絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話 -221ページ目

雑話57「女流印象派・・・ベルト・モリゾ」

昨年末に兵庫県尼崎市の市長に稲村和美氏が、女性では最年少で当選するなど男性優位の日本社会でも女性の社会進出が目立つようになってきました。


しかし、現在では女性の社会進出が日本より進んでいるフランスも、印象派が活躍していた頃は完全な男性社会で、女性に開かれていた機会も限られたものでした。


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ベルト・モリゾのポートレート


芸術の世界においても、19世紀末まで女性は公的な美術制度からも委員会からも締め出されていて、女性は個人的に教師につくしかありませんでした。


そんな時代の中で、印象派の画家の一人となったベルト・モリゾは芸術的な才能はもちろん、画家になるための環境にも恵まれていました。


裕福な高級官使の家に生まれたベルトは姉のエドマとともに絵画を習い始めます。


その後、絵の教師から”良家の子女がお稽古事の枠を超えて画家をめざすなど破滅的なことだ”と言われたにもかかわらず、両親の賛同を得た二人は、本格的な画家を目指してコローに師事するようになります。


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エドゥアール・マネ「紫の花束をつけたベルト・モリゾ」1872年


しかし、彼女にとっての最大の転機は、ルーブル美術館でファンタン=ラトゥールによってマネに紹介されたことで訪れます。


コロー風の絵を描いていたベルトは、マネとの付き合いが深まるにつれ、その影響を強く受けるようになります。


1874年に第1回印象派展に出品したベルトは、その年の暮れにマネの弟であるウジェーヌと結婚します。


芸術活動に理解のある夫を得たベルトは、結婚を機に絵の制作を断念した姉のエドマとは対照的に、その後も絵画制作を続行していき、コローやマネの影響を抜け出して、独自の画風を確立していきます。


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ベルト・モリゾ「揺り籃」1872年

第1回印象派展に出品された


彼女の絵は人物画を主としていますが、大胆で伸びやかなタッチと透明感のある繊細な光の表現などが特徴で、印象派的な要素を持ちあわせています。


しかし、そのモチーフのほとんどは家庭的なものに限られ、それは彼女が完全に女性の生活圏や因習的慣行の内側で仕事をしていたことに由来します。


それはまた、彼女がパリ市の市勢調査の職業欄に「無職」と記載して、アマチュアの立場を暗に表示するなどといったことにも表れています。


ちなみに、第1回印象派展の成果が乏しく、財政難を解消するために開かれたオークションでは彼女の2人の姉妹を描いた「室内」と言う作品がその時の最高値である480フランをつけました。


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ベルト・モリゾ「室内」1872年


実は、その作品が2006年にロンドンのオークションに出品され、135万2000ポンド(約250万ドル)で落札されました。


円高になった現在の換算レートでも1億7500万円、2006年当時なら恐らく3億3000万円ほどになったはずです。


一方最初に落札された当時の480フランは、現在の10万円にも満たなかったと思われ、いつもながら画家の活躍した当時と現在の評価の違いに驚かされます。