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GT-Z&RSでは、コンピュータ関連情報や地域情報を中心に発信しています。

今日の東京株式市場日経平均株価(225種)は、4万2,718.17円(+897.69円)終値の史上最高値(4万2,224.02円)を更新しました。

これは、日本とアメリカ合衆国の相互関税及び主要各国との相互関税が進展し、若干アメリカ合衆国との貿易の先行きが見通せる状況になったからと思われます。

    各国・地域毎の相互関税の追加関税税率
  • カンボジア  :49%   ⇒36%
  • 中華人民共和国:34%
  • 台   湾  :32%   ⇒20%
  • イ ン ド  :26%   ※一時停止
  • 大 韓 民 国:25%   ⇒25%   ⇒15%(07月31日妥結)
  • 日   本  :24%   ⇒25%   ⇒15%(07月23日妥結)
  • E   U  :20%   ⇒15%(07月28日妥結)
  • イ ギ リ ス:10%   ⇒10%(05月09日妥結)
従来税率追加税率修正税率
乗用車2.5%27.5%15.0%
一部トラック25%50.0%15.0%
 ※ 主要自動車部品は、5月3日(土)迄に25.0%の追加関税が発動された。
 ※ 主要自動車部品は、7月23日(水)の妥結に拠り15.0%の追加関税とされた。

なお、取引時間中には+1,179.23円高4万2,999.71円を記録しています。

これだけの高値を付けたのは、アメリカ合衆国のホワイトハウスが11日(月)(現地時間)に中華人民共和国の輸入品に対する追加関税の一部の停止期限について、更に90日間延長する大統領令にドナルド・トランプ大統領が署名したことも好感した様です。

そうなると、日本の相互関税税率15%は本当に良かったのか分かりません。
(何故ならば、この15%は相互関税税率15%なのか或いは追加関税税率15%なのかで大きく異なります。)
然も、EUや大韓民国も相互関税税率が15%と我が国と同率です。
(我が国の関税交渉が依然と不透明であり、交渉の過程及び結果が良かったのか否かは全く分かりません。)

1985年(昭和60年)8月12日(月)の18時56分頃に発生した、JAL123便(Boeing747SR-100(JA8119))墜落事故から40年が経ちました。

当時は、既に夏季休暇に入っていましたから、恐らくは帰省して、この悲報に接したのでしょうか。
とても早いものですね、既にもう詳細な記憶がありません。
(当日は、帰省の為の移動中だったかなぁ、それとも既に実家に帰省していたかなぁ。)

まぁ、私の生活も、大きく変わっており、当時とは比べものにならない悲惨な生活ですが。
(とても残念です。。。特に、この20年間!そして終焉を迎えました。)

本当に、世の中、大きく変わりましたね。
当のJALも過去に一度倒産(再生)しましたし、私も節目の年を過ぎました。
(ただ、大変だった生活にも一区切りを付けました。)

今日は、午前中から群馬県多野郡上野村では雨の降る中で『御巣鷹の尾根』に向けて慰霊の登山が行われた様です。
因みに、この慰霊の登山は13日(水)迄は遺族や関係者に限られている様です。

夕方に、『慰霊の園』で追悼慰霊式が行われる様です。

それと、最近になりこの根拠の無いJAL123便墜落事故陰謀論や、今になって搭乗する予定だったなどの話題が多いのが非常に気になります。
陰謀論は知格として、今になっての搭乗予定だったには何の意味が有るのでしょうか。
(今更ながらですし、実際に犠牲になられて方々に礼を欠くと思います。)

ただ、今年も大きな航空機事故が続いており、技術革新はしているのでしょうが、残念です。

あがの姫牛丼ベトナム喫茶店 昨日梅雨の様な強いの為に、『新潟まつり』の花火大会が中止となり出掛けていませんでした。

今日は、天気が少し回復したのでまた万代シティに出掛けて、夏の食の陣を堪能して来ました。

今日は、昼食も兼ねて少し多めに色んなものを戴きました。

結構、美味しかったです。

先ず、チョッと気になったあがの姫牛ステーキ丼を戴きました。
価格的には今回の露店の中では一番高いものです。
(ステーキの焼きはオジサンですが、盛付けは左上写真のギャルが行います。ビックリ)

そして、ベトナム喫茶店のローストポークバインミーやBESTIE FRENCH FRIESのトリプルソースポテトでお腹を満たしました。

更に、折角ですのでまた福島県田村市で栽培されたホップを活用したクラフトビールFresh Hop IPAを戴きました。
(隣県で有り、同じ問題を抱えており、やはり微力ながら少し協力したいと思います。)

時折、雨粒が落ちる天気でしたので人出はボチボチでした。

8月5日(火)から開幕した第107回全国高等学校野球選手権大会ですが、本日、広島県代表の広陵高等学校(広島県広島市安佐南区伴東三丁目14番1号)が、以降の今大会の出場を辞退しました。

日本高等学校野球連盟に拠ると、広島県代表の広陵高等学校(広島県広島市安佐南区伴東三丁目14番1号)に於いては今年1月に野球部内で暴力事件が発生し、3月には当連盟から厳重注意を受けての大会出場続行をしたものの、最近になってSNS(Social Networking Service)等で誹謗中傷などが多くなり、本日出場辞退となったとのことです。

因みに、広陵高等学校(広島県広島市安佐南区伴東三丁目14番1号)は、大会第3日目の8月7日(木)に北北海道代表の旭川志峯高等学校(北海道旭川市永山7条16丁目3番16号)3-1で勝利しており、第2回戦の相手は既に第9日目に三重県代表の津田学園高等学校(三重県桑名市野田五丁目3番12号)と決まっていましたが、広陵高等学校(広島県広島市安佐南区伴東三丁目14番1号)の出場辞退に拠り不戦勝となりました。

なお、この様な事態は、全国高等学校野球選手権大会では初の事案とのことです。

従来の例ですと、野球部関係者以外の不祥事でも連帯責任として事前に大会出場辞退となっており、近年はその様な余りに理不尽なことが改善されて良いことだと思っていましたが、今度は処分後でも世論等に依って後から途中辞退せざるを得ない状況となる様になった雰囲気です。

7月18日(金)梅雨明けした当地方ですが、今日は梅雨の様な天候です。

今日は、一日比較的に強いが降り、8月8日(金)からの新潟まつりの最終イベント・花火大会は荒天の為に午前中に早々と中止となりました。

それと、この梅雨の様な荒天は当地方だけでは無く、全国的な様で山陽新幹線は福岡県や山口県などに線状降水帯の発生に依る豪雨の為に13時30分頃から広島駅と博多駅間で運休し、そのまま終日運休となっています。

今年は、日本全国各地では梅雨が短く降水量も非常に少なかったのですが、最近になり既に8月の1か月分相当の雨量を1日程度で記録すると所が多く、正に梅雨の様です。

新潟まつり食の陣万代太鼓 8日(金)大民謡流しから始まった『新潟まつり』の2日目です。

空梅雨から一転、大雨となった5日(火)からまた好天となり、良い祭り日和となりました。

今日は、万代シティに出掛けて夏の食の陣を堪能して来ました。

先ず、『新潟まつり』ですので、歩行者天国の一角で各団体に拠る万代太鼓が披露されていました。
(この歩行者天国の南側端のデパート前広場でも万代太鼓が披露されていました。)
中々、迫力が有ります。
(子供・園児などの舞台では、舞台前が大変混雑しました。)

そして、夏の食の陣
良く晴れた暑い日ですので、冷たいものが美味しいです。
今回は、当地方のTSUBAME BEERと言うクラフトビールを戴きました。

何でもこのTSUBAME BEERのホップは、新潟県三条市内(旧新潟県南蒲原郡栄村)で個人的に栽培されている逸品とのことです。
苦みの効いた美味しいビールです。 TSUBAME BEER

1945年(昭和20年)8月6日の広島市に投下された人類初のウラニウム型原子力爆弾リトルボーイ』の投下に続いて、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分頃に長崎市松山町171番地の上空約500mに、戦争における人類初のプルトニウム型原子力爆弾ファットマン』が投下されてから80年を迎えました。

戦時下とは言え、普通に考えれば、戦争実績のある爆弾を再度投下することは、戦果を考えれば、止むを得ず納得は出来ますが、敢えて異なる爆弾を投下したと言うことは、これは実験にほかなりません。
(広島に原子力爆弾を投下したアメリカのB-29(エノラ・ゲイ(Enola Gay))は有名ですが、長崎に原子力爆弾を投下したのはアメリカのB-29(ボックスカー(Bockscar))です。)

戦時下とは言え、悲惨な実験を行うとは。。。

我が国の、第二次世界大戦中の行為を批判する意見がありますが、戦敗国とは言え、そこまでされても良かった状況だったのでしょうか。
(特に、民主主義を達成していない国々に、色々と言われるのは、中々承服しがたいですなぁ。)

然も、依然と相手に反撃能力が低ければ攻撃する姿勢は今も変わりは無い様です。

近年、ハル・ノート(Hull note)の存在が注目される様になり、日本が一方的に開戦した訳で無いとの研究も有る様です。
(地理的に近い隣国においても、近年は誤った歴史認識を進展させる様な動きもあります。)

それと、2022年(R4年)2月からのロシア連邦に依るウクライナ侵攻や中国人民解放軍の軍備増強などは、今日の平和な我が国にとってはとても脅威です。
(共産主義や専制主義は、やはり脅威ですし怖いです。)

更には、プルトニウムの製造は未発効ではあるものの核兵器用核分裂性物質生産禁止条約(Fissile Material Cut Off Treaty)などに拠り制限されるべきと思いますが、抜け道として高速増殖炉(Fast Breeder Reactor:FBR)を建設・運転してこのプルトニウムを得ようとしている動きもある様です。

なお、我が国も原子力発電所に於いてプルトニウムを保有しており、その総量は約4,320㎏ですが、原子力爆弾用とは組成が異なる様です。

1945年(S20年)8月9日の日ソ中立条約(1941年(S16年)4月25日署名)を一方的に破棄したソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)の赤軍(Workers' and Peasants' Red Army)に依る満州国侵攻及び南樺太・千島列島侵攻から80年になります。

この侵攻は、前日の8月8日夜に宣戦布告し、翌日に奇襲すると言う戦術であり、元々軍事力に大差があったことと、ソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)への重大な警戒感が欠如していたことから、関東軍は崩壊し、多くの方がシベリア抑留となってしまい、我が国の主権と人権が大きく侵害・蹂躙されました。
(当時のソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)はジュネーブ条約(戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約)を批准していない為、この様な非人道的な行為を平然と行いました。)

また、二国間条約のソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)側の一方的な破棄と言う側面もあり、今日のロシア連邦内における我が国民間企業の権益を一方的に大きく棄損している状況と酷似します。
そして、今日多くの民間人をも入国禁止措置としている状況は、一方的なシベリア抑留に酷似しています。
(勝手に戦端を開く行為は、今日のウクライナ侵攻と似ている様に感じます。)


大日本帝国及「ソヴィエト」社會主義共和国聯邦間中立条約

第一条 両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スベキコトヲ約ス

第二条 締約国ノ一方ガ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルベシ

第三条 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルベク且五年ノ期間効力ヲ有スベシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セザルトキハ本条約ハ次ノ五年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルベシ

第四条 本条約ハ成ルベク速ニ批准セラルベシ批准書ノ交換ハ東京ニ於テ成ルベク速ニ行ハルベシ
    右證拠トシテ各全権委員ハ日本語及露西亞語ヲ以テセル本条約二通ニ署名調印セリ
    昭和十六年四月十三日即チ千九百四十一年四月十三日「モスコー」ニ於テ之ヲ作成ス

     松岡洋右(印)
     建川美次(印)
     ヴェー、モロトフ(印)
北方領土の侵略の経緯≫

2024年(R6年)8月8日(木)午後4時43分頃に、宮崎県の日向灘の深さ約30㎞を震源とするマグニチュード(M)7.1、最大震度6弱非常に強い地震の発生から1年となりました。

この宮崎県日向灘沖の非常に強い地震発生は、初めての南海トラフ地震臨時情報・巨大地震注意報の発出の端緒となりました。

なお、この南海トラフ地震臨時情報・巨大地震注意報2024年(R6年)8月15日(木)に終了する迄の一週間継続されました。

因みに、南海トラフ地震とは、静岡県駿河湾から熊野灘(三重県から和歌山県)や紀伊半島沖及び高知県土佐湾を経て、宮崎県日向灘沖迄のユーラシアプレートフィリピン海プレートが沈み込んで海溝を形成している区域で、概ね100年から150年間隔で繰返し発生していた巨大地震のことです。

この南海トラフ地震の前回発生は、1946年(S21年)12月21日の昭和南海地震と1944年(S19年)12月7日の昭和東南海地震で、既に78年が過ぎています。
(昭和南海地震昭和東南海地震も、12月に発生しています。)

航空自衛隊は、7日(木)航空自衛隊第7航空団第3飛行隊百里基地(茨城県小美玉市百里170)所属のF-2A戦闘機1機が茨城県沖約150㎞の太平洋上で墜落したと発表しました。

航空自衛隊に拠ると、このF-2A戦闘機は他のF-2A戦闘機5機と訓練を行っていたものの、7日(木)午前12時34分頃にパイロット(30歳代1等空尉)が管制官に異常を伝え緊急脱出したとのことです。

なお、このF-2A戦闘機パイロット(30歳代1等空尉)航空自衛隊百里救難隊所属の救難ヘリコプターUH-60Jに拠って収容されたとのことです。

先ずは、このパイロット(30歳代1等空尉)の命に別状は無いとのことで一安心です。

因みに、F-2A戦闘機は日本国内で開発・製造されたもので1995年(H7年)に初飛行し、2000年(H12年)から部隊配備されたもので既に30年が経過していることから近代化が強く望まれます。

    F-2A/B
  • 全長:15.52m、全幅:11.13、全高:4.96m
  • 最高速度:マッハ2
  • 行動半径:833㎞、航続距離:4,000㎞
  • エンジン:F110-GE(IHI)-129ターボファンエンジン1基(最大推力:13,382㎏f)
F-2A/B調達状況
F-2A:単座型62機配備
03-8503~8507・85096機
13-8508・8510~852113機
33-8522・85232機
43-8524~85307機
53-8531~8533・85354機
63-8534・8536~85417機
73-8542・85432機
83-8544・85462機
93-8545・8547~85549機
03-8555・8556・85593機
13-8557・8558・8560~85647機
F-2B:複座型32機配備
03-8103~81064機
23-8107~81159機2011年03月11日・松島基地で津波喪失
(23-8107、23-8110、23-8114)
33-8116~81249機2011年03月11日・松島基地で津波喪失(33-8120)
43-8125~81295機2007年10月31日・名古屋空港で墜落喪失(43-8126)
53-8130・81312機2011年03月11日・松島基地で津波喪失(53-8131)
73-81321機2019年02月20日・山口県沖日本海で墜落喪失(73-8132)
83-8133・81342機
 ※ F-2Bは教導機種である。
 ※ この他に、試作機が4機存在する。
 ※ F-2Aの墜落喪失は初。

また、我が国に於いては、主力戦闘機はF-15戦闘機ですが、こちらは初飛行が1972年(S47年)で部隊配備が1981年(S56年)と既に44年が経過しており早急に更新・近代化が強く望まれます。
こうした機材の経年劣化が、事故に繋がるのではないかと危惧します。

更には、我が国の戦闘機数が約330機と少なく、先ずは数量的に少な過ぎます。
(我が国の場合、事故等で主力戦闘機が喪失しても補給されません。)
F-15戦闘機約200機主力戦闘機
F-2A戦闘機  91機支援戦闘機
F-35A  39機戦闘機

幾ら、自衛隊の練度が高く戦闘機の質が高くても数量的には周辺諸国と比較して見劣りしますし、この数量では補給・継戦能力も低い様に思います。
(経年劣化した機材は廃棄するのではなく、アメリカ軍の様にモスボール(mothball)すべきと思います。)