雑話145「崇高の風景画・・・フリードリヒ」
神秘的な風景画で世界的に有名なフリードリヒですが、日本ではご存知の方も少ないかもしれません。
写真かと見紛うほど写実的な画面には、静謐でどこか神々しい世界が広がっています。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「氷海」1823/24年
そんなフリードリヒが描いた風景は、彼の絵を表現するときに使われる「崇高」という言葉がぴったりです。
彼の崇高な絵のモチーフとなった風景を実際に見てみたいと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、フリードリヒの風景のほとんどは彼が創造した架空の場所であり、現実には存在しません。
彼はオークの木や、修道院の廃墟、岩など、自分の描こうとする作品に使えそうなものを発見するたびに、それらを描きとめておき、実際の作品を描く際に、集めてきた材料を組み合わせて、彼の崇高な世界を作り上げるのです。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「海岸の巨石」1807年
例えば、1807年にセピアで描かれた「海岸の巨石」(上図)のなかにある、巨人塚の海岸に立つ左端のオークの木には、グライフスヴァルトやその近辺のノイブランデンブルク滞在中に描かれた素描「コウノトリの巣のある古いオークの木」が引用されています。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「コウノトリのある古いオークの木」1806年
さらに、このオークの木は、1822年に描かれた「朝日のなかの村の風景(孤独の木)」においては、草原の中央に建つ力強い大木へと変貌しています。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「朝日のなかの村の風景(孤独の木)」1822年
この作品の朝の柔らかな光に包まれた美しい自然の光景は、実はオークの木にとどまらず、山岳、草原の木立、沼に至るまでが、ポメルン地方、リーゼンゲビルゲ山脈などの様々なスケッチからの引用なのです。
さて、フリードリヒの時代には、崇高の起源は広大さや無限にあり、崇高は恐怖という情念によって生み出されるとされていました。
彼の作品もそうした崇高論を念頭において描かれており、作品を通して自然の広大さや無限と対峙することによって、自己存在を問うことが意図されています。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「雲海の上の旅人」1818年
そのために、フリードリヒは当時「まぶたが切られたかのようだ」などと評された、近景手前を省く描法で、観者を絵画空間に引き込もうとしています。
こうして彼の描く圧倒的な自然の驚異を眼前にして、見るものはこの世のものとは思えぬ「崇高な」体験をすることができるのです。




