ガダルカナル戦書籍一覧   
*********************************************************************    

ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

2018年タラワ、マキン御慰霊行 目次

母娘ふたりガダルカナルの旅 目次

ソロモン諸島の戦い 目次 鋭意更新中

 

.ガ島東海岸の戦闘 その二より続いております。

 

昭和17年11月4日にガ島東海岸へ上陸した米軍は

WIKI先生の CARSON'S PATOROL によると

第二海兵奇襲大隊 多分7-800名

陸軍第147歩兵連隊 多分2,500名

第五防御大隊  多分7-800名

 

11月6日発

グループは北西のジャングルトレイルに沿って前進。

カールソン奇襲大隊の一個中隊とネイティブのジェイコブ・ブーザ曹長、豪州陸軍中佐

途中、koilotumarioに集結する日本軍を発見し迂回。

 

レコ川に11月7日に到着.。レコで、少数の日本軍と遭遇戦を行い2名殺害、3-4名が逃走した

 

11月8日、列はジャングルを通って北西に続き、ケナ川の海岸にぶつかり、アオラ湾から24 kmのタシンボコ村にキャンプを作りました。

 

翌日、彼らはベランデ川とバラスナ川を渡り、午後にBINUに到着した。

 

コリポイントの南東約4.8 kmのBINUに、カールソンはベースキャンプを設立し、KOLIから東と南への日本軍の移動を阻止する準備をしました。

 

他の3つの襲撃中隊は11月8日にアオラに到着しました。

11月9日、彼らは上陸用舟艇でタシンボコに移動。

11月10日、ネイティブスカウトに案内されて陸路でBINUに向かって行軍。

途中、レイダースは日本兵の小グループに遭遇し、3人を殺害した後、同日の午後にビヌに到着した。

 

ガ島の密林

おそらくこのような密林での遭遇戦だったと想像します。 2012年撮影

 

東海林部隊は、第17軍よりコリでの任務を終了し、西海岸のコカンボナへ転進復帰するよう命令を受ける。

 

米軍は東海林部隊をGavaga Creek でほぼ完全に取り囲んでいたが、南側の湿地の小川を包囲しきれていなかった。

このルートを利用して、東海林部隊は転進を図り、東海林部隊の2,000人から3,000人が南のジャングルに逃げました。

 

11月11日、カールソンは大隊の4つの会社、「C」、「D」、「E」、「F」各中隊を派遣して、ビヌの北と西の地域を戦闘偵察しました。

 

残りの.「B」中隊は、BINUの安全確保の為ベースキャンプに残った。

10:00に、village of Asamanaに向かって真西に行進していたC中隊は、 Metapona Riverの近くに陣取った東海林部隊本体と遭遇、ライフル、機関銃、迫撃砲で補足。

此の日カールソン襲撃大隊はの120人の日本兵を殺害したと判定している。

カールソン奇襲大隊の兵士、右端の兵士が手にしているのは日本軍の75粍四一式山砲の砲弾か・・・

                 ↑カールソン中佐

豪州の友人より頂戴した動画からのキャプチャー画像。 ちゃんと飯を食っている表情に見えます。

 

カールソンと2つの会社は、B中隊を中心に、Metapona Rivervillage of Asamanaに向かって西に行進しました。海兵隊は川を渡っている間に2人の日本兵を捕らえ、3人目の兵士を自国の船で殺しvillage of Asamanaを攻撃して占領し、村で数人の日本兵を奇襲して殺した。

※自国の船で殺し=艦砲射撃で殺し で良いのだろうか・・・

 

小休止中の東海林大佐

此の時はマラリアで熱発中でありました。

 

村の日本語の看板は、東海林部隊の集会場所として使用されていたことを示していました。

村と川の交差点の周りの防御的な位置を占めて、レイダースはその日の残りの間に村に近づいた25人の日本兵を殺しました。

 

翌日、中隊規模の日本兵の列がvillage of Asamanaに接近したとき、レイダースは第1大隊、第10海兵連隊から75 mm(2.95インチ)の砲撃を要請、多くの日本兵を殺し、撤退させた。

 

カールソンレイダースと海兵隊員は11月14日にBINUに戻り、宿営大休止の準備。

同日、レイダースF中隊のパトロールが、ネイティブスカウトによって発見された15人の日本の野営地を一掃しました。

11月15日、カールソン大隊はベースキャンプをBINUからvillage of Asamanaに変更しました。しかし、この時までに、東海林部隊はもはやその地域にいなくなり、マタニカウに向かう途中でガダルカナル島の奥深くまで行進を続けていた。次の2日間、village of Asamana周辺のレイダースパトロールは、散らばった数人の日本人の落伍者を見つけて殺しました。

 

以上 WIKI先生の CARSON'S PATROL よりエキサイト翻訳で取り組む事数日。

まったく怪しい翻訳でありますが米軍側の記録としては以上であります。

さて上掲怪しい翻訳分に出て来る。

BINU

KOLI

Gavaga Creek
village of Asamana
Metapona River
次回、以上の地名を脳裏に焼き付け現地1/50000の地図を刮目してみようと思います。
 
つづく

 

 

にほんブログ村    

 

過去の記事

従軍慰安婦 慶子

ケ号作戦 陸上戦 

第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌

第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌   

第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌

独立戦車第一中隊

アウステン山の記録

堺台第一拠点の記録
**********************************お知らせ********************************    
ガ島へ訪島をご計画されている方へ    
案内人・戦跡地図・戦史資料・知っていたら徳する情報等々・・・よろず無料ご相談承ります。    
お気軽に↓メールください。    
tobu23butai@gmail.com    
勇一三〇二    
**********************************************************************    
   
歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ    
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal    
冥府の戦友(とも)と語る    
お立ち寄り戴けましたら幸いです。    
   
   
   
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

 

 

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal    
石坂准尉の八年戦争さま    
と相互リンクさせて戴きました。