ササキからアジトの段取りがつくまでは何処か塒にできる場所に身をおき、連絡が来るまでは待機しておくよう指示は受けたものの、身よりもいないし縁もゆかりもない土地にギリギリの金だけ持ってきた私にとって行くあてなどはどこにもなかった。

 

 

 

  潜伏

 

 

 

24時間1500円で過ごすことのできる激安ネットカフェを見つけ、そこで私はササキからの連絡を待ち続けた。

 

個室とは程遠い、低い壁で仕切られた空間に小さなパソコンと申し訳程度に倒れるリクライニングチェアのあるだけの簡素な部屋だった。

 

 

外国人バックパッカーや浮浪者のような人間が停留するような暗くて狭く体臭の漂う店内で、私は10日間以上の待機を余儀なくされた。

 

ドリンクバーのおかげで飲み物には困らなかったが、食事はコンビニでカップラーメンやスナック菓子のようなただ満腹を満たせれば良いものを選んで飢えをしのいだ。

 

それに加えて壁一枚挟んだ隣の部屋からは男女のまぐわう声色が聞こえてきたり、どこからともなく大麻を燃した匂いがしてきたりということもあり私の自我は次第に崩壊していった。

 

 

 

東京では絶対に覚醒剤を使用しないように。

 

 

ササキと交わした唯一の約束だけは守り通した。

 

 

 

正直、覚醒剤をいつでも買える場所に身をおいていたが買えるだけの金銭的余裕は私には無かったし、グループを取り仕切っている裏の権力者の影に怯えていた。

 

ヤクザか半グレか、それとももっと他の何者なのか田舎者の私には想像もできなかった。

 

とにかく次の指示があるまでは、目立たないよう大人しく都会の街に潜り続ける以外に選択肢は残されていなかった。

 

 

 

  始動

 

 

 

 

ネカフェ生活も一週間も過ぎた頃、ようやくササキから連絡が入った。

 

前の週から稼働しているグループに合流してほしいとのことだった。

 

 

 

連絡を受けた翌日の夜、私は10日近く過ごしたネットカフェを出た。

 

僅か10日ほどだったがリクライニングチェアーで寝食をしていたため身体は疲労感に包まれていた。

 

まるで留置場から久しぶりに出たくらいの開放感であった。

 

 

 

ササキの店に再訪し、ようやく具体的な指示を受けることになった。

 

 

 

・身分証、携帯電話はササキの店に預けて最低限の荷物だけを持参すること。

 

・着ていく服は目立たない普通の身なりで行くこと。

 

・日曜日の夜にアジトへ入り、週末の金曜日の晩まではアジトで寝泊まりすること。

 

 

・アジトまではタクシーを利用すること。

 

・最寄り駅から直接行くと警察から尾行される可能性があるので4回タクシーを乗り継ぎアジトまで向かうこと。

 

・どこかのスーパーで食材を購入してくること。

 

・かかったお金に関しては経費として返還するのでレシートを捨てないこと。

 

・現地の人間には偽名を使い、仲介者はもちろん自分の個人情報は絶対に口外しないこと。

 

 

尾行や逮捕されたときのリスクを少しでも抑え、極力目立つことなく犯行を遂行することのできるように完璧にシステム化された決まりだった。

 

 

 

一通りの説明を受けた後、私は身分証や自分の氏名の記載してあるものと携帯電話、それに最低限の荷物だけを持ち、残りの荷物はキャリーケースに入れてササキに預け、目的地の住所の書いたメモ書きと必要経費の2万円を受け取った私は新宿駅へと向かった。

 

新宿駅に到着した私はメモに書いてある通り埼京線に乗り込んで赤羽駅を目指し、そこで京浜東北線へと乗り換え大宮駅を目指した。

 

 

 

そして大宮駅から3駅手前のの北浦和駅で一旦途中下車してタクシーに乗り込み、与野駅、さいたま新都心駅とタクシーを降りたら次のタクシーを拾い指示の通りのルールを守りようやく大宮駅までたどり着いた。

 

21時に新宿を出てすでに時間は23時を過ぎていた。

 

もともとの手持ちの金と、ササキから預かった2万円をあわせた財布の中身も交通費でほとんど消えていき残りは僅かになっていた。

 

スマートフォンをササキの店に預けどれだけタクシーの料金が発生するのか調べることも想像することもできない不安は測りきれなかった。

 

道に迷ったり、金が尽きてしまったらアジトにたどり着けないどころか新宿に戻ることもその場所で宿を取ることすらできないほどの極限状態だった。

 

 

 

  アジト

 

 

 

なんとか大宮駅までたどり着き、残された残金の限りで食材を調達しようやく目的地の建物まで到着した。

 

 

15階はあるだろう築浅のマンションだった。

 

広いエントランスを抜け、オートロックでメモ書きに記された部屋番号を押すと少ししてインターフォンに反応があった。

 

私も通話口の相手も言葉は発しなかったが、カメラ越しに私の顔を目視して警察では無いと判断したのか自動ドアが開けられた。

 

2基あるエレベーターのひとつに乗り込み最上階を目指した。

 

降り立ち更に一番奥にある部屋にまで向かった。

 

手前の部屋の前には子供用の自電車が停められていた。

 

詐欺グループのアジトの隣では普通の家庭が普通に幸せな家庭を営んでいると想像することは容易だった。

 

だが私はいまここで引き返せば元いた世界に戻れるなどとは微塵も思わなかった。

 

当時の私は前に進み続けるしかなかった。

 

私の背後から死神が背中を押し続け地獄の入り口まで連れてきたのだ。

 

私は目的の部屋のインターフォンを押し、小さく開いた扉の中に私は吸い込まれるように入っていった。

 

明日から私は犯罪に手を染める。

 

一般人から犯罪者への境界線はほんの扉一枚だった。

 

(続く)