12月2日23時14分
パトラは私の膝の上で亡くなりました。

10歳と12日でした。
今年の初めから腎臓病と戦い、本当によく頑張りました。
4月には医者から見放され、もうダメだと思った日々があったのだけれど、
だから原村への引っ越しは、環境の変化で彼女には無理だと思ってのだけれど、
一緒に引っ越してくることが出来ました。
そしてそれから5ヵ月もこの新しい家で過ごすことが出来ました。
人間大好きのパトラは、いつもいつもいつもいつも
私のことを見つめていました。
私が台所に立っている時は、
いつも台所の踏み台の上で私を見つめていました。
(ご飯が欲しかっただけだとも思えるのですが)
そして、私がどこかに座ると走ってきて膝の上を陣取りました。
とにかくベタベタベタベタする子でした。
猫好きの私には少々うるさい存在ではありました。
が、ここまでベタベタと愛されると、もうどうしようもありません。
私がいないと困る様子は、
私の子どもと同じでした。
お母さんになることが出来なかった私のもとにやってきてくれた天使の子でした。
この一年はずっと体調が悪かったに違いありません。
引っ越してきてまだ家が完成していない時は、
私が毎日その作業に忙しく、なかなか構ってあげられなかった。
私を探し、

作業している私の傍で眠っていました。


窓枠でこうして寝ていたのも、
引っ越してきて最初の頃だけで、
もう自力でここに上がることは出来なくなりました。
日に日に弱っていくパトラをずーっと看病するのは、
精神的には重いこともたくさんあったけれど
それはそれは幸せな時間でした。

10月からトイレを失敗することが増えました。
新築の家のあちこちにシートが敷かれ、
毎日雑巾で拭き掃除する日々。
11月に入り、ぐっと体調が悪くなり、
これはもう回復は望めないと感じました。
私のことを頼りにしてくれているパトラは、
どうしてもどうしても最期を看取ってあげたかったのです。
猫は、具合が悪くなるとどこかへ逃げる傾向があります。
つまり人間の傍にいたがらない。
でも、この子はきっと具合悪くても私の傍にいてくれるに違いないと信じていました。
17歳で役者になると決めた時に、
親の死に目には会えないことを覚悟しました。
お陰で、誰の死に目にも会えたためしがありませんでした。
でも、この子だけは、どうしてもどうしても……。
だから仕事に行くのが嫌でした。
仕事に東京へ行くと、丸一日家を空けなければなりません。
最期に仕事に行った日、
朝「後でね」と声を掛けて出かけました。
23時帰宅すると、明らかに具合悪そうでした。
その日から、もう2階には上がってこないパトラのために
1階に布団を敷いて介護することにしました。
体温が低いため、
薪ストーブを焚くとそのすぐ横に固まっています。
もうよく眠れないので、ただ固まっている。
そして時々ゴロンと倒れるようになる。
歩くのは、水を飲むときとトイレに行くとき。
でもトイレの場所がよくわからなくなっていました。
その日から4日間、とにかくずーっとパトラを見ていました。
最初の日は、実は、傍に来るのを嫌がりました。
パトラ、お前もか?って感じでした。
だから身体には触れず、傍で見守ることにしました。
立ち上がるとトイレか水なので、
倒れないようにいつでも手を出せるようについていました。
でも次の日、パトラは変わりました。
めちゃくちゃ可愛らしい声でよく喋る子だったのだけれど、
もう数日前から鳴く元気もありませんでした。
それが、その日から、私の姿が見えないとミーミー
渾身の力を振り絞って泣くようになりました。
トイレに行く暇もなくなりました。
カーペットの上にちょっと置いてトイレに行くと
ずーっと鳴き続けるのです。
多分、怖かったのでしょう。
優れた五感も衰えていたに違いありません。
私は、自分のご飯もあっという間に済ませ、
ずーっとパトラを膝の上に乗せておくように心がけました。
次の日もそうでした。
私が離れると泣くので、
私もずーっと返事を返していると、
フラフラしながら私のいる場所へ来ようとするのです。
一度なんか、もう十日以上自力で上がっていない2階へも上ってこようとするのです。

以前、作った抱っこ紐を活用することにしました。
抱っこ紐にパトラを入れてご飯を作ったりしました。
ずーっと一緒にいたかったのです。
そんな幸せな二日間が過ぎ、
最期の日がやってきました。
朝、日向ぼっこをしていたパトラの姿

辛そうで見ていられなかったけれど、
可愛くて可愛くて仕方がなく、
この子がいなくなるなんて身を引きちぎられる思いでした。
その日の夜、亡くなる三時間前の食卓でも
私の膝の上に乗せていると、
私の皿からシーチキンを少し取ってあげると
パトラは食べようとしました。
犬猫が亡くなるのは実は4匹目ですが、
これほど最後まで生きようとした子はいなかったと
だから、10歳の若さで死んでしまうことが
どうにも心残りで辛くて、何もできないことが辛くて辛くて。
でも、考え方を変えれば、
こんな小さい体でよく10年も生きてくれたと思うのです。
そして私の希望通り、
私の膝の上でパトラは息を引き取りました。
亡くなったとは思えないほど、
変わらぬ愛らしい顔をしていました。
いままで、人間でも動物でも
亡くなると美しくなくなる肉体を見てきたので、
これはひいき目ではなく
私には驚きでした。
本当はそのままお棺に入れて庭に埋めてあげたかったのだけれど、
亡きがらがそこにあると私はきっといつまでも泣き続けていると思われたので、
次の日一日一緒に家に置いておいて
その次の日に火葬にしました。
その晩、原村は美しい三日月美しい星空でした。
原村に引っ越してきた時から体調が悪かったパトラを
外に出すことはほとんど出来ませんでした。
私は、パトラの亡骸を抱いて、寒い夜外に出て、
一緒に満天の星空を眺めました。
パトラが戻ってくるときに間違って以前の東京の家へ行かないように
語りかけました。
その時、生まれて初めて、
それもかなり明るい流れ星を見たのです。
(生まれて初めてなので、あれが本当に流れ星かどうかも分からないのですが)
当分は、細い三日月を見るたびにパトラのことを思い出すのだろうなぁ~
最期の4日間、ずーっと一緒に居られて本当に幸せでした。
そして私に心置きなく泣く時間もくれました。
最期に元気だったころのパトラです。
いたずらでゴミ漁りも酷くて手の焼ける子でした。

これはクレオという姉妹と一緒に寝ているパトラ(写真右)
クレオは、昨年8歳で亡くなりました。
こんなに可愛いのに、こんな短命なんて、
もう二度とペットショップで犬猫を買うことはしないし、
今はペットショップ廃止派です。
以前飼っていた雑種猫は18年も生きて天寿を全うしてくれた感じだったのに。
パトラ。
私をお母さんにしてくれてありがとう。
本当に楽しい(大変だったけど)10年間でした。

