とある大きな銀行のお仕事を手伝った時のこと、お昼のお弁当(なだ万謹製の上等弁当)をいただきながら、僕と同い年の女性役員と雑談をしておりましたら、とてもイイお話を伺うことができました。

この方が入行したのは男女雇用機会均等法の施行初年度でありました。制度的に機会が均等になっても、いざ銀行に入ってみますとそこは頭のてっぺんからつま先まで完全に男の世界。ありとあらゆるパワハラ、セクハラを全部載っけたオールトッピング状態という現実。

銀行というようなところは今も昔も世の中から優秀な人たちが集まって大変に競争が厳しい世界であります。鬱憤の溜まった屈曲おじちゃまのストレス解消のはけ口に使われたり、その一方では事務職をする一般女性行員の女の世界が広がっており、彼女たちからはいわれなきいじめを受けたりと、まるで東西二正面から攻め込まれるドイツ第三帝国の様相を呈したていたそうです。

ま、人と人の世は古今東西そういうものではありますが、それでも見ている人は見ている訳でして、彼女が配属された都心の大きな支店の支店長は、最初の女性総合職ということで彼女の存在を面白いと思い、厳しくも親身になった扱いをしてくれたそうです。

で、当時の銀行のカルチャーで「女だったらお茶出しをやれ」ということになります。こういう時に普通の人でしたらひたすら女性差別だと憤懣やるかたなしで終わってしまうものですが、この女性役員氏は「これはなかなかいいチャンスが到来したぞ...」と思ったそうなんですね。

どういうことかと言いますと、この支店の支店長は大変に営業センスのある方だったそうで、支店にお客様がいらした時に応接室にお通しして支店長自ら応対するわけですから、そこにお茶をお出しするという仕事は、営業の最前線での仕事能力の中核にある「得も言われぬセンス」というものを間近でリアルに観察する絶好のチャンスだと考えたわけです。

「なぜこのお客さまは特別応接室なのにこのお客様を普通の応接室なのか」「なぜこのビッグディールときは普段の標準語ではなく、会えて名古屋弁でお客様に応対したのか」、彼女が気づいたら疑問に思ったことを面談や会議の後でひとつひとつ支店長に質問する。そうすると支店長は「あー、それはなぜかって言うとね...」と解説してくれる。この女性役員氏は後に大きな営業本部を率いる要職に着くのですが、仕事のセンスを練磨する上で入社した若い頃のお茶出しをしながらの観察がヒジョーに役に立ったということでした。

しかもお茶出しの仕事は来店するお客様の顔と名前を覚える機会でもあります。お客様が支店にいらしても、普通の新人行員であれば「ご用件はなんでございましょうか...」という無味乾燥な受け答えになってしまいますが、彼女の場合お客様の顔を見ただけで「いらっしゃいませ◯◯さま、こちらへどうぞ...」とスムーズにお通しすることができますし、そうしたやり取りを通じて重要なお客様に顔を覚えてもらうことにもなります。

それ自体は自分にとって悪いこと、表面的には不利益にみえることであっても、ちょっと視点をずらしてみればそこに必ず何かしらのチャンスがある。単に不満を溜め込んでブツブツ言っている人と、そこにユニークな機会を見いだす人。僕は思いますに、仕事ができるかできないかの分かれ目は要するにここにあります。自ら機会をつくり、機会によって自らを成長させるというのは仕事能力の本丸中の本丸だと再認識させられた次第です。

なだ万弁当ご一緒したこの方以外にも、この銀行には合計で3名の女性役員がいらっしゃいます。僕はそのすべての方と仕事でご一緒したことがあるのですが、いずれもそれぞれに大変に優秀で魅力的な方々であります。女性であるというだけできっとこれまでに数々の理不尽な目に会い、「コノヤロー」とばかりに悔しい思いをしてきたのだと推察しますが、そうしたハンディを乗り越えて能力を開花させ、実績を積み上げてきたわけでありまして、優秀有能なのは「当然ですけど当たり前ですけど」なのでありました。

それにしても僕の世代の女性で仕事をしてきた人がかつて被って来た不当な扱いはなかなかにしてひどいものがありまして、もはや隔世の感があります。男性の僕が言うと不謹慎に聞こえますが、当時のすったもんだの話は実に「人間なんてらららららららーらー」系の面白さなんですね、ええ。彼女達がそれにどう対処してきたかという話も含めて振り返ってみると、非常に示唆的で興味深い教訓が得られると思います。どこかのメディアをセットして、この3人の方々との覆面座談会をやったらさぞかし面白いだろうと思ったのですが、どこの誰かということがすぐばれてしまうという難点がありまして、実現するのはちょいと難しいかもしれません。