雑話144「印象派の先駆者?・・・ターナー」
J・M・W ターナーの作品といえば、やはり「雨、蒸気、速度」が有名でしょう。
J・M・W ターナー「雨、蒸気、速度」1844年
これは新しい公共交通機関であった蒸気機関車を描いたものですが、画面全体が靄がかかったようにぼんやりとしか描かれておらず、肝心の機関車さえかろうじて分かる程度です。
このように色彩、光、雨や霧、蒸気といった現象の表現を積極的に研究したといえば、まさに印象派と同様であり、そういう意味では彼は印象派の先駆者といえるでしょう。
ターナーの代表作には、この作品と同様、ものの形が溶解していくように描かれたものが多いのですが、このスタイルになったのは晩年の20年間のみです。
画家になった当初、ターナーが目指していたのは、理想的風景画家の第一人者であったフランスのクロード・ロランの絵画でした。
クロード・ロラン「海港 シバの女王の船出」1648年
クロードは、古代の建築物や神話的題材を風景画のなかに織り込み、見るものの理性と感性に同時に訴えかけるような作品を次々に生み出しました。
J・M・W ターナー「カルダゴを建設するディド」1815年頃
ターナーがもう一つこだわっていたのが、「崇高」という概念でした。「崇高」とは難解で無限でどこまでも広がる光景や、荒れ狂う自然を前にした人間の感情から生まれるものとされていました。
また、バランスのとれた美しさの対極にある「崇高」は、とてつもない風景やすさまじい物語に対する興味を引き起こすといわれていました。
J・M・W ターナー「アルプスを越えるハンニバル軍」1812年頃
ターナーの作品には、主題の選択や描き方に、そうした「崇高」という概念がはっきりと表れています。
そんな彼が、真のインスピレーションを得たのは、北イタリアのヴェネツィアでのことでした。
光と靄、きらめく水の動きなどにつれてゆれる建物の影、頽廃と誇りが同居する悲劇的な感情など、この町ほど、ターナーの作品にふさわしい場所はありませんでした。
ターナーは、水、光、形の解体、崇高さの感情、歴史の重み、異郷と過去といった自分好みの主題を変化させ、練り直し、無限に組み合わせて、作品を生み出していきました。
J・M・W ターナー「ベニスの眺め:ドゥカーレ宮殿、税関、サン・ジョルジョ・マッジョーレ」1841年
こうしてヴェネツィアを描くようになってから、ターナーは事物を綿密に描写することをやめ、風景全体がとけていくような作品を制作するようになっていきました。
1820年代に入り、画家として大きな成功を収めたターナーは、従来とは違う自由奔放でスケールの大きな絵を制作できるようになりました。
彼は自らの手法を極限までおしすすめて、それまで以上に燃えるようで透明な表現を増やし、光と闇のコントラストを強め、それにふさわしい主題を選びました。
J・M・W ターナー「国会議事堂の火災、1834年10月16日」1835年
そうして、晩年の作品はますます物の形が溶解していくように描かれていくのですが、それは今まで彼の支持者だった人たちですら憤慨させるほど衝撃的なものだったのです。
そこで、この時期の彼の作品は「コントラストの錬金術」や「形のカオス」などと呼ばれました。
しかし、独特な形で政治的なメッセージや、歴史を考察したものなど多彩な題材を描いた晩年の作品は、多くの人々の共感を得るようになり、その中から多くの代表作が生まれたのでした。
J・M・W ターナー「戦艦テメレール号」1839年頃
※戦艦テメレール号はイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊に大勝利を収めたトラファルガーの海戦で、勝利をもたらしたといってもいいほどの活躍をした戦艦
かつて栄光のただなかにあった壮麗な戦艦が、いまやすっかり権威を失い、解体されるために曳かれていく様子は、多くのイギリス人の心をしめつけました






