ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

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歩兵第230連隊 東海岸の戦闘 目次

歩兵第230連隊 御戦没者名簿

ガ島東海岸の戦闘 その七 東海林部隊 vs 2nd Raider's

より続いております。

 

昭和17年11月8日から11日まで続いた歩兵第230連隊・東海林部隊と2nd Raider'sの戦いは、米軍の包囲を東海林部隊が脱したところで組織的な戦闘は終了となる。

同11日、第17軍からの「西海岸へ転進せよ」の命により西海岸を目指す為、丸山道を求め長蛇の行軍が再開される。

上陸隊により補給された糧秣は百梱、一人当たり七合の米に過ぎなかった。

 

 

以下、英語圏WIKI  CARLSON'S PATROL より怪しい翻訳

米海兵第二襲撃大隊 2nd Raider's は東海林部隊本隊から落伍した兵を掃討しながら東海林部隊を追撃。

テナル川上流に達した大隊は新たにルンガ川周辺を威力偵察するように命じられた。
パトロールの目的はヘンダーソン飛行場に対して数週間にわたって擾乱射撃を行っていた日本軍の大砲を探して出して無力化することである。
第二襲撃大隊は11月20日にルンガ周辺の南東約2マイル(3.2 km)に新しい宿営地を設営開始し、11月24日まで環境を整え休養を取った。
11月25日、A中隊がエスピリトゥサントから到着し、第二襲撃大隊に加わった。

11月27日、大隊はテナル川のさらに4マイル(6.4 km)に移動し、上流と下流にそれぞれ2マイル(3.2 km)の2つの補助偵察拠点を設置しました。

 

※むかで高地より望むアウステン山 2015年撮影

現在地の丘の下はルンガ河


11月28日、B中隊とD中隊はルンガ川をパトロールし、ルンガ周辺の南西にあるアウステン山地域で野営。
同日、A中隊とF中隊はルンガ河とテナル川の中間地帯をさらに南にパトロールしました。

11月30日、襲撃者は、ルンガ周辺の南約4マイル(6.4 km)の尾根に、日本の75mm山砲と37mm(1.46インチ)対戦車砲が設置されているのを発見。

 

※今も丸山道に遺る四一式山砲の一部 2015年撮影

タンブハよりアスタエ山へ向かう途中、艱難辛苦「大砲」を臂力運搬された砲兵の御苦労は並みならぬものがありました。

 

F中隊の分隊六名が大砲が発見された場所の近くを偵察したとき、隠された日本軍宿営地を発見した。

日本軍は中央の木の周りに武器を積み上げて避難所の下で約100人の日本兵が休んでいた。

偵察隊はその宿営地の中に入り込んでいた。
第二襲撃大隊は近接攻撃を実施し約75人の日本兵を斃し、残りの日本兵は逃亡した。

 

※百名の日本兵が宿営していたと思われる場所は↓ルンガ屈曲点第一野戦病院

第二師団総攻撃失敗の後、総攻撃で負傷した傷病兵が宿営していた。

米軍と対峙する第一線は野戦病院より少し飛行場寄りの山砲一門。

第二線が野戦病院となっており米軍を迎撃する能力を有していなかった。

そして百名いたと言うのは眉唾物である。

第二襲撃大隊は12月1日を休息にあて、飛行機の空中投下糧秣度弾薬を補給。
12月2日、ルンガ河周辺の偵察、B中隊は川沿いで野営していた日本兵10人を発見、直ちに攻撃し全員を殺害した。

他のどの中隊も日本兵に遭遇しなかったが、別の75mm山砲を発見しました。

 

※モカヒル中腹に何門かの山砲、速射砲が捨て置かれていた。

モカヒル南側中腹より望むルンガ河、第一野戦病院の反対側であります。 2018年撮影

樹を伐採し運び出す為にロギングロードと呼ばれる道が切り拓かれていた。

 

同日夕刻、カールソン中佐は偵察任務を終了し、3日ルンガ河の米軍陣地へ戻るよう命令を受けた。


12月3日、第二襲撃大隊はC、D、E中隊を東方テナル川に向けて出発させ、A、B、F中隊は西方アウステン山に向い出発した。

C、D、E中隊はイル川友軍第一線渡河点に到達、安全地帯に入った。
A、B、F中隊は、アウステン山の頂上近くで日本の斥候隊と遭遇。密林内の遭遇接近戦で
25名の日本兵を斃し、4人の海兵隊員が重傷を負い、後に1人は死亡した。

翌日、A、B、F中隊はマタニカウ川付近を通ってルンガ周辺に入るつもりで出発した。
途中、日本軍の機関銃の待ち伏せにより隊員4人犠牲となった。
この戦いで7名の日本兵を斃し。その後は日本兵と遭遇する事なくルンガ河周辺の安全地帯へ帰着した。

 

※A、B、F中隊はルンガ河よりアウステン山を通り遭遇戦を行い、後に待ち伏せに遭ったとある。

恐らくギフ高地に布陣していた歩228稲垣大隊ではないかと想像致します。

 

つづく
 

 

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