ウクライナとロシアの戦争が始まった日に書いた記事です。
旅先で、テレビをみている。
戦争がはじまってしまった。
「ウクライナの人たちを攻撃するのは許せない」
「ウクライナを助けよう」
っていう内容がずっと繰り返される。
コロナがはじまったとき、「アマビエからのメッセージ」としてわたしは書いた(コロナとアマビエのメッセージ)。
わたしたちが、コロナで気づけなければ、「コロナの方がましだった」ってことが起こるって。
今の人口は、食糧事情を鑑みたらこれ以上人口は増やせないギリギリラインだとずっと言われている。
気が遠くなるほどの量の食料を廃棄しているというのに、飢えに苦しむ人たちがコロナで亡くなる人より圧倒的に多いというアンバランス。
本当に、今、私たちが、自らを省みて何かを変えなかったら、食料事情は破綻して、今度は食糧の奪い合いになる。
だって、つい先頃、体験したもの。
コロナパニックで、町中のトイレットペーパーが消えたんだよ?
あんなもの、最悪なくったって生きていけるはずなのに。今回なくなったのは、ネットニュースで「なくなる」って噂になっていた、ホットケーキミックスと、パスタと小麦粉ですんだけど、「食料がなくなる」っていうニュースが流れたら、もはや何も買えないと思う。
そして飢えに苦しむしかなくなるのは目に見えている。
コロナで気づけないと、次に起こることは食糧難である。
そして、その時思う。
「コロナの方がマシだった」って。
ほんの少しの想像力と思いやりで、この世は天国になる。
「あなたの隣人を愛しなさい」
とイエスは言った。
目の前の誰かを助ける。
そして、目の前の環境を少しだけよくする。
自分が出す水をきれいにする。
人の意識がほんの少し上がるだけで、きっとコロナは役割を終える。
コロナは人間を滅ぼしにきたんじゃない。
たぶん、人間の影響力を、減らしにきたのだと思うのだ。
今大事なことは、「誰が間違っているか」を明らかにすることではない。
わたしたちは、思いやりを持っていいと思う。
ウクライナの人たちに哀れみと慈しみをもつように
ロシアの人たちにも、同じように、哀れみと慈しみをわたしはもちたい
わたしたちの国の政治と外交が悪くて、
カードが止まり、
貿易が滞って、ものが売ることも買うこともできなくなったら。
わたしたちは、
オリンピックをみんなが反対しているはずなのに、オリンピックを開催して驚いた
という体験をしたように(天神さまへつづく道 〜てんのうさんから天神さんへ 牛と梅)、民主主義の危機に直面している。
民意を反映できているとは思えない政治の結果を引き受けているから、
いつロシアと同じ目に遭うかもしれない。
「明日は我が身」
って気づいてもらいたい。
わたしたちに必要なのは、批判や攻撃ではなくて、受容や寛容。
どうか、わたしたち庶民は、停戦を願いませんか。
制裁で、平和は訪れない。
そこには勝者と敗者が生まれるだけ。
わたしたちの目の前の、世界に思いやりをもつ。
あなたの目の前の人を大事にする。
環境を大事にする。
たったそれだけで、世界は天国になる。
地上に天国を作ろう。
きっと、できる。
わたしたちは、本当は、愛でできているんだから。