感想です。
思いっきりネタバレありなので、そういうのが苦手な方は、スルーして下さい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20190811/21/guratakajp/c6/ed/j/o0500065414531209803.jpg?caw=800)
凄い映画だった。
良くも悪くも。
観た後で「なんだか印象が薄い映画だった」という感想を抱く人は、まずいまい。
そのあと、「で、是か非か?」となると、真っ二つでしょうけど(笑)
私としては、
絶賛したいところと、
怒りを持って批判したいところとが
共に沢山あって、
(ここまでは、皆、異論ないでしょ?)
ここまで大胆な挑戦を、真正面から取り組んでやっている、ということで
「是」とします。
謎の敵が、仮面ライダードライブの生みの親=クリム・スタインベルトのご先祖様を抹殺しようとしているらしい。
そんなことになったら、仮面ライダードライブの、歴史そのものが消えてしまう。
クリムの先祖を救うべく戦国時代へ向かったソウゴ達は、そこで本物の織田信長と出会う。
信長の実態は、後に伝わっている魔王の異名を持つ猛将ではなく、大事な戦そっちのけで、女に夢中になっている どこか間の抜けた男であった。
不真面目な信長に対し、ゲイツ達は怒りを露わにする。
そんな事では、ちゃんとした史実通りにならない。このままでは織田軍は長篠の戦で負けてしまうのではないか?
が、意外にも信長に憧れを抱いていたはずのソウゴは、そんなゲイツ達の態度を、笑い飛ばす。
いいじゃないか。これが本当の信長なんだ。
後に伝わっている信長像は、作られた、いわば創作物なんだろう、と。
謎の敵=仮面ライダーザナモス、ゾンジスから、無事クリムの先祖を守り、仮面ライダードライブの歴史を守ったソウゴは、クリム達からドライブウォッチを託される。
こうして、本当の意味で、全ての平成ライダーのウォッチが揃い、歴史は統合された。
常盤ソウゴは、王となった……?
いや、玉座へ向かうソウゴの前に現れたのは……常盤SOUGOと、彼を中心とする「歴史の管理者=クォーツァー」を名乗る集団。
そして仲間だと思っていたウォズもまた、クォーツァーの一員であり、彼が真に魔王として擁立しようとしていた者こそ、SOUGOであった。
ソウゴは、平成ライダーのウォッチを集めるための駒として利用された「傀儡」にすぎなかったのだ。
捕らえられ、公開処刑を待つばかりとなったソウゴ。
クオーツァーは、歴史の管理者として、美しくない時代=平成を全てリセットし、やり直そうと考えていた。
平成仮面ライダーどころではない。
平成という時代の物、全てがなかったことにされてしまう……!?
平成ライダーの歴史が統合され、彼らが消滅してしまった今、クォーツァーの野望を阻止できる者はいない。
しかし、彼等のウォッチを集め、彼らの歴史を奪ってきたのは、他ならぬソウゴ自身ではないか。
絶望し、戦意を失ってしまったソウゴに、語り掛ける、謎の人物とは……?
今回の劇場版は、仮面ライダージオウの、真の最終回、という位置付け。
正にそれにふさわしい内容だった。
いや、以前、真の最終回を名乗った劇場版が、どう見てもただの「後日談」だったことがあって……。
(劇場版「仮面ライダーエグゼイド」感想(ネタバレ有)参照)
対して、今度は間違いなく真の最終回でした。
特に、仮面ライダージオウという作品の「テーマ」的な部分で、きちんと決着をつけている点で。
ゆえにTVシリーズ「仮面ライダージオウ」についても、少し触れないと、ちゃんとした感想にならないのですが……。
う~ん、長くなるなぁ……。
まぁ、つらつら書いてみるか。
そもそも、TVシリーズ「仮面ライダージオウ」という作品は、設定が滅茶苦茶な作品なのだ。
世界設定が別々であるはずの平成仮面ライダーシリーズが、
全て同じ世界観の物語であり、過去の歴史として存在する、
という、あり得ない基本設定からスタートする。
いや、どうやったって、あり得ないでしょ?
直前の「ビルド」一つとっても、ビルドは最終回で世界全てを新たなパラレルワールドに再構成してやり直しているわけで、その時点で、それまでの世界とはつながらない。
「ビルド」と「エグゼイド」は、同一世界ではなく、別の平行世界の話だということが、そもそも「劇場版 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー」で明言されているのである。
平成ライダーの世界が、
全て同一世界の話であり
全て一つの時間軸に沿った歴史上の物語である
という基本設定の時点で、ジオウはもう、無茶苦茶なのである。
いや実際、そこのところ、どう整合性をとったと解釈すればいいのか?
ファンとして、頭を抱え、ひねりながらの観賞だったので、番組初期は、まるで作品世界に入り込めず、悩みながらの視聴であった。
何しろ、次々に過去の作品のキャラクターが登場するにもかかわらず、
どこまで、過去の作品と同じであるか、違うのか が、明確に説明はされず、ストーリーが進行する。
例えば、ビルドから登場の戦兎は、
ビルドウォッチをソウゴに託し、その瞬間、歴史改変が起こり、仮面ライダービルドの歴史は消滅するのだが、
そこで(それまで戦兎を名乗っていた)彼は自身を「葛城巧」だと名乗る。
なるほど、ビルドの歴史が無くなったのだから、本来の人格に戻った、とも考えられるが、だったら、姿かたちも葛城巧に戻らなければおかしい。
あの姿は、本物の葛城巧の姿ではなく、殺害された佐藤太郎の姿そっくりに改変された姿なのだ。
(ビルドをちゃんと観ていなかった人には、訳が分からないですよね、すみません)
番組初っ端から、仮面ライダージオウという作品は「過去の平成ライダーと同じ世界である」という設定で視聴すると、思いっきり矛盾点が出てきてしまったのだ。
その後も、555の草加が死んでいなくて生きていたり、オーズの映司と比奈が初対面という描写だったりするので、
ああ、それぞれのTVシリーズとは完全に別世界のものと考えればいいのね
と解釈していると、
ゴースト、龍騎、剣、アギト辺りは、
元のTVシリーズの後日談として観るのが適当と思われる。
しかも、それらについて、詳しい説明はほとんど行われず、
各作品の世界観との整合性を考えた方がいいのか、無視した方がいいのかすら、
何となくその場のムードで決まる
という、無茶苦茶な世界設定のまま、番組が進行していく。
私なんか、頭が固いので、慣れるまでに数ヶ月の時を要しました。
過去作の人気キャラが出てきても、ちっとも楽しめなかったんですよ。
が、今回の映画は、そんな私の悩みにすら、答えを与えてしまう、とんでもない映画だった。
(続く)