令和になって初めての参議院選挙 翌日の2019年7月22日。
下の娘も運転免許を取りました。

 

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くれぐれも事故のないように、安全運転を心掛けてください。

 

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あらすじ
伍代藩士の楠瀬譲と栞は互いに引かれ合う仲だが、譲は藩主の密命を帯びて京の政情を探ることとなる。やがて栞の前には譲に思いを寄せる気丈な女性・五十鈴が現れて……。激動の幕末維新を背景に、懸命に生きる男女の清冽な想いを描く傑作長編時代小説。伍代藩士の楠瀬譲と栞は互いに引かれ合う仲だが、譲は藩主の密命を帯びて京の政情を探ることとなる。やがて栞の前には譲に思いを寄せる気丈な女性・五十鈴が現れて――。激動の幕末維新を背景に、懸命に生きる男女の清冽な想いを描く傑作長編時代小説。

 

ひと言
図書館の葉室 麟さんの棚で、この本の帯の「この君なくば 一日もあらじ」という言葉が目に止まり、葉室 麟にこのタイトル、もう読むっきゃないでしょと思い借りました。期待通りのとても素敵な本で、譲と栞はもちろん、五十鈴がすごく恰好いいし、こんな藩主いるの!?というぐらい忠継もいい。とても素敵なひとときを過ごさせていただきました。ありがとう 葉室 麟さん。
それにしても葉室さん、【村山たか】(安政の大獄の際には京都にいる反幕府勢力の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担。桜田門外の変で直弼が暗殺された後、尊王攘夷派の武士に捕らえられ三条河原に3日3晩晒されたが、女性ということで殺害を免れた)【河上彦斎】(幕末の四大人斬りの一人、二卿事件への関与)【二卿事件】(攘夷派の公卿 愛宕通旭と外山光輔が明治政府の転覆を謀ったクーデター未遂事件)などを織り交ぜてくるなんて、ちょっと詳しく書きすぎ!勉強にはなりましたが……。

 

 

暑さで肌が汗ばむ日、此君堂を訪れた譲は、和歌の添削を終えた後、茶室で茶を振舞われた。茶を喫して茶碗を拝しつつ、床の間の掛け軸に目を向けた。
竹葉々(ようよう)清風を起こす  清風脩竹(しゅうちく)を動かす とある。
虚堂禅師の七言絶句詩の三、四句目、 ―― 相送って門に当たれば脩竹あり、君が為に葉葉清風を起こすからとられている。虚堂禅師の住む鷲峰庵に三人の禅友が訪れた。三人は天台山の国清寺に向かう途で、別れ難く門のところまで見送りに出てくると、さわやかな風が吹いて、あたかも別れを惜しむかのように竹の葉がさらさらと音を立てたという。鉄斎はこの詩句を好み自ら筆を執った。 「先生はまことに竹がお好きでしたな」 譲がつぶやくように言うと、栞はうなずいた。 「この君なくば、一日もあらじが口癖でしたから」此君堂の名は、『晋書』王徽之伝にある、竹を愛でた言葉の、―― 何ぞ一日も此の君無かるべけんやからとったもので、〈此君〉とは竹の異称だ。 「竹のまっ直ぐな清々しさを先生は好まれたのでしょう。わたしなどはずいぷんと俗塵にまみれてしまいましたが、此君堂に来ると心が洗われる気がいたします」譲の言葉に栞は微笑した。
十五年前、武蔵と名のっていたころ譲が初めて此君堂を訪れた。その日のことを栞はいまもはっきりと覚えている。譲は玄関で訪いを告げず、竹林を抜けて庭先にまわり、広間で門人に講義している鉄斎の声に耳を傾けていた。 栞は庭に出ようとして譲に気づき、 「おあがりになりませんか」 と声をかけた。すると、譲は恥ずかしそうに顔を赤らめて、 「わたしは束脩(そくしゅう)を払えませんから」 と言った。入門するにはわずかながら金品を納めねばならない。貧しくてそれがかなわない者に対して、鉄斎は庭先から聞くことを許していた。 譲はその日以来、鉄斎が講義を行う時は欠かさず庭先で聞いた。風が強かろうが雨が降ろうが、竹林を抜けてやってくる譲の姿を、いつしか栞は心待ちにするようになっていた。 
どしゃ降りだった日、庭先にひとりで濡れながら講義を聞く譲のために栞は傘を持っていったが、譲は固辞して雨中に立ち尽くした。 一年間通い続けた四月のある日、門人が帰った後で鉄斎は譲に、此君堂の広間に上がるよう声をかけた。広間に座ってすぐに、日頃心がけていることは何だ、と訊かれた。譲は困った顔をしていたが、やがて、 「稚心を去るということでしょうか」 と答えた。鉄斎は譲の返事に興味を示した。 「稚心とは幼い心だな。はやくおとなになりたいのか」 「はい。わたしは軽格の家の二男でございますから、自らの生きていく道を早く見つけねばなりません。いつまでも幼い心でいるわけには参りません」 そうか、とうなずいた鉄斎は、束脩は納めずともよい、あすからは正式の門人として講義を聞くよう譲に言った。 「まことでございますか」 譲の顔がぱっと明るくなった。縁側でふたりの話を聞いていた栞も嬉しくなって顔をほころばした。するとちらりと栞に目を向け、 「わしの娘が、いつまでそなたを庭で立ち聞きさせるのだ、とうるそうてな。雨の日も濡れたままにさせておくわしを、情け知らずのように言うのだ」 鉄斎が笑うと、譲は真面目な面持ちで手をついて、 「お嬢様、ありがとうございます」 と深々と栞に頭を下げた。栞は庭に立ち続ける譲が気の毒だ、と何度か母の房に訴えていた。房がそのことを鉄斎に伝えていたのだろう。 栞は恥ずかしさを覚えて下駄を履いて庭に下り、そのまま竹林の中に駆け込んでいった。さっと風が吹き渡った。(一)

 

 

「さて、そなたに少し、聞いておきたいことがある」 栞が手をつかえると、忠継はおもむろに言った。 「此君堂の此君とは竹の異名らしいが、王徽之(おうきし)が竹を愛でて、何ぞ一日も此の君無かるべけんや、と言うたことに由来するらしいな」「さようにございます」 「されば、これは五十鈴にも訊いたことじゃが、そなたには、この君なくば一日もあらじと想う相手はおるのか」 目を見つめて訊かれ、栞はどきりとした。歌会の満座の前である。何と答えたらよいのか、とっさにはわからない。同じことを五十鈴にも訊いたということは、譲への気持を確かめたに違いない。そのうえで、自分も訊ねられているのだから、忠継は何事かを察しているのだ。忠継が此君堂にまでやって来て五十鈴と会ったからには、譲との間を取り持つつもりでいるのは明らかだ。自分がいま、想う相手がいると言ってしまえば、それを妨げはしないだろうか。 栞が思い惑っていると、忠継が重ねて訊いた。 「いかがした。答えられぬのか」 先ほどまでの張りのある声とは違う、やさしげな物言いだった。
譲にとって忠継は仕えるに足る主君であるのは間違いない。その主君との間に溝ができるようなことをしてはならない。想う相手はいない、と答えようと栞は思った。 顔を上げた時、忠継の後ろに控えた五十鈴と目が合った。五十鈴の出で立ちを見た時、このひとは偽らない真っ直ぐなひとだと感じたのを思い出した。 (五十鈴様の前で嘘はつけない) 栞は忠継に顔を向けて、 「この君なくば一日もあらじ、と想うお方はおりまする」 と言い切った。一瞬、五十鈴の目が厳しくなったが、すぐにやわらかさを取り戻した。少し涙が滲んだように見えたのは気のせいだったのだろうか。忠継はにこりとして、 「さすがに鉄斎の娘じゃ。腹蔵なく申すものよ」 と大声で言い置いて立ち上がった。 「見送るにはおよばぬ。そのままにいたせ」 忠継はそう言い放つと、大股で玄関へ向かった。(七)

 

 

栞がためらいを見せて目を伏せると、譲はやさしく言葉をかけた。 「わたしの妻になるのは気が進まれませぬか」 「いえ、決してさような」 答えてから栞はうなじが熱くなるのを感じた。返事を言いかねてうつむく栞の様子を気にかける素振りも見せず、譲は話を続けた。
「以前、村山たかなる女人が三条大橋でさらし者になっていたのを見たと手紙にてお伝えしましたが、あのおりは、かように嵐の如きご時世となり、わたしもいつ何時どのような災厄が降りかかるかわからぬ身で、栞殿を妻に迎えることなど望むべくもない、と思っておりました」 「その後、お考えが変わられたのでございましょうか」 
「さらされていた村山たかに、運命に翻弄されながらも、おのれの信ずるものに殉ずる美しさを覚えました。いまの世はいずれの地にいようと、荒れ狂う時の流れを避けて通ることなど許されないと覚悟いたすしかないのではありますまいか。すでにわが藩でも尊攘派の争いにより、牛頸川の河原で藩士が斬られるという不穏な事態も起きています。嵐に立ち向かわねばならぬのであれば、大切なひとと手を携えて参りたいと思ったのです」 「さようでございましたか」 栞は胸が一杯になって涙があふれそうになるのを堪えながら譲に顔を向けた。(八)

 

 

竹の葉がそよぐ音にまじって、静かに竹の落葉を踏む音が聞こえてきた。栞がいつも待ちわびてきた足音だ。 やがて竹林を抜けて譲が近づいてくるのが見えた。引き締まった体に洋服がよく似合っていた。栞は微笑み、胸の中でつぶやいた。
―― この君なくは一日もあらし(十七)

 

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あらすじ
会ってすぐ名前がまぎらわしいと、キョウスケはキョウコを「二号」と呼ぶ。美男の兄と角張った顔の妹。親の再婚で家族となった二人の物語。幼くして実母と死別した妹は継母スミレを慕うのだが、スミレは借金を抱えて失踪し、父と離婚。兄妹も離ればなれとなる。「面白みのない」自衛隊員の父、キョウコに恋するもオシの足りない男、世話焼きな警官など、下町の「けったいな人たち」が脇をなし、木皿泉の群像ドラマっぽくもある。十数年後、ワルに染まった兄と再会。反発しながらも、妹は兄が気がかりでならない。といって恋愛に陥るわけでもなく、置き去りにされた「同志」とも呼ぶべき関係を保っていく。

 

ひと言
神戸の下町を舞台にした物語で、どこか角田 光代さんの作品のような感じのする物語でした。「きょうの日は、さようなら」は石田 香織さんの作家デビュー作とのこと。今後の作品を期待しています。

 

 

「あ、ねえちやん、きたで! 顔上げてみ」 おじさんのはしゃいだ声に目を上げると空が白み始めていた。 「この時間な、浜にはだれもおらんねん。そやからこの綺麗な眺めはわしだけのもんや。どや? 世界を独り占めや」 おじさんは黄ばんだ歯を見せながら得意気にそういうと空を見上げた。 濃紺の空の端からうっすらとピンク色が生まれ、気がつけば燃えるようなオレンジ色が、あっという間に空を覆い尽くした。そしてそれはやがて柔らかい黄色になり、白い雲へと吸い込まれていく。 今まで数えきれないほどの夕日を見だのに朝焼けを見たのは初めてだった。 「朝焼けってきれいですね」声をかけようとしたが、おじさんは何事もなかったかのようにせっせと港のゴミを拾い集めながら早足で歩いていった。 私はまた空を見上げた。スミレさんと夕焼けを眺め、キョウスケと満月を見た同じ空に、違う美しさを発見したことを喜んでいる自分に気が付き頬が緩む。 あんなに絶望して心が死んでしまったはずやのに、それも半日しか続かんのか。私って単細胞やな、ほんまに。そう思ったとたん「おまえはほんまにあほやなぁ」と心の中でキョウスケの声がした。 あほはあんたや。世界で一番のあほや。 まるでそこにいるキョウスケに語りかけるように「あかんたれ」と言いながら立ち上がり港を見渡した。海は朝日に照らされ輝きはじめ、どこからか鳩たちがやってきてせわしなくコンクリートをついばむ。遠くの海から聞こえてくる汽笛の音に沸き立つように香る潮風を思いっきり胸に吸い込んだ。
ここに、キョウスケはいない。でもいま、この瞬間、同じ空の下でキョウスケはきっと生きている。どこにいてもただ生きていてくれさえすればいいと心は凪いでいた。 私は見慣れた港の朝をかみしめるようにゆっくりと歩きながら駅に向かった。
数日後ポストに一枚の絵葉書が届いた。差出人のないそれには海とも空ともつかない、ただ真っ青な風景があった。(4)

 

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今日6月30日は「夏越の祓」。お天気がよければ「茅の輪くぐり」や「形代流し」に出かけたいところですが、あいにくの雨。ただ、夏越の祓の日に食べる縁起物の「水無月」だけは売り切れになる前に買いに行こうと、10時前に中村公園の大鳥居 すぐ横の「孝和堂 本店」へ。水無月の(白・黒)(各190円)をいただきます。邪気をはらう力がある小豆をいただき、残りの半年も無事に過ごせますように!

 

孝和堂 本店(食べログ)
名古屋市中村区鳥居通5

 

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あらすじ
天岩戸開き、ヤマタノオロチ、因幡の白兎、海幸彦と山幸彦など、子供のころに読んだ日本の神話はどれも古事記に載っているもの。古事記というと難しそうなイメージがありますが、実は個性的なキャラクターの神様が様々な愛憎劇や冒険活劇を繰り広げる、愛と涙と勇気の一大ストーリー。そんな古事記を大人も子供も楽しめる作品に仕上げたのがこれ。活字の古事記につまずいた人でもすんなり古事記の世界に入れます。

 

ひと言
図書館でこの本を見つけて借りました。絵がとても可愛らしく、わかりやすかったです。すべての人(古事記にかなり精通している人を除く)にお勧めの一冊です♪

 

 

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今日のお昼は、こだわりフレッシュチーズが楽しめるという「Milks -FRESH CHEESE&WINE」へ。フレッシュチーズプレートにしようかと迷ったのですが、スタッフにおまかせプレート(800円)にしました。今日は焼きチーズカレーでした。先に出されたにんじんのスープがとてもおいしかったです♪。肝心のメインはカレーも美味しいのですが、カレーを引き立てているチーズが美味しくて、今度はこのお店の一番人気の「名物!モッツァレラステーキ」を食べに来ようと思いました。ごちそうさまでした♪

 

 

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今日のお昼は、今月5日にオープンしたばかりの「はるかなるカレー 名古屋」へ。東京の銀座では人気の、野菜てんこ盛りのカレー屋さんです。1種類しかないメニュー はるかなるカレー+温玉トッピング(1380円)をいただきます。こんなに温・生野菜たっぷりのカレー見たことも食べたこともないというカレーで、キャベツや水菜にもちゃんとスパイシーな味がついていておいしいです。出されたときはご飯増量にすればよかったかなと思いましたが、たっぷりの野菜でけっこうおなかいっぱいになりました。野菜好きの女の人にはたまらないカレーだと思います。ごちそうさまでした。

 

 

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あらすじ
自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション! 重度の筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦たち約40名のボランティアの日常を描いた渾身のノンフィクション。人工呼吸器をつけた病の極限化で、人間的自由を貫こうとした重度身体障害者と、さまざまな思惑から生の手応えを求めて介護の現場に集ったボランティアたち。「介護する者、される者」の関係は、ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、壮絶な「戦場」とも言えるものだった。

 

ひと言
今月は何かと忙しかったのと、2冊ほど図書館で借りた本を途中で読むのをやめてしまったこともあり、久しぶりの読書の書き込みとなりました。この本は人から勧められて読んでみましたが、いろいろと考えさせられることも多くてとても勉強になりました。映画化もされているようなのでレンタルDVDで見かけたら借りて観てみようと思います。

 

 

ある日の深夜、病室の簡易ベッドで眠っていた国吉は、鹿野の振る鈴の音で起こされた。「なに?」と聞くと、「腹が減ったからバナナ食う」と鹿野がいう。 「こんな真夜中にバナナかよ」と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で鹿野の口に押し込んだ。二人の間には、言いしれぬ緊張感が漂っていた。 「それに鹿野さん、食べるスピードが遅いでしょ。バナナを持ってる腕もだんだん疲れてくるしね。で、ようやく一本食べ終わったと思って、皮をゴミ箱に投げ捨てて……」 もういいだろう。寝かせてくれ。そんな態度を全身にみなぎらせてベッドにもぐり込もうとする国吉に向かって、鹿野がいった。 「国ちゃん、もう一本」 なにイー! という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは急速に冷えていったという。 「あの気持ちの変化は、今でも不思議なんですよね。もうこの人の言うことは、なんでも聞いてやろう。あそこまでワガママがいえるっていうのは、ある意味、立派。そう思ったんでしょうか」
(第一章 ワガママなのも私の生き方 2)

 

 

彼にとってのボランティアは、一般に言われるような「『してあげる』から『させていただく』へ」とは逆のプロセスをたどったことがわかる。つまり、「してあげる」ことのできる自分を発見し、確認することで彼はようやく介助者として独り立ちできたのだろう。
(第二章 介助する学生たち 2)

 

 

もちろん介助は、基本的に障害者本位でなければならないと思う。しかし、介助者も人間である以上、受け入れられることと受け入れられないことがあり、各人各様の判断基準がある。また、それらの基準は書物に明記されているわけではなく、一律に決められることでもない。しかし、もし介助者が障害者との摩擦や対立を避けて、ただ黙って従ったり、逆に突っぱねたりするだけでは、「介助者対障害者」から「個人対個人」の関係には、なかなか踏み込めない。 何が許せて、何が許せないか、ということに、その人の「自我」があらわれるからだ。それがはっきりして初めて、障害者の方も、「この人にはここまでは頼める。これはこの人には頼めないから別の人に頼もう」というような介助者の″人柄 ″をつかむことができる。 山内が介助ノートに書いていた《鹿野さんを通して自分を知る。鹿野さんに自分を教えてもらいに行く》という記述は、「介助」とはこうしたことの繰り返しだからという面もあるのだと私は思っている。
(第二章 介助する学生たち 3)

 

 

慶応大学教授の金子郁容は『ボランティア もうひとつの情報社会』という本の中で、ボランティアとは、《「助ける」ことと「助けられる」ことが融合し、誰が与え誰が受け取っているのか区別することが重要ではないと思えるような、不思議な魅力にあふれた関係発見のプロセスである》と書いている。確かにボランティアの体験談などを読むと、「助けられているのはむしろ私の方だ」というような文章をよく目にしたりするが、ある局面ではまさにそういう言い方ができるのであり、ボランティアをされている鹿野もまた、多分に「ボランティアしている」という見方が可能であることに気づく。
(第二章 介助する学生たち 5)

 

 

じつは前に福祉の勉強会でね、ボランティア心理について話題になったとき、誰かが本の一節かなにかを引用して教えてくれたことがあるんです。『一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる』って言葉なんですけど …… この言葉の意味、わかります?」 ―― ええ、わかります。 私は、なんというか、ふいに鉛のタマを手渡されたような気がした。荒川はいう。 「ちょっと聞いただけだったんだけど、そのとき、その言葉だけがすごい重かったんですよね。私も、考えてみれば仕事や家庭に何の不満もなくて、それだけで満たされていたとしたら、果たしてここでボランティアしてただろうかって思い悩んだことがあって……」 ううーん、と私は考え込んでしまった。そういう部分は確かにありうるのかもしれない。 自分より「不幸」な人間を見て安心したい、さらに助けの手を差し延べることで、自分の不遇感を埋め合わせたいという心理。そうした心理は、障害者とボランティアに限った話ではなく、健常者どうしの人間関係にも広くあてはまる、ありがちな心理なのだろうが。
(第二章 介助する学生たち 5)

 

 

今の鹿野には、障害が重いことを逆手にとって″イバッている″と思いたくなる瞬間がある。何度もこだわるようだが、私が新人ボランティアの「研修」の場で驚いたのも、そうした逆転の発想の現場に立ち会った気がしたからだ。「できないことはしょうがない。できる人にやってもらうしかない」と鹿野はいうが、障害を、そうやって社会や他人に強く押し出して行くたくましさを、どのようにして身につけていったのか。
(第三章 私の障害、私の利害 1)

 

 

一九七〇年(昭和四五年)、脳性マヒの二人の子どもを育てていた母親が、思い余って下の娘の首を絞め、殺害するという事件が起こった。しかし、事件後この母親に多くの同情が集まる。 母親を殺害に追い込んだのは日本の福祉施策の不備であり、母親も被害者なのだ ―― 近所の人や同じ障害児をもつ母親を中心に、加害者である母親の「減刑」を嘆願する運動が開始された。 ところが、この「減刑」に激しく異を唱えたのが、悩性マヒ者のグループ「青い芝の会」である。一九五七年(昭和三二年)に活動を始めたこのグループは、日本における先駆的な障害者団体としてその名を知られる。 母親のつらい立場はわかるが、もし減刑が認められるなら、「脳性マヒ者は殺されても仕方のない存在」ということになる。減刑は、脳性マヒ者の「生きる権利」の否定である ――。
(第三章 私の障害、私の利害 2)

 

 

最後まで、ボランティアたちの作業の陣頭指揮にあたっていた主婦ボラの荒川麻弥子はいっていた。
「一人ひとりに役割があって、人とめぐりあって初めてその中で活かされる。シカノの中で自分が活かされ、自分の中でシカノが活かされる。結局、人間って、一人で生きてるだけでは、自分が生きてるっていう実感も、本当にはつかめないものなんですよね……。 でも、ボランティアって、いいことばっかりではなかった。すごい葛藤があって、すごいドロドロがあって、とても信じられないことを言われたり、命令されたり、内心はコノヤローと思いながらも、その中で自分がどう反応するのか、どう対応するのか ――。得たものは確かに大きかったけど、失うものも大きかった。そして、そこまで行けないボランティアも多かった。 でも、そういうことを経る中で、自分の力で何かを勝ち取るというか、こうしてシカノとの出会いを素晴らしいものと思える、シカノに教えられたと思える。それが素晴らしいのであって、最初からそれがただ与えられていたわけではなかった」
(エピローグ 5)

 

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今日、仕事で栄に行った帰り、2019年6月7日栄オアシス21に名古屋で3店舗目にオープンした「ゴンチャ」へ立ち寄りました。約40分並んで一番人気のブラックミルクティ+パール(タピオカ)にタピオカを追加トッピングしたタピオカW(604円)をいただきます。
このもちっとした黒いのが巷で噂のタピオカか…と思いながら太めのストローで吸い込みます。初の食感においしいじゃんと思いながら飲みましたが、後のほうになるとさすがにWはタピオカ多すぎでくどい!と思ってしまいました。次はゲートタワーモールの「ジアレイ」かな。初ゴンチャ(貢茶)、初タピオカドリンクでした。ごちそうさまでした。

 

Gong cha(ゴンチャ)
名古屋市東区東桜1 オアシス21

 

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今日のお昼は、平日のお昼3時間しか営業していないお店「カレーうどん 黒崎屋」へ。味玉チーズカレーうどん(900円)をいただきます。かつお出汁をベースにしたまろやかなルウでおいしかったです。ごちそうさまでした。

 

カレーうどん 黒崎屋
名古屋市中区錦1