絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話 -132ページ目

雑話146「元祖!強い女性・・・フリーダ・カーロ」

フリーダ・カーロという名前は知らなくても、眉毛のつながった彼女の肖像を見たことのある方は多いのではないでしょうか?


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フリーダ・カーロ 31歳頃

2002年に映画化までされたフリーダは、今や20世紀を代表する女流画家の1人です。そんな彼女の自画像には、彼女の抱える様々な葛藤が描かれています。


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フリーダ・カーロ「二人のフリーダ」1939年

※ディエゴ・リベラと離婚していた時期に描かれた二重肖像

白いドレスを着た、ディエゴから愛されていないフリーダの心臓にはぽっかりと穴が開き、結婚当時に着ていた右側のテワナ衣装を着た、ディエゴに愛されていたフリーダがその手をしっかりと握り、力を合わせて傷の痛みに勝とうとしています

そのひとつが、フリーダが画家になるきっかけとなった自動車事故の後遺症です。


18歳の時、乗っていたバスが路面電車に衝突し、バスの手すりが彼女の腹部を貫通したのです。


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事故の様子を描いたフリーダのデッサン1926年

脊柱が3ケ所、鎖骨と肋骨が折れ、左肩が脱臼し、骨盤も3ケ所折れ、腹部と膣に穴が開き、右脚は11ヶ所骨折、右足首も脱臼していて、助かるかどうか分からないほどの重傷でした。


彼女の並外れた生命力のお陰で、何とか一命はとりとめたものの、損傷した脊椎と右脚が完治することはなく、生涯に繰り返された手術は30数回にも及びました。


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フリーダ・カーロ「ひび割れた背骨」1944年

また、事故の後遺症で妊娠しても、中絶を余儀なくされたため、医師から出産を禁じられていたにもかかわらず、3度も出産を試みましたが、子供を持つ望みが叶えられることはありませんでした。


もうひとつの葛藤は、フリーダの結婚生活です。彼女はメキシコの国民的画家であるディエゴ・リベラと結婚しますが、リベラの度重なる女性関係にフリーダの心は絶望的に傷つけられていきます。


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フリーダ・カーロ「ちょっとした刺し傷」1935年

※新聞の三面記事から着想を得た作品

女性をナイフで執拗に刺した犯人が、法廷で「ちょっと刺しただけだ」と証言したこと事件をもとにしています。犯人の顔は夫のディエゴ、被害者の顔は夫と関係を持った妹のクリスティナ

そんな逆境のなか、彼女はメキシコに古くから伝わるレタブロ(奉納画)の手法をとった濃密な色彩とプリミティブな画法を駆使して、これまで決して描かれることのなかったテーマを取り上げていきます。


妊娠や堕胎、出産といった女性の生理までも描き、流産のためにシーツを赤く染めて横たわる裸婦は、男性によって理想化されたものではなく、まさしく女性にしか描けない裸婦像でしょう。


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フリーダ・カーロ「ヘンリー・フォード病院」1932年

そんなフリーダの絵は、シュルレアリスムの主要人物であったアンドレ・ブルトンに認められたことをきっかけに、ニューヨークやパリで個展を開くチャンスを得ます。欧米での展覧会に成功した彼女は、またたくまに名声を獲得しました。


晩年のフリーダは、脊椎の状態がひどく悪化して、何度も手術を受けますが、症状が改善されることはありませんでした。さらに、右足を膝まで切断しなければならなくなり、さすがのフリーダも一時的に無気力になりました。


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フリーダの日記の1ページ

”飛ぶための翼を持っていれば、どうして足が必要だろうか”と書かれています

それでも、彼女はふたたび立ち直り、義足で歩く練習をしたり、冗談を言うようになりました。また、上半身をベルトで車椅子に固定して、ふたたび絵を描くようにまでなりました。


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ベッドの上で絵を描くフリーダ ※1950年撮影

しかし、その年の7月に気管支炎が完治してないにもかかわらず、デモに参加したフリーダは、ぶり返した病のせいで、誕生日を祝った1週間後に亡くなりました。まだ、47歳の若さでした。