ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

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歩兵第230連隊 東海岸の戦闘 目次

歩兵第230連隊 御戦没者名簿

 

 

より続いております。

 

前回までは日本軍第一野戦病院東方3kmの山砲が5-6発米軍陣地へ向け砲撃したところまで、米軍は砲撃元を捜索無力化する為、再び 2nd Raider's を出撃させた。

 

米軍 2nd Raider's での記録では

11月30日、襲撃大隊は、ルンガ周辺の南約4マイル(6.4 km)の尾根に、日本の75mm山砲と37mm(1.46インチ)対戦車砲を発見。

F中隊の分隊六名が大砲が発見された場所の近くを偵察したとき、隠された日本軍宿営地を発見した。

日本軍は中央の木の周りに武器を積み上げて約100人の日本兵が休んでいた。

偵察隊はその宿営地の中に入り込んでいた。
襲撃大隊は近接攻撃を実施し約75人の日本兵を斃し、残りの日本兵は逃亡した。

襲撃大隊は12月1日を休息にあて、飛行機の空中投下糧秣度弾薬を補給。
12月2日、ルンガ河周辺の偵察、B中隊は川沿いで野営していた日本兵10人を発見、直ちに攻撃し全員を殺害した。

他のどの中隊も日本兵に遭遇しなかったが、別の75mm山砲を発見しました。

同日夕刻、カールソン中佐は偵察任務を終了し、3日ルンガ河の米軍陣地へ戻るよう命令を受けた。

 

この場面を二師団第一野戦病院の長谷川英夫軍医少尉の記録と照らし合わせてみよう。

長谷川軍医少尉の記録では山砲の砲撃は11月20日とあり、その後現地人がしばしば現れるようになった。25日には米軍の「虱潰しの砲撃」が始まった。

砲撃の後、米軍の地上部隊侵攻必ずある。

長谷川少尉の上司、近軍医中尉は「患者の整理・後送」野戦病院の転進を本部へ具申。

29日患者後送が始まり第一野戦病院半部も丸山道を経由して水無川(ポハ川)へと出発。

 

30日残る第一野戦病院半部は総勢約二十名。他は独歩不能患者(員数記録なし)。

09:30 折よく担架兵が来て三名担送、他十数名徒歩後退を命令。

※この頃はコリ岬付近で2nd Raider'sと激闘した歩230関谷大隊の兵士がルンガ渡河点警備隊として布陣し第一野病とルンガ渡河点間の担送も担当していた。

歩行困難患者も居たが、情勢は急を要し敵襲も予想されると漸く説得「全部の整理」を完了した。

※米軍記録では「約100人の日本兵が休んでいた」とあるが「全部の整理を完了した」とする長谷川軍医少尉の証言と相反する。

10:00 歩29の警備兵一人血相を変えて注進して来る。

「同僚一名が敵の自動小銃で東部貫通銃創を受け即死」

米軍の銃声は次第に近づき空からは雨が降り始める。

敵の銃弾が一発プスンと幕舎を貫くと同時、我先にモカヒルの絶壁をへばりつくように駆け上がった。 

 

以下、長谷川少尉の記録をそのまま転載

大粒のスコールは身体に突き刺さるように痛い。

心臓は早鐘の如し、などという形容では物足りない。

体外に飛び出した心臓を素手で掴んでいるような鼓動が全身に響き渡る。

足は宙に浮いたようにガクガクし、思うように進んでくれない。

中略

苦心惨憺、頂上まで這い上がることが出来た。

見渡すと一同無事である。

ただ近軍医中尉の軍刀の鞘が滅茶苦茶に壊され刀身が露出している。

相当の猛射を受けたが、大スコールのおかげで盲射に終わったらしい。

神風というものがあれば、まさに神雨ともいうべき天祐だった。

私は今もって、あの出来事は、不可解の一語で、幸運だったなどと簡単には片付けられないし、あるいは神秘とでもいうのか、あの一瞬だけは私の人生から浮き出して別世界の出来事のような感じである。

こうして長谷川軍医少尉は35日間に及んだ野戦病院勤務からルンガ渡河点・丸山道を経由して12月3日午後三時、水無川の野戦病院へ転進が叶ったのでありました。

その転進行程は↓の通り 大きさの都合で横向きすみませぬ。

第一野戦病院から清水谷を経由して、アスタエ山の下がルンガ渡河点、マ川合流点・タブー患者収容所を経て九〇三高地、海岸線へ出て水無川と気の遠くなる行程を11月30日から12月3日まで、四日間で踏破したとは・・・  栄養失調の軍医とは言え、当時の方は健脚だったのだと驚くばかりです。

 

↓水無川の野戦病院跡地にある洞窟、当時は軍医宿舎として使われた 2012年撮影

入口の上が崩れ入口は当時より大きくなったとの証言が残る。

近軍医中尉、長谷川軍医少尉もこの洞窟で過ごされたと思われます。

次回、歩兵岱230連隊のその後を追いかけたいと思います。

 

つづく

 

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