とある大きな銀行のお仕事を手伝った時のこと、お昼のお弁当(なだ万謹製の上等弁当)をいただきながら、僕と同い年の女性役員と雑談をしておりましたら、とてもイイお話を伺うことができました。
この方が入行したのは男女雇用機会均等法の施行初年度でありました。制度的に機会が均等になっても、いざ銀行に入ってみますとそこは頭のてっぺんからつま先まで完全に男の世界。ありとあらゆるパワハラ、セクハラを全部載っけたオールトッピング状態という現実。
銀行というようなところは今も昔も世の中から優秀な人たちが集まって大変に競争が厳しい世界であります。鬱憤の溜まった屈曲おじちゃまのストレス解消のはけ口に使われたり、その一方では事務職をする一般女性行員の女の世界が広がっており、彼女たちからはいわれなきいじめを受けたりと、まるで東西二正面から攻め込まれるドイツ第三帝国の様相を呈したていたそうです。
ま、人と人の世は古今東西そういうものではありますが、それでも見ている人は見ている訳でして、彼女が配属された都心の大きな支店の支店長は、最初の女性総合職ということで彼女の存在を面白いと思い、厳しくも親身になった扱いをしてくれたそうです。
で、当時の銀行のカルチャーで「女だったらお茶出しをやれ」ということになります。こういう時に普通の人でしたらひたすら女性差別だと憤懣やるかたなしで終わってしまうものですが、この女性役員氏は「これはなかなかいいチャンスが到来したぞ...」と思ったそうなんですね。
どういうことかと言いますと、この支店の支店長は大変に営業センスのある方だったそうで、支店にお客様がいらした時に応接室にお通しして支店長自ら応対するわけですから、そこにお茶をお出しするという仕事は、営業の最前線での仕事能力の中核にある「得も言われぬセンス」というものを間近でリアルに観察する絶好のチャンスだと考えたわけです。
「なぜこのお客さまは特別応接室なのにこのお客様を普通の応接室なのか」「なぜこのビッグディールときは普段の標準語ではなく、会えて名古屋弁でお客様に応対したのか」、彼女が気づいたら疑問に思ったことを面談や会議の後でひとつひとつ支店長に質問する。そうすると支店長は「あー、それはなぜかって言うとね...」と解説してくれる。この女性役員氏は後に大きな営業本部を率いる要職に着くのですが、仕事のセンスを練磨する上で入社した若い頃のお茶出しをしながらの観察がヒジョーに役に立ったということでした。
しかもお茶出しの仕事は来店するお客様の顔と名前を覚える機会でもあります。お客様が支店にいらしても、普通の新人行員であれば「ご用件はなんでございましょうか...」という無味乾燥な受け答えになってしまいますが、彼女の場合お客様の顔を見ただけで「いらっしゃいませ◯◯さま、こちらへどうぞ...」とスムーズにお通しすることができますし、そうしたやり取りを通じて重要なお客様に顔を覚えてもらうことにもなります。
それ自体は自分にとって悪いこと、表面的には不利益にみえることであっても、ちょっと視点をずらしてみればそこに必ず何かしらのチャンスがある。単に不満を溜め込んでブツブツ言っている人と、そこにユニークな機会を見いだす人。僕は思いますに、仕事ができるかできないかの分かれ目は要するにここにあります。自ら機会をつくり、機会によって自らを成長させるというのは仕事能力の本丸中の本丸だと再認識させられた次第です。
なだ万弁当ご一緒したこの方以外にも、この銀行には合計で3名の女性役員がいらっしゃいます。僕はそのすべての方と仕事でご一緒したことがあるのですが、いずれもそれぞれに大変に優秀で魅力的な方々であります。女性であるというだけできっとこれまでに数々の理不尽な目に会い、「コノヤロー」とばかりに悔しい思いをしてきたのだと推察しますが、そうしたハンディを乗り越えて能力を開花させ、実績を積み上げてきたわけでありまして、優秀有能なのは「当然ですけど当たり前ですけど」なのでありました。
それにしても僕の世代の女性で仕事をしてきた人がかつて被って来た不当な扱いはなかなかにしてひどいものがありまして、もはや隔世の感があります。男性の僕が言うと不謹慎に聞こえますが、当時のすったもんだの話は実に「人間なんてらららららららーらー」系の面白さなんですね、ええ。彼女達がそれにどう対処してきたかという話も含めて振り返ってみると、非常に示唆的で興味深い教訓が得られると思います。どこかのメディアをセットして、この3人の方々との覆面座談会をやったらさぞかし面白いだろうと思ったのですが、どこの誰かということがすぐばれてしまうという難点がありまして、実現するのはちょいと難しいかもしれません。
僕の教えている学校(一橋ICSのMBAプログラム)はインターナショナル・スクールなので9月終わりに学期が始まります。今年度のゼミもはじまりました。 今年は日本、中国、ペルー、インド、韓国からの5人の方々がゼミに参加してくれることになりました。
この方がたがその方がた。みんなでパレスホテルのテラスで朝ご飯を食べながらディスカッションしました。
ビジネスの文脈で、日本をスキで日本で活躍してくれる外国人を増やしたいというのが僕のモティベーションです。
僕のようなド中年、しかも頭髪が禿げ上がった後期高齢ド中年諸君は大体そうだと思うのですが、整髪料なんて必要ない、石鹸やシャンプーなんてその辺にあるので十分、誰かがどこかで適当に買ってきたものをそのまま使っているという向きが多いように思います。
僕もこれまでずっとその手のプロダクトには全く関心がありませんで、強いて言えば頭髪や上半身をスカッとさせるためのシーブリーズを切らさないように補充しておくという程度でした。
ところがひょんなきっかけでサンプルをいただきまして、炭成分の入った洗顔料を使ってみたところ、ものすごくイイんですね、これが、ホントの話。今までは手や体を洗う石鹸でそのまま顔も洗っていたわけでありますか、それに比べまして、炭入り洗顔料を使いますと、炭には強力な皮脂除去効果があるそうでして、まるで顔の表面が一皮剥けたようにヒジョーにさっぱりするんですね、これが。
後期高齢ド中年諸君、いや前期高齢ド中年諸君もただの中年諸君もはたまた若者も、要するにあらゆる男性というものは一部の草食さっぱり系を別にすれば、ほっておくと顔の表面が脂でギトギトしてくるものなのです。朝から仕事をして夕方にもなれば、動物性油脂で顔がヌルヌルテカテカになります。自分で言うのもなんですが、これは周囲の人にとって気持ち悪いだけでなく、自分でも非常に気持ちが悪いものなのですね。
僕の場合はだいたい4時頃に仕事を上がってジムに行くわけですが、一通り筋トレをしてプールで泳いでサウナに入り、出てきた時には、朝から顔の表面にこってりと蓄積した油と汗とで、それはもう筆舌に尽くしがたいほどの気持ち悪い状態になっているわけです。もちろんその後で一気呵成にシャワーを浴び全身を洗浄してすっきりするわけですが、この局面で炭洗顔料を使用致しますと、顔が驚くほどツルツルになり、これまでのシャワーの後のスッキリ感が三倍ぐらいの勢いで増量になります。
で、考えてみますと僕の場合は髪の毛がほとんどありませんので、頭部も顔の延長、つーかほとんど顔。顔と頭がシームレスに一体化しているわけです。だったら炭洗顔料でそのまま頭も洗ってみようと思うのは至極自然の成り行き。思い立ったが吉日とばかりに実行してみますと、これがまた実に気分爽快。あまりの爽快感に、もはやある種のエンターテイメント。ジム通いがこれまで以上に楽しみになりました。
それ以来僕は炭洗顔料の虜になりまして、アマゾンで色々な種類を取り混ぜて4つほど買ってみました。ひとつはお風呂場、ひとつは洗面所、ひとつはジムの道具が入っているケースの中、最後のひとつは仕事場と、関係各方面に炭洗顔料を配備。皮脂の迎撃態勢完了。
で、先日お仕事で、雪肌精で絶好調のコーセー(経営陣が実に上品で粋な方々!)を訪問する機会がありまして、その時に今後の男性向けの商品でどういうアイデアがあるかという話になったんですね。女性が化粧品やシャンプーや洗顔料を慎重に選んで使うというのは、要するに人に綺麗に見られたいということが動機になっていますので、視点は自分以外の外にあるわけです。
ところが男性の場合、若者は女性と同じような動機を持つこともあるでしょうか、僕のような後期高齢ド中年ハゲ男ともなってしまえば、「なんだハゲじゃねえか」と言われてしまえばそれっきりなので、もはや他人からどう見られるかということはこの際どうでもイイ。ですからその手の商品についての関心もまるでなく、さっぱり消費が進まないのが自然のことわりであります。
ただし、完全に自分の内面を向いた動機を考えてみれば話はだいぶ違ってくるわけで、見た目がどうなるかはこの際置いといて、使ってみるとひたすらスッキリしたりスカッとするということだけを商品価値に据えたものであれば、未だに顕在化していない需要が割と旺盛にあるのではないかという気がします。
俗に「ラグジュアリー」という言葉を使いますが、これは単に豪華とか贅沢ということではありませんで、人に見せびらかすという外向きの価値、よりも自分にとって気持ちいいとか快適だという内向きの価値のことを指しているわけです。考えてみれば、僕にとっての炭洗顔料経験は本来の意味でのラグジュアリーなわけで、この路線での男性向けラグジュアリー商品というのは日用品のカテゴリーで色々とあるのではなかろうか。しかもド中年男性は、一度ルーティンなり習慣として確立すると、それをかなり長期にわたってしぶとくやり続けるものなので女性以上にロイヤリティの高い顧客になる恐れがあります。少なくとも僕はもはや炭洗顔料なしでは生きていけない体になってしまいました。
それにしても炭洗顔料ってホントに気持ちイイですね。どこのどなたが思いついたのかは知りませんが、僕の顔になりかわりまして深くお礼を申し上げます。
僕もこれまでずっとその手のプロダクトには全く関心がありませんで、強いて言えば頭髪や上半身をスカッとさせるためのシーブリーズを切らさないように補充しておくという程度でした。
ところがひょんなきっかけでサンプルをいただきまして、炭成分の入った洗顔料を使ってみたところ、ものすごくイイんですね、これが、ホントの話。今までは手や体を洗う石鹸でそのまま顔も洗っていたわけでありますか、それに比べまして、炭入り洗顔料を使いますと、炭には強力な皮脂除去効果があるそうでして、まるで顔の表面が一皮剥けたようにヒジョーにさっぱりするんですね、これが。
後期高齢ド中年諸君、いや前期高齢ド中年諸君もただの中年諸君もはたまた若者も、要するにあらゆる男性というものは一部の草食さっぱり系を別にすれば、ほっておくと顔の表面が脂でギトギトしてくるものなのです。朝から仕事をして夕方にもなれば、動物性油脂で顔がヌルヌルテカテカになります。自分で言うのもなんですが、これは周囲の人にとって気持ち悪いだけでなく、自分でも非常に気持ちが悪いものなのですね。
僕の場合はだいたい4時頃に仕事を上がってジムに行くわけですが、一通り筋トレをしてプールで泳いでサウナに入り、出てきた時には、朝から顔の表面にこってりと蓄積した油と汗とで、それはもう筆舌に尽くしがたいほどの気持ち悪い状態になっているわけです。もちろんその後で一気呵成にシャワーを浴び全身を洗浄してすっきりするわけですが、この局面で炭洗顔料を使用致しますと、顔が驚くほどツルツルになり、これまでのシャワーの後のスッキリ感が三倍ぐらいの勢いで増量になります。
で、考えてみますと僕の場合は髪の毛がほとんどありませんので、頭部も顔の延長、つーかほとんど顔。顔と頭がシームレスに一体化しているわけです。だったら炭洗顔料でそのまま頭も洗ってみようと思うのは至極自然の成り行き。思い立ったが吉日とばかりに実行してみますと、これがまた実に気分爽快。あまりの爽快感に、もはやある種のエンターテイメント。ジム通いがこれまで以上に楽しみになりました。
それ以来僕は炭洗顔料の虜になりまして、アマゾンで色々な種類を取り混ぜて4つほど買ってみました。ひとつはお風呂場、ひとつは洗面所、ひとつはジムの道具が入っているケースの中、最後のひとつは仕事場と、関係各方面に炭洗顔料を配備。皮脂の迎撃態勢完了。
で、先日お仕事で、雪肌精で絶好調のコーセー(経営陣が実に上品で粋な方々!)を訪問する機会がありまして、その時に今後の男性向けの商品でどういうアイデアがあるかという話になったんですね。女性が化粧品やシャンプーや洗顔料を慎重に選んで使うというのは、要するに人に綺麗に見られたいということが動機になっていますので、視点は自分以外の外にあるわけです。
ところが男性の場合、若者は女性と同じような動機を持つこともあるでしょうか、僕のような後期高齢ド中年ハゲ男ともなってしまえば、「なんだハゲじゃねえか」と言われてしまえばそれっきりなので、もはや他人からどう見られるかということはこの際どうでもイイ。ですからその手の商品についての関心もまるでなく、さっぱり消費が進まないのが自然のことわりであります。
ただし、完全に自分の内面を向いた動機を考えてみれば話はだいぶ違ってくるわけで、見た目がどうなるかはこの際置いといて、使ってみるとひたすらスッキリしたりスカッとするということだけを商品価値に据えたものであれば、未だに顕在化していない需要が割と旺盛にあるのではないかという気がします。
俗に「ラグジュアリー」という言葉を使いますが、これは単に豪華とか贅沢ということではありませんで、人に見せびらかすという外向きの価値、よりも自分にとって気持ちいいとか快適だという内向きの価値のことを指しているわけです。考えてみれば、僕にとっての炭洗顔料経験は本来の意味でのラグジュアリーなわけで、この路線での男性向けラグジュアリー商品というのは日用品のカテゴリーで色々とあるのではなかろうか。しかもド中年男性は、一度ルーティンなり習慣として確立すると、それをかなり長期にわたってしぶとくやり続けるものなので女性以上にロイヤリティの高い顧客になる恐れがあります。少なくとも僕はもはや炭洗顔料なしでは生きていけない体になってしまいました。
それにしても炭洗顔料ってホントに気持ちイイですね。どこのどなたが思いついたのかは知りませんが、僕の顔になりかわりまして深くお礼を申し上げます。
AKB48の横山由依総監督が仕事場にいらして対談するという機会がありました。
NewsPicksというメディアでの対談でありまして、記事はリリースされています。
これがそれ。→https://newspicks.com/news/1794445/body/
で、僕にとっての最新アイドルは中森明菜と小泉今日子ですので、AKB48というアイドルグループは名前しか知りません。横山さんの「総監督」というのがどういうお仕事かを理解しないまま対談がはじまりました。横山さんは芸能人の匂いがまるでなく(つーか、僕に芸能人のお知り合いはそもそもいないので思い込みで言っているのですが)、ごく普通のお嬢さん。まるでS20のお友達が遊びに来たのかな、という印象でした。
ただし、話が始まってみますと、そこはそれ、さすがに横山さんは厳しい世界でキャリア十分、地に足が着きまくりやがっていまして、相当に懐が深いとお見受けしました。ご自身の経験にもとづくイイ話も飛び出し、楽しい対談でございました。
ハゲと総監督。
僕は基本的に後で自分自身で読み返すためにこのブログを書いておりまして、数字の上では何人かにお読みいただいているようですが、その実感がありません。現実に読んでくれてる人がいると僕が直接的に確認できた最初の方が、おなじみの電通の安田部長その人でありました。
それ以来2年ほど、このブログを読んでいるという人に実際にお目にかかったことはなかったのですが、先日池袋にあるナイスな会社、良品計画 を訪れた時のことです。仕事が終わって失礼しようとしたその時に最上部長に「ブログ読んでるよ」とおっしゃっていただきびっくりしました。ド中年生活にどっぷり浸かっていたため、このところほとんど書いていなかったのですが、読者の存在に強烈に動機づけられたので、これからもうちょっと頻度を上げたいという気になっています。
先日とある会食で旧知の3人とご一緒いたしました。場所はパレスホテルの中華料理の「琥珀宮」。ここは手の込んだ美味しいお料理でホントにeeなあ!
で、個室で一同着席致しますと、メニューが出てきます。その瞬間、僕を含めて4人が一斉に老眼鏡を取り出しました。昔はみんな若かったのに...と思うと、なんとも言えず温かい気持ちになりました。同じ時代を生きてきた同世代だからこそ分かり合える話題に終始し、イイ気分で会食を終えました。
以上、のちに自分で読み直すためだけに書いた話なので、お読みいただいた方には面白くもなんともないでしょうが、こういう日常のふとした断片が、7年くらいたってから読み直すと妙に面白いものなのです。
それ以来2年ほど、このブログを読んでいるという人に実際にお目にかかったことはなかったのですが、先日池袋にあるナイスな会社、良品計画 を訪れた時のことです。仕事が終わって失礼しようとしたその時に最上部長に「ブログ読んでるよ」とおっしゃっていただきびっくりしました。ド中年生活にどっぷり浸かっていたため、このところほとんど書いていなかったのですが、読者の存在に強烈に動機づけられたので、これからもうちょっと頻度を上げたいという気になっています。
先日とある会食で旧知の3人とご一緒いたしました。場所はパレスホテルの中華料理の「琥珀宮」。ここは手の込んだ美味しいお料理でホントにeeなあ!
で、個室で一同着席致しますと、メニューが出てきます。その瞬間、僕を含めて4人が一斉に老眼鏡を取り出しました。昔はみんな若かったのに...と思うと、なんとも言えず温かい気持ちになりました。同じ時代を生きてきた同世代だからこそ分かり合える話題に終始し、イイ気分で会食を終えました。
以上、のちに自分で読み直すためだけに書いた話なので、お読みいただいた方には面白くもなんともないでしょうが、こういう日常のふとした断片が、7年くらいたってから読み直すと妙に面白いものなのです。
わが家のパピヨン犬、お蝶さん(通り名は「猪鹿お蝶」)はわりとおとなしい性格で、夏は日陰の涼しい所、冬は日向の暖かいところで、日がな一日沈思しております(そう見えるだけで、本当は何も考えていないのでしょうが)。

これがそれ。お蝶さん。
ところがそんなお蝶さんに大異変が起きました。先日、ターチ(弟)がジャッキー(フラットコーテッドレトリバーの雌犬。とにかく大きい)を連れて遊びに来たときのことです。ジャッキーが持ってきた小さなラグビーボール型のおもちゃをお蝶さんが狂ったように気に入りまして、ジャッキーからありがたくも頂きました。

上で寝ている黒い物体がジャッキー。
で、ジャッキーから頂いたおもちゃ、これと同じようなものは前から自宅にもあったのですが、大きさや形状や素材や触感など微妙なフィールがお蝶さんのハートのツボにどハマリだったようでして、今までに聞いたことがないような、犬の本性丸出しの興奮の声を出して、延々と一人遊びを繰り広げます。
さすがに犬なのでどんなに喜んでも笑うことはないのですが、この時ばかりは喜色満面、限りなく笑い顔に近い表情で喜んでいました。

これがその顔。

これがそれ。お蝶さん。
ところがそんなお蝶さんに大異変が起きました。先日、ターチ(弟)がジャッキー(フラットコーテッドレトリバーの雌犬。とにかく大きい)を連れて遊びに来たときのことです。ジャッキーが持ってきた小さなラグビーボール型のおもちゃをお蝶さんが狂ったように気に入りまして、ジャッキーからありがたくも頂きました。

上で寝ている黒い物体がジャッキー。
で、ジャッキーから頂いたおもちゃ、これと同じようなものは前から自宅にもあったのですが、大きさや形状や素材や触感など微妙なフィールがお蝶さんのハートのツボにどハマリだったようでして、今までに聞いたことがないような、犬の本性丸出しの興奮の声を出して、延々と一人遊びを繰り広げます。
さすがに犬なのでどんなに喜んでも笑うことはないのですが、この時ばかりは喜色満面、限りなく笑い顔に近い表情で喜んでいました。

これがその顔。
僕が所属する芸歴30年のロックバンドBluedogsが先日いつもの渋谷テイクオフ7でライブをやりました。
Bluedogsのコンセプトはアマチュアバンドの王道を行くものでありまして、すなわち「やっている方が一方的に気持ちよくなるバンド」。我々はライブにわざわざお越しいただけるごくごく少数のお客様のことを「犠牲者の方々」とお呼びし、崇め奉っている次第です。
今回もごくごく少数の犠牲者の方々にお集まりいただき、その方々の尊い犠牲のもとに、1時間ほど一方的に気持ち良くしていただきました。犠牲者の屍の上を邁進し続けること30年。これからもこの調子でアマチュアリズムを突き詰めていきたいと思います。
せっかくのお休みのところわざわざお越しいただいた犠牲者の皆さま、まことにありがとうございました。今後ともひとつご贔屓にお願いいたします。




ただ、今回は少しばかりアマチュアリズムの度合いが過ぎたようでございまして、反省点があります。どういうことかというと、自分たちが一方的に気持ち良くなりたいばかりに、気持ちよくなれそうな曲を詰め込みすぎました。
Bluedogsがライブをやるときは二つのパターンがありまして、今回のように純粋なトリオ形式でやる場合と、昨年の冬のライブのようにオルガンを入れて4人編成の拡大版でやる場合がございます。拡大版Bluedogsでは、わりと歌ものとかジャズロックっぽいものをやるのですが、今回はオルガンなしのトリオ。
トリオならではの気持ちよさ(あくまでもやってる方の気持ち良さで聞いている方の気持ち良さではないことに注意)は、ストレートなロックでガンガン押して行くところにございます。
今回のライブではそういう曲ばかりを集めて徹底的に気持ち良くなってやろうと意気込んだわけございまして、ジッサイに気持ち良かったんですけど、結果的にハードな曲に明け暮れることになって、終盤では疲労困憊、指が自分の思い通りにならず、演奏が乱れに乱れてしまいました。さすがに50代ともなると、体が心についていけないこともあると知りました。
次回の冬のライブは4人編成でやる予定です。今回の反省を踏まえて、体に無理がない選曲を心がけることにいたしましょう。
Bluedogsのコンセプトはアマチュアバンドの王道を行くものでありまして、すなわち「やっている方が一方的に気持ちよくなるバンド」。我々はライブにわざわざお越しいただけるごくごく少数のお客様のことを「犠牲者の方々」とお呼びし、崇め奉っている次第です。
今回もごくごく少数の犠牲者の方々にお集まりいただき、その方々の尊い犠牲のもとに、1時間ほど一方的に気持ち良くしていただきました。犠牲者の屍の上を邁進し続けること30年。これからもこの調子でアマチュアリズムを突き詰めていきたいと思います。
せっかくのお休みのところわざわざお越しいただいた犠牲者の皆さま、まことにありがとうございました。今後ともひとつご贔屓にお願いいたします。




ただ、今回は少しばかりアマチュアリズムの度合いが過ぎたようでございまして、反省点があります。どういうことかというと、自分たちが一方的に気持ち良くなりたいばかりに、気持ちよくなれそうな曲を詰め込みすぎました。
Bluedogsがライブをやるときは二つのパターンがありまして、今回のように純粋なトリオ形式でやる場合と、昨年の冬のライブのようにオルガンを入れて4人編成の拡大版でやる場合がございます。拡大版Bluedogsでは、わりと歌ものとかジャズロックっぽいものをやるのですが、今回はオルガンなしのトリオ。
トリオならではの気持ちよさ(あくまでもやってる方の気持ち良さで聞いている方の気持ち良さではないことに注意)は、ストレートなロックでガンガン押して行くところにございます。
今回のライブではそういう曲ばかりを集めて徹底的に気持ち良くなってやろうと意気込んだわけございまして、ジッサイに気持ち良かったんですけど、結果的にハードな曲に明け暮れることになって、終盤では疲労困憊、指が自分の思い通りにならず、演奏が乱れに乱れてしまいました。さすがに50代ともなると、体が心についていけないこともあると知りました。
次回の冬のライブは4人編成でやる予定です。今回の反省を踏まえて、体に無理がない選曲を心がけることにいたしましょう。
今年の4月から始まったBSジャパン「日経FT サタデー9」(土曜朝9時)という経済ニュース番組にときどき出ています。今日も生放送がありました。

スタジオにて。メインキャスターは住吉さん。解説は日経の豊嶋さん。アナウンサーは前田さん。
集合時間は朝早いのですが、テレビ東京のスタジオはジムのすぐ近所なので、終了してすぐにトレーニングに行けるのがイイですねえ。
経済の中でもマーケットに関わるニュース解説が多いので自分の守備範囲とはズレるのですがだんだん慣れてきて、自分なりの役割がわかってきました。だいたい月1回で登場しています。次回の出番はおそらく8/27土曜日。ご用とお急ぎでない方は観てみてくださいませ。

スタジオにて。メインキャスターは住吉さん。解説は日経の豊嶋さん。アナウンサーは前田さん。
集合時間は朝早いのですが、テレビ東京のスタジオはジムのすぐ近所なので、終了してすぐにトレーニングに行けるのがイイですねえ。
経済の中でもマーケットに関わるニュース解説が多いので自分の守備範囲とはズレるのですがだんだん慣れてきて、自分なりの役割がわかってきました。だいたい月1回で登場しています。次回の出番はおそらく8/27土曜日。ご用とお急ぎでない方は観てみてくださいませ。
暫く前から母の体が不自由であるのに加えて、今年に入って父の手術だリハビリだなんだかんだとございまして、老父母の世話をするのが生活のルーティンとしてすっかり定着いたしました。ま、面倒を見てるこっちがもう初老なのですから当然にして当たり前の成り行きです。
こういう生活のイイところもありまして、それは何かと申しますと、両親の体調を気遣っているうちに、こっちの健康状態もわりと真面目に気にするようになるということです。
10年前にわり大きな病気をした後はしばらくの間真面目に健康診断を受けておりました。定期的に血液検査をしたり各種内臓に内視鏡をぶち込んだりしていたのですが、日曜の生活で特に問題がないのをいいことに、この数年はたまに血液検査をするぐらい。すっかりサボっておりました。
初老とはいえまだまだ働き盛り、これではいけないと薄々思っていたのですが、この手のことは機会がないとなかなかアクションを起こさないものです。
話は若干それますが、僕が大きな病気をしたのは42歳の厄年の時。もう10年前になりますが、このときは病気以外にも予想もしなかった厄介事が集中発生いたしまして、さすが厄年!世の中うまいことできているなあ...とかえって可笑しかったことを覚えています。
で、古い友人のT氏、彼女は僕よりもだいぶ若く、今が女性の厄年。今年になってやはり重大な病気が発覚。冬にこのことを突然聞いた時はびっくりしたのですが、春に大手術をしましてこれが成功。現在仕事復帰に向けてゆるゆると自宅静養中です。
で、一段落ついたということで、快気祝いの昼食の集いをもちました。色々と大変なことがあったとは思うのですが、会ってみると前と全く変わらず飄々としていて、普通に生活できる健康を取り戻した様子。僕も嬉しくなりました。
僕は前々から健康と平和こそがボトムラインだと固く信じておりまして、裏を返せばこの二つ以外のことは全部気のせい、気分の問題だというスタンスで生活しています。戦争と疾病、これはもうあからさまな不幸です。戦争は個人の力ではどうにもなりませんが、健康は日々の生活や心がけ次第である程度までは何とかなります。
で、先だって日本駐車場開発の方々と話をしていたときのこと。巽さんという商売の天才が経営する面白い会社であります。秀逸な戦略ストーリーが光る本業の駐車場の事業のみならず、スキー場の運営などなど様々な新規事業を手掛けています。
で、僕は知らなかったのですが、その中の一つに「丸の内ヘルスケアラウンジ」という医療と健康管理の複合施設があることが判明。場所も日本駐車場開発の本社オフィスと同じ新丸ビル。日頃営業車で動き回ってる僕としては、普段の立ち回り先にある便利な立地、しかも駐車場完備(もちろん運営は日本駐車場開発)のこういう施設は願ったり叶ったりでございます。
で、先日巽さんのところで仕事がありましたので、ついでに丸の内ヘルスケアラウンジによって久しぶりの血液検査をしてきました。ちょうど1週間後に新丸ビルで再び用事があったので、検査結果を伺ってきました。前と比べて特に良くも悪くもなかったのでまずは一安心。これを機会に心を入れ替えて、これからは4半期に一度血液検査を受けようと決意した次第でございます。
で、その時にお医者さまと話をしていて知ったのですが、最近はアミノ酸の出方に注目して、血液検査の腫瘍マーカーよりも早いタイミングで癌のリスクをチェックできる検査方法があるそうです。次回の血液検査の時はこっちもやってもらおうと、早速10月に予約を入れました。
3ヶ月後にまた検査があると思うと、体質改善のモチベーションがわずかばかりではありますが向上します。週3回のジムは今まで通りですが、好きな筋トレ&サウナだけでなく、水泳の方も前よりも前向きな気持ちでするようになりました。ジムのプールで毎回20分ほどゆーっくりクロールで泳ぐようにしているのですが、気持ちが前向きになると自然と水泳技術も多少は向上するようです。同じゆっくりとしたピッチで水をかいていても、前に進むスピードが速くなりました。
で、もうひとつが水素であります。1ヶ月ほど前、遊び仲間のユタカさんと雑談をしているときに「水素注射が効く!」という話を聞いてはいたのですが、それっきりになっておりました。ところが、つい先日、またしても仲間の集いで雑談をしておりますと、そこにいらしたSさんがユタカさんおすすめの水素注射をやって実際に膝の痛みがなくなったとのこと。俄然やる気になりまして、麹町の辻クリニックに行って参りました。
ハリを打つような感じで水素を患部に注射するだけ。所要時間はものの5分。これで本当に効くのかな?と半信半疑だったのですが、懸案の頚椎部分に何発か水素をぶちこんでいただきますと、筋肉がみるみるうちにほぐれて楽になりました。時間をかけてマッサージを受けるよりもずっと効率的です。水素注射は痛みの緩和にとくに効果があるということ。頚椎ヘルニアが悪化して首と肩の調子が悪い時はまた辻先生のところに参りましょう。
ということで、ドメスティックなもろもろを抱えつつも、初老とはいえいまだ現役、仕事は仕事できっちりやらなければなりません。いっときよりも量をセーブしているのですが(もともと十分にセーブ気味だったが、さらに総量規制の水準を強化中)、それでも一定量の仕事はしなければなりません。当然ですけど当たり前ですけど。
で、両親の世話をする生活が定着して以来、私生活でも極力活動の種類を少なくしようという方向で取り組んでおります。もともと非活動的なので特段の趣味もないのですが、ここにきてさらに何もやらない私生活になってまいりました。休日はとにかく外に出かけず、人とも会わず、dvdも借りに行かず、さすがに先日の参議院選挙には行きましたが、ひたすら自宅で完全休養。完全に廃人。完廃。完廃に乾杯!
やることの種類を少なくするというのがポイントでありまして、もともとテレビは見ませんが、このところは映画もほとんど見なくなりました。借りて来るのが面倒。ネットで映画見放題は便利かもしれないけれど、精神的に不健康。そういうものからは距離を置くようにしています。
その点読書は素晴らしゅうございますね、ええ。こういう生活をするようになって読書こそが最強の余暇の過ごし方であるということを再確認しております。体を動かさなくていいし、動かさないどころか寝っ転がっていてもいいし、ついでにかっぱえびせんも食べられるし、すぐに始められるし、いつでも中断することができる。いつでもどこでも本さえ持っていれば実行可能。電源不要の充電不要。どれだけ電波が弱いところでもへっちゃら。父の入院に付き添っているときは普段よりも多くの本が読めてむしろありがたかった。
読書とはちょっと違うのですが、最近好きでやっているのか「地図を見る」。世界地図でも日本の地図でもぼんやりと見ているだけでひょんな面白いことに気づいたり、普段は考えないようなことを想像したりするのでとても良い気分転換になります。今日は天草諸島の位置を誤解していたことにようやく気づきました。
音楽を聴く。これも読書と同様に即時開始即時中断可なので、ド中年になってますます重宝する種目。
最近特にスキなのが、音楽を聴くよりも自分で歌うこと。もちろんカラオケじゃございませんよ。ギターを弾きながら自分の好きな曲を歌う。で、自分で聴く。若干能動的な音楽鑑賞というわけです。これが何もない週末に欠かすことができない種目となってまいりました。本日はイーグルスとスティービー・ワンダーのナンバーから自分の好きなところを選んで小1時間歌いました。それにしてもスティーヴィーはコードワークが秀逸ですね。歌うと体が熱くなるので、夏は扇風機をかけるようにしています。
以前はヤイリの小さな旅行用のギターを使っていたのですが、このところ頻繁に歌うようになったため近所の楽器屋で安いヤマハのアコースティックギターを買いました。

これがそれ。いつも食堂のテーブルで歌っています。
ま、ことほど左様にこの歳になると人生なかなか自分の思うようにいかないことも多いのですが、それはそれ、だからこそ味わえる日常生活のコクというのが出てくるわけでありまして、ド中年生活もなかなか捨てたものではございません。キレはないけどコクがある。それが人生、これが人生。
こういう生活のイイところもありまして、それは何かと申しますと、両親の体調を気遣っているうちに、こっちの健康状態もわりと真面目に気にするようになるということです。
10年前にわり大きな病気をした後はしばらくの間真面目に健康診断を受けておりました。定期的に血液検査をしたり各種内臓に内視鏡をぶち込んだりしていたのですが、日曜の生活で特に問題がないのをいいことに、この数年はたまに血液検査をするぐらい。すっかりサボっておりました。
初老とはいえまだまだ働き盛り、これではいけないと薄々思っていたのですが、この手のことは機会がないとなかなかアクションを起こさないものです。
話は若干それますが、僕が大きな病気をしたのは42歳の厄年の時。もう10年前になりますが、このときは病気以外にも予想もしなかった厄介事が集中発生いたしまして、さすが厄年!世の中うまいことできているなあ...とかえって可笑しかったことを覚えています。
で、古い友人のT氏、彼女は僕よりもだいぶ若く、今が女性の厄年。今年になってやはり重大な病気が発覚。冬にこのことを突然聞いた時はびっくりしたのですが、春に大手術をしましてこれが成功。現在仕事復帰に向けてゆるゆると自宅静養中です。
で、一段落ついたということで、快気祝いの昼食の集いをもちました。色々と大変なことがあったとは思うのですが、会ってみると前と全く変わらず飄々としていて、普通に生活できる健康を取り戻した様子。僕も嬉しくなりました。
僕は前々から健康と平和こそがボトムラインだと固く信じておりまして、裏を返せばこの二つ以外のことは全部気のせい、気分の問題だというスタンスで生活しています。戦争と疾病、これはもうあからさまな不幸です。戦争は個人の力ではどうにもなりませんが、健康は日々の生活や心がけ次第である程度までは何とかなります。
で、先だって日本駐車場開発の方々と話をしていたときのこと。巽さんという商売の天才が経営する面白い会社であります。秀逸な戦略ストーリーが光る本業の駐車場の事業のみならず、スキー場の運営などなど様々な新規事業を手掛けています。
で、僕は知らなかったのですが、その中の一つに「丸の内ヘルスケアラウンジ」という医療と健康管理の複合施設があることが判明。場所も日本駐車場開発の本社オフィスと同じ新丸ビル。日頃営業車で動き回ってる僕としては、普段の立ち回り先にある便利な立地、しかも駐車場完備(もちろん運営は日本駐車場開発)のこういう施設は願ったり叶ったりでございます。
で、先日巽さんのところで仕事がありましたので、ついでに丸の内ヘルスケアラウンジによって久しぶりの血液検査をしてきました。ちょうど1週間後に新丸ビルで再び用事があったので、検査結果を伺ってきました。前と比べて特に良くも悪くもなかったのでまずは一安心。これを機会に心を入れ替えて、これからは4半期に一度血液検査を受けようと決意した次第でございます。
で、その時にお医者さまと話をしていて知ったのですが、最近はアミノ酸の出方に注目して、血液検査の腫瘍マーカーよりも早いタイミングで癌のリスクをチェックできる検査方法があるそうです。次回の血液検査の時はこっちもやってもらおうと、早速10月に予約を入れました。
3ヶ月後にまた検査があると思うと、体質改善のモチベーションがわずかばかりではありますが向上します。週3回のジムは今まで通りですが、好きな筋トレ&サウナだけでなく、水泳の方も前よりも前向きな気持ちでするようになりました。ジムのプールで毎回20分ほどゆーっくりクロールで泳ぐようにしているのですが、気持ちが前向きになると自然と水泳技術も多少は向上するようです。同じゆっくりとしたピッチで水をかいていても、前に進むスピードが速くなりました。
で、もうひとつが水素であります。1ヶ月ほど前、遊び仲間のユタカさんと雑談をしているときに「水素注射が効く!」という話を聞いてはいたのですが、それっきりになっておりました。ところが、つい先日、またしても仲間の集いで雑談をしておりますと、そこにいらしたSさんがユタカさんおすすめの水素注射をやって実際に膝の痛みがなくなったとのこと。俄然やる気になりまして、麹町の辻クリニックに行って参りました。
ハリを打つような感じで水素を患部に注射するだけ。所要時間はものの5分。これで本当に効くのかな?と半信半疑だったのですが、懸案の頚椎部分に何発か水素をぶちこんでいただきますと、筋肉がみるみるうちにほぐれて楽になりました。時間をかけてマッサージを受けるよりもずっと効率的です。水素注射は痛みの緩和にとくに効果があるということ。頚椎ヘルニアが悪化して首と肩の調子が悪い時はまた辻先生のところに参りましょう。
ということで、ドメスティックなもろもろを抱えつつも、初老とはいえいまだ現役、仕事は仕事できっちりやらなければなりません。いっときよりも量をセーブしているのですが(もともと十分にセーブ気味だったが、さらに総量規制の水準を強化中)、それでも一定量の仕事はしなければなりません。当然ですけど当たり前ですけど。
で、両親の世話をする生活が定着して以来、私生活でも極力活動の種類を少なくしようという方向で取り組んでおります。もともと非活動的なので特段の趣味もないのですが、ここにきてさらに何もやらない私生活になってまいりました。休日はとにかく外に出かけず、人とも会わず、dvdも借りに行かず、さすがに先日の参議院選挙には行きましたが、ひたすら自宅で完全休養。完全に廃人。完廃。完廃に乾杯!
やることの種類を少なくするというのがポイントでありまして、もともとテレビは見ませんが、このところは映画もほとんど見なくなりました。借りて来るのが面倒。ネットで映画見放題は便利かもしれないけれど、精神的に不健康。そういうものからは距離を置くようにしています。
その点読書は素晴らしゅうございますね、ええ。こういう生活をするようになって読書こそが最強の余暇の過ごし方であるということを再確認しております。体を動かさなくていいし、動かさないどころか寝っ転がっていてもいいし、ついでにかっぱえびせんも食べられるし、すぐに始められるし、いつでも中断することができる。いつでもどこでも本さえ持っていれば実行可能。電源不要の充電不要。どれだけ電波が弱いところでもへっちゃら。父の入院に付き添っているときは普段よりも多くの本が読めてむしろありがたかった。
読書とはちょっと違うのですが、最近好きでやっているのか「地図を見る」。世界地図でも日本の地図でもぼんやりと見ているだけでひょんな面白いことに気づいたり、普段は考えないようなことを想像したりするのでとても良い気分転換になります。今日は天草諸島の位置を誤解していたことにようやく気づきました。
音楽を聴く。これも読書と同様に即時開始即時中断可なので、ド中年になってますます重宝する種目。
最近特にスキなのが、音楽を聴くよりも自分で歌うこと。もちろんカラオケじゃございませんよ。ギターを弾きながら自分の好きな曲を歌う。で、自分で聴く。若干能動的な音楽鑑賞というわけです。これが何もない週末に欠かすことができない種目となってまいりました。本日はイーグルスとスティービー・ワンダーのナンバーから自分の好きなところを選んで小1時間歌いました。それにしてもスティーヴィーはコードワークが秀逸ですね。歌うと体が熱くなるので、夏は扇風機をかけるようにしています。
以前はヤイリの小さな旅行用のギターを使っていたのですが、このところ頻繁に歌うようになったため近所の楽器屋で安いヤマハのアコースティックギターを買いました。

これがそれ。いつも食堂のテーブルで歌っています。
ま、ことほど左様にこの歳になると人生なかなか自分の思うようにいかないことも多いのですが、それはそれ、だからこそ味わえる日常生活のコクというのが出てくるわけでありまして、ド中年生活もなかなか捨てたものではございません。キレはないけどコクがある。それが人生、これが人生。
神戸大学の小川進教授がゼミの学生さんたちを連れて僕の仕事場に来てくださいました。2000年に今の職場に移って以来というもの学部の学生さんたちと会う機会がほとんどないので、若い学部生の方々と話ができてよろしゅうございました。

この方々がその方々。写真はフォトグラファーの横山さんに頂きました。

小川進教授と。


小川さんと知り合ってからはもうずいぶん長い月日が経ちます。大学も違えば分野も違うのですが、小川さんとは仕事のデビューが同期なのですね。要するに、中森明菜と小泉今日子のような関係(この場合、僕の方がどちらかというと中森明菜)。ですから若い頃はコンファレンスなどでご一緒することも多く、以来何かにつけてお世話になっております。
僕は1992年から教え始めたのですが、その頃のゼミの学生といえばほとんど同い年。まるで友達のように遊んでもらっていました。気づいてみればそれから25年近くが経ち、大学生が自分の娘の世代になりました。こっちは何も変わっていないつもりなのに、月日だけが一方的に流れていきます。
小川さんと小川ゼミの皆さん、お忙しいスケジュールの中わざわざお越しくださいましてありがとうございました。今後ともひとつご贔屓にお願い致します。

この方々がその方々。写真はフォトグラファーの横山さんに頂きました。

小川進教授と。


小川さんと知り合ってからはもうずいぶん長い月日が経ちます。大学も違えば分野も違うのですが、小川さんとは仕事のデビューが同期なのですね。要するに、中森明菜と小泉今日子のような関係(この場合、僕の方がどちらかというと中森明菜)。ですから若い頃はコンファレンスなどでご一緒することも多く、以来何かにつけてお世話になっております。
僕は1992年から教え始めたのですが、その頃のゼミの学生といえばほとんど同い年。まるで友達のように遊んでもらっていました。気づいてみればそれから25年近くが経ち、大学生が自分の娘の世代になりました。こっちは何も変わっていないつもりなのに、月日だけが一方的に流れていきます。
小川さんと小川ゼミの皆さん、お忙しいスケジュールの中わざわざお越しくださいましてありがとうございました。今後ともひとつご贔屓にお願い致します。