ガダルカナル戦書籍一覧   
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歩兵第230連隊 東海岸の戦闘 目次

歩兵第230連隊 御戦没者名簿

ガ島東海岸の戦闘 その六 関谷揚陸隊と上陸隊

より続いております。

 

これより登場する日本軍部隊

歩兵第230連隊・東海林部隊 = 本隊

歩兵第230連隊・関谷揚陸隊 = 揚陸隊

歩兵第230連隊・第二中隊、山砲兵台38連隊第六中隊 = 上陸隊

米軍およそ五個大隊 = 米軍

以上の色で区別させて戴きます。

 

昭和17年11月4日

揚陸隊

早朝より米軍機が上空を哨戒、部隊は敵機の眼を逃れて広範囲に散開、ひれ伏す程度の壕を堀り身を隠す。太陽が登りきった頃、敵艦三隻より艦砲射撃を受けた後、敵機による機銃掃射を受け相当数の死傷者が出る。

 

月日不明

上陸隊

月日不明 コリ岬付近の海岸で多勢の人が海水浴をしているのが望見された。山砲の望遠鏡で確認すると米軍と確認され山砲で砲撃を開始。相当の戦果があったと思われたが確認出来ず。

 

昭和17年11月5日

揚陸隊

午後、海岸の監視兵より「海岸道を重機・軽機を有する敵3-400名東方より西方へ移動中、負傷者らしき者相当数あり」との報告あり友軍の存在を知る。陽が落ち昼間敵兵が移動して行った海岸道を前進する。先程まで居た密林に敵の艦砲射撃が加えられていた。メタポナ川を渡り終わった時、先行していた将校斥候が友軍部隊と連絡を取るが出来合流成功

一日二合程の米が支給された。

 

米軍

海岸で海水浴中に砲撃を受け負傷者を出した という記録なし

 

※ウィックハムの戦いもそうでありましたが米軍が日本軍から受けた損害に対しての記録は目にするケースは少ないように思えます。まして戦闘行動中に海水浴をしていて敵からの砲撃を受け負傷者を出したと上層部へ報告する中間管理職は今も昔も頭の痛い問題だと思います。

 

ガ島東海岸の戦闘を調べる切っ掛けとなった米軍戦闘行動要図

英語で瞬間理解に苦しむので怪しい翻訳蒟蒻で日本語化してみました。

現在地はトゴマ岬、BINU付近であります。

 

昭和17年11月8日

揚陸隊 + 上陸隊 + 糧秣七百梱

午前、敵機密林へめくら撃ちの機銃掃射。

正午頃海岸監視哨より「敵2-300名トゴモ岬付近に終結中」「敵巡洋艦一隻、海岸より5-600メートル遊弋中」との報告有。

暫くすると敵巡洋艦はツラギ方面へ姿を消す。

ここで関谷大隊長は交戦を決意。

山砲が轟然と火を吹き、敵はかなりの被害を出し四散、担架を持って再び現れるも山砲の追い討ちで姿を消した。

揚陸隊に被害はなく一方的な勝利だったが、敵艦が再び現れて艦砲射撃を受け二十数名の犠牲者を出し無線機も破壊されてしまった。

この戦闘により東海林部隊本隊は揚陸隊の位置を捉え合流に成功する。

夕刻より糧秣運搬が開始されたが圧倒的に優勢な敵に包囲され相当数の犠牲者を出しながら糧秣搬送は続けられ包囲を脱したのは11日になっていた。

搬送出来た糧秣は百梱程で一人あたり七合に過ぎなかった。

 

米軍

11月10日、ネイティブスカウトに案内されて陸路でBINUに向かって行軍。

途中、レイダースは日本兵の小グループに遭遇し、3人を殺害した後、同日の午後にBINUに到着した。

米軍は東海林部隊をGavaga Creek でほぼ完全に取り囲んでいたが、南側の湿地の小川を包囲しきれていなかった。

このルートを利用して、東海林部隊は転進を図り、東海林部隊の2,000人から3,000人が南のジャングルに逃げました。

 

11月11日、カールソンは大隊の4つの会社、「C」、「D」、「E」、「F」各中隊を派遣して、BINUの北と西の地域を戦闘偵察しました。

 

残りの.「B」中隊は、BINUの安全確保の為ベースキャンプに残った。

10:00に、village of Asamanaに向かって真西に行進していたC中隊は、 Metapona Riverの近くに陣取った東海林部隊本体と遭遇、ライフル、機関銃、迫撃砲で補足。

此の日、カールソン襲撃大隊はの120人の日本兵を殺害したと判定している。

 

※日付の違いはありますが昭和17年11月8日~11日にかけて↓一帯で激しい戦闘があった事は間違いありません。

米軍は東海林部隊の位置を把握し、東海林部隊は糧秣運搬しながらの迎撃逃避、11/8~11/11まで実に四日間をかけての戦闘だと読み取れます。

 

つづく
 

 

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