私の経験〜アルコール依存症の家族④ | 自分の宇宙は自分で創造する。

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主婦からセラピストとして活動を始め15年。
人生を創り直して、以前と違う世界を生きています。

こんにちは。

ayumiです。







私の経験〜アルコール依存症の家族③



夫は身長171㎝ですが、酒を飲んでまともな食事をしないので体重が45kgくらいになってしまいました。

もともと細身で、多い時でも56kgくらいしかなかったのですが

拒食症か病気のようにしか見えませんでした。








子供たちが帰ってきたときも喜ぶのですが、それを飲酒に拍車をかけ?

ますます飲むので、誰にも止めることができない状態でした。







「お父さん、もうヤバイね。

もう定年まで体が持たないね」






当時55歳くらいでしたが、私も子供たちも

定年まで仕事はできないだろう、生きていないかもしれないと思い始めていました。






実際、仕事を行くことに拘っていた夫も

金曜日からの連続飲酒により

月曜日に仕事に行けないことが月に一度、二度

というふうに増えていきました。






夫の職場はひとりで作業することが多いため、多くの人に気づかれることはなかったと思うのですが

直接の上司には気づかれていたようで、「上司の態度が気に入らない」と言って

ますます飲むようになる悪循環に陥っていました。







このままでは職場にもいられなくなる。

アルコール依存症が、社会的活動、家族関係を壊してしまうということはよく聞くことです。

比較的恵まれた職場関係でしたが、それももう時間の問題、というふうに思っていました。







私が変われば夫も変わるかもしれない。

その6年間は、私にとっても内観の時期でした。

いろんなカウンセリングを受けました。

また、心理学のセミナーなどにも通いました。







それ以前から、自分が生き辛かったのもあり

いろんなワークショップやセミナーにも参加していたのですが

ちょっと怪しいところにも行ったりしました滝汗

(知らずに行ってマルチだったとか、、あせる






けれど、それらの経験はその時の私を助けてくれました。

そして、いろんな世界を知る事もできました。







その頃のことを以前書いたのが、この記事です。




夫のことを理解しよう、自分を知ろう。

とことんやったからこそ

そのことが、大きな気づきになったことは間違いありません。








私に大きな気づきが訪れたころ

転換期がやってきました。

2014年7月ついに夫の身体が悲鳴を上げました。







ある日、お腹が痛いとのたうち回り始めました。

夜ということもあり、救急に行ったのですが

病院に着いたら少し和らいだせいか、検査は朝にならないとできないと痛み止めだけ出て帰されてしまいました。

夫はアニサキスだと言っていましたが(絶対お酒のせいにはしない・笑)

私は内臓だろうな、胃か肝臓だろうと思いました。





家に帰ると、薬を飲んでも痛みが引かないと、また苦しみ出しました。

2人とも一睡もできずに朝を迎え、急いで病院に行きました。







重症急性膵炎








膵液が流れ出し、臓器を溶かし始めていました。

膵臓ガーン

膵臓が痛みの原因なら、もう命が危ないかもしれないと思いました。






続く