雑話40「カフェ・ゲルボア・・・印象派の方向性はここで決まった」
パリの街角にはたくさんのカフェがあることで有名ですが、印象派のメンバーがパリにやってくる以前から既に多くのカフェがあり、当時の人々の憩いの場となっていたようです。
彼らがまだ自らの方向性を模索していた1860年代後半、当時の反アカデミー派のリーダーとなっていたマネと彼の支持者達がパリのバティニョール大路にあるカフェに集まるようになっていました。
そのカフェの名はカフェ・ゲルボア(Café Guerbois)。
カフェ・ゲルボアでは、木曜日の夜に定例会が開かれ、芸術家たちが活発にお互いの芸術論について意見を戦わせていました。
エドゥアール・マネ「カフェにて(カフェ・ゲルボワ)」1869年
後にモネはその事について”際限なく意見を戦わすこうした『雑談』ほど面白いものはなかった。そのお陰で、我々の感覚は磨かれ、何週間にもわたって熱中することができ、そうして意見をきちんとまとめる事ができた。我々は考えをもっとわかりやすく明確にし、意思をさらにしっかりと固めて、そこから立ち上がることが出来たのだ”と語っています。
例えば、カフェ・ゲルボアではしばしば「影」の表現について議論されました。
マネはいつも”光は統一性を帯びているので、モノトーンで充分光を表せるし、また目に見えないものや、光の強度を弱めるだけでなく、本当は強調しなければならない影の色調を和らげてしまうものを塗り重ねるより、明らかに自然光であっても、光から影に突然移行するほうがよいのだ”と主張していました。
エドゥアール・マネ「バルコニー」1868年
しかし、グループ内の風景画家たちは、対象をたんに光と影の部分に分けるというマネを方法には賛成しなかったようです。
戸外で描いていた彼らの経験では、影の部分は光に当たっている部分と同じ色価ではないが、同じように色が鮮やかであり、その中でも補色と青が際立って見えました。
こうした経験を元に描かれた作品の全体的な様子は、以前の描き方の作品に比べてより明るくなりました。
クロード・モネ「カササギ」1869年
モネ、シスレー、ピサロはこうした影の問題をさらに検討するために、冬景色に専念し始めました。
そして、雪の上にできた影の部分にもともとの白ではなく、大気や光を妨げる物体によって影響された色が顕れるということを発見し、光にさらされている周りの状況が、影の部分の色に影響を与えていることがわかったのです。
カミーユ・ピサロ「ルーヴシエンヌのヴェルサイユ街道-雪の効果-」1869年
また、反射光を観察したお陰で、影は絵を明るい部分と暗い部分に分けるのではなく、まとめる役割を果たす事になったのです。
このようにカフェ・ゲルボアでの意見交換は、印象派の絵画にとって決定的な考えを思いつくきっかけを与えるなど、印象派誕生にはなくてはならない存在であったと言えるでしょう。


