明智光秀ゆかりの亀山城の城下町の町歩き | がいちのぶろぐ

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今日は折からの台風10号で天候が心配されたが、昼過ぎまでは何とか持ちそうということで、朝から京都市の西隣に当たる亀岡市まで出掛けていた。

 

私は5月から、同志社大学院のオープン講座「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」で、「半径3kmの旅」というプロジェクトと関わっている。

 

この「半径3kmの旅」の一つの在り方を考えるために、その実践の一環として「町歩き」の有効性を確かめることを目的として、亀岡市内で「町歩き」を行ってみた。

 

 

 

亀岡市のJR亀岡駅から南へ歩いて5分足らずの場所にある「亀山城」は、明智光秀の居城だったことで知られている。

 

光秀はここから軍勢を発して、京都・本能寺に滞在していた織田信長の下へ攻め込み、信長を討ち取ったのが「本能寺の変」ということになる。

 

今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公が明智光秀であるため、亀岡市は観光客を期待していたが、その目論見はこの間のコロナ禍で今のところ〝まぼろし〟になっている。

 

 

 

亀岡市という町は、JR京都駅から亀岡駅まで普通列車でも30分ほどで到着するという距離感である。国道9号線なら〝老ノ坂峠〟をはさんで、亀岡市と京都市があるという位置関係だ。

 

京都市に生まれ育った私だが、隣り町の亀岡市には数えるほどしか行っていない。国道9号線を車で走ってこの町を通り抜けたことは、それこそ数えきれないほどあるが、この町に用事があって出掛けることは滅多にない。

 

今朝は10時に亀岡駅に集合して、光秀の居城である亀山城の周囲を、遺跡を訪ねて丹念に見て回った。亀岡市で「まちの元気づくりプロジェクト」を主宰しておられるM氏が、今日のガイドを務めてくださった。

 

さて亀岡駅から6人連れで亀山城を目指す。お城の内堀に当たる南郷池の前には、明智光秀公の銅像が待ち構えている。この堀は桜並木の公園になっており、ここをぐるっと回り込むと亀山城への入口となる。

 

 

 

 

現在は宗教団体の「大本」がこの亀山城址全域を所有し教団の本拠としている。大正時代に荒れ果てていた城址を、「大本」の教祖だった出口王仁三郎氏が取得して、石垣などを復元したのだそうだ。

 

 

(城址にある立派な赤松)

(城址にあるコノハナサクラ)

 

この城址は、普段なら市民の散歩コースとして、また今年は観光の目玉として存在するはずだったが、コロナ禍のため「大本」もやむを得ず城址への立ち入りを断っている。

 

その城址を通り抜けて、内堀や外堀の遺跡を見ながら、「惣構え」が痕跡をとどめている秋葉神社という小さな祠に出る。

 

 

(惣構えの跡を見る/秋葉神社)

 

「惣構え」は城下町の最も外側に当たる部分に堀を掘削し、その土を〝御土居〟として盛り上げたものだ。だからここが城下町と、その外の田畑の広がる場所との境目となる。

 

城下町の、大手門に至るメインストリートに当たる本町通り周辺には、今も往時の面影を残す家が残されていて、その中の一軒は「城下町歴史町並み案内所」として使われている。

 

 

 

 

ここは休憩所やカフェにもなっているので、ここで昼食をいただいた。昼食後に、本町通りから「本町辻子」という脇道に入ると、短い抜け道にお寺や祠が立ち並んでいた。

 

 

 

何しろ100mほどの道なのに、お不動さんあり、お大師さんあり、妙見さんあり、鬼子母神あり、法華宗あり、浄土宗ありというバラエティーに満ち満ちた辻子になっていた。

 

 

 

 

 

その先には亀山城の大手門跡という場所が、現在は形原神社になっていた。これで昼食時間を入れて4時間を掛けて、亀山城址とその城下町をぐるっと一回りしたことになる。

 

この亀山城を囲む城下町は、内堀・外堀・惣構えという三重の堀に囲まれており、今もなお城下町部分がはっきりとわかる構造になっていた。

 

現在の亀岡市は、城下町と周辺の広い田園地域を合わせて市域が構成されている。京都や大阪にも通勤圏なので、周辺部分には新しい住宅も増えてきている。

 

またJR亀岡駅のすぐ北側には、今年、サッカーチームの「京都サンガ」の専用スタジアムもオープンし、つい先日こけら落としの試合が開催された。

 

 

 

 

ところで、亀岡と言えば京都の嵐山と結んだ「保津川下り」と、旧・山陰線の線路を使って、JR嵯峨嵐山駅と亀岡市側のJR馬堀駅の間を、観光トロッコ列車も走っている。

 

現在の山陰線は、嵯峨嵐山駅と馬堀駅の間は大半がトンネルになり、途中のJR保津峡駅の前後で少しだけ保津川が見える。今日も往路の電車の車窓からは、保津川下りの船が見えていた。

 

 

 

こんな亀岡市の町歩きだったが、「半径3kmの旅」の実際的な在り方として、今日のようなガイド付きの町歩きも考えられるし、白地図を自分で埋めて行くような旅としての在り方も考えられる。

 

今月末から「ソーシャルイノベーション研究プロジェクト」の秋学期がスタートすれば、「半径3kmの旅」の考え方を、さらに議論し検討して行くことになるだろう。