仕事を失い収入が絶たれた私に、覚醒剤を断つという選択は残されていませんでした。
転がり落ちる生活
日雇いの派遣社員として日銭を稼ぎ、覚醒剤の購入できる最小金額の1万円と、ビデオ試写室に入る資金を手に入れたらすぐにイラン人密売人と連絡を取り薬物を購入するその日暮らしの日々になりました。
実家ぐらしだったので食事と住まいには困りませんでしたが、薬物以外に使えるお金が全くなくなりました。携帯料金を払うことすら億劫でした。
少ない収入をなんとか増やして他のことに使いたいとスロットを打ちました。
働くことすら煩わしくなった私にとってまとまったお金を手にする術はギャンブルで一攫千金するしかありませんでした。
負けてしまって薬すら買えなくなってしまうというリスクは、私の頭の片隅にはありましたが藁にもすがる思いでスロットを打ちました。
もはや負の連鎖でした。
薬物を購入する前にパチンコ屋へ行き、負けてしまったとて薬物への欲求は治まらず、自宅にあったゲーム機や本、当時コレクションしていたお気に入りの歌手のCDも値段のつくものは全て売却し薬物の購入費へ消えました。
実家の子供部屋の中にあった過去の思い出はどんどん消えていき、価値のないゴミばかりが残っていきました。
ゴミだらけの部屋の中で薬物を使い、使用している時は家族と顔を合わせるのすら嫌になって自室に籠もり尿すらペットボトルにしてあとから捨てるようになりました。
それ以前からスロット依存だった私は、すでに消費者金融では借入できるだけお金を借りており売れるものをすべて売り切ってしまった私にとって残された金策は親族だけになりました。
嘘
母親に嘘を付き、父親に嘘を付きお金を無心しました。
あまりに頻繁に金の無心をする私に辟易した親がお金を渡すことを渋りだすと、次は家中を家探しして母親のへそくりを見つけ出しそこから少しづつお金を盗んで薬物を購入しスロットを打ちました。
薬物とギャンブルの両輪で地獄の道を突き進む私にとって、封筒に入った数十万円のへそくりを使い果たすことなど一瞬の出来事でした。
もうそのへそくりさえ底をつき出した頃、遂に私はまだ高校生だった妹の財布から現金を盗み、それを知った妹が母親に密告して私のしていた悪事が両親に発覚しました。
父親に殴られ、母親に泣かれ、それでも私は薬物にハマっていることなど告白できるわけもなくすべてスロットに使ったと嘘を付きました。
その頃の私はすでに廃人のようになっていましたが、まさか両親も息子が覚醒剤に溺れているなんてことなど想像できるはずもなく、私が他になにか大きなストレスを抱えていてうつ病のようにになってしまったのだと勘違いしていました。
家族は私のことを心配するようになりましたが、やはり家庭内での金銭管理は以前と比べて遥かに厳しくなり家からお金を見つけ出して薬物を購入することはできなくなりました。
キタムラ
そんな時、以前仲の良かったキタムラという男に偶然再会することになりました。
キタムラは私より5歳年下で、当時まだ17歳でした。
しかし、中学卒業と同時に働きだしていて外見も大人じみていたこともあって友達のように仲良くしてきた気心の知れた後輩でした。
そして、当時は一緒にシンナーを吸うような悪友でもありました。
私は、彼に覚醒剤を教えました。
そして、購入する時は必ず私を通して密売人と連絡を取るように仕向けました。
彼に覚醒剤の良さを教えたくてそうした訳じゃない。
彼が購入すれば私も覚醒剤を一緒に使うことができる。
打算しかありませんでした。
自分が廃人同然になり、覚醒剤の恐ろしさは身をもって知っているはずなのに自分を慕ってくれる後輩をその沼の中に引きずり込む。
鬼畜の所業でした。
しかし、当時の私には罪悪感はひとかけもありませんでした。
自分が沼の底に沈んでいくのを少しでも食い止めようとキタムラの足を掴んだのです。
現場仕事で収入も同世代に比べれば多く得ていたキタムラは一気に覚醒剤の魅力に取り憑かれていきました。
私は恒久的に覚醒剤を使用できる仕組みを構築できるようになったはずでしたがそんな日々もすぐに破綻していきました。
若いふたりにとって1回数万円かかる覚醒剤は高すぎる趣味でした。
キタムラも私と同じく金策に詰まりだし、私と同じように家のものを売り、家族に嘘を付き、友人に嘘を付き、後輩から恐喝し覚醒剤を買うためのお金を作ってくるようになりました。
きっと合わせたら100万円を優に超えていて17歳の少年が作れる金額ではありませんでしたが、どんな手段で金策してきたかなど私には関係ありませんでした。
別に私が命令して買わせているわけじゃない。
自分の意志で覚醒剤を欲し、快楽を得たいが為に金策に走っている。
そんな気持ちで傍観を決め込んでいました。
暴走
そしてとうとうキタムラ自身も金策に陰りが見えだした頃、キタムラが知人から安く譲ってもらったと1g入った覚醒剤を持って現れました。
キタムラの先輩であり、私自身も後輩として名前だけは知っていたコウジという男がタタキをしていることを知りました。
タタキ=強盗
コウジは、他の友人数名と共謀しイラン人密売人から覚醒剤を購入するふりをして呼び出し、車に乗った瞬間にイラン人の足をナイフで刺して怯んでいる間に車の中の薬物と売上の現金を強奪していました。
現金は数万円から数十万円、違法薬物も末端価格で100万円分ほどあるときもあったらしく、彼らの言い分は不法入国の外人なら被害届も出せないし病院にも行けない。
死んだところで警察は動かない。
最高のビジネスモデル。
と自信満々に語っていました。
彼との繋がりができたことは私とキタムラにとっては大きな収穫でした。
きっとナイフで刺した話や細かい内容は嘘や過大に話しているだろうけど、少なくとも相場の3分の1の値段でどんな薬物も入手できるようになったことは行き詰まりかけていた私たちにとって地獄におりた一筋の蜘蛛の糸に見えました。
しかし1月もしないうちにコウジたちのグループはイラン人密売人グループからウォンテッドがかかるようになりました。
私やキタムラの携帯に以前に取引していた密売人から連絡が入り、こういった特徴の人間を知らないか、知っているなら教えろ。
と、いつもの陽気な相手ではない雰囲気で聞かれました。
コウジたちのグループがイラン人をナイフで刺して強奪を繰り返していたのは本当のことでした。
調子に乗った彼らは、足だけでは報復されると思ったからか、それとも人を刺すことに快楽を得るようになってしまったのか人が人として絶対に踏み越えてはならない一線を超えてしまっていました。
彼らはイラン人密売人を殺害しました。
ある時、コウジが恍惚な目で車のシートの後ろからシート越しにイラン人の背中を刺した。
下が血の海になっていた。
きっとあれは死んでいるな。
なんてことを語っていたことを思い出しました。
私たちは知らなかったとは言え、殺人で得た薬物を彼らから購入し自分たちの快楽を得るために使用していたのです。
イラン人から私に連絡が入った数日後、コウジたちは逮捕されました。
罪名は強盗殺人でした。
別離
もはや、残された私たちは虫の息でした。
私はキタムラと距離を置くことに決めました。
すでにキタムラは、覚醒剤を向精神薬の相乗効果で私以上に頭がおかしくなっていました。
コウジがタタキで多額の金を手に入れているのを聞いて自分たちもタタキをしようと持ちかけられたこともありましたが私自身の理性や道徳観はかろうじて残されていたので実行までには至りませんでしたが、キタムラと一緒に居続ければ必ず後悔することになると思いました。
私自身、偶然にも新しい仕事が決まり少しづつですが覚醒剤と離れたいとも思い出していました。
私にとってキタムラはもはや用なしの邪魔者でしかありませんでした。
縁を切ったわけではないけれど薬物で繋いでいた関係性は、薬物なしで持続することはできなくなっており、その後ひと月ほどは連絡は取るけど会うことはありませんでした。
お互いが自分のペースで薬物を使っていました。
終着駅
ある日、夜更けにキタムラから電話がありました。
彼は泣いていました。
号泣しながら何度も私に助けを求めました。
虫が体中を這いつくばってくる、なんとかして欲しい、タスケテクレ、タスケテクダサイ・・・。
覚醒剤を使うペースを少なくして多少なりとも冷静さを取り戻していた私は初めてキタムラに覚醒剤を教えたことを後悔しました。
自分のことを慕ってくれた大好きな後輩を廃人にしてしまった。
しかしもう時計の針をもとに戻すことはできませんでした。
なにも言ってやることも、してあげられることも私にはできずそっと電話を切りました。
キタムラが逮捕されたのはその一週間後でした。
そして、キタムラが逮捕されてから更に10日後。
私自身の手首にも重い手錠がかけられることになりました。
安易な気持ちで覚醒剤に手を出し、家族を巻き込み、友人を巻き込み、一瞬にして転落していった私の人生は逮捕されることによって終わりを迎えました。
初めて覚醒剤を使用してから僅か10ヶ月後の出来事でした。
(了)