ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

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母娘ふたりガダルカナルの旅 目次

母娘ふたりガダルカナルの旅 第九話 より続いております。 

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第十話

原戸籍(はらこせき)というものをご存じだろうか?

相続のときに必要となるものである。

親の原戸籍を見ると親が子どもだったときの家族構成がわかる。

150年間戸籍は保存されるので現在なら明治時代くらいまでの自分の直系の戸籍が取れるというわけである。

請求するのに結構手間がかかるのだが、わたしも父の分と母の分をそれぞれ遡って取れるだけとってみた。

コピーするだけなのに一通750円もする。さすがお役所。

 

私が8年前に始めて父の原戸籍を見たときにそこに「多くの知らなかった兄弟や親戚」がいた。

生まれてわずかでなくなっている兄弟姉妹が多い。

昔の女性がたくさん子どもを産んだひとつの理由であろう。

お家がたいそう繁盛していたときの家長の名前を子孫につけることも間々ある。

わたしの父の名前はまさにそれだった。

結婚しても赤ん坊ができないと一年くらいで離婚したり、たくさん子どもがいる親戚などから養子を迎えたりする。

また長男しか家を継ぐことはできないので、次男以降の男子は分家したりほかの家に婿養子に入ったりしている。

 

とにかくわたしの一番の驚きはガダルカナルで戦死した父の兄が居たことである。

インパールで亡くなった大叔父もいた。

ともに大東亜戦争の過酷な戦場である。

 

ガダルカナル島ってどこにあるんだろう・・・

昭和史と言えば学校で授業時間が足りなくなって尻切れトンボになる歴史の授業で受けたきりでその後あまり真剣に理解しようとすることがなかった。

とにかく5年ほど前からは夢中で本を読んだりネットを見たりいろんなことを調べまくった。

そしてとある方に教えていただきガダルカナル戦について詳しくご存知だという勇さんのブログにたどり着いた。

 

叔父が亡くなった場所と月日は戸籍の情報でわかっていたので、勇さんにお尋ねしたところ「叔父上様はこの辺りでこのように亡くなられたのではないでしょうか」と大変丁寧にご返事をいただいたうえに、入手することが難しい「勇〇三部隊戦史」をご紹介くださった。

これは歩兵第二十九連隊の記録である。

とてもわかりやすく書かれた本でモノクロだが写真も豊富に掲載されており、しかも叔父と一緒に戦線に行かれた方が書かれたものなので内容は臨場感あふれその時のことが手にとるようにわかり感動した。

また同時にかなりのショックを受けた。

今まで全く知識がなかった分、世の中にこのようなことがあったのかと自分の無知を恥ずかしく思った。

 

靖国神社の偕行文庫に行けばさらに詳しく調べられるというので、そのために叔父の軍歴証明書も入手してみた。海軍は厚労省に陸軍は戸籍のある県庁に保管されている。

3親等の親族までなら書類を揃えて請求することができる。

 

 

福島県の父の実家はすっかり様相も変わり当時を知る人はもはや存在せず、悲しいことに写真も遺品も手掛かりになるものも何もない。

唯一、近所の菩提寺に祀られていた英霊の写真があった。

これがなければお顔も見ることはできなかった。

とにかく調べていてもモヤモヤが募るばかり。

そうこうしているうちにいつしか現地ガダルカナルに行ってみたいと思うようになっていた。

 

3年ほど前に厚労省主催のソロモン諸島慰霊巡拝事業に申し込んだが近親ではないという理由で落選した。

これに参加できるのは子ども孫またはせいぜい兄弟なのだそうだ。

結婚もできずに家庭を持つこともできずに若くして亡くなった叔父のような人たちはただ忘れ去られてしまうだけなのだろうか。

 

こうなってくると俄然行きたくなってきた。

居ても立ってもいられず早速自由行動ができるガダルカナル島のツアーを見つけ、学校が夏休みの娘を誘い思い切って申し込みをした。

 

 

叔父の足跡をたどりガ島慰霊行前に訪れた宇品港 現在の広島港 遠くに江田島が見える

宇品港 六管桟橋

叔父たちは会津若松から豊橋を経由して鉄道で広島まで来た。

そしてそれぞれ広島のご家庭に民泊をさせてもらった。

兵員たちはみんな一瞬普通の青年に戻っておふくろの手料理をご馳走になり弟妹のような子どもたちと遊んだりして温かくもてなしてもらったことだろう。故郷の家族を思い出し胸が熱くなったに違いない。

 

昭和17年1月宇品港を出港した。

3月インドネシアジャワ平定、その後接収、警備などの業務のため6か月間ここで過ごす。

一度日本に帰還できるという話もありお土産を買ったりしてその時が来るのを待ちわびていたことだろう。

この時は比較的平穏な時期であったようだ。

 

9月作戦のためインドネシアバダビヤ港を出港する。

輸送船に乗って出港後、初めて甲板で受けた連隊命令は

「ガダルカナル戦を奪還せずんば1名たりとも生還を帰すべからず」であった。

 

10月初旬ガダルカナル島タサファロングに上陸。

わずかな食料を持ちあの「丸山道」に挑むわけである。

 

 

ホニアラ市内をどんどん西に進むにつれ何本か川を越えるとところどころにヤシの実ジュースのスタンドがあるだけの寂しい雰囲気になってくる。

川の入り江ではときどき車を進水させて洗車している光景も見かけた。

右側はずっと海岸が続き、左側はヤシの木そして遠くに山が連なる。

 

丸山道起点記念碑からいったん海岸道路に出て西に向かいママラ川を越えてほどなくするとタサファロング、ボネギ海岸だ。

ここは間違いなく歩兵第二十九連隊が踏んだ地であると思うと感慨もひとしおだ。

日本軍の輸送船を唯一目にすることが出来るボネギ海岸だ。

 

 

つづく

 

 

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文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。

お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。

 


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