雑話142「中世のシュール絵画?・・・”快楽の園”」
中世の北方ヨーロッパ美術というと縁遠い印象がありますが、この奇妙で恐ろしげな絵画を見たことがあるという人は多いのではないでしょうか?
ヒエロニムス・ボス「快楽の園」中央パネルの一部、1470年頃
これは、15世紀から16世紀に渡ってオランダで活躍した、ヒエロニムス・ボスという画家の描いた「快楽の園」という作品です。
大勢の裸の男女が、動物たちや怪物たちとともにさまざまな行為を繰り広げている光景は、不可解で、この世のものとは思えません。まるで、シュールレアリスム絵画のようです。
「快楽の園」中央パネルの一部
また、「快楽の園」と題されているにもかかわらず、画面の大半の人物は無表情で、喜んでいるようには見えません。それどころか、右側のパネルでは酷い目にあっているようです。
「快楽の園」右翼パネルの一部
このように3つのパネルで構成される作品は、トリプティックと呼ばれ、当時は祭壇画を描く際に用いられました。
「快楽の園」左翼・中央・右翼パネル
「快楽の園」では、左翼パネルにエデンの園が描かれ、創造主がイヴの手をとり、かたわらにはアダムもいます。
「快楽の園」左翼パネルの一部
中央パネルは地上の快楽に浸る人間たちの姿が描かれ、右翼のパネルは人間の犯した罪が罰せられる地獄の姿が描かれています。
「快楽の園」右翼パネルの一部
さらに、両翼のパネルを閉じると、外翼の左右のパネルに天地創造の第三日目と思われる世界がガラス球の中に表現されています。
「快楽の園」外翼パネル
しかし、画面に描かれた多くの図像は意味不明で、上述の説明に違和感を覚える人も多いでしょう。
実はこのような図像こそが、ボスの芸術の真骨頂なのです。これらは、ただボスが見る人を惑わすことを目的に、適当に創造したものではありません。我々にとって、不可解な図像も、見る人が見れば意味を持つものばかりなのです。
例えば、ここでは多くの果実や魚、鳥が現実離れした大きさで描かれていますが、そのうちの果実は、肉体の喜びを象徴しています。「肉体」と「果実」はともに移ろいゆくものとして「虚栄」の象徴であり、「果実を採る」ということは性行為の婉曲語法です。
「快楽の園」中央パネルの一部
特に、この作品はかつて「イチゴ絵」と呼ばれており、イチゴは重要なシンボルだと考えられます。イチゴは儚さと光輝とつかの間の興味を示すもので、肉体の喜びの実態なき性質を象徴しています。このイチゴのイメージが、のちの「快楽の園」というタイトルに結びついたのかもしれません。
また、中央パネルの遠景は、楽園を描いた左翼パネルとよく似た風景が描かれています。
「快楽の園」左翼パネル中上部
しかし、左翼のパネルに描かれた生命の泉に立つ塔はキリストのマントの色と同一なのに対して、中央パネルに描かれたフラスコ形をした建物は、偽りを意味する青色に変えられていて、ここが偽りの楽園であることを印象づけています。
「快楽の園」中央パネル上部
さらに、その青い球体にはひびが入っていて、崩壊を暗示しているようです。
そう思って見れば、この中央部は現在の私たちの状態を示しているようにみえます。人類は自らの幸福を求めて、奇怪な行動を繰り返し、偽りの楽園である現代社会を作り上げてきました。しかし、結局幸せにもなることができず、その楽園も崩壊寸前です。
「快楽の楽園」は我々に対して、最後の審判が下され、地獄に落とされる前に、崩壊寸前の偽りの楽園にいることに気づかなければならないと警告しているかのようです。









