雑話116「ゴッホの耳きり事件・・・その真相は?」
ゴッホは自分の耳を切り落とした「耳切り事件」をおこした画家としても有名です。
フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をしてパイプをくわえた自画像」1889年
※精神を安定させるために絵を描いたそうです
パイプは自殺防止のために医師から薦められました
一般には、共同生活をしていたアルルの家から出て行こうとしたゴーギャンを引きとめようとして刃物で脅した後、家に戻って自分の耳を切ったとされています。
では、当時の状況をもう少し詳しくみてみましょう。
耳を切ったとき、ゴッホの精神は錯乱状態だったようです。
事件の日はクリスマスの2日前でしたが、一人で家にいたゴッホは、自分との共同生活に見切りをつけ、パリに戻ろうとしていたゴーギャンだけでなく、実の弟で唯一の支援者でもあったテオからも見捨てられたと絶望していました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「黄色い家」1888年
※この家での共同生活が芸術家村の夢への第1歩となるはずでしたが、悲劇的な結果となってしまいました
テオに見捨てられたと思ったのは、弟が当時つき合っていたヨハンナ・ヘジーナ・ボンゲルという女性と近々婚約すると知ったからです。
絶望の中、恐らく酔っ払っていたゴッホは自分の耳(実際は耳たぶ)を切り落とし、その血だらけの肉片をもって、当時通っていた売春宿の娼婦にプレゼントしようと出かけました。
その後、友だちのルーランに助けられて何とか帰宅しましたが、そのままでは出血多量で死ぬところを、捜査に訪れた警察に発見され、病院に連れていかれたのです。
実は、ゴッホが精神に異常をきたしたのはこの時が初めてではなく、この数ヶ月前からすでにその兆候が現れていたようです。
その年の9月、彼はよく通っていたジヌーズ・カフェをモチーフに有名な「ナイト・カフェ」を描きました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ナイトカフェ」1888年
※ゴッホは夜通し開いていたこのカフェのことを「犯罪を犯し、気が狂い、自滅するのに最適な場所」だと呼んでいました。
ゴッホはこの絵がアルコールによる興奮状態の成果だと思う人がいるかもしれないなどと冗談を言っていましたが、実は彼はこの頃から気が変になることがあったと後に告白しています。
彼の精神異常は、カフェや売春宿で浴びるように飲んでいたカフェインやアルコールのせいだけでなく、プロヴァンス地方の気候も原因の一つであったと思われます。
さらに、2ヶ月間のゴーギャンとの共同生活、売春宿通いやゴーギャンとの芸術論争は、ゴッホにかなりのストレスを引き起こしたようです。
「耳きり事件」のあと、ゴッホは精神病院に入院するなどしましたが、彼の精神異常は治ることはありませんでした。
2年後の7月、彼はピストル自殺をはかり、37歳の若さで他界するのですが、この事件で精神異常にならなければ、ゴッホはもっと長生きしたかもしれませんね。
また、近年になって耳を切り落としたのはゴッホではなく、ゴーギャンだとする新説が発表されましたが、根拠となるものはないようです。


