうございました。
今日は仕事帰り、名駅で名鉄を降り、150円のJRの入場券を買って1番線の「人類みな麺類」へ晩飯を食べに寄りました。このお店は11月中旬から名駅のホームに出店してくれている大阪の超有名店です。一番人気のらーめん原点 厚切りチャーシュー(1200円)をいただきます。今まで見たことのない厚切りチャーシューで、超ホロホロのチャーシューで、これはクドイかなと思いましたがとてもあっさりとしていて女の人でも美味しく食べられるチャーシューです。スープも麺もとても美味しく、食べログ3.77(大阪西中島南方店)ラーメン OSAKA 百名店 2023に選ばれるだけのことはあるラーメンです。入場料がかかりますが、また食べに行きたくなるような美味しいラーメンでした。6か月の期間限定店ということですが、名古屋にも常設店をお願いします。ごちそうさまでした♪♪。
名古屋市中村区名駅1 JR名古屋駅1番線
名駅の広小路うまいもん通り、成城石井の奥のJR改札横に12月8日オープンした「TRUFFLE mini」。今日 女房が約40分並んで買ってきてくれました。一番人気の白トリュフの塩パン(248円)、餡生ドーナツ(380円)と生ドーナツ(356円)を買ってきてくれました。多くの人がトリュフの香りがとても良いという感想を書かれていますが、鼻が悪いのか、トリュフの香りというものがよくわかっていないのか、そこまでいい香りだとは思いませんでした、ただ味はとてもよく、自分としては生ドーナツの方が後味がとてもよく美味しかったです。他にも美味しそうなパンがあるので、もう少し行列が少なくなったらまた伺ってみたいです。ごちそうさまでした♪。
名古屋市中村区名駅1 名古屋うまいもん通り広小路口
あらすじ
「明日が怖いものではなく楽しみになったのは、あの日からだよ」今でもふと思う。あの数年はなんだったのだろうかと。不自由で息苦しかった毎日。家で過ごすことが最善だとされていたあの期間。多くの人から当たり前にあるはずのものを奪っていったであろう時代。それでも、あの日々が連れてきてくれたもの、与えてくれたものが確かにあった。
ひと言
3年以上にも及ぶコロナ禍からの出口が少しずつ見えてきた今日。この3年を無駄にすることのない、明日につながるこういう作品がこれからもっともっと増えてくることを心から祈っています。著者よりと書かれた文章を以下に引用します。
何かと制限され思いどおりに過ごせない毎日を、大人も子どもも、誰しもが困難を抱えながら進んできたと思います。そして、これから、また違う日々に向かわないといけない中で、ほんの少しでも明るいものを差し出せる物語になれれば。そう思っています。
二回目の登校日。算数の授業中、先生の説明をぼんやりと聞きながら机の中でがさがさになった手をさすっていると、何かが指先に当たった。紙だ。一センチ四方くらいに折られた紙。なんだろう。先生に見つからないようにそっと取り出して開けてみると、そこには、
音楽とか体育とかすればいいのに。学校来てもつまんないな
と小さな字で書かれていた。手紙だ。きっと、分散登校の違うグループの誰かが書いたのだ。私と違う曜日に、この席に座るこのクラスの誰か。手紙とはいえ、教室の中での、最初の会話。三年生になって、友達とマスク越しのあいさつ以外の言葉を交わすのは初めてだ。私の中に大きな気持ちが押し寄せてくる。ああ、こうやって話せるんだ。同じクラスの同じ年の友達と。誰かの手を通して書かれた生の言葉を、私は受け取ったんだ。短いメッセージに、驚くくらい心が弾む。先生は黒板にひたすら問題を書いている。今なら大丈夫。私はノートを小さく破って、メッセ ージを書いた。
休み時間がほしい! トイレに行くだけじゃなく運動場に行けるやつ
名前を記そうかと思ったけど、見つかって叱られるのも嫌だし、相手も名前を書いていなかったからやめておいた。休み時間に運動場に行きたい。それを書いただけで叱られるかもと不安になるなんて、どこかおかしいよな。と少し思ったけど、しかたない。私たちが帰った後、先生は机を消毒するだろう。その先生の目から逃れられるよう、小さく小さく手紙を折りたたみ、届いてくれますようにと願いを込めて机の奥に押しこんだ。その日から次の登校日が待ちきれなかった。私か通うのは、火曜日と金曜日。もう一つのグループは月曜日と木曜日だ。今日は木曜日。今ごろ、あの席に座っている子は手紙を読んでくれているだろうか。返事を書いてくれるといいな。誰かわからないクラスメートとの小さな会話は、私のどんよりしかけていた日々に、
すきっとした日差しをもたらしてくれた。
(第一章)
お母さんに聞かれたからか、私は手紙相手の名前を知りたいと思った。心の中で勝手に手紙ちゃんと呼んでいるけど、名前を聞きたい。名前なんてなんだっていいけど、わかったほうが近づけた感じがするし、心の中でだって呼びやすい。これだけやり取りをして、先生にも見つかっていないのだ。名前を書いてももう大丈夫じゃないだろうか。私は、次の手紙に、
ねえ。そろそろ名前教えてもらってもいいかな? 1、2年同じクラスだったりして
と書いた。自分が先に名乗ろうかと思ったけど、もし名前を教え合うのはやめようと言われたら困るから、相手の返事を待つことにした。三日後の手紙には、
いいなって思ったけど、会える日まで誰か秘密にしておくってどうだろ? 全員登校がOKになった最初の日の朝、校門のチューリップ花だん前で待ち合わせしよう!
と書かれていた。私は手紙を読んですぐに「最高!」と手をたたきたくなった。
(第一章)
「まあな。でもさ、岸間さんからもらったのはパンだけじゃないよ」「そういえば、お菓子も牛乳もあったね」わたしがそう言うと、蒼葉は本当におもしろそうに笑った。「ジュースもカップ麺もあったっけ。ってそうじゃなくてさ。最初、パンをもらった時、驚いたけど、単純にうれしかった。お腹空いてたから二人が帰った後、三袋くらい一気に食べたよ。だけど、三日後また来てくれた時、本当に三日ごとに来てくれるんだってわかった時、もっともっとうれしかった。不安が消えるって、心配がなくなるって、すごく大きいことなんだとわかった。明日が怖いものではなく楽しみになったのは、あの日からだよ」蒼葉はそう言うと、「俺があんな親の元に生まれたのに、それでも、ちゃんと生きてるのは、あの日のおかげだと思ってる」とわたしの顔を見た。
(第三章)
「わたし、命の恩人なんかじゃないのに」蒼葉を救えたのならうれしい。だけど、それが蒼葉と自分との間に、大きな壁を作ってしまっているのなら、あの日々を後悔してしまいたくなる。「俺さ、命を助けてもらっただけじゃなく、あの時すごくうれしかったんだ」蒼葉は顔を上げて、わたしを見た。「あの時?」「冴ちゃんとここでチョコレートを食べた時」「ああ、あったね。ジュースと一緒に食べたよね」「そう。冴ちゃんのお母さんがみんなのジュースの味、イメージで決めてさ」「そうそう、お母さん強引だから。一瞬だけマスク外して、口にチョコを入れて、またマスクを戻して。なんか忙しいおやつだったな」あの光景を思い出したわたしたちは、少しだけ笑えて、少しだけ緊張がほどけた。「冴ちゃん、ただのチョコなのに、何度もおいしいって言ってくれて、本当にうれしそうに食べてくれたんだよな。人から恵んでもらうしかなかった俺なのに、誰かを喜ばすことができるんだって、あの時、初めて知った。自分を価値のない哀れな子どもだと思ってたのに、目の前が明るくなった気がしたんだ」「本当にあのチョコレート、人生で最高においしかったから」今でもあの日のことは、鮮やかに思い浮かべられる。記憶のどこもあやふやになっていない。母と蒼葉と三人でこのテーブルを囲んだ。いつまでも崩れない幸せな思い出だ。
(第四章)
あらすじ
大御所ミステリ作家の宮内彰吾が、癌の闘病を経て61歳で死去した。女癖が悪かった宮内は、妻帯者でありながら多くの女性と交際しており、そのうちの一人とは子供までつくっていた。それが僕だ。宮内の死後、彼の長男から僕に連絡が入る。「親父は『世界でいちばん透きとおった物語』というタイトルの小説を死ぬ間際に書いていたらしい。遺作として出版したいが、原稿が見つからない。なにか知らないか」奇妙な成り行きから僕は、一度も会ったことがない父の遺稿を探すことになる。知り合いの文芸編集者・霧子さんの力も借りて、業界関係者や父の愛人たちに調べを入れていくうちに、僕は父の複雑な人物像を知っていく。 やがて父の遺稿を狙う別の何者かの妨害も始まり、ついに僕は『世界でいちばん透きとおった物語』に隠された衝撃の真実にたどり着く。
ひと言
本名のアナグラムを思いついた作者がこの作品を書こうと考えたと思いますが、電子書籍化絶対不可能の意味が最初はわからなかったのですが、もしやと思いそれを実際に目にしたときはすごい!と唯々感動しました。知りたい方は実際にこの本を手にして読んでみて、少しページをめくってみてください。きっと驚くと思います。
僕ははっとした。手足と胴体とを腹の中で切断した後に、胎盤と一緒に摘出する ――「はい。これは堕胎の手順です。妊娠後期まで育った胎児に対しての人工中絶手術そのままの描写なんです」二十年前だ。中絶に関して技術も認識も未熟だった頃。宮内にとっては殺人だった。宮内が堕胎させようとし ―― 結局産ませた子供。「つまり先生が殺そうとしたというのは、他でもない燈真さんです」霧子さんの声がうつろに響く。殺しかけて ―― やめた。かみさんに泣いて頼まれたからだ、と東堂さんは言っていた。あれは妻ではなく僕の母のことか。迷惑はかけない、金も要らない、産ませてくれ。母は宮内彰吾にそう泣いて頼んだ。「だからあの小説は、他のだれでもなく燈真さんのために書かれるはずだったんです」「待ってください。なんで僕なんですか? 母のため ―― ならまだわかりますけれど」宮内が言っていた殺人未遂は、僕の母に迫った堕胎のことだった。そこまではまだいい。その先は根拠もない霧子さんの想像じゃないか。「僕は宮内彰吾には逢ったこともないんです。向こうも顔も知らなかったんじゃないですか。妊娠させてそれっきり、養育費も払ってないんです。人生最後の小説を僕なんかのために書く理由かない。母のためなら、男女関係にあったわけだし、まだしも ――」母のためであってほしかった。そうでなければ、あの人があまりにもかわいそうだ。
(第12章)
「宮内先生は、自分の作品をどうしても燈真さんに読んでほしかったんです」霧子さんは児童書のカバーに手を置いて、優しい声で僕に言った。その目が、書名と同じ作者名の上に落とされる。「そのために書いた『タタ』を燈真さんか読んでくれなくなった、と聞いて、さぞかし落胆されたでしょう」「待ってください。そのために書いた? これは児童書ですよね、宮内とは無関係の」「気づいていなかったのですか?」と霧子さんはわずかに目を見張り、児童書の表紙と僕の顔とを見比べた。「魔法使いタタ、は宮内先生です。ご本名のアナグラムです。下の名前を音読みして」言葉を失う。……松方朋泰(まつかたほうたい)。まほうつかいたた。僕の眼はただ無駄に鋭敏なだけで ―― 目の前の真実は何ひとつ ……「息子のために書いたと当時仰っていたそうです。その頃朋晃さんは大学生、児童書というお年ではありませんでした」僕のために? 嘘だ。そんなわけかない。母も僕もずっと無視してきたじゃないか。霧子さんの声がおぼろに聞こえる。「燈真さんのための一冊を書きたい ――。それがずっと心残りだったのだと思います」僕の眼のことも、電子書籍なら読めるということも、宮内は知っていたのだろうか。電書はどうしても贈り物に向かない。贈り主を伏せたいならなおさらだ。だから僕でも読める紙の本を書こうとした、ということなのか。
(第12章)
11月29日 30日、義父と3人で鹿児島旅行に行ってきました。
ソラシドエアの早割で片道5640円 約90分で行けるので、有給休暇を1日利用してこの日になりました。ちなみに新幹線(名古屋~鹿児島中央)なら一番早い新幹線に乗っても約5時間 11時過ぎにしか着きません。また 24860円もかかります。
空港からレンタカーで今回の旅行の一番の目的地、知覧特攻平和会館を目指します。
11時30分会館に到着。ゆっくり見学するために先にすぐ近くの知覧茶屋で昼食をいただきます。先日 靖国神社で鳥濱トメさんから受け継いだ割り下を使用したとてもおいしい玉子丼をいただき、今回もまた玉子丼のような簡単なものをいただきたいと思っていたのですが、そういうメニューはありませんでした。ろくな食事も取れずに飛び立った隊員のことを思うと、こんな立派な食事を知覧でいただくのが申し訳ないという気持ちです。
受付で iPadの音声ガイドをお借りして、館内を巡ります。もしこのブログを見てこれから会館を訪れようとする方がありましたら、200円で画像付きで音声で詳しく紹介してくれますので絶対おすすめです。ただし泣きっぱなしになりますが……。撮影は禁止ですが、下の写真は撮影可能な場所と購入可能なパンフレット(300円)から右下の写真はスキャンさせてもらいました。沖縄戦の特攻1036名が出撃戦死した順に飾られた遺影。最初の遺影の日付は1945年3月26日でした。まさに米軍が慶良間諸島に上陸し沖縄戦と呼ばれる戦いが始まったその日に知覧から特攻が開始されました。「捨て石にされた」と呼ばれる沖縄、軍部の考えはどうあろうと、沖縄を守ろうと志願し沖縄に向けて飛び立った特攻隊員に手を合わさずにはいられません。
たっぷり会館を見学させていただいた後、三角兵舎とその奥の特攻平和観音堂にもお参りします。法隆寺の秘仏の夢ちがい観音を模した観音様の胎内に1036名の特攻隊員の芳名が記された巻物が納められています。合掌。今回同行した義父の父(私の祖父)も知覧ではありませんが鹿屋で終戦を迎えたとのこと、義父も特別な想いで知覧特攻平和会館を見学されたと思います。
少し離れたホタル館 富屋食堂、特攻の母鳥濱トメさんの資料館を見学。こちらも撮影禁止なので3つ上の右下の写真しかありませんが、入り口を入ったすぐの柱にホタルがとまったとされる場所が矢印で示してありました。2001年に公開された映画「ホタル」を機に訪れる人が増えたということでホタル館の前には大きな案内板が飾ってありました。
ずっとずっと行きたかった知覧を十分に見学した後、池田湖や開聞岳がきれいに見える長崎鼻を見学し、指宿温泉の旅館の目の前にある「砂むし会館 砂楽」へ。
20分間 砂むし温泉を堪能した後、旅館に戻り夕食をいただきます。最近のホテルはバイキング形式が多いので、こういう個室でゆったり食べられる夕食はありがたいです。
翌朝、フェリーで山川から対岸の根占(ねじめ)に渡り、本土最南端の佐多岬へ向かいます。
写真の私の右に見えるのが展望台。約20分かかりますが、せっかく来たのでみんな頑張って歩きます。
上り下りで遠く感じる展望台でしたが、地元の方の尽力で、階段ではなくスロープが整備されていてとても疲れることなく辿り着きました。お天気にも恵まれ、駐車場からは見えない開聞岳も見えて大満足です。今回の旅行で開聞岳はいろいろな場所から見ることができ、こちらの地方の御嶽山や伊吹山のような存在で、特攻歌碑の「開聞よ 母よ さらばさらばと」とあるように、特攻機が開聞岳を1度2度旋回してから沖縄に向かったという心のよりどころのようなふるさとの山であることがとてもよくわかりました。
頑張ったご褒美に到達証明書(無料)をいただきました。
帰りに立ち寄ろうと思っていたお店が観光バスの団体で入れなかったので、道の駅 根占でお昼をいただきます。
鶏飯(けいはん)という ほぐした鶏肉、干し椎茸、錦糸卵、ネギなどを載せた鹿児島の郷土料理をいただきます。とても美味しくてこちらのお店でよかったです。ごちそうさまでした。
駐車場から1.2km 歩かないと辿り着くことはできませんが、こちらも有名な観光地 雄川の滝にも立ち寄ります。あいにくすぐ横のダムの放水があり水が濁って旅行ガイドのような景色ではありませんでしたが素敵な景色が広がります。
ちなみに旅行ガイドの写真がこちらです。
フェリーで鹿児島へ渡ろうと桜島へ向かう国道の途中、荒崎パーキングエリアから桜島をバックに記念撮影。
フェリーに乗り込み乗船時間15分の間に、TVでも取り上げられた「やぶ金 桜島フェリー店」で薩摩うどんをいただきます。予定では時間に余裕がないときはフェリーで鹿児島市に渡らず、そのまま北上して空港に向かうことになっていたので、評判のうどんも食べられて大満足です。
鹿児島一の繁華街の天文館。目指すは「天文館 むじゃき本店」です。こちらも時間がなければ立ち寄れなかっただけにとてもうれしいです。一番人気の白熊をいただきます。カップのしろくまと違い氷がふわっとしてとてもおいしいです♪。「揚立屋 天文館店」の揚げたてのさつま揚げも店先のベンチでいただきました。熱々でこれもとても美味しくて大満足。
空港に戻り、足湯で暖まり、出発前に鹿児島ラーメンをいただいて名古屋へ。
帰りは偏西風の関係で離陸から着陸まで1時間かからず21時40分前にはセントレアに無事到着。今回LCC(ソラシドは厳密には違うけど)で格安で行ける旅行先を探していたところ、死ぬまでには必ず訪れたいと思っていた知覧に6000円弱で行けるという幸運とお天気に恵まれた旅行となりました。今までコロナ禍でなかなか旅行に行けませんでしたが、またLCCで安く速く行ける旅行を楽しみたいと思いました。
今日は遅くなるから帰り何か食べてきてということで、11月7日に名古屋駅麺通りに期間限定で出店した「つけ麺 五ノ神製作所」に食べに寄りました。海老つけ麺の大盛+味玉入り(1330円)をいただきます。2017年から6年連続で百名店に選ばれているお店です。もちろんとてもおいしいのですが、後の方はつけ汁が冷めてくるので、石鍋でぐつぐつのつけ汁で出てくる愛知の「つけ麺 丸和」のほうがいいと思いました。名古屋駅麺通りには全国の有名店が出店されるのでこれからのお店も楽しみにしています。ごちそうさまでした♪。
名古屋市中村区名駅1 名古屋駅構内 名古屋うまいもん通リ
あらすじ
原因不明の歯痛に悩む私が訪れた不思議な歯医者「太陽」。女ともだちをパーティに連れ出す一夜をつづった「獣の夜」。憂鬱な接待ゴルフが雨天で中止になればと願う「あした天気に」など、どこにでもいる<私たち>が主人公の「日常」が不意にぐらりと揺らぐ瞬間を、生き生きと描き出します。読後には心がほんのり温まる極上の短編/掌編7編を集めた、とっておきの作品集。
ひと言
森 絵都さんの「みかづき」がよかったので、この本を借りました。うん、やっぱりいいね!。「太陽」が一番好きかな。表題作の「獣の夜」や「あした天気に」もよく、とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。
何か始まるのか。ぼうっとデッキを見下ろす私の耳に、トシヤの美しい声がした。
「Life isn't about waiting for the storm to pass,it's about learning hou to dance in the rain」
ネイティブ並みに見事な発音だった。それ故に何も聞きとれなかった。「なんと……?」「『人生とは、嵐が通りすぎるのを待つことじゃない。雨の中で踊る。それが人生だ』。ヴィヴィアン・グリーンというシンガー・ソングライターの言葉です」雨の中で踊る ――。その言葉の余韻が去らないうちに、トシヤの指がカセットデッキの再生ボタンを押した。
(雨の中で踊る)
「おめでとうございます。ついに真犯人を突きとめましたね」私は微笑みかえせなかった。「でも、こんなことってあるんでしょうか。交際相手を失うより、豆皿を失うほうがダメージが大きいなんて」「僕も加原さんのお話を聞いて、元彼よりも、割れた豆皿を惜しく思いましたよ」「でも……でも、しょせん豆皿は豆皿ですよ。しつこいようですけど、世界は今ひどい状況で、前代未聞の危機に瀕していて……」目を閉じ、私は思い起こす。日増しにふくれあかっていく各国の死者数。医療現場の逼迫。観光業や外食産業の悲鳴。「マスクない」の大合唱。「こんなときに、豆皿一枚で、私は……」「こんなときだからこそ、その豆皿一枚があなたには必要だったんじゃないですか」この数日間、私がマスクを隔てず会話をした唯一の人である先生の言葉に、はたと目を開いた。無影灯の下には万物の陰を吸いこむような笑顔があった。「いつ終わるとも知れない緊張の連続の中で、あなたはいつも以上に毎日のぬくもりを求めていたぱずです。そんなときに太陽を失った。それは宇宙規模の喪失です。それだけあなたがそのお皿を大切にしていたってことです。僕は素敵だと思います。素敵な犯人です」素敵な犯人。すべてを肯定してくれるその一語に、肩からふっと力が抜けた。私を縛っていた何かがほつれる。滞っていた感情が流れだす。「風間先生。私、豆皿のことで悲しんでもいいんですか」「もちろんです。悲しんでください。思う存分、どっぷりと。その代替ペインが消えるまで、心の痛みを痛みつくしてください」
(太陽)
「ちびっこですら、もはや真面目にてるてる坊主なんか作らない」「作るどころか忘れてる」「昔はあんなに頼ってくれたのに」「運動会シーズンの需要は絶大だったのに」「このむなしさをわかちあえるのは天気占いの下駄くらいだ。さむざむ」「さむざむ」「さむざむ」鳴りやまぬ「さむざむ」の連呼を、一〇三世が「まあ、まあ」と鎮め、俺に向き直った。「ご理解いただけましたでしょうか。これが我がテルテル王国の現状です。科学が神格化した今、人間たちは誰しもあしたの天気に自信を持っています。天気は、もはや彼らにとって確かなものなのです。そこに人智の及ばない不確かさがあればこそ、かつて彼らぱてるてる坊主に祈りを捧げてくれたのに」
(あした天気に)







































