気づけば、夏至が過ぎていた…

今年2025年の夏至は、6月21日土曜日

 

夏至は、一年で最も昼の時間(日照時間)が長い日である

つまり先週の土曜日をピークに、だんだん短くなっていく時期に差し掛かってしまったわけだ

 

夏至は、その名前の通り、「夏に至る」

つまりこれから夏本番である

それなのに、私は、これから日が短くなるのだと、

まるで冬の始まりのような気分に陥るのが常だ

 

ものごとは、全てプラスかマイナスに動いていて、

ゼロで止まっていることはない

 

冬至から夏至まで昼の時間がだんだん長くなっていく半年は、プラスであるとしたら、

夏至を過ぎて、今はマイナスの時期に突入してしまった

それだけで少しだけ気が重くなる

 

プラスに作用していく時は前向きなので気持ちも軽やか

でもどんなことでも右肩上がりに真っ直ぐに上がっていくことはない

上がったり下がったり波打ちながら、少しだけプラス方向に進んでいくのが一番良い成長だ

 

それに比べたら、こよみは、半年後に必ず冬至がやってきて、

そこからプラスへと移行する

 

結局は、この一年の繰り返しを何回楽しめたかが勝負である

6月が終わると、半年が終わる

私の場合、この月末にやることがいくつかある

 

味噌の天地返し

この8年毎年作っている味噌をひっくり返す作業

 

換気扇の掃除

台所の換気扇は、年に2回掃除することにしているので、

年末と6月末

 

そんなことより、大掃除に近い掃除である

 

若い頃から、どうして年末に大掃除をするのだろう?と疑問に思っていた

 

もちろん、汚いまま年を越したくないとか、気分的なことは分かるのだけれど、

年末は寒いし、何かと忙しいし、何よりも、押し迫るとゴミが捨てられなくなる

掃除をするということは、大量のゴミが出るということ

年末はそれには似つかわしくない

 

ということで、ベストは、6月ということになった

梅雨時なので、ジメジメしている

晴れて梅雨明けとなった時にすっきりした状態にしようと思う

私の場合、雨が多いので、庭仕事が出来ず、時間ができる

 

大した大掃除はしないのだけれど、

普段あまり掃除していない、高いところとか、戸棚の中とか、順番にあけて見てみよう。

全部出すと色々要らないもの(最近使っていない無駄なもの)が出てくる

それをまず、捨てる

掃除の基本は捨てること

 

そして、使いやすいように整理して、

時々、別の場所に整理し直す

 

これが、大問題!

 

いい場所を見つけて、別の場所に新たにしまい直すと、

数日後、使おうと思った時に、まず見つからない

自分がどこにしまったのかわからなくなる

(ここにあるべきだわ!)と良い場所をひらめいて嬉しかったことは覚えているのだけれど、

それが何処なのか覚えていない。

 

こういうことがどんどん増えていくので、将来的にはもう移動しなくていいようにきちんと整理整頓しようと思っている。

人生最後になるかもしれないダンスに巡り合い、

不安を抱えながらも参加することにした

 

膝が悪いので、ジャンプはしない、深く沈まない

ジャンプの振りの時は、踵の上げ下げで対応する

手の動きも、体操のようには広げない

クラシックバレエのように柔らかく

うっかり思いっきり振ると、肩とか筋とかを痛める恐れがある

 

色々なダンスをやってきたおかげで、適当に手を抜く方法はいくらでも見つかる

それでも基本的に頑張っちゃう人なので気をつけよう!

 

初日、たった10分で、息はハーハーぜーぜー、呼吸が苦しい

もうダメかもしれないと思った

でも、負けず嫌いなので、手を抜きつつ、最後まで(60分)踊り続けた

次の週になると、驚くほど、体力的には楽になった

 

そして、月2回とは言え、そろそろ半年になるので、今は体力はOK

でも曲が多すぎて、毎回新曲があり、振りを覚えられないから、いまひとつノリノリでは踊れない

今更ノリノリで踊ることもないのだが

 

ダンスエクササイズであり、別に格好良く踊ることが目的ではないZUMBAではあるが、

私の目的は、スマートに音に乗って気持ちよくなること

だから、目線や首の位置にもこだわる

今年中には、私なりに満足のいく踊りに到達したい

それが出来たら、少しだけ派手なウエアにして

イメージだけはダンサー気分で、音楽に浸りたい

 

だーれも見ていない、

鏡もない、

大切なのは、自分が気持ちよく踊れること

9年前、この地に来て、踊れる場所を探していた

原村音頭というのがあるので、祭りの時に踊り、

村にはそのための「踊り隊」というのがあるというので、入ろうと思ったが、私の年代の踊り隊は、活動休止中だった

 

年に一度、民謡保存会が、この地の民謡を披露する時に、盆踊りのように踊ってみたりもした

 

あとは、朝ヨガの時に、最初の曲だけ、一人で踊っていた

たった3分

それも、股関節の不調で止めた

それから数年

 

踊りたい

踊りたい!

 

10代の頃は、ディスコにハマっていたこともある

役者の勉強を始めてからは、クラシックバレエ、ジャズダンス、タップダンス

なんでもやった

どれも上手ではなかったけれど…

 

昨年からネットで、シニアの為のダンス教室とか、踊れる場所を探してみた

 

スポーツジムでジャズダンスを…とも考えたが、

若い人たちと踊ると、間違いなく怪我をすると思うのだ

以前踊っていたイメージだけが残っていて、身体はついていかないだろう

 

シニアの為のダンス教室は、都会なら少しあるようだった

でも田舎はそういった選択肢はかなり落ちる

 

昨年末、そんな私に朗報が!

ZUMBAというダンスエクササイズがあることを知った!

それも村の公民館で、毎週やっているって!?

 

年始から参加することを決めた

 

思い起こせば、20年踊っていない

体はあちこちガタガタだし、何より体力がない

調子に乗ると怪我をする恐れも多い、

怪我をしたら、多分、もう踊れない

そう、ラストチャンスなのだ

人生最後のダンスを始めるチャンスが到来した

街でばったり知り合いに会う

って、幸せなことではありませんか?

 

都会では、滅多にそういう場面はないけれど、

それでも時にはあって、

そういうちょっと普通じゃないことは心をドキドキさせてくれて

その日1日を少しだけ豊かにしてくれる

 

でも、私が40代になった頃、

若い子の中に、バッタリ会った割には、

感動というか驚きが薄い人たちが相当数いることに気づいた

あれは何?

感動しなくてもいいんだけど、バッタリ会ったら驚きとかないの?

感情が薄いの?

それとも表さないようにしているの?

 

田舎に来たら、バッタリ会うことが増えた

マルシェとか、どこかのイベントに出かけたら大変

あちこちで知り合いと会う

その度「きゃあ」と手を振り、立ち話

 

そのくらい、狭い世界で生きているわけです。

でも、それが楽しい

 

田舎に来た当初、スーパーマーケットで立ち話をしている人を見かけた

都会では見ない光景だったので、衝撃だった

私もスーパーで知人とバッタリ会ったりしたら一人前

堂々と「村人」と自称できるのだろうと楽しみにしていた

 

それから9年

もちろん、時々スーパーで知人に会う

それでも、稀なことで

稀だから、やっぱり、ばったり…ドキドキ…なわけです

暑い日が続いていますが、みなさまお変わりありませんか?

急激な暑さは、体が対応し切れず、すぐに夏バテを起こしたりします

昨日も暑かったですね

今日も暑くなる予報です

 

寒冷地、ここ原村でも

今日の予想最高気温は30℃

 

それでも朝晩は涼しいんです

 

今朝も起きてすぐは、寒くて窓を開けられなかった

夫が、あっちこっち窓を開け始めたので、

長袖を着るしまつです

 

そしてカッコーがうるさいくらい泣き続けている

窓から入ってくる冷たい空気とカッコーの鳴き声は、

まさしく高原の朝をイメージさせます

 

そういえば、NHKの朝ドラ「なつぞら」の時、

東京と北海道のシーンが交互に出てくるのだけれど、

北海道にシーンが移動すると必ず(と言っていいほど)SEでカッコーが鳴いていた

あまりにも毎回カッコーが鳴くので、

(北海道ですよー!)というサインとしては分かりやすかったけれど、ちょっと手抜きにも感じられた

 

あの映像ほど広々と牧草地が広がっているわけではないけれど、

ここもなかなか広い遠くが見渡せる高原なのです

私が子どもの頃は、学校帰りに誰かの家に遊びに行ったり、

土曜日は、学校が終わって、一度お昼ご飯を食べに家に帰って、

「何時ね」とか約束しなくても、午後になるとなんとなくみんなが集まって、バレーボールしたり、野球したりしていた

 

ご近所付き合いは、子どもがらみが多いけれど、

ちょっと近所の家に行ったり、来たり、そういうことが頻繁にあったように思う

 

十数年前だったか、子どもたちも、うっかり友達の家に遊びに行けなくなったと聞くようになった

親が、お茶とかお菓子とか出してあげるために、前もって了解を得ていないとダメということらしい

 

前もって約束するほどではない、軽い要件があっていいと思う

ご近所だからこそ、それが出来る

 

実際、誰かが来るというと、何か準備したり、少なからずも待ってしまう

それだけでひと仕事になる

だから、軽い要件のときは、ぶらっと寄ってくれた方が、私は嬉しい

 

田舎に住むということは、そういう付き合いが出来るものと信じてやってきた

 

だから、私はぶらっと誰かの家に訪れることが多々ある

採れた野菜を持って行ったり、

単にお散歩だったり、

留守だったら、帰れば良い

 

腐らないものなら玄関の前に置いてくる

あとでLINEすればいい

 

春から畑仕事が始まり、庭に出ている時間が増えた

庭仕事をしていると、友人がぶらっと寄ってくれることがある

タイミングが合うと、お茶休憩を挟める

 

LINEで「セロリ要らない?」「とうもろこし要らない?」

「花や野菜の苗要らない?」 そういったメッセージがあっちこっち行き交っている

野菜がたくさん採れたときは、貰ってくれる人を探すことにエネルギーを使うのだ

丹精込めて作った野菜だ、美味しいタイミングで消費しなくちゃもったいない。

 

草むしりに必死になって汗をかいている時に、予定していない来客があることは、とてもハッピーなことで、疲れも吹き飛ぶのだ

春になって、畑が始まり、野菜が出回り始めると、

色々なところから、突然山のように野菜が届く

 

自分の畑でも突然山のように同じ野菜が採れる

 

そして、消費することに苦心する

 

今、私の畑は、カブが収穫期を向かえ、

友人を捕まえては分けて回る

ウチで、消費するために浅漬けを作る

 

今日、セロリとレタスを頂いた

このレタスってやつがいちばんの曲者で、

大量にもらうと、消費するのに厄介なのです

 

それほど持たないし、

サラダばかり食べるのもそのうち辛くなるし、

それで、どうやって消費するか頭を捻る

 

今は、ネットで調べればたくさんレシピが出てくるので助かる

 

そう、田舎の多忙の一つは、

予想外に、突然、同じ野菜がたくさんやってくること

とにかく無駄にしないために、

食べる方法を考え、

食べ切れないものは、保存する方法を考え、

それ以上のものは、ご近所や友人に連絡を取る

友人が取りにきたり、持って行ったり、立ち話したり

 

ブログ書いていたら、友人がやってきた!

クレソンがやってきたので、レタスと仲良しサラダにする

 

この突然、家に誰かがやってくるというのが、私は大好きなのです

日本時間の今日15日朝、

アメリカの首都ワシントンで米陸軍創設250周年を記念する軍事パレードが行われた

 

最初そのニュースを聞いた時、「34年ぶりに軍事パレード」

34年、って、あの湾岸戦争の後、

1991年のパレード以来だと気づいて驚いた

ちょうど、このブログ(5月17日戦勝記念日?)で書いたばかりだったから

 

「トランプ大統領の誕生日に軍事パレード」

 

これだけ聞いたら、北朝鮮やロシアと同じ響きでしかない

 

唯一の救いは、同日、全米各地で「ノー·キングス(王様はいらない)」と題した反トランプ集会が一斉に開かれたこと

 

今夜のニュースはこれなんだろうなー

イスラエルは、どうしてこういう国なのだろう?

 

強国だから

敵対するアラブの国々に囲まれているから

 

イスラエル国民は、どう考えているのだろう(もちろん賛否あると思う)

 

パレスチナのハマスが、イスラエルを攻撃したことをきっかけに

イスラエルはもう一年以上パレスチナを攻撃し続けている

 

そもそもイスラエルという国の中で、閉鎖されたパレスチナ自治区を攻撃するだけではなく、物資の輸送さえ止めている

 

私は、これを、ジェノサイドだと感じている

 

一般の国民が住む家を失い、食糧もエネルギーも満足に得られない状態に追いやられ、

 

さらに攻撃を続ける

 

ハマスを支援するイランは、大国でちょいちょいこの戦いに関わってきた

 

1948年、エルサレムの地にイスラエルが建国されてからずーっとこの地域では紛争が続いている

宗教的な理由は、私たちには理解しにくい部分もあるが、

政治的な部分は、想像できないこともない

 

第二次世界大戦で、ナチスドイツにジェノサイドを受けたユダヤ人が、なぜ、パレスチナ人をジェノサイド出来るのか、

私の理解を超えている

 

私たちが見なければならないのは、普通のひとりひとりの人間であり、その暮らしである

 

爆撃機も地雷もそれらが放つ光も爆音も、そんなものは報道されてもテレビゲームの世界でしかない

 

実際に、今、住む家を失い、家族が亡くなったり、自分が怪我をしたり、食べるものがなくて空腹だったり、水がないから汚水を飲まざるを得なかったり、そのことを自分の身に置き換えて考える力が必要だ

 

空から爆弾を落とす時、そのスイッチを押す時、

ひとりの人間をイメージできないから、こんな争いが世界中で繰り返される