絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話 -50ページ目

雑話228「ムンクの荒療治」

先週のブログに登場したムンクの代表作「叫び」は、1994年に所蔵しているオスロ国立美術館から盗難にあいました。


エドヴァルド・ムンク「叫び」1893年

その後の懸命の捜索によって、作品は無事取り戻されたのですが、盗難作品の真贋の決め手となったのが、画面に付着していた特徴的な汚れでした。


この汚れは、公開された当初からついていたロウで、流石に汚れまでは本物と同じようにつけることが難しいことから、それが付着している作品が本物と判断されました。


「叫び」に付着しているロウ

盗難事件では、作品の真贋の判断に決定的な役割を果たした汚れですが、なぜ大切な作品を汚れたままにしていたのでしょうか。


実は、ムンクは描いた絵画の扱いには無頓着で、アトリエ中に置きっぱなしにしていました。そこで、訪問客はパレットに躓いたり、出来上がったばかりの絵を踏んづけてしまうこともあったそうです。


それは、ムンクが晩年に野外にアトリエを設けたときも同様で、彼は描いた絵を屋外に長期間放置していたため、それらは崩れかかった壁画のようになりました。


エドヴァルド・ムンク「別離」1894年

※雨、風、雪、強い日差しにさらされ、カンヴァスには染みが浮き、絵具も色褪せています

色彩は渇ききって剥がれそうな薄片となって垂れ下がり、カンヴァス地の織りまでくっきりと見える箇所がいくつもありました。


こうした絵に対する無頓着な扱いを、ムンクは「荒療治」と呼んでいました。


雪の積もった野外アトリエで絵を描くムンク

この荒療治の目的は、絵の表面を乾いた、艶消しのフレスコに似た状態にすることがひとつ、もうひとつはカンヴァスに時間の要素を取り入れることにありました。


そうすることによって、絵画は崩壊過程の只中にある感覚を備え、ポンペイの剥落しつつあるフレスコ画や、滅びて今はないビザンチン帝国の臣民の葬儀用肖像画のような、見る者の感情に訴える格別な気配を帯びることになりました。


このような手法は、彼の初期の代表作である「病める子」の描き方が反映された可能性があります。


エドヴァルド・ムンク「病める子」1885-6年

最愛の姉の死が題材の、この傑作はおよそ一年もの間何度も描き直されました。


ムンクは”気に入らない箇所を削り取り、中景をぼかしながら、繰り返し第一印象を捕えようとした”結果、カンヴァスには無数の傷が残りました。


「病める子」の画面に残る無数の傷

「病める子」は当時の人々にはまったく理解されませんでしたが、ムンクは後にこの絵画を梃子に、作品の方向性を一変させたと語っています。


この絵こそ、完全な現状打破、後に続くものすべての足掛かりとなった重要な作品でした。