ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
ソロモン諸島の戦い 目次 鋭意更新中
より続いております。
久々に亀井宏氏の「ガダルカナル戦記」全三巻のうち現在地の三巻の頁を開いてみました。
すると歩230第一大隊本部、原軍曹の証言と共に↓の要図が添えられておりました。
歩230連隊2中隊・山砲兵38連隊6中隊の上陸地点、米軍上陸地点がかなりズレておりますが日本軍側の位置関係はかなり正確に書き込まれている要図であります。
↑要図と今迄調べた位置関係をグーグルアースに書き込むと↓のようになりました。
この要図を手に現地へ訪れネイティブ達へ聞き取りを行えば歩兵第230連隊のガダルカナル島東海岸激戦の地は特定されると思います。
前回は 2nd Raider's が長距離パトロールから自陣に戻るまでを追ってみました。
それでは東海林部隊はその後どうなったか追ってみたいと思います。
亀井宏氏のガダルカナル戦記では11月8日
「東海林支隊はイル川以東の諸隊を併せ指揮しルンガ飛行場南側地区を経てルンガ河畔に転進し、一部を以てアウステン山東方ルンガ左岸高地に攻撃並びに飛行場射撃の拠点を構成したる後、主力を丸山道上マタニカウ川」渡河点付近に集結すべし」
とある。
マタニカウ川」渡河点付近はルンガ渡河点の間違いではなかろうか。
それはさておき11月8日に命令を受け取ったとなると2nd Raider'sと激戦の最中に命令を受け迎撃離脱と糧秣運搬を並行しながら、10日ようやく2nd Raider'sの包囲から脱出。
以降、長蛇の行軍、傷病兵・落伍兵の犠牲出しながら丸山道を目指したのは前回述べたところであります。
10日に Asamana で米軍の包囲から離脱した東海林部隊が丸山道に復帰しルンガ屈曲点第一野戦病院へ到達したのは11月17日との記録が残ります。
前述、原軍曹の記録 亀井宏氏「ガダルンカナル戦記」三巻より
見覚えのある「丸山道」に入った。
白骨化した友軍の死体を見る。
死体は行く先々に、道標のようにして現れる。
やがて叢林内に掘立小屋が点在しているのが見え、近づいて見ると動きの全く取れない重症患者が横たわっていた。
第一野戦病院であった。
病院というよりは患者収容所というにふさわしかった。
18日38師団復帰の命と共に
「主力は九〇三高地北西麓に集結、大隊長の指揮する約二個中隊及び無線一分隊をルンガ渡河点右側背警戒、同地の野戦病院援護」
との命令を受けた。
↓白太線が東海林部隊の転進路
ルンガ屈曲点第一野戦病院より九〇三高地北西麓まではまだ路半ばなのでありました。
つづく
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
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令和3年より全国ソロモン会の遺族相談員を拝命し致しました。
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。