「町歩き」にも様々なパターンが考えられる | がいちのぶろぐ

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台風一過と言ってもいいのだろうか。夜中にはかなりの雨と風だったけれど、午前中には青空に強い日射しが戻ってきた。ただ、風がまだかなり吹くので窓を開けると気持ち良い。

 

昨夜、NHKの総合テレビでは夜の9時以後は定時番組をすべてすっ飛ばして、台風情報一色という異例の番組編成となっていた。

 

今回の台風10号が過去最大級の台風という予報だったから、NHKとしては、ある意味で使命感のようなもので行ったのだろう。その点は、むしろ潔かったと思う。

 

結果として、この台風は甚大な被害をもたらすまでには至らなかったと言えるだろう。これで良かったのだ。〝大山鳴動して鼠一匹〟で済んだのだから、不幸中の幸いだった。

 

昨日私はブログでも書いたように、京都市の西隣になる亀岡市へ「町歩き」に出掛けていた。途中23度サーッという感じの通り雨もあったけれど、まずは天気も持ってくれた。

 

 

 

そして今日は、昨日の「町歩き」を思い返しながら、そこで私が考えたこと、感じたことの中味を考えている。

 

 

 

こうした「町歩き企画」は全国の至る所で、様々なパターンで実施されている。京都市や周辺部でも、その地域に詳しい方がガイド役として引率する「町歩き企画」は数多く実施されている。

 

こうした場合に決め手となるのは、ガイド役の方の知識量や説明の楽しさ、面白さだろう。一時期、日帰りバスツアーなどで、「○○さんと行く××の旅」などといった企画がテレビ番組でも取り上げられ、そこから人気者のツアー・ガイドさんが生まれたりもした。

 

また大阪では、吉本興業の若手漫才師や上方落語の若手の噺家さんが、バスや船に同乗して、案内とともに芸も見せるという、一石二鳥のツアー企画が行われていたこともある。

 

以前に旅行した長崎市では、市の観光案内のホームページに、「長崎さるく」という、観光スポットを「町歩き」風に案内するガイドさんを、随時紹介できると書かれていた。

 

このケースは、グループ旅行で訪れた際などに利用すれば、便利なガイド・システムかもしれない。

 

また京都の旅行業の団体が運営する「町歩き」に、「バスガイドさんが案内する」という企画もある。ベテランのバスガイドさんであれば、客扱いも慣れているし説明も上手だろう。

 

つまり、ガイドとして案内する人の〝人あしらい〟の上手さや、話術やネタの豊富さといった点から、芸人さんやバスガイドさんが重宝されるということは十分に考えられる。

 

もう一方で「長崎さるく」のように、ある程度高齢の方で時間的な余裕があり、ガイド経験も豊富で対象地域のことにも詳しい方が案内役を務める、という事例も多い。

 

さらに以前私が経験したケースでは、大学生で地理・歴史のサークルなどに入っている方が案内役を務めた「町歩き」の事例もあった。

 

 

(地理サークルの学生さんに案内された町歩き/豊国神社)

 

岐阜県の飛騨市古川地区では、サイクリングでの「町案内」を事業とするグループが生まれている。こちらは外国人観光客を英語で案内できるという特徴と、事前に交渉しておいた〝人を訪問〟するツアーという特色も打ち出している。

 

 

(飛騨市古川町の町並み)

 

つまり「町歩き」という企画にも、様々なパターンと企画が生まれているということだ。さらに、オーストラリアから生まれた「ロゲーニング」という「町歩き」の方法もある。

 

これは参加者に訪ね歩くべき地図を渡し、その地図を頼りに歩いてもらうという、オリエンテーリングの考え方を取り入れた、ゲーム性のある遊び型の「町歩き」になっている。

 

またそこにスマホの普及をベースにして、「フォト・ロゲーニング®」という、渡された地図に掲載されている写真の撮影ポイントを発見し、それと同じ写真を撮って戻って来るという、一段階上の「遊び型町歩き」を考えた日本の方もおられる。

 

さらに以前このブログで考えた、その場所の白地図に自分なりに出会った人やコトを書き込んで、その〝場所の意味〟を自分なりに構成して行くという、「自分本位」の町歩きも考えられる。

 

こうした自分で意味を見出す「町歩き」は、京都市上京区で「上京ちず部」を主宰されている方が呼びかけ、山納洋さんという方がリーダーとなって今年3月に開催された。私もこれに参加した。

 

 

(まず説明を/中央が山納さん・今年3月の町歩きにて)

 

このように、ひと口に「町歩き」といっても、様々なパターンで行うことができる。だから、私が現在関わっている「半径3kmの旅TM」というテーマも、どのような「旅の形」を提示すれば良いかで、その中味が大きく変わってくる。

 

 

 

ガイド役が「芸達者か・説明役に徹するか」、いやそもそも「ガイドとなる人がいるか・いないか」、いない場合も「何かを見出させる遊び型か・自分が意味を発見する形式か」、といった違いがある。また「町歩きか・サイクリングツアーか」という相違も出てくる。

 

こうして、人が町を歩いて(サイクリングで)何かを見たり知ったりする行動を考えるだけでも、これくらいのバリエーションが有り得る。

 

そこへ現状では、「ウィズ・コロナでも行い得ること」を考えるのか、それとも、今は無理かもしれないが「ポスト・コロナで実現可能なこと」と捉えるかでも、おのずから考え方が変わってくる。

 

だから「半径3kmの旅TM」を何を切り口として、どんな事業へと練り上げて行けばよいかということを、今月末から始まる同志社大学院のオープン講座「ソーシャルイノべーション研究プロジェクト」で、再び議論を進めて行きたい。