イメージ 1 
 
あらすじ
それを持っていれば、どんなにキツいことがあっても耐えられるというお守り「星のかけら」。ウワサでは、誰かが亡くなった交通事故現場に落ちているらしい。いじめにあっている小学六年生のユウキは、星のかけらを探しにいった夜、不思議な女の子、フミちゃんに出会う――。生きるって、死ぬって、一体どういうこと? 命の意味に触れ、少しずつおとなに近づいていく少年たちの物語。

 

ひと言
200頁ちょっとで、字も大きく、今まで読書があまり好きじゃない子どもでも数時間で読めるので、小学生の高学年の子どもたちに読んでもらいたいなぁと思う本でした。それをきっかけにして、だれの言葉だったか忘れたけれど「読書を趣味にすることができれば、人生はもっと楽しい」となってくれればいいなぁと思いました。

 

 

「絶対に言うなよ、家で」  エリカをにらみつけて、教室に向かった。 「言わないってば」  エリカはぼくを追いかけて、「少しは信じれば? ひとのこと」と付け加えた。 疑っているわけじゃない。でも、口止めをしないではいられない。  五年生の二学期にいじめが始まってから半年になる。いまのぼくは、今日はどんないじめに遭うんだろうということよりも、それを両親に知られたらどうしよう、 ということのほうが心配でしかたない。エリカの親がいじめのことを知ったら、確実に、絶対に、ウチの親にも伝わってしまうはずだ。それが怖くて怖くて……怖いというより、うまく言えないけど、想像するだけで死ぬほど悲しくて……だから、やっぱり、エリカを振り向かずに「言うなよ、マジ」と念を押した。 「本人が嫌がること、わたし、しないって。そんなことしたら、ダブルのいじめじゃん」 エリカはいままでずっと約束を守ってくれている。 でも、最近はそういうときには必ず、「でもね」と言う。「マジにキツくなったら、 やっぱり、オトナに言うしかないと思うよ」 「だいじょうぶだよ、まだ」 答えたあと、「まだ」っていう言い方はヘンだな、と自分でも思った。ヘンだし、 悔しいし、情けない。
(第一章)

 

 

「どうせ信じてくれないと思うけど……」 前置きして話そうとすると、エリカにぴしゃりと言われた。 「だったら、しゃべるのやめれば?」 「……え?」 「ひとに伝えたいことがあるんだったら、『信じろ!』 っていう気持ちでしゃべってくれる? 話を信じるか信じないかはわたしの勝手だけど、ユウキが本気でしゃべってることだけは、絶対に信じてあげるから」
(第二章)

 

 

「このカップ、おしゃれでしょう?」 チューリップの花が開いたような形をしたカップだった。口をつけるところが花びらのように薄い。細かな細工や模様が入った取っ手も、おしゃれなぶん細くて、ちょっと乱暴に扱うと折れてしまいそうだった。 「このカップ、フミが小学校に入学したときに、わたしの友だちからプレゼントしてもらったの」 ミチコさんは友だち同士でおしゃべりするような口調で話す。 「でも、フミはまだ小さいから、割れちゃったらイヤだから、ずっと使ってなかったの。だから『三年生になったら使おうね』って約束して、フミもそれをすごく楽しみにしてたんだけど……」  結局、一度も使えなかった。 「こんなことになるんだったら、最初から使わせてあげればよかったよね」 苦笑交じりのため息をついて、「そういう小さな後悔がたくさん残ってるの」とつづけた。「フミちゃんのことで、ですか?」とエリカが訊いた。 「そう。悲しいとか悔しいとか寂しいっていう気持ちも、もちろんあるけど、それよりも、こんな小さな後悔のほうが胸に染みてきちゃうんだよね」 人間の心っておもしろいでしょ? とミチコさんは笑って、まるでさっきのぼくの胸の内を読み取ったみたいに、つづける。
「『死ぬ』っていうのは、ただ『いなくなる』っていうだけじゃないの。『生きられなくなっちゃう』ってことなの」 「あの……それって、どういう意味ですか?」 思わず訊いた。エリカも隣で「教えてください」と言った。そんなぼくたちを交互に見たミチコさんは、紅茶とクッキーを仏壇に供えながら ―― だから、ぼくたちに背を向けて、さらに話をつづけた。 「生きてれば、フミはいろんなことができたの。このティーカップも使えたし、ピアノももっと上手になってたし、水泳だって息継ぎができるようになってたはずだし、高学年になって、中学生になって、高校生になって……おとなになったら、パン屋さんになるはずだったのよね、フミちゃんは」 遺影に語りかける声は、途中から「お母さん」の優しさになっていた。
「いろんな夢があって、やりたいことがたくさんあって……でも、もう、できなくなっちゃったんだよね、フミちゃんは。『死ぬ』っていうのは、もっと生きていたいのに生きられなくなっちゃうことで、もっといろんなことをやりたかったのに、もうなにもできなくなっちゃうことなの。だから悲しいの。だから、子どもは死んじゃだめなんだよね。やりたいことがまだまだたくさんあるんだから、なにがあっても死んじゃだめなのよね……」 ぼくたちを振り向いて「長生きしなさいよ、あんたたちは」と言った。顔は笑っていても、目はうっすらと赤く潤んでいた。
(第六章)

 

 

タカヒロさんは泣きだしそうに顔をゆがめた。ミチコさんは微笑んだまま、一歩、二歩とタカヒロさんに近づいていった。 「タカヒロくんが元気で生きてること、フミがいちばん喜んでると思うよ」 不思議だった。ミチコさんは目の前のタカヒロさんにだけ話しかけているのに、その声はぼくにも、まるで体の内側に直接響きわたるように届いた。 「タカくんが学校に行けなくなっちゃったのを、いちばん悲しんでるのもフミだと思うの」 「でも、オレ……」 「フミの代わりにお礼を言っていい?」「え?」「ずっと覚えてくれてて、ありがとう…… 夕力くんが生きてくれてて、ありがとう……」ミチコさんはそう言って、タカヒロさんの背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
(第六章)

 

 

エリカは「あとちょっとだけ」とねばる。膝や手が汚れるのもかまわず、小さなガラスのかけらを必死に探す。 タカヒロさんもねばる。四つん這いになって、顔をほとんど地面につけるようにして探しつづける。 そして――。  「あった!」 タカヒロさんははずんだ声を夜空に響かせて、立ち上がった。 手のひらに載った星のかけらは、まだ光は放っていない。 でも、ぼくたちには確信があった。これはホンモノの星のかけらだ。フミちゃんの思いのこもった星のかけらが、いま、ここにある。 「おそらく…… これ、六年前の事故のときのフロントガラスの破片だよ。そこに歩道橋が建って、階段の陰になっちゃったから、ずーっと誰にも気づかれずに、お地蔵さまのそばにあったんだ」 マサヤが言った。 「待ってたんだよね、タカヒロさんと再会して、ミチコさんとももう一度会える日を」とエリカがつづけると、ヤノも「ユウキとかオレも、この瞬間のために、ここに呼ばれたのかもな……」とつぶやいて応えた。 タカヒロさんは黙って、星のかけらをミチコさんに差し出した。 ミチコさんは何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、そっと星のかけらをつまみ上げて、夜空に掲げた。 その瞬間、まるで真昼の太陽のようにまぶしい光が、ぼくたちに降りそそぐ。  光の中に、フミちゃんがいた。 笑顔だった。 口が勣く。ま・ま ――。  ママ ――。 ミチコさんは、足元をふらつかせながら光に向かって何歩か進み、まぶしさに目がくらんだように立ち止まった。
(第六章)

 

イメージ 1 
 
あらすじ
先生、あのときは、すみませんでした―。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。

 

ひと言
6月中旬に公開された堤 真一さん主演の映画「泣くな赤鬼」の原作が収められているので借りました。他にも素敵な作品が収められています。映画のキャッチコピーである「俺の生徒になってくれて、ありがとう。」という言葉もいいなぁと思いました。レンタルDVDが出たら是非借りて映画も観てみたいです。「重松 清さん、素敵な作品をありがとう。」

 

 

イメージ 2

見たくない。斎藤が死の恐怖におののき、ぶざまに泣きわめく姿は ―― 想像がつくからこそ、見てしまうのがかわいそうだった。 それでも、目を閉じて、眉間の皺をさらに深くして、思う。 誰かが見てやらなければならない。ぶざまなところも、みっともないところも、すべて見届けて、それがおまえなんだ、と言ってやらなければならない。その「誰か」を、親以外で引き受けられるおとなは、教師しかいないじゃないか、とも思うのだ。「近いうちに都合をつけて、行くよ」 格好ばかりつけていたおまえの、格好をつけられなくなった姿を、俺が見届けてやるよ ―― まぶたのつくった暗闇の中にあの頃の斎藤の顔を浮かべて、声に出さずにつぶやいた。
(泣くな赤鬼)

 

 

「ねえ、先生」 斎藤は静かに言った。声はか細くかすれていたが、耳に吸い込まれるように届いた。「俺は、赤鬼、けっこう好きだったよ」 おまえは、こんなにも優しく語りかけることができるようになったのか。 「甲子園……惜しかったね」 もしも奇跡が起きて、人生の残り時間がうんと増えるのなら、おまえは教師になれ。私がおまえに言ってやれなかった「惜しい」の一言を、おまえのような生徒に何度でも贈ってやってくれ。  斎藤は、ふふっと笑う。「泣くな、赤鬼」 私は顔を上げる。目が合った。黄色くにごった斎藤の目がうるみ、かさかさになった頬を涙が伝うまで、私たちはただ黙ってじっと見つめ合っていた。
(泣くな赤鬼)

 

 

「トモくん、先生だよ、赤鬼先生、来てくれたよ」 雪乃が耳元で声をかけても、斎藤の反応は鈍い。私は雪乃に、いいんだ、と目で伝え、ベッドの横の椅子に座った。骨と皮だけになった斎藤の手をそっと取って、左右の手のひらで包み込んだ。「ゴルゴ………ゴルゴ……」 斎藤の目がこっちを向いた。ああ、先生、というふうに、頬が少しだけ動いた。 「トモくん、先生に見てもらいなよ、ほら、これ、先生、見て」  棚の上に、金色のリボンをかけた包みが置いてあった。シュウくんへのクリスマスプレゼント ―― 野球のグローブだった。  「まだ赤ちゃんなのに、どうしてもグローブにするんだ、って。わたしがわざわざデパートまで行って買ってきたのに、シュウに渡すのは自分なんだって。おいしいところだけ持っていくんだから」 雪乃は怒ったふりをする。私が「高校時代からそうなんだ、格好つけたがるんだ」と笑って言うと、「でしょ? そうですよね、ぽんと」と声をはずませて応えたが、それが限界だった。「クリスマスまであとちょっとなんだから、ねえ、渡すんだから ……」とつづける声は涙交じりになって、そのまま病室を出て行ってしまった。「いい奥さんだよな」 私は斎藤の手をさすりながら言う。斎藤は照れくさそうに頬をゆるめ、鼻に送り込まれる酸素の音にほとんどかき消されてしまう声で、言った。 悔しい ――。 間違いない、斎藤は確かにそう言った。死ぬのが悔しい、家族をのこしていくのが悔しい、人生がこんなところで断ち切られてしまうのが悔しい……。 「悔しいか」 うん、と顎が勤く。く、や、し、い、と口が動く。もう、声にはならない。 私は斎藤の目にも映るように顔を寄せて、大きくうなずいた。それでいいんだ、と伝えた。 悔しさを背負った。おとなになった。私の教え子は、私の見ていないうちに、ちゃんと一人前のおとなになってくれたのだ。「よくやったよ、ゴルゴ……おまえは、よくやったよ」なあ、そうだよ、と手をさする。悔しいけどな、惜しかったけどな、でも、おまえはせいいっぱいやったよ、と手を包む。「ありがとう」 声が自然に出た。言葉を選んだわけではないのに、口にしたあとで、俺はずっとこの一言を言いたかったんだ、と気づいた。そこから先は、もうなにも考えることはなかった。 「俺の生徒になってくれて、俺と出会ってくれて……ありがとう……」 手のひらに伝わる感触が変わった。斎藤の指が動いた。私の親指の付け根を握ってくれた。 泣くな赤鬼。そう言いたいのか。 斎藤の指は枯れ枝のように筋張っていて、それでも、温かい。 私はその指に自分の指をからめた。指切りげんまんの形になった。約束も罰も決めないまま、私たちは確かになにかを誓い合って、指切りをした。
(泣くな赤鬼)

 

 

父親は「子どもじゃのう」と笑い、静かに言った。「人間が他の動物と違うところは、ゆるすことができる、いうところなんよ。なんもかんもゆるせんいう人間は、動物と同じじゃ」
(気をつけ、礼。)

 

 

夏休み最後の日、僕は「センセ、ち太っと聴いて」と『ライク・ア・ハリケーン』のイントロを弾いてみた。アコースティックの弾き語りでも、雰囲気は出せた。ニール・ヤングの中で唯一、ちょっといいなと思っていたのが、ひずんだギターが最初から最後まで鳴りつづける『ライク・ア・ハリケーン』だった。フクちゃんもボーカルをつける。ひと夏付き合ってきた先生への、僕たちからのちょっとしたプレゼントのつもりだった。 だが、先生は出来の悪い答案を返すような調子で「ぜんぜん違うのう」と言った。「こげなん、ニールと違うわ」「……音符は合うとる思いますけど」 ムッとして言うと、先生は「そげん怒らんでもええがな」と笑って、ニール・ヤングのライブのことを教えてくれた。『ライク・ア・ハリケーン』のときはステージに巨大な扇風機を置いて、向かい風に立ち向かいながらギターを弾いて歌うのだという。  一九七六年の初来日で、先生はそれを見た。長い髪がまるで炎のように風になびいて、心臓が止まりそうなほどカッコよかったらしい。  「それが、ロックですか」  調子を合わせて応えたら、先生は「違う、ロールじゃ」と首を横に振った。 「長谷川の弾きよるんは、確かにロックじゃ。福本の歌もロックじゃ。ほいでも、大事なんは、ロールでけるかどうかなんじゃ」 二つ合わせてロックンロール ――。 「ロックは始めることで、ロールはつづけることよ。ロックは文句をたれることで、 ロールは自分のたれた文句に責任とることよ。ロックは目の前の壁を壊すことで、ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ」じゃけん、と先生はつづけた。 「ロールは、オトナにならんとわからん」
(白髪のニール) 

 

イメージ 1
 
今日は大垣へ行く用事があり、お昼は、前から行きたかった 鶏白湯では東海地方の草分け的な超有名店の「真屋」さんへ。鳥そば(塩)ご飯セット(830円)をいただきます。味玉がついているのを知らなくて追加で味玉(1/2)(60円)も注文したので、味玉2個のリッチなラーメンになりました。濃厚な鶏白湯のスープはさすが全国レベルでとてもおいしいです♪♪。大垣に行ったときには是非立ち寄りたいお店になりました。ごちそうさまでした♪

 

真屋(食べログ)
大垣市熊野町4

 

イメージ 1 
 
あらすじ
絶対に残業しないと決めている会社員の結衣。個性豊かな同僚たちに揉まれながら働く彼女の前に、無茶な仕事を振って部下を潰すというブラック上司が現れて―。新時代を告げるお仕事小説、ここに誕生!

 

ひと言
TVドラマ(見ていない)が結構話題になっていて、その原作本ということで読みました。「働き方改革」と騒がれていますが、やっぱり日本という土壌では絵に描いた餅という感が否めません。「インパール作戦」が引き合いに出されていて、亡くなられた多くの方のためにも、もう少しインパール作戦について詳しく勉強しないといけないなぁと思いました。

 

 

「あの、前から思ってたんですけど、皆勤賞の何が偉いんですか」来栖は来栖で、火に油を注ぐことを言う。「僕の高校ではとうに廃止されてましたよ。賞ほしさに熱でも登校する生徒とか、賞をとらせるために無理させる親や教師が増えちゃって。しかも、そうやってしゃかりきに頑張ってる生徒ほど、なぜか、そんなに成績よくないんですよね。せっかく頑張ってるのにかわいそうだって、誰も指摘できませんでしたが」 顔が強張っていく三谷に、来栖は追い打ちをかけるように言う。 「社会人になったら、どんな結果を出したかが大事だと思うんですよ」 「来栖くん、まだ何の結果も出していないあなたが言うことじゃないよ」 そう言ってから、しまったと思った。来栖はきょろりと目を動かして黙った。強く言いすぎたか。結衣がひやりとした時、 「だってしょうがないじゃないの。私にはまじめしか取り柄がないんだから」 と、三谷がガタガタと震えながら悲鳴のように言った。 「私たち氷河期世代はね、何十社、何百社と応募して、内定をもらってもいつ取り消されるかとひやひやして、就職したらしたで、同期もいなくて、不安だねって言い合う仲間さえいなくて、解雇されたらどうしようって思うと休むのが怖くて」 詰まった喉の奥をググッと咳で通して、三谷は言う。
(第一章 皆勤賞の女)

 

 

「新人時代から休まず働いて会社に貢献する。兄はそれができる人だった。僕も同じようにやろう、そしたら支店長に認めてもらえるに違いないって思ってしまった。でも、できなかった。毎日深夜残業するのはきついし、土日に会社に出るのもしんどかった」 しんどくて当たり前だ。そんな生活に柊は二年も耐えたのか。「そのうち緊張で眠れなくなった。体が強張って、胸がドキドキして、一晩中、目を閉じたり開けたり……。朝起きられなくなって遅刻が増えて、社会人失格だって怒鳴られて、また眠れなくなって。……そんなある夜、兄がここに来たんです」 久しぶりに実家に帰ってきた兄は、両親から柊のことを聞き、薄暗い階段を上がってきたのだという。ペッドに横たわる弟の枕元に立ち、兄はアドバイスをした。
「種田さんは、何て言ったんです」 来栖が尋ねる。その目がちらりと晃太郎を見た。 鈍く光るトロフィーを背に立っている、来栖のめざしている優秀な上司。「―― 人間は寝なくても死なんぞって」 柊は晃太郎を見た。二年前のその夜と同じ場所に、兄は立っている。「精神は肉体を超えるって、兄は、僕にそう言いました」柊は大きく息を扱い、胸の中の澱をすべて吐きだすように言った。 「翌朝、駅のホームで僕は思いました。あと一歩前に出れば楽になれるんだろうなって。そう考えたら、なんだかすごく死ぬのがすばらしいことみたいに思えてきて……。たいしたことじやない。目を瞑るのと同じだ。これでやっと、ぐっすり眠れるんだって」
 晃太郎の眉根が歪んだ。柊から顔をそらし、そのまま出ていこうとする。結衣は腰を浮かして、晃太郎の腕を掴んだ。「最後まで聞こう、柊くんの話」 「なぜ、やめたんですか、死ぬのを」来栖が強ばった顔で尋ねる。「思いだしたんです。兄の元婚約者 ―― 結衣さんのこと」 「あ、あのね、柊くん」結衣は口止めしようとしたが、 「昔、つきあってたんでしょ?」来栖がじれったそうに言う。……。……。
「次の日の朝、結衣さん、ひどい二日酔いで、今日は休みますって、会社に電話かけてたんです。風邪ひいちゃったみたいですって墟までついて」
 それは事実だ。結衣は黙った。柊はおかしそうに笑った。 「世の中にはあんなに簡単に会社を休む人がいるのかって、驚きました。顔に出てたんでしょうね。たまにはずる休みしてもいいんだよ、って、結衣さんは僕に笑って言いました。…… その時のことを思いだしたら、線路に飛び込む寸前だったのに、僕、何だか涙が止まらなくなって、力が披けてしまって。だったら僕も休んでもいいのかなって思ったんです。そのまま退職しますってメールして、二度と会社には行かなかった。そしたら、やっと眠れるようになった」 柊は大きく息をついた。来栖は黙って何かを考えている。誰も喋らなかった。晃太郎は身じろぎもしない。摑んでいる腕が熱かった。 「……よく生きててくれたね」と結衣はつぶやいた。「えらいよ。ね?」 見上げると、晃太郎は結衣からさらに顔をそむけた。目が肩口に隠れてしまう。 「結衣さんのバイトをやるようになって、僕はすごく褒められるようになった。すぐに返信したとか、文面に誤字がないとか、そんな些細なことでも、結衣さんは褒めてくれる。そんなこと家でも会社でもなかったから、嘘でも嬉しかった。もっと調べよう、次は外出してみよう、って仕事するのがどんどん楽しくなって」
(第四章 斯待の新人)

 

イメージ 1
 
ハナヤサイのブランチの後、デザートにネット情報で見た「純喫茶ライオン」の喫茶プリン(600円)をいただきます。キャッチコピー通り昔ながらの少し硬めのプリンにカラメルソースとホイップクリームが絶妙でとてもおいしいプリンでした。ごちそうさまでした♪

 

純喫茶ライオン
名古屋市東区泉1

 

イメージ 1
 
今日のお昼は久しぶりにグルメの師匠と栄で待ち合わせて「マルシェ&カフェ ハナヤサイ 名古屋栄店」で Aはなやさいブランチサービスを食べてきました。
先ず驚くのがお店の場所!。栄ガスビルと松坂屋の間のドラッグストア「ココカラファイン」の2階にあります。

 

もうひとつ驚くのが野菜のおいしさ!!。東三河産の新鮮野菜たっぷりのサンドイッチはとても甘くて、抜群においしいです。さすが私の師匠、とても素敵なお店を教えてもらいました。リピ確実です。

 

 

イメージ 2

はなやさいブランチサービスはサンドと飲み物を何にするかで料金が変わりますが豊橋大葉&胡麻チキン(380円)にタピオカたっぷりロイヤルミルクティ(480円)の計860円でミニスープ(冷コーンスープ)とミニサラダ(特製ドレッシングがついてこれも無茶苦茶おいしいサラダ)がついてくるお得なセットです。
ちょうどお昼休みの時間でしたが、お客が少なくとてもゆったりと過ごせましたが、逆にお客が少なくて潰れてしまうのが心配です。こんなおいしいお店は潰したくないので、これを見た方は是非立ち寄ってみてください。ごちそうさまでした♪♪

 

 

 

イメージ 1 
 
あらすじ
日韓のあいだに横たわる、あらゆる問題を網羅した渾身の書き下ろし。
あんなにややこしく見えた両国関係を、誰でもサクサク読めて納得できる筆致で料理した、爆笑必至のまったく新しい「韓国論」。この一冊で日韓問題は完全に解決する、驚きの画期的な一冊です。

 

ひと言
2019年3月の【文庫版】「今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう」では28頁ほどの加筆があり、レーダー照射や原爆Tシャツなどの最新話題も取り上げられているということなので図書館に予約を入れました。百田さんらしい切り口の一冊でした。それにしてもドロ沼化の日韓関係はどうなっていくんだろう。

 

 

そして日本政府が朝鮮の子供たちに一番に教えなければならないと考えたのは、文字です。文字こそ、すべての教育の基本だからです。 ところが、いきなり弱ったことになりました。先ほど、当時の朝鮮人で文字が読める人は人口の10パーセント以下ということを書きましたが、それらはほとんどが両班(ヤンバン)であり、しかもその文字は漢文でした。漢文というのは中国語です。朝鮮は長い間、清の属国であり、中国文化を何よりも崇めていたので、特権階級である両班たちは漢文を書き、公文書の類も漢文が使われていました。しかしふだん話している言葉は朝鮮語です。子供たちに文字を教えるには、いつも話している言葉をそのまま文字にするのが一番ですが、漢文ではそうはいきません。 おそらく日本政府も頭を悩ましたと思いますが、便利な言葉を発見しました。それがハングルです。朝鮮半島は十五世紀半ばまで、自国の言葉を表す文字を持ちませんでしたが、李氏朝鮮四代目の世宗が作らせたのがハングルです。ところがこの文字は、両班からは、「劣等文字」「下賤の者が使う文字」として馬鹿にされていました。しかし日本政府は、これを朝鮮半島の子供たちに広めようと考えました。そしてハングル習得を小学校の必修科目にしたのです。
ところが、ここでまた一つ困ったことがありました。当時、朝鮮半島には大量に本を作ることのできる印刷所も製本所もなかったのです。そこで日本は、最初のハングルの教科書を東京で印刷して製本しました。これを見ても、朝鮮人の意向などを完全に無視して、日本主導で行なわれたというのが歴然としています。
(第一章 踏みにじられた朝鮮半島)

 

 

驚くことに、日本は朝鮮に帝国大学まで作っています。 それまで日本には五つの帝国大学がありましたが、京城帝国大学は六番目に作られました。ちなみに七番目に作られたのは台湾の台北帝国大学です。大阪帝国大学と名古屋帝国大学はこの後に作られました(京城帝国大学は一九二四年、台北帝国大学は一九二八年、大阪帝国大学は一九三一年、名古屋帝国大学は一九三九年です)。 つまり日本は小学校の義務教育だけでは飽き足らず、朝鮮人を大学まで教育しようとしたのです。大阪と名古屋を後回しにしてまでです。しかも京城帝国大学の図書館予算は東京帝国大学の十倍もありました。朝鮮人にしてみれば、「人を馬鹿だと思っているのか!」と怒りたくもなるでしょう。
(第一章 踏みにじられた朝鮮半島)

 

 

ところが最近、いいニュースを見ました。韓国の太白山に生えていた五十万本のカラマツが伐採されるといいます。理由は、併合時代に日本が植えた日本特産の木であるからということです。民族の霊山である太白山に日本産のカラマツは似合わないという、その気持ちは大いに理解できます。二〇一七年から二一年に四十億ウォン(約四億円)をかけて伐採する予定ということですが、私はその費用は日本政府が出すべきだと思います。
(第一章 踏みにじられた朝鮮半島)

 

 

日本は朝鮮併合をする十年前の一九〇〇年に、漢江に一一〇〇メートルにもなる鉄橋を架けました。百年以上前に作られたこの橋は今も使われているほど堅固なものです。 その七十九年後の一九七九年、韓国は同じ漢江に同規模の聖水大橋を架けました。韓国人は「日本が作った漢江鉄橋をはるかに上回るすごい橋だ」と喜びましたが、完成後わずか十五年経った一九九四年、橋の中央部分が崩壊し、三十二人が死亡するという事故が起きました。この事故にまつわる興味深い話が伝わっています。
あるおじいさんがこう言いました。 「日本人が作った橋は七十年経ってもびくともしないのに、韓国人が作った橋が十五年で落ちるとは情けない」それを聞いた孫がこう言い返しました。 「おじいちゃん、それは違うよ。日本が三十六年も朝鮮を支配していたから、ぼくらは丈夫な橋を作る技術を学ぶことができなかったんだ」 私たち、日本人はこの孫の言葉を重く受け止めるべきです。
(第一章 踏みにじられた朝鮮半島)

 

 

「日韓基本条約」を結ぶ際、日本は韓国に対して、「併合時代の朝鮮人に対する補償を行なうから、資料を提出してほしい」と言いましたが、韓国は「個人への補償は韓国政府が個別に行なうので、日本はその金を含めて一括して支払え」と言いました。ところが後に明らかになりましたが、韓国政府は個人への補償は一切行なっていませんでした。 韓国政府は日本政府から莫大な金を得て、「対日請求権」をすべて放棄することに合意しました。これにより、一九四五年八月十五日以前の日韓問題は「完全に最終的に」解決しました。要するに、併合時代のことについては、日本はあらためて謝罪をする必要はなく、また賠償の必要もなくなったというわけです。ところが韓国はその後、条約を無視して、日本に新たな謝罪と賠償を再三要求してきました。慰安婦、戦時徴用工などに対して、補償金を出せと言ってきたのです。 しかし「日韓請求権・経済協力協定」において、日本は彼らの補償も含めて金を支払っています。しかも本来、補償する必要がないにもかかわらず、韓国政府の要求に従って支払ったのです。この時、前述したように、日本は個人に補償したいから資料を出してほしいと言っているのに、韓国は「それは韓国政府がやるから金を一括して払え」と言ったのです。それを今になって、新たに請求するということは国際条約を一方的に反故にする行為と同じです。国際社会では有り得ないことですが、韓国人にはそれらが理解できていないようです。
(第五章 日本は朝鮮人に何も教えなかった)

 

 

私は長年、韓国の異常な内政干渉の理由を考えてきましたが、ある時、はっと気付いたことがあります。それは、彼らは他国の政治や文化に□を出しているつもりはないのではないかということです。韓国人たちは、自国政府にものを言っているつもりだったのです。 そう、韓国人は、まだ「自分たちは日本人である」と思っていたのです。 自分の国であるからこそ、□も出すし、反対もする。彼らにとっては、それらは内政干渉ではなく、自国に対する文句に過ぎないのです。彼らは他国に向けて言っているつもりはないということです。あくまで自分の国の政府に対して言っているつもりなのです。 私はそのことに気付いたとき、あらためて日韓併合三十五年の重さを知らされた思いがしました。同時に目本の罪の大きさに愕然としました。日本政府と総督府は、併合時代の三十五年間に、韓国人に「自分たちは日本人だ」という意識を根強く刷り込んでしまったのです。
(第七章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか)

 

7月26日 33回目の3人旅は、京都の嵐山・祇園を散策してきました。

 

イメージ 1

8時40分過ぎ 京都市山科駅前駐車場(平日1日最大1200円)に車を停め、地下鉄・バス一日券(900円)と嵐電1日フリー切符(500円)で、先ずは午後は非常に混雑する嵐山へ。野宮神社へお参りし、踏切を渡ってすぐの竹林の中をぐるっと廻ることのできる所で記念撮影。10時ごろでしたがこの時間行きかう人はほぼ100%外人です。

 

 

イメージ 2

渡月橋を渡り、十三まいりで有名な法輪寺 電電宮をお参りし、橋のたもとの「新八茶屋」で嵯峨豆腐のジェラートに醤油をかけていただきます。

 

 

イメージ 3

安倍晴明の墓にお参りし、嵐電嵯峨駅から車折神社(芸能神社)にも立ち寄ります。

 

 

イメージ 4

北野白梅町駅から歩いて北野天満宮前の「とようけ茶屋」でお昼です。

 

 

イメージ 5

ここは私のお気に入りのお店で、何回か訪れているのですが、並ばずに入店できたのは初めてです♪。そういえば昨日25日は天神さん、26日は穴場かも…。京野菜と生湯葉膳(1922円)をいただきます。

 

 

イメージ 6

洛バス101号系統で堀川今出川へ。崇徳天皇を祀った白峯神社へ。一般的には蹴鞠発祥から球技愛好者に崇敬されている神社としてのほうが有名ですね。多くの学校・団体が優勝を祈願してボールをお供えしています。

 

 

イメージ 7

晴明神社、一条戻り橋に立ち寄り12号系統のバスで四条京阪前まで。ほんとうに十何年かぶりにお袋のお気に入りの「十六五 祇園南座前本店」でお土産に五色豆(864円)を買い、花見小路をぶらりと歩いて安井金比羅宮へ。

 

 

イメージ 8

「悪縁を断ち切り良縁を結ぶ」ことで有名な安井金比羅宮。まずは本殿に参拝し、願い事を書いた形代(お札)を持って表から裏、裏から表にくぐり抜け、碑に形代を貼るのが正式なお参りらしいのですが、本殿にも参らず形代も持たず願いを心に念じることもなくくぐってしまいました。祭神が崇徳上皇とのことなので逆にバチが当たってしまうかも…。ごめんなさい。

 

 

イメージ 9

あまりにも暑いので、近くの喫茶店に入り、メニューにもないかき氷を作っていただきました。少しクールダウンして次は六道珍皇寺へ。この辺りは平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれていました。小野 篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説があり、その冥土に通うのに使った井戸が「篁 冥土通いの井戸」です。

 

 

イメージ 10

この右奥に、「黄泉がえりの井戸」という近年見つかったという井戸があります(撮影禁止)。中が覗けるようになっているとても深い井戸で、約50cm間隔でクリスマスの電飾のようなものが井戸の中に垂らされていて怖くなるぐらい深い井戸でした。

 

 

六波羅密寺にもお参りし、教科書にも載っている空也上人立像、平清盛坐像を拝見し、八坂の塔近くの八坂庚申堂へ。最近は、京都で一番インスタ映えすると人気のカラフルな「くくり猿」。中は女の人でいっぱいで、おっさん3人では中まで入っていきにくいので写真はネットより拝借です。

 

 

イメージ 11

八坂神社の中を通り予約してあった「いもぼう平野屋本店」で夏季限定 いもぼう清涼御膳(3240円)をいただきます。

 

 

イメージ 12

白川沿いを地下鉄の東山駅まで歩きます。途中、明智光秀首塚へ。来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は明智光秀が主人公です。番組後の紀行でこの塚を代々守ってきた和菓子屋「餅寅」やこの首塚のことも取り上げられるんだろうなぁと思いながら白川沿いをそぞろ歩きします。「餅寅」さんはもうしまっていて光秀饅頭は買えませんでした 残念。

 

 

イメージ 13

今回も24000歩ほどと、よく歩いた3人旅でした。

 

イメージ 1
 
今日は用事で栄に行った帰りのお昼に「チョアチョアホットドック」のポテトチェダーハットグ(480円)をガーリックバターのトッピングでいただきます。これがハットグか…。初ハットグはとてもおいしかったです。噂通りチーズもびろーんと伸びます。2ついただく予定でしたが1つでけっこうお腹いっぱいになりました。ごちそうさまでした。

 

 

イメージ 1 
 
あらすじ
私たちは何者なのか――。神話とともに誕生し、万世一系の天皇を中心に、独自の発展を遂げてきた、私たちの国・日本。本書は、2000年以上にわたる国民の歴史と激動にみちた国家の変遷を「一本の線」でつないだ、壮大なる叙事詩である!当代一のストーリーテラーが、平成最後の年に送り出す、日本通史の決定版!

 

ひと言
約500ページの本ですが、半分以上が幕末~明治維新以降の歴史で、学校の日本史の教科書もこれぐらいの比率にならないかなぁと思ってしまいました。とても面白くどんどん引き込まれ、付箋は30箇所以上、2日で読了でした。
平成天皇が生前退位され令和の時代になりましたが、沖縄、サイパン等の慰霊の旅を続けてこられた上皇が、一番近くて是非とも行きたかったのにどうしても行けなかった靖国参拝をするために退位されたのかも と思うのは私だけでしょうか。

 

 

卑弥呼は『魏志』「倭人伝」に「鬼道を使って人を惑わす」と書かれていることから、一種のシャーマン(巫女)であったと考えられる。もしかしたら「日巫女」であったかもしれない。 卑弥呼は二四七年か二四八年に死んだとされているが、実はこの年に不思議なことが起きている。九州地方と大和地方でかなり大規模な日蝕が見られたのだ。これは現代の天文学で明らかになっていて、日時まで特定されている。月が太陽の光を遮ることで日蝕という現象が起きるのは、現代では子供でも知っているが、天文学の知識がない古代人にとっては、太陽が突如、姿を消すというのは、とてつもなく恐ろしい出来事だったと想像できる。 その日蝕が起こった年に卑弥呼が亡くなっているのは偶然だろうか。作家の井沢元彦氏は、卑弥呼は天変地異の責任を取らされて殺された可能性があるという説を唱えている。卑弥呼が太陽神を祀る「日の巫女」であるならば、大いに納得できる説である。……。
また『古事記』の中にある天照大神の「天岩戸に隠れたことで、世の中が真っ暗になった」物語は、日蝕の暗喩だという説があり、これをもって「卑弥呼=天照大神」と考える人もいる。
(第一章 古代~大和政権誕生)

 

 

仲哀天皇も神功皇后も実在しなかったのではないかという説が一部にあるが、創作上の天皇なら、わざわざこんな不自然な記述をする理由がない。したがって仲哀天皇も神功皇后も実在したと考える方が自然である。 歴史研究家の中には、この時に王朝が入れ替わったのではないかという説を唱える人が少なくない。仲哀天皇は、熊襲との戦いで戦死し、代わって熊襲が大和朝廷を滅ぼして権力を掌握したという説だ。なら、なぜ日本書紀にそれが書かれていないのか。記紀が書かれた八世紀頃は、「皇統は万世一系であらねばならない」という不文律がすでにあったので、記紀編纂者がそのあたりをうまく工夫して書いたというのだ。定説にはなっていないが、私はこの説はかなり説得力があるものと考えている。
新王朝が建ったと私が考えるもう一つの理由は、神功皇后とその子、応神天皇に「神」という文字が入っていることだ。天皇の名前に「神」の文字が入ることは特別なことである。初代から平成の御代の今上陛下まで百二十五人いる歴代天皇の中で、諡号に「神」の字が付いているのは、初代の神武天皇、第十代崇神天皇と第十五代応神天皇の三人のみである。 大和王朝の祖とされる神武天皇の業績の大きさはいうまでもない。崇神天皇の業績も神武天皇に劣らない。崇神天皇は畿内を統一して、強大な王朝を作ったとされているからだ。つまりこの二人の天皇は歴代天皇の中でも特別に偉大な存在だ。そのため、神武天皇と崇神天皇は実は同一人物ではないかという説も根強い。しかも不思議なことに『日本書紀』において、この二人の天皇は同じ「ハツクニシラススメラミコト」という尊称を持っているのである。「ハツクニシラススメラミコト」とは、「初めて国を作った男」という意味である。この奇妙な一致は単なる偶然とは思えない。一方、二代から九代までの天皇は実在しないという説も根強い(「欠史八代」といわれている)。 神功皇后と応神天皇が、崇神天皇以来の「神」の文字を戴く人物であることの意味は大きいということがおわかりいただけるだろうか。敢えて大胆に推察すれば、ここで王朝が入れ替わり、その初代を表わすために、「神」の文字を用いたように思える。仲哀天皇が死んだのが平時ではなく、九州での戦の途中であったことからも、戦死であった可能性がうかがえる。
(第一章 古代~大和政権誕生)

 

 

明治元年(一八六八)、政治の実権を握った明治天皇は即位の礼の際、京都に白峯宮(現在の白峯神宮)を創建し、崇徳上皇の御霊を七百年ぶりに讃岐から京都へ帰還させ、怨霊との和解をはかった。その約百年後には、崇徳上皇が亡くなった香川県で昭和天皇が式年祭を執り行なっている。二十世紀においても、「怨霊を錆める」ことを大事とする考えが皇室の中で受け継がれていたのである。
(第三章 平安時代)

 

 

明治六年(一八七三)には、「廃城令」が出され、一部を除いてすべての城が取り壊された。この時、特例で取り壊しを免れた姫路城や彦根城などは、現在、国宝になっている。もし「廃城令」が出されていなければ、今も日本全国に多くの天守閣が残されていたはずで、それらは非常に貴重な文化財であったと同時に、どれほど素時らしい景観であったかと思うと、惜しみてあまりある。
(第八章 明治の夜明け)

 

 

 明治五年(一八七二)、長らく便ってきた旧暦を廃し、新たに太陽暦が採用され、一年を三百六十五日とし、四年ごとに閏年をおくという現在の暦となった(明治五年【一八七二】十二月三日を新暦の明治六年「一八七三」一月一日にすることが決められた)。
(第八章 明治の夜明け)

 

 

戦後の今日、「日本は沖縄を捨て石にした」と言う人がいるが、これは誤りだ。日本は、沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦ったのだ。もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空および本土決戦のために温存したであろう。 沖縄は不幸なことに地上戦となり、約九万四千人もの民間人が亡くなった。沖縄出身の兵士は二万八千人以上が亡くなっているが、沖縄以外の出身の兵士も約六万六千人が亡くなっている。決して沖縄を捨て石にはしていない。
(第十一章 大東亜戦争)

 

 

「ポツダム宣言」をめぐっての会議は完全に膠着状態になった。 日付が変わって午前二時を過ぎた頃、司会の鈴木貫太郎首相が、「事態は一刻の遷延も許されません。誠に畏れ多いことながら、陛下の思し召しをお伺いして、意見をまとめたいと思います」と言った。 ずっと沈黙を守っていた昭和天皇は、「それならば、自分の意見を言おう」と、初めて口を開いた。 一同が緊張して見守る中、天皇は言った。 「自分は外務大臣の意見に賛成である」 日本の敗戦が決まった瞬間であった。 恐ろしいまでの静寂の後、部屋にいた全員がすすり泣き、やがてそれは号泣に変わった。 薄暗い一五畳ほどの地下壕で、十一人の男たちが号泣する中、昭和天皇は絞り出すような声で言った。 「本土決戦を行なえば、日本民族は滅びてしまうのではないか。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来ようか。自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残っていてもらい、その人たちが将来再び起ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。そのためなら、自分はどうなっても構わない」
この時の御前会議の様子は、陪席した迫水久常内閣書記官長(現在の内閣官房長官)が戦後に詳細を語ったテープが残っている(国会図書館所蔵)。この録音を文字起こしした文章を読めば、当夜の異様な緊迫感がこれ以上はないくらいの臨場感をもって迫ってくる。
(第十一章 大東亜戦争)

 

 

ここで、読者に絶対に知っておいていただきたいことがある。アメリカを含む世界四十四カ国が調印している「ハーグ陸戦条約」には、「戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されない」と書かれている。つまり、GHQが日本の憲法草案を作ったというこの行為自体が、明確に国際条約違反なのである。
(第十二章 敗戦と占領)

 

 

日本から戦争に関わるすべてのものを消し去りたいと考えていたアメリカ政府は、大東亜戦争で亡くなった日本人兵士が祀られている靖国神社を焼却する意図を持っていた。しかしこれにはGHQ内にも反対意見があり、マッカーサーは、日本にいたカソリック神父らに意見を求めた。 ブルーノ・ビッテル神父はマッカーサーに次のように進言したと伝えられている。「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。(中略)もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、アメリカ軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう」 パトリック・バーン神父も同様の意見を述べた。またローマ法王庁も「(靖国神社は)市民的儀礼の場所であり、宗教的崇拝の場ではない」という公式見解を示している。
(第十二章 敗戦と占領)

 

 

GHQの「WGIP」洗脳第一世代ともいうべき戦中生まれの人々が社会に進出し始めた昭和四〇年代頃から、「自虐思想」が再び頭をもたげてくるようになる。そして洗脳第二世代ともいうべき「『団塊の世代』(昭和二二〜二四年生まれの人たち)が社会に出始めた昭和四〇年代半ば頃から、それに拍車がかかっていく。 「WGIP洗脳世代」は、「日の丸」「君が代」はもちろん、「天皇」「靖国神社」「戦犯」、さらには「愛国心」をも全否定するという、GHQの占領時代にもなかった思想を押し立てた。それらはすべて軍国主義につながるというのが、彼らの理屈だった。彼らはGHQが押し付けた日本国憲法を賛美し、憲法九条は「世界に誇るべき平和憲法」であると盲信した。 この人々こそ、まさにGHQの落とし子であり、「WGIP」の信者であるといえた。彼らの自虐思想は、親の世代が生きた戦前の日本を全否定するまでに膨張し、さらに「反日」という思想が生み出されていく。
(第十三章 日本の復興)

 

 

「WGIP洗脳世代」が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始める。そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる三つの種が播かれた。それは「南京大虐殺の嘘」「朝勝人従軍慰安婦の嘘」「首相の靖國神社参拝への非難」である。 これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなった。
まず「南京大虐殺」であるが、これは前述したように、昭和四六年(一九七一)、朝日新聞で始まった「中国の旅」という連載がきっかけとなった。まったく事実に基づかない内容にもかかわらず、戦後、GHQによって「日本車は悪逆非道であった」という洗脳を徹底して受けていた日本人の多くは、この捏造ともいえる記事をあっさりと信じてしまった。 当時、朝日新聞が「日本の良心」を標榜し、売上部数が圧倒的に多かったことも、読者を信用させるもととなった。まさか大新聞が堂々と嘘を書くとは誰も思わなかったのだ。さらに当時、マスメディアや言論界を支配していた知識人たちの多くが肯定したことが裏書きとなり、本多の記事が真実であるかのように罷り通ってしまったのだった。 日本側のこうした反応を見た中華人民共和国は、これは外交カードに使えると判断し、以降、執拗に日本を非難するカードとして「南京大虐殺」を持ち出すようになり、四十数年後の現在では、大きな国際問題にまで発展した。情けないことに、未だに、「南京大虐殺」は本当にあったと思い込んでいる人が少なくない。今さらながらGHQの「WGIP」の洗脳の怖さがわかる。
朝日新聞が生み出したもう一つの嘘は、いわゆる「朝鮮人従軍慰安婦」問題である。 昭和五七年(一九八二)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せた。その内容は、吉田が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、かつてのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたというものだった。この記事は日本中を驚愕させた。 以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続けた。朝日新聞は吉田証言だけでも十八回も記事にしている。ちなみに「従軍慰安婦」という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められた造語である。 吉田証言が虚偽であることは早い段階から他のメディアや一部の言論人から指摘されていた。吉田自身も平成八年(一九九六)の「週刊新潮」のインタビューで、「本に真実を書いても何の益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めていた。ところが、朝日新聞がこの吉田証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から三十二年も経った平成二六年(二〇一四)である。実に三十二年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の「旧悪」を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げた。これに積極的に関わった面々の中には旧日本社会党や日本共産党の議員もいる。 多くの国民は朝日新聞が嘘を書くわけがないと思っていたのと、GHQの洗脳によって「日本軍ならそれくらいのことはしただろう」と思い込まされてきたため、「従軍慰安婦の嘘」を信じてしまったのだ。「南京大虐殺」も同様である。こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、「これは外交カードに使える」として、日本政府に抗議を始めた。朝日新聞が吉田証言を記事にしてキャンペーンを始めるまでは、四十年間、一度も日本政府に慰安婦のことで抗議してこなかったにもかかわらずだ。 韓国の抗議に対する日本政府の対応も最悪だった。 平成五年(一九九三)、韓国側からの「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、問題を蒸し返さない」という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(いわゆる「河野談話」)を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまった。途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、「日本は強制を認めたのだから」と、執拗に賠償と補償を要求するようになる。これは八十年近く前、大正四年(一九一五)の「二十一ヵ条要求」のいきさつを彷彿させる。
もう一つ、朝日新聞がこしらえたといえる深刻な国際問題は、「首相の靖国神社参拝に対する非難」である。 今も、首相の靖国神社参拝を世界の国々が非難しているという報道を繰り返す新聞があるが、これは正しくない。我が国の首相や閣僚の靖国神社参拝を感情的に非難しているのは、中華人民共和国と韓国のみといっていい。アメリカや中韓以外のアジア諸国のメディアが今でも批判的トーンで靖国参拝を報じるのは、日本と隣国との争いの種になっているから、という理由が大きい。もちろん英米メディアの中には靖国神社を「戦争神社」と言い、ここに参る者は「戦争賛美」の極右で「歴史修正主義者」だという論調もあるが、そのほとんどが、一九八〇年代の朝日新聞の報道論調を下敷きにしている。 そもそも中国・韓国のニ国は、戦後四十年間、日本の首相の靖国参拝に一度も抗議などしてこなかった。それまでに歴代首相が五十九回も参拝したにもかかわらずである。 これが国際問題となったきっかけは、昭和六〇年(一九八五)八月十五日に中曽根康弘首相が靖国神社を参拝した時に、朝日新聞が非難する記事を大きく載せたことだった。直後、中華人民共和国が初めて日本政府に抗議し、これ以降、首相の靖国神社参拝は国際問題となった。この時、中国の抗議に追随するように韓国も非難するようになった。 
以上、現在、日本と中韓の間で大きな国際問題となっている三つの問題は、すべて朝日新聞が作り上げたものといっても過言ではない。三つの報道に共通するのは、「日本人は悪いことをしてきた民族だから、糾弾されなければならない」という思想だ。そのためなら、たとえ捏造報道でもかまわないという考えが根底にあると思われても仕方がない。
その姿勢は政治的な記事に限らない。平成元年(一九八九)四月二十日の「珊瑚記事捏造事件」も同根である。これは、朝日新聞のカメラマンが、ギネスブックにも載った世界最大の沖縄のアザミサンゴに、自らナイフで「K・Y」という傷をつけて、「サンゴ汚したK・Yってだれだ」という悪質な捏造記事を書いたという事件だ。記事は日本人のモラルの低下を嘆き、「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」とまで書いた。この記事は単にスクープ欲しさの自作自演ではない。ここには、前記の三記事と同じ「WGIPによる歪んだ自虐思想」が見える。
(第十三章 日本の復興)

 

 

ここで読者の皆さんに知っておいてもらいたいことがある。それは戦時慰安婦の大半が日本人女性だったということだ。朝鮮人女性は二割ほどだったといわれている。当時は日本も朝鮮も貧しく、親兄弟の生活のために身を売らねばならなかった女性が少なくなかった。そうした女性たちが戦時に戦地の慰安所で慰安婦として働いた。これが事実のすべてである。
一方、「靖国神社参拝」については、政治家の参拝を非難する左翼系の学者や文化人の中に、「中国が抗議したのは、A級戦犯を合祀したからだ」と言う人がいるが、これは稚拙で罪作りな嘘である。靖国神社が「A級戦犯」とされた人々を合祀したのは昭和五三年(一九七八)十月である。それから昭和六〇年(一九八五)まで三人の首相(大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘)がのべ二十二回参拝しているが、昭和六〇年まで、中国は一度も抗議していない(A級戦犯合祀は翌年に朝日新聞によって報道されている)。 また「天皇陛下でさえ、A級戦犯合祀以来、参拝されていない」と言う人もいるが、天皇陛下が終戦記念日に靖国神社を親拝されなくなったのは、昭和五一年(一九七六)からである。実はその前年 昭和五〇年(一九七五)、三木武夫首相の参拝について「私人としてのものか、公人としてのものか」とマスコミが大騒ぎしたことがあった。昭和天皇が終戦記念日に靖國神社を親拝されなくなった理由はわからないが、もしかしたら「自分が行けば、私人としてか公人としてかという騒ぎが大きくなる」と案じられたのかもしれない。
(第十三章 日本の復興)

 

 

戦後の日本人を蝕んだ「自虐思想」に付随して生まれ、浸透したのが日本独特の「平和主義」である。これは、「平和」を目的とするものではなく、極端な反戦思想と言い換えた方がいいかもしれない。 憲法九条によって国の安全保障をアメリカに委ねてしまった日本人は、ただ「平和」を唱えていさえすれば、「平和」でいられるという一種の信仰を持つに等しい状態となった。そして「武」を「穢れ」として忌み嫌う、平安時代の貴族のような思想を持つに至ったのである。 昭和四〇年代から平成半ばまでは、自衛隊を蔑み、嫌悪する考えも非常に強かった。戦後、日本人は、平和には戦いや犠牲がつきものであることや、時には力をもって、平和を勝ち取り維持しなければならないという「常識」を捨て去ってしまったのだ。
(第十三章 日本の復興)