27日、雪が降っているという感じではないのに

庭をまっ白にしたモノは(←霙から雪でしょう)

次の朝、起きると道路も畑も真っ白にしていた。

かなり大量に雨が降ったあとだけに、

東京では積もるはずがない降り方。

つまり、それほど気温が低いのだ。

それから2日、昼間はかなり日差しがあるのだけれど、

溶けないですねぇ。

MY RUSHは、雪を除けても、凍ったまま、

たまにエンジンかけてあげないと可哀そうなことになるので、

今日はお買い物、RUSHで行きました。

(↑最近は、ほとんど軽トラでお買い物行っています。コスト削減)

 

毎年、クリスマスあたりで雪が積もると、そのまま根雪になってしまうと聞いている。

でも、今年は、積もるほどは降らなかったのです。

ほんとうっすらと降っただけ。

だから、年末年始お天気もよさそうだし、

最高気温は7,8度まで上がる日もある様子なので、

溶けるかなぁ?と期待しています。

実際、畑の真ん中の1日中陽がさす道はすっかり溶けているし、

勿論車通りの多い大きな道路もほとんど雪はない。

 

ここは寒冷地ですが、

雪国ではありません。

 

このまま根雪になって3月まで白銀の世界。は嫌だな。

 

年末ということもあり、混んでいるかなぁ~?とは思ったけれど、

先日来気になっていた諏訪湖畔にある角上魚類諏訪店に出かけた。

今夜はお刺身、そしてお正月用のお魚購入目的。

 

ネットで見ると、新鮮で美味しいお魚が手に入ると書かれている。

 

朝一番で出かけてみたけど、

もう駐車場は一杯、駐車場係りの人も出ていた。

第二駐車場に停めて、横断歩道を渡って店へ。

 

あらま、混んでいるはずだわ。

新鮮なお魚が手に入る店と思いきや、

野菜でも総菜でも何でも売っているんじゃないの。

 

それにしても年末だからこんなに混んでいるのか?

 

お刺身、お寿司、見るからに美味しそうでした。

値段は、普通、かなぁ?

 

今日はお昼はお寿司、夜はお刺身になりました。

料理作る立場としてはとっても楽になった。

 

因みに950円のお寿司は、中トロも入ってなかなか美味でした。

 

それ以外はまだ食べていないので何とも……。

 

ただ、混んでいて疲れた。

我が家からだと30分近くかかるわけだし、

めちゃくちゃ安いわけじゃないし、

近所のA-COOPでも結構いいお魚が手に入るので、

当分行かないだろうなぁ~。

 

それにしても東京から長野県に移住して、

海のない長野県の方が新鮮なお魚が安価で手に入る。

その実感は間違いないと思います。

 

山菜や山の幸は言うに及ばず、

だったら、長野を選ばない手はない。

 

 

昨日、クリスマスカード兼引っ越しのお知らせ葉書が届いた。

「子育ても終わり、人生の後半戦は自然の中での暮らしを選びました!!

遊びに来てください」と書かれて、

雪の中の美しい家の写真が貼られていた。

えっ、誰が田舎に引っ越したの?

老眼鏡を探しに行く。

えええええ!Mちゃんだ。

どこどこ?

えええええっ! 北海道? 行けないじゃん……

凄くショックだった。

 

ブログなどをチェックすると

田舎暮らしに至る彼女の気持ちは、

私のそれとかなり似通っていた。

さもありなん。

 

都会育ちの私たちが、

この時期に(彼女の方が10歳も若いけど)自然とともに生きようと思う場合、

価値観に共通項は多いはずなのだ。

それでなければ田舎に移住はしない。

だからこそ、ショックだったのだ。

同じような考えを持つ人が傍に来てくれたらどれほど愉しい時間を共有できただろうと。

 

今日本の人口の一極集中はさらに進んで、

首都圏の人口は増すばかり

当然若い子たちが多いし、その気持ちは分かるのだが、

なんと60代も増えているらしい。

増えているのは年を取ったということではなく

東京に移住してくる人が増えているということらしい。

分からないことはない。

都会は便利だ。

歳を取ったら、便利な所に住んでいた方がいいという考え方。

極端なことを言うと、

駅とつながったマンションに住む。

マンションにはスーパーもスポーツジムもあり、

駅まで雨にもぬれずに行ける。

当然、買い物はなんでもそこで済む。

車がないと不便な田舎生活なんてとんでもない。

そんな考え方だ。

論理的だと思う。

しかし、

田舎暮らしを求める人とは根本的に大切にしているモノが違うのだ。

田舎暮らしをする理由は、

自然があるということである。

飽きない四季がある。

毎日外を眺めていれば何かが起きている。

そしてそれを体感できる。

 

時々、田舎は退屈だと言う人がいる。

そういう人は、何か人工的なモノがないと楽しめなくなってしまっている人だ。

例えば、ディズニーランドのように

何もしなくても楽しませてくれる他要因がないと暮らしそのものを楽しめないということであり、

実はとても貧しいことである。

 

子どもは、どんな子どもでも

自然の中に放り込めば、一日中遊び続けることが出来る。

彼らの感性は豊かで、自然の中にあるものすべてが愉しい。

それは教わるモノではないのだ。

ただ、大人になる過程の中で失っていくのかもしれない。

 

私は都会で育ったので、逆に田舎の良さに気付きやすかったのかもしれない。

 

色んな考え方があっていいと思う。

60歳以降、どこで暮らすか、

考えてみたらいいと思う。

その時、都会の便利さを求める人と、

多少不便でも自然の中で暮らそうと思う人。

どちらが正しいというのではなく、

私は後者を選ぶ人と気が合うと思うのだ。少なくとも今の私は。

 

だから、昨日葉書をよこした彼女が、

この八ヶ岳近郊で自然を求めてくれたら良かったのに……と

ショックをまだ隠し切れないでいるのだ。

 

原村の次の田舎暮らし見学会は1月14日(土)にあります。

私も勿論移住者として参加します。興味のある方はいつでもご連絡ください。

原村のゴミ捨ては、私たちにとってはイベントだ!

私たちだけではなく、多くの家庭が、

子どもたちを引き連れてきたりして、

イベントなのではないかと推測している。

 

通常の燃やすごみは、週に2回

東京と変わりない。

違うのは、有料のゴミ袋というのが、徹底していること。

東京も以前は有料ゴミ袋を使用していたのに、

いつの間に消えていったのだろうか?

使用しない人が多いと、

そうやって消えていく。

全く……。

 

でも、この村では、

人口が少ないこともあって、

色んな事がきちんとされている。

そこが好き!

 

燃やすごみは有料袋を使用するため、

なるだけごみを減らしたいと努力するに違いない。

そこが、有料ゴミ袋を使用することにした第一の理由だろうし、

それが今徹底されている地域は大したものなのだ!

 

ゴミを減らすためには、

なるだけ出たゴミをリサイクルする必要がある。

 

そこで、今日のゴミイベントが重要になってくる。

 

月に2回、リサイクルごみを捨てる日がある。

分別はかなり細かい。

プラだけで5種

紙ごみも段ボール、新聞、雑誌、その他の紙と分けられている。

ビンも色によって

通常の電池

月に2回だから、我が家はほぼ皆勤でゴミ捨てに行く。

 

今日はやっと写真撮れました。

村役場の駐車場に分別された袋が並んでいて、

ゴミ当番の人たちが手伝ってくれる。

村中からゴミを積んだ軽トラがここに集まってくる……感じp(^-^)q

悩んでいると声を掛けてくれる。

袋を持って分類のところに寄っていくと

当番の人たちが寄ってたかって一緒にごみ処理を手伝ってくれる。

愉しいのだ。

だから、イベント!

若い子たちも、子どもたちも

日程によっては手伝っている。

 

今朝は、朝一で出かけたので、まだ空いていますが、

2時間のゴミ捨て時間に村中の人がここに集まるわけですから

かなり賑わっています。

 

ここにも捨てられない、燃やせないごみや粗大ごみなどは、

また別のルールで捨てる日や場所が決まっている。

その他、スーパーで購入したものから出たプラゴミなどは、

全部スーパーマーケットに捨てるところがある。

素晴らしいのだ。

 

なるだけリサイクルして、

なるだけ捨てるごみを減らす工夫と

それをきちんと実行している村人たち。

ほとんどの人たちがきちんとルールを守っているから

とても快適に過ごせるのだと思う。

時々、ルールを知らない別荘族が、

間違ったごみの捨て方をしたとしても、

そちらのルーズな方には流されていかないのだ。

 

小さな村だからこそ出来る

眼の行き届いた行政。

昔の日本の小さな町はみんなこうだったのかなぁ~?

人口が増えすぎて、もう日本は制御不可能になってしまったのかなぁ~?

と考える。

 

私たちが支払った税金も

村でどのように使われていくか、

そういったことも小さな村だと非常にわかり易い。

分かれば、

税金を無駄遣いされなければ、

ストレスなく、収入に応じた村税を支払うことに何のためらいもなくなるのだ。

原村で見る夜の月は凄い!

 

パトラが亡くなった日の夜に一緒に見た三日月も美しくて凄かったけど、

それから数日後からの満月はびっくりだった。

 

夜、外に出て空を見上げたら

満月がめっちゃ明るかった。

そのせいで、星がいつもよりも少ない感じ。

 

その夜、夜中に目を覚ますと、

紗のロールスクリーンが掛かった窓から、

なんだかスポットライトのように明かりが寝室に届いていた。

スクリーンを避けてみると、それが月で、

とにかくこれほど月が明るい光を発していることを

これまでの人生で実感することはなかったのだ。

 

その月が、刻一刻と位置を変えていく。

家に居ながらにして、月の移動を見守ることが出来る。

 

次の夜は、また月の明かりに驚いた。

2階の床に窓が四角く明るく映し出されていたのだ。

 

今までの私の間隔から、

どこかの車のヘッドライトにでも照らされているのかと思った。

そのくらい、明るくクリアな照明だったのだ。

 

見ると、天窓の先に、明るい満月があった。

 

夕方、家の中から月を確認する。

その月が刻一刻と位置を変えていく。

 

その満月が、昨日は半月に近くなっていた。

日々形を変えていく。

 

そんな当たり前のことを、

家に居ながらにして毎日観察し、驚き、

実感することが出来る。

 

広い空にぽっかりと満月。

その周りに星、星、星!!

原村の夜空は何とも比較できないほど価値がある。

美しい。

見れば、大満足!である。

 

地球という美しい星に生まれ

当たり前のことに今、やっと感動できる。

都会では得られなかった感動が毎日のようにある。

 

本当に素晴らしいことだと思っている。

 

 

パトラがいなくなって、我が家の猫はとうとうモネだけになってしまった。

これまで猫が増えたり減ったりする度に、残った猫たちの関係性が変わるからなのか

態度が微妙に変化する。

モネは、今回パトラが居なくなって、寂しいのか、

人間にベタベタする子になった。

そもそもモネが子猫で我が家にやってきた時、

我が家には犬一匹、猫三匹がいた。

どの猫もモネと仲良くしてくれなかった。

モネは、猫が大好きなのだが、

パトラは人間が大好きで猫は好きではなかった。

 

それでも病気になって具合が悪くなってからのパトラは、

もう面倒なのか、どうでもいいのか、

モネと一緒に寝ることが増えて、

私は微笑ましく眺めていた。

私が猫を2匹、3匹と増やしたのは、

こういう風に丸くなって寝るさまを見たかったからだ。

 

でも、パトラが逝ってしまった。

 

その後、数日、モネがあらぬところを見つめていることがある。

犬猫は、霊などを見たり感じたりできるという話を聞いたことがあるが……。

モネが、これまでどこかあらぬところを見つめていると、

今まではその視線の先に、まず虫がいた。

が、今回は、誰もいない所を見ている。

階段をじーっと見ていたりする。

「そうかそうか、そこにパトラがいるのか」ということになる。

 

今までは、あまりベタベタと人間にまとわりつく子ではなかったのだが、

パトラがいなくなってからは、呼べば来るようになった。

 

モネのためにももう一匹猫を飼いたいと思っている。

でも、今すぐこちらから声を掛けて猫を探してくると、

どうしてもいなくなったパトラと比較してしまいそうで、

新しくくる子が可哀そうで行動に移す気はない。

それよりも縁のある子がやってくるまで待つつもりでいる。

 

モネには、それまで元気で頑張ってもらうしかない。

このこは、どの猫に対しても

来るものは拒まずという穏やかな丸まっちい猫なのだから。

 

 

12月2日23時14分

パトラは私の膝の上で亡くなりました。

 

 

10歳と12日でした。

今年の初めから腎臓病と戦い、本当によく頑張りました。

4月には医者から見放され、もうダメだと思った日々があったのだけれど、

だから原村への引っ越しは、環境の変化で彼女には無理だと思ってのだけれど、

一緒に引っ越してくることが出来ました。

そしてそれから5ヵ月もこの新しい家で過ごすことが出来ました。

 

人間大好きのパトラは、いつもいつもいつもいつも

私のことを見つめていました。

私が台所に立っている時は、

いつも台所の踏み台の上で私を見つめていました。

(ご飯が欲しかっただけだとも思えるのですが)

そして、私がどこかに座ると走ってきて膝の上を陣取りました。

とにかくベタベタベタベタする子でした。

猫好きの私には少々うるさい存在ではありました。

が、ここまでベタベタと愛されると、もうどうしようもありません。

私がいないと困る様子は、

私の子どもと同じでした。

お母さんになることが出来なかった私のもとにやってきてくれた天使の子でした。

 

この一年はずっと体調が悪かったに違いありません。

引っ越してきてまだ家が完成していない時は、

私が毎日その作業に忙しく、なかなか構ってあげられなかった。

私を探し、

作業している私の傍で眠っていました。

窓枠でこうして寝ていたのも、

引っ越してきて最初の頃だけで、

もう自力でここに上がることは出来なくなりました。

 

日に日に弱っていくパトラをずーっと看病するのは、

精神的には重いこともたくさんあったけれど

それはそれは幸せな時間でした。

 

10月からトイレを失敗することが増えました。

新築の家のあちこちにシートが敷かれ、

毎日雑巾で拭き掃除する日々。

 

11月に入り、ぐっと体調が悪くなり、

これはもう回復は望めないと感じました。

 

私のことを頼りにしてくれているパトラは、

どうしてもどうしても最期を看取ってあげたかったのです。

 

猫は、具合が悪くなるとどこかへ逃げる傾向があります。

つまり人間の傍にいたがらない。

でも、この子はきっと具合悪くても私の傍にいてくれるに違いないと信じていました。

 

17歳で役者になると決めた時に、

親の死に目には会えないことを覚悟しました。

お陰で、誰の死に目にも会えたためしがありませんでした。

でも、この子だけは、どうしてもどうしても……。

 

だから仕事に行くのが嫌でした。

仕事に東京へ行くと、丸一日家を空けなければなりません。

 

最期に仕事に行った日、

朝「後でね」と声を掛けて出かけました。

23時帰宅すると、明らかに具合悪そうでした。

その日から、もう2階には上がってこないパトラのために

1階に布団を敷いて介護することにしました。

 

体温が低いため、

薪ストーブを焚くとそのすぐ横に固まっています。

もうよく眠れないので、ただ固まっている。

そして時々ゴロンと倒れるようになる。

歩くのは、水を飲むときとトイレに行くとき。

でもトイレの場所がよくわからなくなっていました。

 

その日から4日間、とにかくずーっとパトラを見ていました。

最初の日は、実は、傍に来るのを嫌がりました。

パトラ、お前もか?って感じでした。

だから身体には触れず、傍で見守ることにしました。

 

立ち上がるとトイレか水なので、

倒れないようにいつでも手を出せるようについていました。

 

でも次の日、パトラは変わりました。

めちゃくちゃ可愛らしい声でよく喋る子だったのだけれど、

もう数日前から鳴く元気もありませんでした。

それが、その日から、私の姿が見えないとミーミー

渾身の力を振り絞って泣くようになりました。

 

トイレに行く暇もなくなりました。

カーペットの上にちょっと置いてトイレに行くと

ずーっと鳴き続けるのです。

多分、怖かったのでしょう。

優れた五感も衰えていたに違いありません。

私は、自分のご飯もあっという間に済ませ、

ずーっとパトラを膝の上に乗せておくように心がけました。

 

次の日もそうでした。

私が離れると泣くので、

私もずーっと返事を返していると、

フラフラしながら私のいる場所へ来ようとするのです。

一度なんか、もう十日以上自力で上がっていない2階へも上ってこようとするのです。

以前、作った抱っこ紐を活用することにしました。

抱っこ紐にパトラを入れてご飯を作ったりしました。

ずーっと一緒にいたかったのです。

 

そんな幸せな二日間が過ぎ、

最期の日がやってきました。

朝、日向ぼっこをしていたパトラの姿

辛そうで見ていられなかったけれど、

可愛くて可愛くて仕方がなく、

この子がいなくなるなんて身を引きちぎられる思いでした。

 

その日の夜、亡くなる三時間前の食卓でも

私の膝の上に乗せていると、

私の皿からシーチキンを少し取ってあげると

パトラは食べようとしました。

 

犬猫が亡くなるのは実は4匹目ですが、

これほど最後まで生きようとした子はいなかったと

だから、10歳の若さで死んでしまうことが

どうにも心残りで辛くて、何もできないことが辛くて辛くて。

 

でも、考え方を変えれば、

こんな小さい体でよく10年も生きてくれたと思うのです。

 

そして私の希望通り、

私の膝の上でパトラは息を引き取りました。

亡くなったとは思えないほど、

変わらぬ愛らしい顔をしていました。

 

いままで、人間でも動物でも

亡くなると美しくなくなる肉体を見てきたので、

これはひいき目ではなく

私には驚きでした。

 

本当はそのままお棺に入れて庭に埋めてあげたかったのだけれど、

亡きがらがそこにあると私はきっといつまでも泣き続けていると思われたので、

次の日一日一緒に家に置いておいて

その次の日に火葬にしました。

 

その晩、原村は美しい三日月美しい星空でした。

原村に引っ越してきた時から体調が悪かったパトラを

外に出すことはほとんど出来ませんでした。

私は、パトラの亡骸を抱いて、寒い夜外に出て、

一緒に満天の星空を眺めました。

パトラが戻ってくるときに間違って以前の東京の家へ行かないように

語りかけました。

その時、生まれて初めて、

それもかなり明るい流れ星を見たのです。

(生まれて初めてなので、あれが本当に流れ星かどうかも分からないのですが)

 

当分は、細い三日月を見るたびにパトラのことを思い出すのだろうなぁ~

 

最期の4日間、ずーっと一緒に居られて本当に幸せでした。

そして私に心置きなく泣く時間もくれました。

 

最期に元気だったころのパトラです。

いたずらでゴミ漁りも酷くて手の焼ける子でした。

これはクレオという姉妹と一緒に寝ているパトラ(写真右)

クレオは、昨年8歳で亡くなりました。

こんなに可愛いのに、こんな短命なんて、

もう二度とペットショップで犬猫を買うことはしないし、

今はペットショップ廃止派です。

以前飼っていた雑種猫は18年も生きて天寿を全うしてくれた感じだったのに。

 

パトラ。

私をお母さんにしてくれてありがとう。

本当に楽しい(大変だったけど)10年間でした。

 

 

 

 

いよいよ、パトラがまずい状態です。

あれほど食い意地のはっていた子が、

だからこそここまで頑張れた子が、

先週の木曜日から餌に目もくれません。

 

点滴をしても数時間、ほんの少し目に力が出る程度、

脱水症状なので、

水を飲んで、水を飲んで、

辛くて眠れないのか、

薪ストーブの横で丸くなっているのだけれど、

ほとんど半目をあけています。

 

私の膝の上にも寄り付かない日があったけれど、

更に悪くなったのか、

昨日からはなされるがまま

私の膝の上にずっといます。

寝られたらいいのだけど。

 

治るとは思えない状態で、

毎日点滴だけすることがどうなのかもわからない。

点滴して、少しでも苦しみが和らいだらいいと思っているだけです。

でも、食べられなくなったらおしまいだと思ってきたので……。

 

子どもや家族が治らない病気になった時の苦しみはいかばかりかと、

そんなことを考え、

毎日、思い心を抱えながら生活していて、

さすがにかなり辛くなっています。

でも、パトラはもっと辛いのだろうから、

残りの日々を少しでも一緒に過ごせるように頑張っています。

 

が、心が重く、

なかなかブログを書く状態にはなっていません。

 

あしからず………………

原村の人たちから、

「まだ厳冬期の洗礼を受けていないのね」と言われる新人のSTINGです。

 

田舎でも新人、

寒冷地でも新人。

 

若い頃とは違って、冬の方が好きとか言いつつ、

本当に厳しい冬は知らないのだ。

 

今日は、予報通り雪が積もりました。

本当は出かけるはずだったのだけれど、

積雪があるのに高速道路を走るな!と旦那に言われ、

予定を変更。

とにかく家で猫たちとヌクヌクしています。

そうすれば雪景色は美しい。

ただ、朝この景色を見た時は……どうしよう~って思いました。

これからの冬が思いやられます。

そう、最初の年に、

なんで11月からこんな積雪なのよぉ~!!

でも、明るくなってくるとやっぱ綺麗だわ。

って、木々の向こうも白いからなあんにも見えないわ。

この後もずーっと雪は降り続いていましたが、

先ほど止みましたので、

これから雪掻きに出るところです。

ウッドデッキやベランダは、

ブロワーで吹き飛ばしました!

サラッサラの雪は初めてです。

とけたり凍ったりする前に、少しでも雪をかき分けておかないと

明日が大変なことになる。

 

旦那様は、お仕事で東京へ向かったので

(あずさの中で長時間缶詰になったみたいで可哀そう)

ひとりで頑張るしかないです。

猫たちはとりあえず2匹で丸くなってるから放っておいても大丈夫かな。

2匹いてよかった。

朝の積雪はこのくらいでした。

10センチくらいかなぁ~?

 

11月だからこの雪はあっという間にとけてくれますよね。

このまま春まで白い景色では……まじ困ります。

今年の2月、医者にこのままだと一ヵ月持つかどうかと言われ、

4月には、3日間何も食べられず、

一度医者に見放されたパトラが

20日 待望の10歳になりました!

 

 

そして、一緒に原村に行こう!

を合言葉に(←誰と誰の合言葉だ?)

6月なんと一緒に原村に引っ越してくることが出来ました。

環境が変わることのストレスもほとんど見せず、

元気になりました。

 

こちらに来るとみーんな元気になるのです。

食事療法と点滴を定期的に続けながらも

びっくりするほど元気に生活してきました。

 

でも慢性腎不全は、日に日に悪くなっているわけで、

段々彼女の身体をだるくしている。

ここ数日もかなり調子が悪かったので、

「10歳の誕生日を迎えよう!」を合言葉に頑張ってきました。

そして本当に頑張りました。

 

今は、ご飯とお水とトイレ以外は、ほとんど動きません。

トイレもほとんど失敗で、トイレの手前で出てしまいます。

でも、ご飯は頑張って食べています。

そもそも食べるのが遅かったのだけど、

今は、一食を3回くらいに分けて、ゆっくりゆっくり食べています。

そう、食べているから生きていけるのです。

とても生命力の強い子です。

 

そうとう具合悪いだろうに~

 

さて、次は、年を越そう!です。

冬になると私は俄然暇になります。

私が座っているのを見つけるとやってきて

ちょこんと膝の上に乗っかる子。

最近は、私が座っている時はほとんど私の上に居るので、

私が暇になるのは彼女にとって重要なことだと思う。

だから、来年まで頑張ろう! パトラ

 

以前はこんなに目に力のあるキリッとした表情もしていたのに、

最近は寝てばっかりだね。

でもどこも居たくなくて、ぐっすり眠れているならいいなと思うのです。