劇場版「仮面ライダージオウ」を観てきた(ネタバレ有) | 無敵動画堂高田のブログ

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劇場版「仮面ライダージオウ Over Quartzer」
感想です。
 思いっきりネタバレありなので、そういうのが苦手な方は、スルーして下さい。


凄い映画だった。
 良くも悪くも。

 観た後で「なんだか印象が薄い映画だった」という感想を抱く人は、まずいまい。
 そのあと、「で、是か非か?」となると、真っ二つでしょうけど(笑)

 私としては、
絶賛したいところと、
怒りを持って批判したいところとが
共に沢山あって、

 (ここまでは、皆、異論ないでしょ?)
 ここまで大胆な挑戦を、真正面から取り組んでやっている、ということで
「是」とします。


 謎の敵が、仮面ライダードライブの生みの親=クリム・スタインベルトのご先祖様を抹殺しようとしているらしい。
 そんなことになったら、仮面ライダードライブの、歴史そのものが消えてしまう。
 クリムの先祖を救うべく戦国時代へ向かったソウゴ達は、そこで本物の織田信長と出会う。
 信長の実態は、後に伝わっている魔王の異名を持つ猛将ではなく、大事な戦そっちのけで、女に夢中になっている どこか間の抜けた男であった。
 不真面目な信長に対し、ゲイツ達は怒りを露わにする。
 そんな事では、ちゃんとした史実通りにならない。このままでは織田軍は長篠の戦で負けてしまうのではないか?
 が、意外にも信長に憧れを抱いていたはずのソウゴは、そんなゲイツ達の態度を、笑い飛ばす。
 いいじゃないか。これが本当の信長なんだ。
 後に伝わっている信長像は、作られた、いわば創作物なんだろう、と。
 謎の敵=仮面ライダーザナモス、ゾンジスから、無事クリムの先祖を守り、仮面ライダードライブの歴史を守ったソウゴは、クリム達からドライブウォッチを託される。
 こうして、本当の意味で、全ての平成ライダーのウォッチが揃い、歴史は統合された。
 常盤ソウゴは、王となった……?
 いや、玉座へ向かうソウゴの前に現れたのは……常盤SOUGOと、彼を中心とする「歴史の管理者=クォーツァー」を名乗る集団。
 そして仲間だと思っていたウォズもまた、クォーツァーの一員であり、彼が真に魔王として擁立しようとしていた者こそ、SOUGOであった。
 ソウゴは、平成ライダーのウォッチを集めるための駒として利用された「傀儡」にすぎなかったのだ。
 捕らえられ、公開処刑を待つばかりとなったソウゴ。
 クオーツァーは、歴史の管理者として、美しくない時代=平成を全てリセットし、やり直そうと考えていた。
 平成仮面ライダーどころではない。
 平成という時代の物、全てがなかったことにされてしまう……!?
 平成ライダーの歴史が統合され、彼らが消滅してしまった今、クォーツァーの野望を阻止できる者はいない。
 しかし、彼等のウォッチを集め、彼らの歴史を奪ってきたのは、他ならぬソウゴ自身ではないか。
 絶望し、戦意を失ってしまったソウゴに、語り掛ける、謎の人物とは……? 
 


 今回の劇場版は、仮面ライダージオウの、真の最終回、という位置付け。
 正にそれにふさわしい内容だった。
 いや、以前、真の最終回を名乗った劇場版が、どう見てもただの「後日談」だったことがあって……。
劇場版「仮面ライダーエグゼイド」感想(ネタバレ有)参照)
 対して、今度は間違いなく真の最終回でした。
 特に、仮面ライダージオウという作品の「テーマ」的な部分で、きちんと決着をつけている点で。

 ゆえにTVシリーズ「仮面ライダージオウ」についても、少し触れないと、ちゃんとした感想にならないのですが……。
 う~ん、長くなるなぁ……。
 まぁ、つらつら書いてみるか。

 そもそも、TVシリーズ「仮面ライダージオウ」という作品は、設定が滅茶苦茶な作品なのだ。
 世界設定が別々であるはずの平成仮面ライダーシリーズが、
全て同じ世界観の物語であり、過去の歴史として存在する、
 という、あり得ない基本設定からスタートする。
 いや、どうやったって、あり得ないでしょ?
 直前の「ビルド」一つとっても、ビルドは最終回で世界全てを新たなパラレルワールドに再構成してやり直しているわけで、その時点で、それまでの世界とはつながらない。
 「ビルド」と「エグゼイド」は、同一世界ではなく、別の平行世界の話だということが、そもそも「劇場版 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー」で明言されているのである。
 平成ライダーの世界が、
全て同一世界の話であり
全て一つの時間軸に沿った歴史上の物語である
という基本設定の時点で、ジオウはもう、無茶苦茶なのである。
 
 いや実際、そこのところ、どう整合性をとったと解釈すればいいのか?
 ファンとして、頭を抱え、ひねりながらの観賞だったので、番組初期は、まるで作品世界に入り込めず、悩みながらの視聴であった。
 何しろ、次々に過去の作品のキャラクターが登場するにもかかわらず、
どこまで、過去の作品と同じであるか、違うのか が、明確に説明はされず、ストーリーが進行する。
 例えば、ビルドから登場の戦兎は、
 ビルドウォッチをソウゴに託し、その瞬間、歴史改変が起こり、仮面ライダービルドの歴史は消滅するのだが、
 そこで(それまで戦兎を名乗っていた)彼は自身を「葛城巧」だと名乗る。
 なるほど、ビルドの歴史が無くなったのだから、本来の人格に戻った、とも考えられるが、だったら、姿かたちも葛城巧に戻らなければおかしい。
 あの姿は、本物の葛城巧の姿ではなく、殺害された佐藤太郎の姿そっくりに改変された姿なのだ。
(ビルドをちゃんと観ていなかった人には、訳が分からないですよね、すみません)
 番組初っ端から、仮面ライダージオウという作品は「過去の平成ライダーと同じ世界である」という設定で視聴すると、思いっきり矛盾点が出てきてしまったのだ。
 その後も、555の草加が死んでいなくて生きていたり、オーズの映司と比奈が初対面という描写だったりするので、
 ああ、それぞれのTVシリーズとは完全に別世界のものと考えればいいのね
と解釈していると、
 ゴースト、龍騎、剣、アギト辺りは、
 元のTVシリーズの後日談として観るのが適当と思われる。

 しかも、それらについて、詳しい説明はほとんど行われず、
各作品の世界観との整合性を考えた方がいいのか、無視した方がいいのかすら、
何となくその場のムードで決まる

という、無茶苦茶な世界設定のまま、番組が進行していく。

 私なんか、頭が固いので、慣れるまでに数ヶ月の時を要しました。
 過去作の人気キャラが出てきても、ちっとも楽しめなかったんですよ。

 が、今回の映画は、そんな私の悩みにすら、答えを与えてしまう、とんでもない映画だった。
(続く)