今月になって、なんだかたくさん手紙を受け取った。
それは、私の誕生日があったからで、その前後に何通もお手紙を受け取った。
そもそも私が手紙を書くのが趣味で、よく(年に50通くらい)手紙を書くので、いただくこともそこそこある。多分、手紙をいただくことが好きだから書く(つまり受け取った方が喜んでくれるのではないかと思って)ということもあるのだと思う。
家の郵便受けの中に私宛の手紙を見つける。
嬉しい!
しかし、私は決して、その手紙をすぐにあけて読んだりはしない。
結局、今朝は、私のPCの横に3通の手紙が積み重ねられていた(ついでにDM数通)
手紙とかドラマとかを楽しむのは、その世界にしばし浸れるから。
現実とは違った別の世界。
だから、浸る余裕がない時間帯に手紙の封を開けたりはしない。
できうれば、ハーブティーとか入れて、ゆったりした気分で封を開けたいといつも思っている。
お陰で3通もここに溜まってしまった。
手紙を開ける。
楽しみにしすぎてしまっているためか、読んでみてちょっとがっかりすることもある。
それは短すぎたり、当たり障りのない挨拶が主だったり、その人のことがあまり書かれていなかったり。
それでも、手紙の文章の中から、書いた人の空気が漂ってくる。
その人の世界観。
そして、私はしばし、その人の世界の中に身を委ねる。
それが幸せな時間。
本当に素敵な大好きな手紙を受け取った時は、しばらくの間、その差出人が私の頭の中に存在し続ける。
その日どころではなく数日。
ドラマもそう、いいドラマを見ると、しばらくその世界を感じて暮らしている。
だから、今朝もまだ2通しか手紙を開けられない。
2通目の手紙の世界観に浸っている限り、次の手紙を開ける気にはならない。
っていうか、もったいない。
生きている限り、人は誰かと繋がって生きている。
ネットに興じる若者たちはネットの中に繋がりを求めている。
でも、やはり人とのつながりは、出来るならば直接会って一緒の時間を過ごしたい。
それができない時は、電話で声を聞くというのも素敵だ。
何せ声には、限りなく文字を費やしても表現できないことを瞬時に伝える技がある。
でも手紙も捨てたものではない。
メールよりもゆっくりと文字が書かれ、ゆっくりと読まれる分、
その世界はびっくりするほどの広がりを持つのだ。









