観戦記2916 UFC.1 決勝戦 ホイス・グレイシーvsジェラルド・ゴルドー | 人生マイペンライ

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格闘技を愛し50歳過ぎても殴り合う

《本日のDVD観賞》

 

2000年代に入ってからは 「こんな可愛い顔で格闘技をやってるなんて」 とか、最近だと 「私はビビりで喧嘩などしたことない」 という格闘家が増えたというか大半になった。格闘技は暴力ではなくスポーツなのだから当たり前と言えば当たり前。喧嘩の延長で格闘家になろうと、そこは真面目に地味な練習と殴られ蹴られ強くなる。最近のプロレスラーもファンタジーは無くなり、フランスの山奥で見つかったとかドイツ兵の生き残りなどの「プロレススーパースター列伝」的な煽りは無くなった。MMAでフランシス・ガヌーの 『カメルーンの貧困生活から脱するために3年かけて港町まで歩いていった』 などは、ガヌーの試合ぶりもあり近年では最高のファンタジー。

特に初期のUFCは「究極格闘技」と付くだけあって、梶原一騎の世界がそのまま現実化したようなとんでもないものだった。第1回のデンバーでのUFCは、当時は胡散臭かったブラジリアン柔術のホイス・グレイシー、力士のテイラ・トゥリ(高見洲)キックボクサーのパトリック・スミスとケビン・ローズイヤー、伝統派空手のジーン・フレジャー、プロボクサーのアート・ジマーソン、パンクラスのウェイン・シャムロック、そして極真空手~RINGS参戦のジェラルド・ゴルドー!そして、いきなり1回戦でジェルルド・ゴルドーが力士のテイラ・トゥリの顔面を凄まじい蹴りでKOして、テイラ・トゥリの折れた歯がゴルドーの足に食い込むという場面が世界中にインパクトを与えた。

 

1959年3月にオランダの南ホラント州デン・ハーグで生まれたジェラルド・ゴルドーは、6人兄弟の家庭で育つが11歳の時に父親が亡くなり道路工事の仕事をしながら家庭を支える~お金が足りなく恐喝などの犯罪をするが、16歳の時に空手道場に入門も身体の小さな日本人に敗け空手にのめり込む~いくつかの道場に通い、敗けた日本人にも勝利し8年間を用心棒として生計を立てる。

極真空手の世界選手権で来日もし、大山総裁の勧めでレスリングやボクシングの練習もある~さらにサンボ、ムエタイ、サバット、柔道も習い、空手で1978年~1985年オランダ王者、サバットでは1988年~1991年ヨーロッパ王者&1992年世界王者。

1988年8月にUWFへ来日し、前田日明選手と対戦も裏アキレス腱固めで敗戦も‘フェイクファイト‘とバラす。キックボクシングなどの試合でも、1991年5月にサバテ世界選手権優勝~1993年10月に、K-1でアダム・ワットに2RにKO敗け~1993年10月の空手ワールドカップでも、反則が多く後川聡之選手に判定敗け。

そして11月に、これほどジェラルド・ゴルドーに合う格闘技があるのか!?と、危険な香りが漂う第1回UFCへ参戦して1回戦でテイラ・トゥリを顔面を蹴り上げ26秒でKO~準決勝でも、ケビン・ローズイヤーをヒジ打ちで59秒KO。

 

そして、決勝戦で対戦するのが当時は世界的には無名のホイス・グレイシー!

 

1966年12月にブラジルのリオデジャネイロ州で生まれたホイス・グレイシーは、父にグレイシー柔術創始者のエリオ・グレイシーを持つ。講道館柔道4段で、柔道使節の一員の前田光代ことコンデ・コマから叔父のカーロス・グレイシーが柔道(柔術)を習う。8歳から試合に出て、14歳からは指導員になったと云われ、17歳でエリオ・グレイシーより黒帯を授与される~長男のホリオン・グレイシーがグレイシー柔術普及の為に渡っていたアメリカのカリフォルニア州へ、兄のヒクソン・グレイシーと移住~兄弟で「グレイシー・チャレンジ」と題した道場破りを繰り返し、その様子を収めた「グレイシー・イン・アクション」を観た広告代理店役員のアート・デイビーが、映画監督のジョン・ミリアスとホリオン・グレイシーに企画を話し資金を集めて1993年11月に第1回UFCを開催~1回戦で、アート・ジマーソンをチョークスリーパーで1本勝ち

 

同日の準決勝でも、ケン・シャムロックにチョークスリーパーで1本勝ち。

 

第1回UFCが開催された1993年は4月に第1回K-1グランプリが開催され、9月にパンクラスが「完全実力主義」を掲げて旗揚げ大会を開催。10月の極真空手全日本選手権では、数見肇選手が21歳で初優勝した格闘技の大変換期!開催許可がなかなか得られず、コロラド州デンバーで開催された世界の格闘技を一変させた第1回UFC決勝戦!

 

1993年11月12日 UFC.1決勝戦 ジェラルド・ゴルドーvsホイス・グレイシー

 

ジェラルド・ゴルドー 極真空手

 

ホイス・グレイシー ブラジリアン柔術

 

1R、ゆっくりと前へ出るゴルドーに、ホイスは金網沿いを廻る

 

ホイスが、関節蹴りのフェイントからタックル!

 

ゴルドー切るも、ホイスは組み付いたまま足をかける

 

げにいこうとするも押し込まれ、反則の金網を掴んで倒されない

 

ホイスは密着して押し込み、ゴルドーに打撃を打たせない

 

ホイスが足をかけて、ゴルドーを崩す!直ぐにマウントを奪う

 

ゴルドーは半身になるも、ホイスがスルスルっとバックを奪う

 

左腕を滑り込ませチョークを狙う~ゴルドーが右に首を捻り逃れようとすると、スッと右腕に切り替えて締め上げる!

 

ゴルドーは、直ぐにタップするしかない!

 

見事に3試合連続のチョークスリーパーによる1本勝ちで、ホイス・グレイシーが第1回UFC優勝!この衝撃的な大会と、出場選手の中で最軽量80kgの細身のブラジル人が圧倒的な強さで世界の格闘技の概念を変える。大会のパンフレットには 『チョークをかければ、身長差も体重差も何の問題もない』 とホイス・グレイシーのコメントが載っていて、今のMMAでは考えられない無差別級、判定無し、KO、タップアウト、コーナーからのタオルでの決着のみ、目潰し、噛み付き、金的以外は‘何でもあり‘と言われていた。日本でも深夜にダイジェストで放送され(リングの魂だったか?!)UWF系が好きった私は、凄まじい衝撃を受けたのを覚えている。

画面の中からも、オクタゴンサイドにヒクソン・グレイシーがいるのが映っているが、なぜヒクソンが出なかったのかは所説言われていて 「まずホイスが出る。そこで彼が優勝すればOK。だが万が一、ホイスが負けるようなことがあれば次の大会にヒクソンが出ることになっていたのだろう。ヒクソンを切り札として残しておいた」 と言うのが本命と云われている。ホイスは後のインタビューで 『どうして私だったか…それは、抽選で当たったからさ。もちろんジョークだ。抽選なんてしていないし、兄弟が集まって話し合ったわけでもない。私にはプロとしてのキャリアがなかったから、兄たちがチャンスを与えてくれたんじゃないかな。でも決めたのは父(エリオ)とホリオン。大会の1ヶ月半くらい前に出場するように言われたんだ』 と話す。

ホリオンは 『そこに大した意味はない。ヒクソンでもホイスでも、ほかの兄弟であったとしても(トーナメント優勝の)結果は同じだっただろう。父がつくったグレイシー柔術の強さが証明できれば、それでよかったんだ』 と話す。

余りにも衝撃的な世界の格闘技界、プロレス界を変えた大会だが、コロラド州デンバーの1万7,000人を収容可能なマクニコロス・スポーツ・アリーナには、その半分に満たない7,800人しか入らなかったらしい。

 

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