井上園子・尾崎宗吉生誕100年・長岡延子没後70年 | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

今年がレオ・シロタ生誕130年・没後50年であることについてはいつか書きました。

さらに、今年は井上園子の生誕百年でもあります。

井上園子は1915年2月22日生。1930年代~50年代にかけて、日本の代表的なピアニストでした。すぐれた技巧と叙情性において傑出して、かつてはウィーン派が特色とした優雅でなめらかな音楽の運びにおいてもずば抜けていました。

彼女は病気のために、50年前半で短いキャリアを終えています。その録音は復刻されて、いまでも比較的容易に聴くことができます。

さらに、今年は太平洋戦争の戦没作曲家である尾崎宗吉生誕100年なのです。

深沈たる叙情をたたえた名作『夜の歌』で知られる尾崎は、徴兵されて、1945年5月15日に戦地で戦病死。その短い生涯を閉じました(だから今年は尾崎宗吉没後70年でもあります)。

なお、尾崎宗吉が世に出るきっかけとなったのは東京音楽協会主催のオーディションです。尾崎の小弦楽四重奏曲が合格して、演奏会で紹介されたのでした。

このオーディションは大倉喜七郎による援助を受けています。
視野の広さと芸術への愛情において、かれは同時代の実業家の中でも傑出した人物のひとりであり、それ自体がすぐれた芸術作品ともいわれるホテル・オークラ本館を構想したのが大倉であったことも宜なるかなと想います。

第2次世界大戦において、前線だけでなく内地も戦場となりました。1945年5月の空襲で、このブログでも何度か言及したピアニスト長岡延子(1928年生)も命を落としています。とても儚い生涯でした。

昨年発表した論文で、長岡延子についてすこしだけ論じています。

夏は過去にまなざしをむけて、先人を想う季節。苦難に耐えて音楽に生きた、これらの音楽家たちのことを思いだしてみるのもふさわしいことだと信じます。

私自身も、今年なにかをしなければと感じています。