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これまでのお話
続きです
建物に入ると、すぐにiPhone置き場があり
私も潜水艦乗りさんもそちらへ置きました。
そこから階段。
その頃は妊娠初期でも2、3ヶ月だったので
そんなに疲れることもなかったんですが、
ゆっくり上がらせてもらって、目的地へ到着!!
潜水艦史料館
です
てつのくじら館には無い、
歴史のある資料や、大切なものが展示されていました
ここで1時間半ほど説明をしてもらったんですが…
しっかりと覚えているのは最初の方だけ。
簡潔に説明すると、
日本の潜水艦の歴史は、
1-5隻目まではアメリカから購入しました。
しかしバラバラに届いたそうで組み立て方が分からず、技術者を1人呼んで教えてもらい組立てて完成しました。
6隻目が初の日本産!!
こちらは残念ながら沈んでしまったということです。しかし、皆、持ち場を最後まで離れなかったという艦長の記録が残っていました。部品(プロペラって言ってた気がします。)が、呉市の鯛の宮神社に納めてあるそうです。
呉市ホームページ参照、鯛の宮神社について
(https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/67/m000045.html)
もう一つ興味深かった内容は、
当時の潜水艦には(誤)ヘリコプター(正)水上攻撃機が隠されていて離陸できたそうです。
(すみません、私には潜水艦が「フグ」に見えるのでフグで例えますと、潜水艦の背ビレの部分あたりに隠していたそうです。)
だから、なんなんだ?って思いますよね?
それが現代でいう潜水艦からミサイルを発射させる技術の元になったとのことです。
つまり、どこにいるかわからない潜水艦からいきなりミサイルが発射される、あの技術は日本が潜水艦に隠していた(誤)ヘリコプター(正)水上攻撃機からの応用だったんだ!ということらしいのです。
(うる覚えなので間違っていたら申し訳ございません。)
そう聞くと、日本ってすごいな
と改めて実感しますし、
日本人で良かったなと思えますよね
(この話を聞いてる時に子宮あたりがキリキリと痛かったので、妊娠初期なので胎動は感じられませんが、おベビまる起きて一緒に聞いていたのかなと思っていました
)
私の頭に残った記憶はそこまで…
あとは、戦時中胸元にしまっていたメモ帳に銃が撃たれた跡の遺品や…英霊さんの遺品が数多く残っていました。
ずっと難しいお話が続く中、
私が1番興味を惹かれたのが…
黒電話
「これお婆ちゃん家にあるんです!
懐かしい」
今のボタン式のようにピッピと押せるものではなく、数字を選ぶたびに時計回りで最後までダイヤルを回さないといけない、あの昭和の大発明、黒電話
他にも色々と昭和の家電が置いてあって、
ここはパナソニックの松下電器歴史館(パナソニックミュージアム)か!と思うくらい見ていて楽しかったです。
潜水艦の史料館なのに、そういうところが観光気分で楽しかったです
潜水艦史料館を出た廊下には、
全ての潜水艦の盾(?)が飾られていて、
色んな潜水艦のデザインを眺めることができました。
しかしここは絶対に撮影禁止!!
えっ?これごときでなんで?
って思ってお聞きすると…
その下のショーウィンドウに、納得できる国家機密が展示や詳細が書かれていたのです
反射して映らないとも限らないので、撮影禁止は大いに納得ふむふむ。
そして登ってきた階段を降りて、
iPhoneを受け取ると何やら扉のガラスに引っ付いておる。
あれはただの蛾に見えるけど、
さては…
スパイか!!
アリといい蛾といい、
それに“見せかけた”スパイを送り込むとはたいしたもんだ。
「あれ、絶対スパイですよ!」
と友人の潜水艦乗りさんに言ったのにフル無視されました
そのあとは、360度海になる訓練場所等を見せてもらい、その建物を出ました。
続きます。
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