境界線
最初に相手に荷電してから約1時間後、遂に私はいたずら電話と振り込め詐欺の境界線を越える。
金銭の要求をした時点で、犯行が成立する。
知らない相手に無作為に荷電をし、その中から私のことを身近な誰かと勘違いさせる事のできる相手を炙り出すことを【アポ】
その約20分後にもう一度荷電して、対象者がちゃんと電話の内容を理解しているか、理解した上でこちらのことを心配してくれているかを確認し、その上で更にこちらの描くシナリオを対象の脳裏に刷り込んでいくことを【ジャブ】
そして、3度目の荷電。
これまでの会話の中で張り巡らせた伏線を回収しながらどんどんと対象者を追い込んでいき、金の要求をすることを【金フリ】、そう私たちは呼称した。
【続・回想を最初から読む】
【振り込め詐欺の手口を最初から読む】
ダイヤモンド
アジト全体に緊張が走る。
それまでは広いLDKで他の仲間と共に荷電を続けていたが、それより先は些細な失敗も許されない。
他人の会話の内容や、ふとした生活音、それに私達に予見しきれない事象で対象から勘ぐられてしまうかもしれない。
何百件もアポを繰り返し、その中でジャブを打って厳選したダイヤモンドの原石。
そう簡単に手放すわけにはいかない。
こちら側の不手際で案件が頓挫してしまうことは許されない。
これまでに得た対象者の情報とこちらがその場面に応じて作った設定などをその都度記したメモ書きとトバシの携帯電話を持って別室に移動する。
狭い個室の中に自分ひとり。
近くに助言してくれる仲間はいない。
メモ書きを再度一読し、自分の脳裏に今回のストーリーを思い描く。
間違いの無いように携帯電話のボタンをひとつずつ押していき、大きく深呼吸をしてから通話ボタンを押す。
もう、逃げることはできない。
金フリが成功するか、もしくは対象者に訝られ警察に通報されるかガチャ切りされるまで通話を終えることはできない。
手形
あれから、荷物が見つかった連絡はあった?
ジャブのときと同じ出だしで会話はスタートする。
前回の荷電のときに増して、焦燥感が十分以上に対象に伝わるように声の大きさを変えて抑揚もつけた。
もちろん、嘘の内容なので無くしてもいない荷物が見つかっているはずはない。
まだそんな連絡は来ていないという答えを聞いたあとに、いよいよ金銭の話を絡めていく。
それまで金のことは一切口にしておらず、電話で金のことを言われたときは詐欺を疑えと常日頃から教育されている高齢者に対して金の話題を持ち出す瞬間が一番の山場だったといえた。
そのため、金と直球に伝えるのではなく言葉や言い回しを変え少しでも勘ぐられることのないようにこちらの話を続けていく。
そうなんだ、やっぱりまだ届いていないよね。
実はさ、無くした荷物の中にこれから仕事で使う大切な書類が入っていたって言ったよね?
それっていうのがさ、先方に渡す予定だった手形だったらしいんだよね・・・。
お金でもなく、小切手でもなく手形。
私自身も、手形というワードは知っていたがそれがどんな性質なものかよく分からなかった。
一緒にいる上司から事前に預かっていた書類だと思われるものの中に、先方に渡すはずだった手形が入っていた。
要するに、お金に変えることのできる紙が入った荷物を紛失してしまっていたということだ。
部長
一緒にいる上司というのが、会社の部長なんだけどね。
そんな大切なものが入った荷物を紛失したってこっちが知ったら、自責の念に苛まれてしまうと気遣ってくれてこれまで言わずにいてくれたんだよ。
手形の発行元に連絡してくれて換金できないように手続きをしてくれたから、誰かに不正に換金されることもないし、荷物さえ見つかってくれたら問題ないって言ってくれてさ。
会社に紛失したことが発覚したら、こちらの責任問題にもなりかねないのにそれを隠してくれて時間いっぱいまでは一緒に探そうって庇い立てしてくれて、本当に申し訳ないよ。
ジャブの時点で、持ち上げて神格化した上司は実は会社の部長だった。
部長といえば部門や部署の責任者であり、最終的な意思決定を担うことも多い役職。
それほどの立場の人が自分の身内の不祥事を庇い立てしてくれている。
そして、紛失してしまった手形も換金されることはないと言うことで金銭を要求されるわけでもない。
そう対象者が想像してくれていたとすれば、そのあとにどんなことを相手が考えるかは容易に想像がつく。
なにか、私にできることはない?
その言葉を引き出すことができればあとはこちらの話を進めるだけだ。
完全にこちらの思惑どおりに対象者が、ストーリーを理解しているということだ。
さっきから部長の様子がおかしいから本当に大丈夫なのか聞いてみたんだよ。
そしたら、先方に予定よりも訪問が遅れることは伝えてあるけど今日中には手形が必要みたいで、それまでに荷物が見つからなければ手形を紛失してしまったことがじこちらの会社に発覚してしまうって言うんだ。
手形を再発行せもらう手続きもしてくれてはいるんだけど、今日中の再発行は難しいって言われてしまったみたいで、なんとか今日中に先方に渡すためにも手形の額面を現金で用意する必要があるみたいで、こちらに内緒で部長自身の預金や、部長の母親にまで一時的な建て替えのお願いをしてくれているみたいで、それでもまだ手形の額面には足りてないみたいなんだよ。
自分の身内が荷物を紛失してしまったせいで、会社の取引きに支障が出てしまい、部長ほどの立場にいる人間が庇い立てしてくれている上に部長自身が身を切ってまでその一時補填をしてくれようとしている。
しかも、足りない分を関係のない部長の母親にまで頼んでくれてまで。
対象がこの話をそこまで理解してくれていたら、私には関係のないことだと突っぱねることはもはや不可能だ。
同調圧力
もともとはこちらの不注意で起きてしまったことだし、部長と関係のない部長のお母さんにまで迷惑をかけちゃっているから、こっちもできるだけ協力させてもらいたいんでけどいくらまでなら出せる?
明日になれば手形が再発行されるから、用意した金額は明日には必ず返すことができるから。
手形の金額や、部長たちがいくら用意するのかは教えない。
あくまで、部長はこちらに負担を要請しているわけじゃなくあちらだけで事態の解決をしようとしてくれているという設定だ。
だからこそ、金額は聞いても教えてくれない。
話の内容を考察する限りでは、そんなに安い金額では無い。
100万、200万円ほどの金額であれば部長クラスの管理職であれば簡単に補填できる。
そうなると、1000万円かもしかすればそれ以上か。
それがわからない以上、こちらがどれだけ用意することができるのかをしっかりと把握した上で、その中からどの程度捻出して建て替えることができるのかをきちんと精査した上で、部長にこれだけこちらから用立てることができる旨を伝えなければいけない。
ちゃんとした金額を伝えないともしその金額が用意できなかったとき困るから、家にある口座の預金を全て教えて欲しい。
その上で、どれだけ用意することができるって部長に言うから。
この時点で、部長にはこちらが建て替える金銭の一部を補填するということは伝えてはいない設定だ。
あくまでもこちらが勝手にこれだけ用意するのである。
そこにあるのは身内に対する心配と、身内のことを庇ってくれてここまで尽力してくれている部長の愛情に対して、対象者が自発的に用意するのだ。
この時点で対象者は自ら金を用意する意志が固まっている。
長時間に及ぶ通話の中で疲労して、こちらの伝える内容を額面のまま受け入れ納得してしまうほど洗脳されている。
ストーリーの中に辻褄の合わない点や、よく考えれば疑わなければいけない箇所は山ほどあるがもはやそんなこと脳裏に浮かべることすらできないほど、こちらの与える情報量が多すぎて対象はその情報を処理することに手一杯となり、自分の頭で考えることを放棄してしまっている。
電話は繋いだままでいいから、家中にある銀行の預金通帳を全部持ってきて。
大きな魚はしっかりと針にかかった。
あとはこちらがミスを犯さないようにゆっくり、じっくりと引き上げるだけだ。
(続く)