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緑の錨

歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

ホテル・オークラ東京オーキッドルームの朝食は連日満員状態で、予約もなかなか取れそうにもなく、この上に紹介してもどうかと思うのですが、フレンチ・トーストの影に隠れた名物エッグ・ベネディクトについて書いておきます。



エッグ・ベネディクト




アメリカで生まれた古典的朝食料理。その成立を黄金時代のウォルドルフ・アストリアに帰する意見も、デルモニコスで生まれたという説もあるようです。しかし、日本ではあまり目にすることがありません。

エッグベネディクト(wiki)

オーキッドのエッグ・ベネディクトは質量ともに「しっかりした」という印象を与えますが、重すぎることはありません。きちんとした朝食をとって、これから一日がんばろうというとき、最適と思います。

なお、オーキッドルームで、フレンチ・トースト二片とエッグ・ベネディクトを組みあわせて食べるのは、余程食欲に自信のあるかたでなければきついです。

オーキッドの朝食には、運よく予約が取れさえすれば、またうかがいたいと思っています。

デザインを変更しました。夏の間はオークラ関係のヘッダー、背景を続けるつもりです。

現在、ホテルオークラ東京は大変な盛況です。
多くのひとが懐かしんで、訪れているのだと思います。

すべてが消え去るのではなく、一部なりとも残ってくれるように望んでいます。
ヴィルヘルム・プラーゲが1930年代の日本で、はじめて強硬に著作権を主張したとき以来、ほんらい、著作権を主張する権利がなかったり、すでに著作権が消失した作品について、著作権を主張して著作使用料を徴収しようとするこころみが常に存在してきました。

著作権の歴史を通じて、大きな問題のひとつです。

昨今の動きにより、このような風潮がより影響力をもつことを強く危惧しています。全然主張する権利がない著作権について、これを主張するという、実はおどろくほど広範に行われている行為についても歯止めが必要と思います。


著作権侵害への非親告罪導入について
著作権70年へ延長との報道。20世紀なかごろの作曲家再評価をめざす私としては、当然反対です。忘れられた作品、作曲家を紹介しようとして、著作権に阻まれるのなら、ただ、その作品が演奏されなくなるだけ。著作権料は当然発生しません。誰の利益にもならずに作品が演奏されないだけです。

なお『読売新聞』の見出しは読者をミスリードするものに思えます。


読売新聞の記事

今年がレオ・シロタ生誕130年・没後50年であることについてはいつか書きました。

さらに、今年は井上園子の生誕百年でもあります。

井上園子は1915年2月22日生。1930年代~50年代にかけて、日本の代表的なピアニストでした。すぐれた技巧と叙情性において傑出して、かつてはウィーン派が特色とした優雅でなめらかな音楽の運びにおいてもずば抜けていました。

彼女は病気のために、50年前半で短いキャリアを終えています。その録音は復刻されて、いまでも比較的容易に聴くことができます。

さらに、今年は太平洋戦争の戦没作曲家である尾崎宗吉生誕100年なのです。

深沈たる叙情をたたえた名作『夜の歌』で知られる尾崎は、徴兵されて、1945年5月15日に戦地で戦病死。その短い生涯を閉じました(だから今年は尾崎宗吉没後70年でもあります)。

なお、尾崎宗吉が世に出るきっかけとなったのは東京音楽協会主催のオーディションです。尾崎の小弦楽四重奏曲が合格して、演奏会で紹介されたのでした。

このオーディションは大倉喜七郎による援助を受けています。
視野の広さと芸術への愛情において、かれは同時代の実業家の中でも傑出した人物のひとりであり、それ自体がすぐれた芸術作品ともいわれるホテル・オークラ本館を構想したのが大倉であったことも宜なるかなと想います。

第2次世界大戦において、前線だけでなく内地も戦場となりました。1945年5月の空襲で、このブログでも何度か言及したピアニスト長岡延子(1928年生)も命を落としています。とても儚い生涯でした。

昨年発表した論文で、長岡延子についてすこしだけ論じています。

夏は過去にまなざしをむけて、先人を想う季節。苦難に耐えて音楽に生きた、これらの音楽家たちのことを思いだしてみるのもふさわしいことだと信じます。

私自身も、今年なにかをしなければと感じています。

希代の粋人大倉喜七郎が最後の執念をもって構想・推進して、名建築家の谷口吉郎によって設計されたホテル・オークラ東京本館。

大倉男爵は病を押して理想のホテル建築に奔走、あらゆるディテールにみずから目を配り、東奔西走して内装の制作現場にも顔を出したといいます。かれはホテルの開業後一年を経ずして世を去ります。

谷口氏も、この建物とホテル、そして、オーキッドルームというレストランをを深く愛したと聞いております。

ホテル・オークラ東京は日本的なものを追求することで、世界の人々の心を動かすに至ったホテルであり、その真価は日本でよりも海外で評価されているようです。

ボッテガ・ヴェネタのデザイナーであるトーマス・マイヤー氏は、オークラ本館の価値を賞賛するこころみに乗りだしています。

これは私から見ると、人々に、新しい古典であるオークラ本館の意義を訴えて、大きな世論を作り出して、よって救えるものだけでも救おうと考えているからのように感じられます。


ボッテガ・ヴェネタのオークラ賞賛の頁


すでに七月です。オークラ本館は八月末日で閉鎖される予定です。しかし、筆者としては、これを運命と受けいれるつもりはありません。

これから二ヵ月のあいだ、オークラ東京の価値を紹介していきたいと思っています。





さよならを言うにはまだ早すぎるのです。

そんなわけで七月。

コンサート関係の仕事などで6月はずっと走りまわっておりました。忙しいのはよいことですが、原稿をちっとも書けていません。ここ数年行っていた関西への小旅行もできていません。すこし考えて、自分のための時間を確保しなければいけません。

ホテル・オークラ本館オーキッドルームのクレープシュゼット。もう少しましな写真がありました。

ヴァニラのアイスクリームを添えています。

冷たいものと温かいものの取り合わせがとてもうまくいっているように感じます。

オーキッドルームは最近とても賑わっています。
価値が再認識されたようにも思います。

先日朝食をいただきましたが、朝のテーブルを予約するという事態をはじめて経験いたしました。

フレンチトーストを註文しておられる方が多かったようです。やはりあのフレンチトーストはオーキッドルームで食べないといけません。

この素敵なレストランがなくなってしまわないように祈っています。



フランベする瞬間について、次のような写真を見つけました。やはりオーキッドルームにてコンチネンタルルームが再現されたとき。

撮影はうまくいっていません。当時の私のコンデジでは、これが限界でした。

でも、照明を落とした中で、クレープシュゼットを作るときの華やかさは伝わるように思います。


フランベ


オーキッドルームといえば朝食が有名で、特にフレンチトーストのことはよく知られています。

朝のオーキッドルームは私も大好きです。

土曜日や休日のランチ、ディナーに行われるビュッフェも話題になることが多いようです。

しかし、平日のランチ、ディナーにも特別なところがいくつもあります。それは私の知るかぎり、他のレストランでは経験できないものです。

私見では、オーキッドルームのようなレストランは大事にすべきです。